■ 271 ■ 天使を殺す使い捨ての弾丸






「やられたわ。まさかあの二人が勝っても負けても目的を達成できたとはね」


 準備は万全だったということだろう。アズライルの周到さにラジィは忸怩たる思いである。

 まさかミカのトラウマを徹底的に利用して臨界を早めようだなどとは。あの様子からしてアズライルは最後の護衛があの二人であることをミカにも秘密にしていたに違いない。


 そうしてミカの目の前で後悔と喪失感を煽り、その力を限界以上に引き出そうなどと。


「流石は死屍神ヤマ・ヤミー、人の死別をどう使えばいいかを恐ろしいほど完璧に理解してるわ」


 アズライルの数百年をかけた入念な準備と老獪さに、十六歳のラジィでは及ばなかったということだろう。

 その結果として、アズライルはこの盤面に王手をかけた。


「くそっ、あんなのどうすればいいんだ?」


 地下空洞の中、天を睨んだクィスがそう力無い声を上げる。

 フィンとシンルーによる二重神殿の中で、彼らにできることは身を寄せ合って神殿の中に閉じこもるだけだ。

 その神殿すら、本体たるミカのお膝元では刻一刻と封魔神オーディナリス魔術に削られていて、拮抗するのがやっとという状態である。


 しかも今は天使ラミが第三段階へ臨界してまだ間もなく、ここから更に天使ラミの、封魔神オーディナリスの神気はこの世界へと浸透を初めていく。

 そうなればフィンとシンルーの神殿とて最後まで耐えきれるかは――試してみたくもない話だ。




――アァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――――




 天使ラミが歌声を響かせる。

 この世に生まれ出でたことを喜ぶ歓声を。

 世界に響かせる産声を。高く高く、玲瓏な声を響かせる。


 その声が響き渡る度に、フィンとシンルーの神殿が大きく撓んで、下手すればそのまま崩壊してしまいそうなほどに不安定になる。


「これは、私たちの神殿もそう長くは持ちませんな。何せあの天使の直下にいるわけですからね」


 守りに入っていては勝ち目がない。

 だが、そもそもこの神殿の外に出ることすら、今のクィスたちには敵わない。更に極めつけが、


「撃ち落とそうにも魔術が掻き消されるのでは、手も足も出せぬなぁ」


 ラオの言う通り、魔術消去という対魔術師専門よろしき神に至らんとする天使ラミには、魔術師にとっての基本とも言える魔術投射が全く意味を成さない。

 クィスの火弾は当然として、ティナやヤナの圧縮弾体射出は届くは届くが、天使に傷を付ける程の威力は無い。


 もしかしたらフィンの全魔力を集中した【陽裂光ラディ ソリス】なら貫けるのかもしれないが、それはフィンが展開している神殿を止めることと同義だ。

 もしそれで駄目だったら残る全員が死に絶え、天使ラミの臨界を阻止できるものは一人もいなくなってしまう。

 既に死んでいるラオならミカのすぐ側でも活動できるが――残念なことに魔術抜きのラオの攻撃力たるやコルンの獣魔ピジョンより劣る程度の小鳥以下だ。速度と耐久力に優れているわけでも無し、近づいたなら真っ二つにされて終わりである。


「クソッ、助けて貰っておきながら何もできないとは、口惜しいものだな……」


 コルンにおぶわれたガレスがそう、屈辱に歯がみをする。

 神殿内にいないと危険だ、ということもあり地面天井を掘り進んだティナが間一髪、ガレスらを回収することには成功したのだが、今この状況においてガレスにできることは何もない。

 出し消しが自在な魔術である獣魔といえど、この魔術消去環境下では実体化させた瞬間に雲散霧消してしまうだけだ。


「手も足もでないのは誰でも同じさ。魔術師たちが雁首揃えてこの様だ、流石は封魔神オーディナリス様だよ。魔術師を殺す為の魔術とはね」


 ガレスをそう慰めてはみるが、歯がゆいのはクィスも同じなのだ。

 攫われたラジィを追ってここまでやってきて、護衛の魔術師も全て排除してなお、クィスはミカの企みを阻止することができずにいる。


 しかも今のラジィは記憶を消去され肉体的にはミカの支配下にあり、残っているのはもはや【霊算機マシヌラ・カリキュメトリア】の中でラジィ・エルダートの思考を再現する【演算スプタティオ】だけだ。

 クィス・エルダートは完膚なきまでにミカ・エルフィーネに敗北し、そして今その敗北は更なる絶望を誘引しつつある。


「【書庫ビブリオシカ】様、もはや本当に打つ手はないのですか。エルフィ様の仇を討つこともできず、我々はあの封魔神オーディナリスが魔術師を殺しつくすのをただ黙って見ているしかないのですか……?」


