■ 346 ■ 【菜園】テッド・ヨドカフ






「教えられる範囲では教えました。残りの指導はリクスさん、エーメリー。貴方たちの【リベル】に記しておきましたので、頑張ってね」

「ありがとうございます、【御厨コクイナ】シン・レーシュ様」

『ありがとうございました!』


 二ヶ月の短い指導を終えて、【御厨コクイナ】シン・レーシュが再び【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】へと舞い戻る。

 その入れ替わりとして、


「やぁ、ダレット。私たちの薬草をまさか枯らしたりはしてませんよね」

「会うなり嫌味とは変わらないな、君は」


 ダレットと抱擁ハグし、その後に訓練兵たちやリクスに向き直るのは、


「さて、君たちの中に菜園サジェス宗派はいないとは聞いていますが――地母神教マーター・マグナの根底は御厨コクイナ菜園サジェスです。しっかり学ぶように。まぁ学ばなくてもよいですが」

「はい、【菜園サジェス】様」

『頑張ります!』


 やはり【至高の十人デカサンクティ】の一柱である【菜園サジェス】テッド・ヨドカフである。


「【御厨コクイナ】に続いて【菜園サジェス】にまで来ていただけるとは光栄です」

「なに、我々はこういう機会でもないと中々外に出られませんからね。よい口実ですよ」


 【菜園サジェス】テッドはそう狐色の髪を揺らしながら静かに笑う。


「まあ欲を言えばここ以外の土地の方が良かったですが」

「ここには、よく?」

「ええ、【温室ハーバ】の加護はあまり植生には影響を及ぼせないのでね」

「私の専門はあくまで調薬の方だからな。テッドにはここの環境を整えるのに協力してもらっているのさ」


 そうテッドとダレットが肩を並べて薬草の育成具合を確認しながら笑い合う。

 基本的に【菜園サジェス】、【御厨コクイナ】、【温室ハーバ】の三人はその加護の特性上、行動をともにすることが多いらしい。

 ペアを組むことが多いのが荒事向きの【神殿テンプル】と【道場アリーナ】、スタンドアローンなのが【宝物庫セサウロス】。


 【武器庫アーマメンタリウム】、【納戸ホレオルム】は必要に応じて【菜園サジェス】と、【スタブルム】もまた必要な時だけ【菜園サジェス】、【御厨コクイナ】、【温室ハーバ】に文句を言いに来るらしい。主に飼葉の品質だそうだが。


「【書庫ビブリオシカ】は?」

「無論、どこにでも連れて行かれるよ。【書庫ビブリオシカ】は記録係だからね」


 莞爾とテッドが笑って見せれば、なるほどラジィがあの年で凄まじい知識量を誇っていた理由がリクスにもよく分かってしまう。


「君も書庫ビブリオシカを選んだ以上は、今後のあの子たちに教えるための知識は全て蓄えておかねばならんよ? ん?」

「……善処します」


 ということでリクスらはシンに続いてテッドにも教育を受ける事になるわけである。

 テッドの【菜園サジェス】は土壌改良と開墾、植生支援だ。ラジィが海藻の増産を行っていたように畑の収穫量を増やせる、庶民にとってはある意味最もありがたい加護である。


「我々の主食である麦と一言で言っても、その土地土地によって育ち方も病気への耐性も全く異なるものだ。まずは種を理解するところから始めないとだね。それが終わったら発育から必要な肥料の推定、土壌の改良、水質の改善も重要だな」


