■ 201 ■ 夢から目覚めたその夜に 後編
「話は二人の傷を癒やしてからだな」
血痕を辿られないよう簡単に止血をして宿に戻ったサリタとコルナールにダリルがポーションを手渡すが、
「痛むだろう? 我慢をしなくてもいい。確かに持ち込んだポーション数は限られているが、使うべき時に惜しむ必要はない」
サリタもコルナールも、ポーション瓶を握りしめたままじっと、何かに耐えるように顔を床に向けていて身動き一つしない。
「あのトカゲ野郎の言ったことなんか気にすんじゃねぇ。戦場では敵ってのは罵倒して挑発して虚仮にしてくるもんだ、一々傷付いてちゃバカを見るぞ」
シェリフがそう二人を宥め、それでも動かない二人を前に仕方なく瓶の蓋をあけて無理やり口に突っ込んで嚥下させる。
二人の傷はそれで傷痕も残らず癒えて、
「では質問だ。何故戦場に姿を現した」
ダリルが、これだけは聞いておかねばならないと三人を問い詰める。
敵の増援があったから、というのは分かるが究極的にはそこは問題ではなく、
「敵が弱ってる今なら圧倒できると甘く見たのか? 前線に立つ訓練をあまり受けていないお前たちでも勝てるはずと――」
そこまで口にしたダリルの前に、シェリフの手が伸ばされて、その先の言葉を遮った。
「出なきゃ、リーダー。お前さんが死兵と化して命と引き換えに敵を何人か道連れにして死にかねないと。そう思ったから来たんだろ、なぁコルナール」
「……そうです。私が提案しました」
コルナールがそう、事情を説明する。足手まといが出てくれば、その撤退の為にダリルはあそこで死ぬわけにはいかなくなるからと。
ダリルはリーダーとして責任感が強いから、味方の安全圏への離脱を確認する前に敵陣へ突撃はやれないだろう、と。
そう言われたダリルが、苛立たしげに前髪をかき上げてコルナールに熱のない視線を向ける。
「今晩が最大にして最後の機会だったのだ。任務遂行の為に命を懸ける。お前たちと違って失うものなど何もない俺が死兵と化すのが最も合理的な――」
「合理的で自殺するな! あたしたちは、あたしたちで
布を裂くようなヤナの悲鳴にも似た問いに、ダリルはそうじゃないとなだめるように軽くポンとヤナの頭に手を添える。
「違う。お前たちには役目がある。汎戦用である俺の方こそが換えのきく――」
「だから、勝手に自分を換えのきく道具にするなって言ってるのよっ!」
そう目に涙を溜めて憤るヤナに、ダリルは本当にどう言えば分かってもらえるのか、それしか思い浮かぶことがない。
この期に及んでなお、ヤナの言葉それ自体は全くダリルには響かないのだ。
「……俺は、もうグラナを倒す以外の全ての意思を喪ってしまった袋小路の人間だ。お前たちと違い、未来に求めるものが何もないし、未来へ展望を持てと言われても困るだけだ。お前たちが幸せになれるならそれでいいのだと、分かってもらえると嬉しいのだが」
「私たちにも、幸せになれる未来はない」
唐突に、サリタがそう呟いた。
出撃前までは穏やかな瞳の中に希望の光を湛えていた瞳は、今や完全に光を失ってしまっている。
「私も、人並みに生きられると思った」
楽しかった。サリタは楽しかった。
クィスに頼まれ、舞台の上に上がり、人目を集め、自分が他人と何ら変わりのない人間として生きられるのだと知れた筈だった。生きていて良いのだと思えた筈だった。
けど、
「でも今日の私の楽しかった思い出は、あの半竜が言ったように他人の思い出を奪って得たもの。その事実だけは、変えようがない」
あまりにも馬鹿な話だ。楽しすぎて浮かれていて、何故ファッションショーのモデルにいきなり空きができてしまったのか、という基本的なことにも気付けていなかった。
ちょっと考えれば、分かった筈なのに。
今病呪をばら撒いているのは誰なのか、自分たちだけが分かっているというのに。
