■ 273 ■ 我ら大地に蒔かれし竜骨
「申し訳ありませんステネルス団長……私はもう魔力切れのようです……!」
雷鳴が鳴り響く厚い雲の下で、竜牙騎士団の一人が膝をついた。
同時にこれまで展開されていた【
「そうか、よくやってくれたディルケ。ラーマコス、魔力は回復したか!」
「多少は、ですけどね」
「では再び【
天を見上げてステネルスはそう悲鳴のような命令を下す。
ステネルスの神殿である雷と突風の嵐は今や、その雲の厚みを減じていて、雲の切れ間から神々しいばかりの光が大地を明々と照らしている。
しかしその暗雲を祓うかのような神々しい光が、ガローや竜牙騎士団の命を奪ったのだ。あの光を決して、地上へと届けてはならない。
――だが、いつまでこうしていればいいのだ。ただ耐えていれば、この神々しい光はいつか消えてなくなるのか?
それがステネルスには分からない。そもそも今現在一体なにが起きていて、どうして自分たちは危険に晒されているのか、何一つ分かってはいないのだ。
それでもできることはこうやって神殿を維持し続けることだけで――否。それすらも叶わない。
そうステネルスが歯がみしている最中に――突如としてラーマコスが掲げていた【
「どうした、何をやっているラーマコス!?」
そう問うステネルスに対する応答は、
「分かりません! 分かるのは私の中から
言葉としては明快ではあったが、ステネルスの疲弊した脳が即座に理解できるほど意味が通っていない。それだけではなく、
「殿下、私もです!」
「私ももう、全身のどこにも魔力を感じません!」
「恐れながら殿下、私も魔力が消えました! 【
竜牙騎士団の面々が全員、そうやって恐々とした視線をステネルスへと向けてくる。
精鋭たる竜牙騎士団の全員が、一人残らずそう不安そうに視線を左右させて――否。一人残らずではない。雷雲は未だ空にある。
――私だけが例外なのか!? 何故だ、これも謎の敵による攻撃の一つなのか!?
分からない。ステネルスには何も分からない。だが周囲の竜牙騎士団員やルフリウム城守備隊の
そんな中でステネルス一人がただ魔力を維持できていて、
「殿下――恐れながら視線を御身の腰へお戻し下さい」
ルフリウム守備隊長カラタクスの進言に従い、天に向けていた視線をステネルスが落とすと、
「……光っている」
光っている。リュキア王国竜牙騎士団長の証として父王シェンダナより渡された
何事か、とステネルスがその柄に手をかけると、まるでそれはステネルスの掌に滑り込むかのようにあっさりとその刀身を雷鳴の元へと晒してみせた。
刃こぼれ一つ、曇り一つ無い湖面のような刀身が、空に輝く稲妻を照り返して蒼く光る。
「抜けた、だと? これは
「殿下が剣に選ばれた、ということでしょうか」
おずおずとそう尋ねてくるカラタクスに、しかし今更首を縦に振れるようなステネルスではない。
「あり得ぬよ。私程度に抜けたなら過去にも抜けた者がいたはずだ。それだけは絶対にあり得ぬ」
自分が剣に選ばれた、などと都合よく考えるほどステネルスは自分に酔ってはいない。
いや、三年前の自分であればそう考えてもおかしくはなかっただろうとは思う。
だが今のステネルスは王城に侵入してきた小娘に負け、辺境の地でラーマコスやカラタクスに学び、敵国の魔術を使う孤児すら必要とあらば使いこなせるほどにまで成長した。
自分は王位を手にするには未だ至らぬ身だと思い知った。だからこそ、自分が特別な存在だから
「ならば重要なのは『誰』ではなく『場所』でもなく『今』、ということか」
突如として魔力を失った
天より降り注ぐ魔術師殺しの光もまた、この一件に関係あるのだろうか?