 最低でも麦の見分け方は覚えろと言われてリクスやエーメリー、ディアナなどは興味津々だが、


「イーリス、フェルナン」


 この二人は全くやる気が感じられない。


「どれも同じ。見分けなんてつかない」

「そうだよ全然分かんねぇよ! 麦を見分けろったって、ビンチョウマグロって言われて何が長いのか分かんねぇくらい分かんねぇ!」

「びんは髪の毛だよ、フェルナン」

「何で知ってるのシータは……」

「マジかよ髪の毛生えてる魚がいるのかよ! すげえやそれなら俺でも分かりそうだぜ!」

「……すみません、テッド様。気移りしやすい子たちで……」


 リクスがそう頭を垂れると、テッドは気にしてないとばかりにニコリと笑う。


「いいですよ。バカに無理矢理理解させようとするのは徒労ですからね。好きにしなさい」

「だってよ兄貴、許されたよ俺!」

「違う、見限られたんだよ……」


 仕方がないので、学ぶ気のある者のみだけでテッドに講義を受け、やる気のない者にはダレット監修の元で農地開墾を始めてもらう。


「……一応言っておきますが半分は冗談ですよ? 十も宗派があれば得手不得手は当然ありますからね。私だって満遍ない才能があるわけではありませんから」


 テッドがそう付け加えたのは、子供たちは皮肉を皮肉と流せず落ち込んでしまう可能性がある、と後になって反省したからだろう。


「ええ、私も農地関連は素人ですし、得手不得手に加えて機会の差もありますしね」

「御兄様は農業に関してはあまり詳しくないのですね……何でも知っていると思っていました」

「俺は港町育ちだからね。陸の幸にはあまり縁がなかったのさ」


 港町暮らしだったクィスからすると新鮮なのか、それともテッドの教え方が上手いのかスルスルと頭に入ってきて、リクスとしても割と楽しんで授業を受けられている。

 ただリクスには御厨コクイナ適性がなかったので、御厨コクイナ系魔術の取得は訓練兵たちに任せるしかない。

 ただ、


「ダート修道司祭は武芸以外は後回しにしていたようですね。菜園サジェス系の基礎の基礎である【栽培クルティオ】の一つも訓練兵が修めていないとは、極めて遺憾ですよ」


 エーメリーらも菜園サジェス系は座学すら受けたことがないらしいとあって、テッドは若干渋い顔だ。


「神殿騎士というものはただ戦えればよいというものではないのですよ。訪れた土地の魔獣を追い払い、崩された生活を立て直すまでが地母神教マーター・マグナの神殿騎士です」

「何でも屋だね」


 シータがそう評すると、その通りとテッドが真顔で頷いた。


地母神教マーター・マグナがシヴェル大陸で覇権を得られたのは地母神教マーター・マグナが何でもできるからです。逆に言えば何でもできない地母神教マーター・マグナになど何の存在価値もありません」

「せちがらいねー」

「そんなもんですよ世の中ってのは」


 テッドとシータが揃って肩を竦める様はどことなくひょうきんで、リクスにとっては割と微笑ましい。


 性格が合ったのか、それとも合ったのはウマか。

 こういうことも含めて意外にもシータはよくテッドに懐いたもので、最終的に最も菜園サジェス魔術を修めることができたのはシータだった。

 二ヶ月の指導を終えて、テッドもまた【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】へと帰る日はあっという間に過ぎてしまう。


「てっちゃん、もう帰っちゃうの? もっといればいいのに」

「【至高の十人デカサンクティ】というのもこれで結構忙しいものでしてね」


 テッドは膝を折ると、シータと目線の高さを合わせて優しくその頭を撫でる。


「シータ、貴方はとても良い生徒でした。残りのカリキュラムはリクス君に入れておきましたので、あとは彼から教わりなさい」

「うん、りっちゃんが頑張るね」


 こいつら人を本棚か何かと勘違いしちゃいないかな、とリクスとしては物申したかったのだが、そこそこ感動的な別れに水を差すのも悪かろう。黙るしかない。


「いい子ですねシータ。いやはや、お陰で楽しい時を過ごせました。呼んでくれて感謝しますよ、リクス君。例の件は承りました。最善を尽くしましょう」

「お願いします、【菜園サジェス】様」


 未来を明かして協力を依頼した件は確かに承った、とテッドが言ってくれて、リクスとしても文句を言えるような立場ではない。

 ヒラヒラと手を振って去っていくテッドにリクスらは並んで頭を垂れる。何だかんだで優れた教師であり、人格者ではあったのだから。

 ただ、書庫ビブリオシカ宗派の扱いが何でも屋の中の更に何でも屋なだけで。


――ジィが【至高の十人デカサンクティ】は【書庫じぶん】の事を落書き帳か何かだと思ってるに違いない、って言ってたの、少し分かっちゃったな……


 リクスの内心には少しだけ虚しさというか、寂寥感が残ってしまっているが……






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