「別にいいじゃない! あたしたちはこれまで幸せを奪われていたんだから、その分あたしたちが奪い返して何が悪いのよ!」
ヤナはそう歯をむき出しにして怒るが、サリタはそこまで割り切れない。だって、
「私たちが他人から幸せを奪うことを許容するってことは、私たちが幸せを奪われていたことも許容しなきゃ、ってことだよヤナ」
「全然違うわコルナ! 有るところから無いところへ幸せを分配するだけじゃない! それの何が悪いのよ!」
「今日、本来舞台に立つはずだった子たちは、私たちから幸せを奪われるのが正当だったと言えるのか」
「当たり前じゃない! こんな栄えた街で、いつも笑顔で、のうのうと生きてて! 苦しんでいる孤児なんかいない! 飢えの苦しみなんか知らない連中よ! 今日少しくらい苦しんだから何よ! 全然釣り合わないじゃないの!」
そうヤナは憤るが、流石にサリタやコルナールのみならずジェロームやシェリフも全面的にヤナには賛同しがたい。
それはヤナの性格が悪いというより、皆がヤナより少しだけ大人であるからだ。
他人の事を考えられる余地がサリタたちにはあり、ヤナにはない。性格云々の前にヤナは未熟なのだ。
ちゃんと人格を形成できる環境にいなかったから、他の真っ当に育った子供よりも思考が浅い。他人に共感する力がない。
それに、サリタとコルナールは知っているのだ。元々二人はこのリュカバースにいた孤児だったから。
路地にいて、飢えて、苦しんで麻薬に漬かり、そして危うくグラナに救われそうだったところを偶然ダリルに助けられた。
だから知っているのだ。リュカバースの子どもたちもまた、飢えと苦しみを知っているのだと。
知っていて、しかしリュカバースはここまでに成れた。マフィアと職人と孤児が一丸となって街を発展させた。
街は再開発され、サリタの知っているリュカバースはもうどこにもなく、であれば、
「あーあ、少しクィスさんたちが憎いですね」
コルナールが、そう、空になったポーション瓶を手のひらで転がしながら空虚な顔で笑う。
「あの人たちがドン・コルレアーニとグラナを排除してなければ、私たちは今ごろ正義の開放者でいられたのに」
八つ当たりだ、それはコルナール自身が誰よりもよく分かっている。クィスを擁するドン・ウルガータは正しいし、リュカバースの救世主だ。それはコルナールもよく分かっているが、
「腹立つなぁ。私たちがここにいる時には、救ってくれなかったくせに、今ごろ偉そうに」
言ってて傷付くのが分かっていて、しかしコルナールはそう思うしかない。そう思い込むしかない。他に、何を思えばいいと――
「その、クィスというのは何者だ?」
そうダリルに問われて、コルナールの思考がそこで途切れた。
「リュキア氏族のくせに何故か僑族と一緒になってソルジャーなんぞやってやがるマフィアだよ。それがどうかしたか?」
シェリフの問いに、ダリルは首を横に振って瑣末事だと応えた。
「此度の1-7への攻撃停止命令。竜牙騎士団員が下町にお忍びで出かけて獣魔ダニに噛まれた為と聞いていたのでな。リュキア氏族ならそいつかと思ったのだが……マフィアなら違うようだな」
なるほど、と相槌を打って、そしてシェリフたちは気が付いた。
リュキア氏族はもう一人いるではないか、と。
「え、まさかマコか!? あいつがカルセオリー伯の息子だっての!」
「ウソよ! シェリフと一緒になってナンパだとか言ってたあいつが貴族!?」
嘘だろとシェリフが頭を抱え、ヤナが目を剥くと流石にダリルも気になったようだ。
「お前たち、竜牙騎士団員と接触していたのか?」
「い、いや、そうと決まったわけじゃねえがよ……というかないだろ? あれがこの国トップエリートの魔術師とかよぉ」
「で、でも……悔しいけどあいつかなり美形よ! でもありえないわ、あんな下町で鼻の下伸ばしてるヤツが貴族だなんて!」
