■ 272 ■ スティクス・リュキアの覚醒






 ティナ・エルダートが。

 クィス・エルダートが。

 アウリス・ヒッターが。

 フィンが。

 ラオが。

 ヤナが。

 ヤン・シンルーが。

 マルク・ノファトが。

 ガレス・ノイマンが。

 コルン・ノイマンが。

 シメイ・イオリベが。


 十一人の魔術師たちが、黙って、押し黙ったまま視線を交錯させる。


「イオリベは断固拒絶するのです。イオリベは蛇神ハイドラへ仕送りするために働いていますので、いくら金を積まれてもここでは死ねませんです」


 はっきりとイオリベがそう否定してくれたことで、侮蔑するどころか逆に一同はホッとしてしまった。

 人には生きる意味と目的があり、その為に自分の命を使ってよい。イオリベの宣言はその体現だったからだ。


「なら俺がやろう。俺の生きる意味は元より、コルンが生きていける未」「駄目です。兄さんが死んだら私も死にます」


 ガレスが言い終わるより先にコルンがそう否定してきて、まあそうなるだろうなと誰もが思ったのでその先の言葉は求めない。

 そもそも脚が動かず今はコルンに背負われているガレスは、コルンが目指す先にしか向かえないのだ。哀れな、とクィスはちょっとだけ悲しくなった。


「私がやりましょう。元より私はエルフィ様の仇を討つためにここに来たのです」


 マルクがそう、覚悟を決めた顔でそう宣言するが、


「人死にの数を減らす、という観点ではマルクはお勧めしないわね」


 ラジィがそうマルクの覚悟を平然と否定してしまう。


「何故です? 【書庫ビブリオシカ】様」

「予想だけど、カイは今恐らくシヴェル大陸全土を守るべく神殿を展開しているはずよ。それができるかできないかはさておき、カイなら私の臨界に気が付くし、その性格からしてそうせざるを得ないわ」