だとしたら、
「この剣は一体何者を斬るために存在しているのだ……名前からして竜である筈だが、いったい何処の竜を……?」
分からない。今のステネルスにはまだ、何も。
ただ一つだけ明らかなのは、今のこの
§ § §
「ああ、ああ、なんてことなの! ステネルス! お前、私を謀った、母である私を謀ったのね!?」
そうして、リュキア王国首都リュケイオンの自室にて、第二王妃ラティーヌ・ヒュペレノール・リュキアは荒れ狂う。
「殺したとお前は言ったでしょうに! 確かに息の根を止めたと! ならばどうしてこうなるのステネルス、ステネルス!」
御年既に三十六と瑞々しさこそ喪われつつあるものの、未だ王妃としての貫禄と美貌をその顔に浮かべているはずの女性は、今や嵐の如くに猛り狂っている。
「こんな、こんなことがあっていい筈がない! お前のために命じたのよ! 機を見てスティクスを殺せと命じたのに! それなのにお前は私を欺いたのねステネルス! 実の母であるこの私を!」
シーツを引きちぎり、椅子を鏡台に叩き付けて赫怒も露わに自室を破壊して暴れる第二王妃を、従者たちは諫めることもできずにいる。
相手は第二王妃ながら、
流石に王族だけあって侍従たちも序列持ちで固めているが、今はどういうわけか侍従たちは魔力を全く操ることができずにいる。
その中で唯一と言うべきか、未だ身体強化が行えているらしい第二王妃に近づくなど、命の危険すら覚えるほどで――だから、
「邪魔するぞ、ラティーヌ」
第二王妃ラティーヌの自室に、先触れもなく国王シェンダナ・ウダイオス・リュキアが訪れてくれて、侍従たちはホッと内心で安堵の吐息を零してしまう。
だが、安堵の後に胸中に生まれ出ずるは疑問、当惑、猜疑だ。
何故第二王妃ラティーヌはこうも荒れ狂っているのか。対する国王シェンダナは何故今、いっそ狂気すら感じさせる歓喜をその瞳に宿して第二王妃の元を訪れたのか。
自分たちの魔力が消えたのは――それに関係しているのか。
「私が其方の元を訪れた理由、既に分かっておろうな」
そう穏やかに問うシェンダナを見る第二王妃ラティーヌの瞳には、いっそ殺意すら籠もっていて、そんな視線を向けられるシェンダナはしかしより一層瞳を期待に輝かせている。
「陛下! 陛下は知っているのですね! 知っていて私の元を訪れたのね!」
「知らぬさ。知らぬから聞きに来たのだろうに。さぁ語れラティーヌ。
かつてスティクス・リュキアの腹心だったマクロー・バルブスがラジィに語った通り、序列三位は
序列を今誰が持っているかを判別する役であるからこそ、他の
即ち、序列に動きがあったと確信したから、それを確認するためにシェンダナはラティーヌの元を訪れたのだ。
申せ、と眼で語るシェンダナは魔力を失っているはずなのに、その眼力にラティーヌはたじろいだ。語りたくない、語りたくなどないが――ラティーヌは神託の魔術師だ。
序列を語る言葉に、嘘を乗せることができない。仕様としてそう定められているが故に。
「ス、
「……そうか、誰が割り込んだものぞと思うておったが――お前が生きていたのかスティクスよ、ハハッ、ハハハハハハハハァ!!」
この世の地獄を、この部屋にいるラティーヌ及びシェンダナの侍従たちは垣間見たような気がした。
よりにもよって、序列第一位に死んだはずの
それを口にしたラティーヌはこのまま憤死しても構わないと言わんばかりに荒れ狂っていて、それに相対する国王シェンダナが狂気をも宿した凄絶な笑みを零しているなど――
「お前が、お前が生ませた阿婆擦れの子が! 歴史あるリュキア
そうラティーヌに指を突きつけられても、国王シェンダナはおかしげに肩を震わせて嘲笑を――そう、嘲笑を止めようとはしない。
「序列は知れても
「そこまで、そこまで貴方はあのスティクスに王位を与えたいのですか! そんなに獣混じりのあの阿婆擦れを愛していたと!?」
そうヒステリックに叫ぶ己の妻すらも、今のシェンダナには滑稽と映るようだ。
既に四位の序列と魔力を失っているシェンダナは、ラティーヌがもし僅かでも害意を抱けば一瞬にして殺されるというのに。
「狭いな、狭い。ヒュペレノールの女よ。己の一族にしか見向きもしない狭量な娘よ。その程度が王妃を気取っているから、この国はこうも詰んでいるのだ」
それすらも想定内と言わんばかりにシェンダナは呵々大笑と笑い続ける。
「私が憎いか? 殺したければ殺すがよい、ん? 私の役目はもうとうに終わっておる。以後激化するだろうステネルスとストラトスによる王位争奪戦の汚点となりたくば、この私を殺して鬱憤を晴らすがよいわ」
そう指摘されたラティーヌが、一瞬怒りを忘れて呆けたように夫を見やった。
ステネルスとストラトスの王位争奪戦? 序列第一位のスティクスをさておいて?
「国王陛下、シェンダナ様。貴方は、いったい、何を――」
ずい、と深い深い、吸い込まれそうな視線を叩き付けられて、魔術師ラティーヌは只人シェンダナに恐怖した。
足元でパキンと何かが割れる音がしたのは、気付かずして一歩を後ずさったラティーヌ自身が割れた鏡を踏み抜いたからだ。
「愚問よな。このリュキア国王シェンダナが考えるべきは常にリュキアという国の国益よ。それを
何が何だか分からないラティーヌにもしかし、ただ一つだけ分かったことがある。
即ち国王シェンダナ・ウダイオス・リュキアは即位したその瞬間からずっと、個を消し機能として王という役目をこなしていたのだ、ということを今更、第二王妃ラティーヌは理解したのだ。
「喜ぶがよいラティーヌ!
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