シェリフとヤナが有り得ない、と首を振るが、
「ちょっとまってください! マコが竜牙騎士団だというなら、マコが先輩って呼んでいるクィスはそもそも何者なんです?」
ジェロームが挟んできた疑問に、誰しもがあれ? と違和感を覚えた。
マコもリュキア氏族顔としてはかなり整っているが、クィスのそれはマコをも上回る。とするとマフィアであるクィスという存在をどこに位置づけても噛み合わないのだ。
「同じ竜牙騎士団……じゃねえよな。クィスの旦那は地元に根付いてるし。アレは一朝一夕の付け焼き刃な馴染み方じゃねぇぞ」
「マコがリュカバースにいた時にお世話になった、とか?」
サリタの問いに、ダリルがいやと首を横に振る。
「百八位以上の序列持ちは三歳の頃から王都に集められ竜牙騎士団員として育てられるという。十年以上も前の、しかも三歳になる前の知り合いを先輩とは呼ばないのではないか?」
「じゃあやっぱり元竜牙騎士団員?」
「で、でもクィスさん。家族に捨てられた子供だって言ってましたよ?」
「三歳で王都に連れて行かれるのは家族に捨てられた、って感じる人もいるんじゃない?」
サリタ、コルナール、ヤナはそう言い合うが、
「あ……でもクィスさん。獣魔ダニに噛まれてませんよ? 魔力持ちじゃあないんじゃないかな」
ここ3日間、三人はずっとクィスと共にいるが、クィスが体調悪そうな片鱗は全く覗かせていなかった。意地を張っていた、とかでもないように見えたし、
「でも、明日には体調崩してるかも。マコも今日はまだ元気だったし」
「とすると、明日体調を崩してたら魔術師、元竜牙騎士団員ですかね……」
「だから何だって話だけど」
「何だも何も、敵の切り札だぞ。まだ
『!!』
ダリルの一言に、三人の顔が強張った。そうだ、クィスが魔術師ということは、元竜牙騎士団員ということは、だ。
ならばクィスは恐らくマフィア魔術師の中では最強格の手札だろう。
それとダリルが相対していない、ということはまだ温存されているということ。未だマフィアは手札を隠していた、ということになる。
「お前たちの知り合いとて、もし魔術師ならば元竜牙騎士団のようなエリートだろう。そんな相手には手加減はできんぞ」
そう語るダリルにサリタ、ヤナが悲しそうに頷き、そして、
「コルナ」
「どうしたの、サリタ。不思議そうな顔して」
「……涙、拭きなよ」
「え?」
そうしてコルナールは自分の頬に指を這わせ、自分が涙を溢していたことにようやく気が付いた。
「何なら抜けてもよいのだぞ、コルナール。先に言ったように、俺はお前たちの未来を祝福したい」
そうダリルに問われて、しかしコルナールは首を横に振った。
「この涙は、多分そういう意味じゃありませんから」
コルナールには分かる。自分には戦えないから、戦いたくないから涙を零したのではない。その逆だ。
――コルナールにとっての一番はコルナール自身じゃないんだね。わりと辛いよ? そう生きるの。
クィスが指摘した通りだ。コルナールはヤナや、何よりサリタに幸せになって欲しくて、その為になら自分の感情など押し込めてしまうことができる。
ただ、押し込めてしまえることは痛くも苦しくもないということと同義ではなくて、傷だらけになりながら押し込めているだけで――だからクィスも恐らくそうなのだ。
だから何となく一緒にいるのが心地よかった。
クィスがコルナールになど転ぶはずがないのだ。夢を見るのも大概にしろ。
でも、
――そういうのもありかもね。
まだ唇に熱が残っている。重ねられたクィスの唇の熱が残っていて、埋め火のように焼け焦げている。
残火のように。
未練のように。
今も、まだ。
消えることなく。
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