 ラジィがリュカバースに組み上げた神殿は、元々カイから与えられた知識を元に構築したものだ。

 だからカイがそういう大規模な神殿を建造していたことをラジィは知っている。そんなカイがこの状況をただ指をくわえて見ているはずがない。


「そうするとね、地母神教マーター・マグナはこの先の未来、もっとも組織として強い戦力を持つ神教として突出してしまう可能性が高いのよ」


 そう指摘されると、元々貴族であるマルクはラジィが何を言いたいのかを理解できてしまった。

 強い力を持ちながら誰にも掣肘されない存在がどうなるか、ここにいる面々はリュキア騎士という実例からよく知っていた。


「私に――エルフィ様の仇を討つことを諦め、主をむざむざ死なせた無能としての生き恥をさらせと?」

「私がどうこう言うより、クリエならそう貴方に求めたのではないかしら?」


 ラジィはクリエルフィが死んだ状況を知らない。死んだという事実もさっき知ったばかりだ。

 だが【霊算機マシヌラ・カリキュメトリア】の【演算スプタティオ】は、死に際のクリエルフィがマルクに何を求めるか程度なら容易に算出しうる。


「クリエは貴方により多くの人を守れる人になって欲しいと願ったのではなくて?」

「……ですが、しかしこの状況で誰かがそれをやらねばならないのなら」「あたしがやるわ」


 そうマルクの言葉に被せてきたのは、この場においてラオの次に小さな存在である、


「ヤナ、どうして君が……」

「あたしにだってママ・オクレーシアや第一分隊ファーストスクワッドの皆の仇を討つ権利があるはずよ」


 クィスを通して、ダリルの暴走が元よりミカの一存であったことを既にヤナは知っている。

 そんなダリルの暴走のせいで、シェリフとジェローム、サリタやコルナールは命を落としたのだ。


 そして何より恩人であるオクレーシア・レーミーを直接手にかけたのは他でもない、ミカ・エルフィーネだ。


「でも、ヤナ。生き残った君には未来があるはずだ。それをこんなところで……」


 駄目だ、とも言い切れずクィスは拳を握りしめてしまう。


 クィスは悔しかった。クィスは口惜しかった。

 シェリフが全力で守ったヤナが、シェリフたちの仇討ちのために命を投げ出してしまうことが無念で、悲しかった。


 舞台の上にいたヤナを、フルールにおめかしされて嬉しそうに笑っていたヤナをクィスは恐らく、世界中の誰よりもよく知っている。

 だからこそ、


「仲間を喪って一人生き残ったモグラ如きに未来なんか、あるわけないじゃない」


 ヤナがそう、自分の未来を見限っているのが何よりも腹立たしく、無力感に苛まれるのだ。


「あたしが死ぬのが一番社会に影響がないし、それにあたしにはあのミカって女に復讐すらさせて貰えないの?」


 そうヤナに詰め寄られれば、クィスとしては言い返しようがない。

 ヤナはまだ子供だから、とその意向を無視するのは簡単だ。だけどそれはクィスの都合であってヤナの都合ではない。


「それが、貴方の望む道行きなのね」


 ティナの口でそう尋ねるラジィに、ヤナは静かに頷いてみせた。


「ダリルもシェリフもジェロームも、サリタやコルナまで殺されて黙っているなんてあたしには無理だわ」


 その気持ちはクィスやマルク、そしてガレスやシンルーにも理解できる類のものであったから、誰もが安易に否定する言葉を吐けなかった。

 仲間や友を失ったものには、たとえそれが故人の望みに反してでも、踏ん切りを付ける何かが必要なのだ。


「幸せに成れる未来も確かにあったのよ。でもそれはリュカバースを去る前までのあたしにとっての可能性であって、今のあたしの先にそれはないの。サリタやコルナの未来を奪った責任を、あのミカってヤツにくれてやらなきゃあたしはその先に進めないのよ」


 それが、ヤナの道行きだ。ミカにお礼をしてやったその先に初めて、ヤナの未来は続いていくのだ。

 それなくして続く道行きは、心を失った屍としての未来でしかない。そんな道をヤナは歩いていきたくはないのだ。


 悲痛な顔で固まるクィスに、


「それにほら、心呑神デーヴォロには獣為変態があるでしょ?」


 だけどヤナは朗らかに笑ってみせる。




「獣化した部分にその天使弾だっけ? を打ち込むならさ、もしかしたら生き延びられるかもしれない未来もあるかもでしょ」




 その一言は、まさしくエルダートファミリーにとっては天啓であったろう。




 そうだ、心呑神デーヴォロには獣為変態がある。

 そしてその獣為変態の亜種とも呼べるような魔術を使えるものが、ここにはいるではないか。


「……僕がやろう。恐らくそれが、誰もが死なずにすむ可能性が一番高い方法だと思うし」

「確かに、それがございましたね」

「エルダートファミリーの切札、鬼札ジョーカーか」

「確かにアレなら、クィスは無事に生還できるかもしれないのです」


「え、ちょっとあたしの覚悟とか意思はどうなるのよ!?」


 フィン、ラオ、イオリベが次々と頷いていく様は流石にヤナにはご不満のようだが、ここは譲れないし譲る意味がない。


「悪いけどヤナは後回しだね。一番誰もが生き延びられて、かつ火力を出せるとなるとこれが最適、な筈だけど……ジィ」

「何? クィス」

「ジィの【演算スプタティオ】なら、僕がやるのが最適だって弾き出せていたよね?」


 この場でもっとも未来予測が得意なラジィが、その可能性に気が付かないはずがないのだ。

 だがそれをあえてラジィは口にせず、この場に残る面々の知性と判断に委ねた。その理由は、


「クィスの根っことなるとね、最古に近い存在だってのは分かるわよね? 要するにアレは古長エルダーに近しい存在なのよ」


 古長エルダーというのは、その種族の代名詞と言えるほどにまで力を付けた存在だ。

 一つの種を代表するほどにまで成った個体というのはつまり、その種における現人神と言っても過言ではない。


「そんなものに神臓を撃ち込んだら――下手したら本当に臨界が始まっちゃうわ。最悪、方向性のない臨界だと天使ラミに同調しちゃう可能性もあるのよ」


 ラジィの不安は、等しくエルダートファミリーの皆が共有するところとなったようだ。

 古長エルダーに近しい、それはルールになることができる資質、ということだ。しかしそれにどういう神になるか、という方向性が定まっていない場合、天使ラミの臨界に巻き込まれ封魔神オーディナリスへと至る恐れがある。

 だからラジィは計算外要素としてその先の未来を描くことができず、クィスを最適解とは定めなかった。

 だが、


「断言するよ。僕は絶対に天使ラミには引きずられない」


 気休めではなく、そうクィスは言い切れる。

 赤竜化するときに胸中を満たすものは、いつだって同じ感情だったからだ。


 そしてそれはお世辞にも『世界中の苦しむ民を救いたい』という感情とはとても相容れない。

 ミカのもたらすものは形こそ殺戮であれど、確かに救済なのだ。だがクィスがもたらすものは形こそ救援であれど、決して救済ではない。だから、


「僕がやるよ。誰にも邪魔はさせない」


 クィス・エルダートはその役目を誰にも譲るつもりはない。


「我ら大地に蒔かれし竜骨、其より芽生えし八百八士」


 だからこそ、クィスは聖句を紡ぐ。

 もはや誰にもその役目を渡さぬとばかりに、自分勝手に先行する。



 体を貫いたのは灼熱であり。


 零れ落ちたのは真紅であり。


 湧き出でたのは赫怒である。



「建国夢見て七百倒れ、勝鬨謳うはただ百八士」



 許せない怒りがある。許しがたい怒りがある。


 何故こんなことがまかり通るのかという、世界に対する怒りがある。


 自分からラジィを奪って、あまつさえ融合までし。ラジィの犠牲で以て世界に救いという殺意を撒きちらさんとしている、傲慢な死人ミカに対する怒りがある。



 たかが骨董品が。今の時代を生きていない者が。


 まるで今を生きている人間のような顔をして、古い救いを今の救いだと振りかざすな。


 死体如きが何を語る。死体如きに何が分かる。


 今の幸せは、今の救済は当代の天使が定めるものだ。


 既に死人であるお前たちが勝手に決めるものではない。





 侮るなよ小娘が。我に覆せるはずがないと嘲笑うなら――





「我らの骸をこの地に埋めよ、ここが我らの故郷リュキアなり!」





――決して掻き消すこと能わぬ紅蓮の怒りで以て、我はそれに応えようぞ!







 顕現する。



 巨大な竜が、狭い地下鍾乳洞に顕現する。



 真紅の鱗、碧玉の瞳。鋼の如き密度の筋肉、鋼をも上回る堅さの鱗。

 だがその巨体故に神殿からはみ出した赤竜の肉体は、それが魔術であるが故に封魔神オーディナリス魔術の影響を受け、早くも形象崩壊を始めている。だから、


「ゼル、やって」

「心得た」


 ラジィの指示に従い、ゼルが背中に背負っていた銃身へ天使弾を装填。赤竜の巨体に照準を定めて、



「世界は本当に複雑にできているものだな。世界じゅうの人間が誰しもこんな魔境で生活していたとは、村にいたときは思いもせなんだ」



 ただの村娘でしかなかったゼルはそう今の人界を評し、苦笑の後に発砲。



 神臓の欠片、天使弾が赤竜の身体に穴を穿ち――






「……そうか、これがリュキアの、お前たちの暗躍の結果というわけか、【七人神官セブンシスターズ】よ」






 呆然としたアズライルの呟きを輩として、広くも狭い地下空間にもう一体の神が臨界を開始する。






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