 マルクがそう屈辱も露わにティナの肩を掴むが、ティナを口寄せにしているラジィは是とも非とも返さず、ただ沈黙を貫いている。

 ややあって、


「成功率は――観測不足のため算上できないものの、可能性はある、でも……」

「何か打つ手があるのですか!?」


 そう藁にも縋る顔で迫るマルクからしかし、ティナは視線を逸らしてあらぬ方を見やる。

 その視線の先にあるのは、やはりこの神殿の外に出たら死にはしないが消滅してしまうであろうゼル・エルヴァンシュタインという生きた魔術だ。


「この方法は――控えめに言って狂気の沙汰に分類される話よ」

「まともな方法ではあの天使を止めることはできまいが――そうか、死ぬのだな、番よ」


 ぱたぱたとクィスの肩の上に移動したラオに、ティナが苦々しい顔で頷いてみせる。


「これを実行した者は必ず死ぬ。ええ、必ずね。ただその者の予定された死と引き替えに、あの天使ラミに肉薄できる権利を得られる。アレを打ち倒せるかは、分からないけど」

「この神殿を出ても、死に絶える前にアレに肉薄することができるのですか……!」


 そう問うマルクに、苦い顔でしかしはっきりとティナは首を縦に振った。

 近づくことはできる。恐らくは攻撃もできよう、だがその先に待っているのは確実な死だ。


「我々は魔術師であるが故に封魔神オーディナリスに対しては無力です。主さまはどうやってその事実を覆すのですか?」

「簡単なことよフィン。魔力持ちである人を辞めればいいわ」

「辞めよう、と思って辞められるもんじゃ無いと思うんだけどなぁー」


 魔術師であることは辞めようと思えば辞められる。だがティナが応じたように魔力持ちであることだけはどうしても辞められない。

 魔力持ちは魔力を捨てられず、魔力が無ければ生きられず、魔力無しはどうやっても魔力を生み出せない。そんな世界だから封魔神オーディナリスが神として降臨しようとしているわけだが――


「ゼル」

「何だ? 当代の天使の残滓よ」



天使弾・・・、まだ残ってるわよね」



 そんなラジィの質問の意味を、エルダートファミリーの面々だけが理解した。

 天使弾。この世に存在する者の中でゼルだけが持つ、あらゆる生物を殺す必殺の弾丸。


「でもジィ、天使弾を天使に撃ち込んでも何の意味もないんじゃ無かったっけ?」


 ティナの口がティナが疑問を呈し、それは確かに事実ではある。天使弾は確殺の手段だが、例外として天使には何の意味もない。

 天使弾は神臓の欠片だ。残念ながら天使ラミに対し、何らの効果も与えられないどころか更にその力を増しかねない。


 だが、求められる工程はそっちではないのだ。




「逆よティナ、天使弾をこの中の誰かに撃ち込むのよ」




 その壮絶な言葉の真意を、天使弾が何かを知っているエルダートファミリーですら瞬時には理解することができなかった。

 クィスたちに考える時間を与える間に、ラジィはマルクやガレスたちに天使弾がどういうものかを説明する。


 天使弾とはそもそもがゼルの神臓の欠片であり、これを撃ち込まれた者は強制的に神へと至るべく臨界を誘発させられてしまう。

 しかし無理矢理神臓を与えられて臨界しようとしても、天使でないものには決してそれは御し得ない。

 暴走した神臓は肉体を破壊し、やがて生命活動すら行えないほどにまで奇形した肉体は崩壊を始め、最終的には死に至る。それが天使弾という必殺必死の殺害手段だ。


「天使弾を撃ち込まれた者は例外なく、神臓の欠片に引きずられて神化する肉体に耐えきれず絶命する。だけど」

「……その過程において、一時的に天使モドキとして存在が作り換えられる。つまり種族として魔力が必要な『人』ではなくなるわけですね」


 フィンの言葉に、ティナが黙って頷いた。

 天使弾が無理矢理臨界を誘発し、人が人でなくなり滅び行くまでのごく短い時間。


 その間だけは人は既に魔力持ちの人では無く、臨界を起こしかけているまがい物の天使のような存在に成り果てる。

 その短い間だけが、天使ラミに挑むことができる時間にして唯一の手段だ。


「生きたまま肉体を作り換えられる激痛と、人であることを否定しようとする意識の改編。これらに耐えながら崩壊する肉体を酷使してようやく、あの天使ラミの喉元に食らいつけるわ」


 そこまでやってなお、目の前に居るのは本物の天使だ。

 天使弾を撃ち込んで作り上げたまがい物の天使などとは一線を画する、紛う事なき本物だ。


「ゼロではない。だけどあまりに成功率が低い。だけどこれが私が計算する限り最も高い勝率ね」


 偽物が本物に敵わないという道理はない。だが神臓の欠片が完全な神臓に敵わないのは道理だ。

 神臓の欠片でしかない天使弾は単純に、出力において神臓に劣る。これだけは疑いようのない事実である。


「現状、天使ラミは数多の天屍たちの臨界を誘発し、その天屍たちは主要都市部へと既に移動を終えている予定よ。つまり名だたる国家の中枢が今、私たちが受けている封魔神オーディナリス魔術から一歩劣る程度の干渉を受けているわ」


 その一言に、誰もが一様に青ざめる。

 クィスたちはフィンやシンルーが即座に神殿を張ったから、かろうじて今も生存が許されている。

 だがその他の魔術師たちからすれば、予兆もなくいきなり即死魔術による奇襲を受けたようなものだ。しかもその魔術は、魔術師として優秀であればあるほどに効果を発揮する。

 即ち、神殿の中にいない限り優秀な魔術師ほど先に死んでいく、ということだ。


「リュ、リュカバースは……?」

「リュカバースには幸い、私が対レウカディア魔術師戦用に構築した防御神殿が残ってるわ」


 元々ラジィ自身もレウカディア魔術師からの攻撃を想定して、カイから仕込まれた知識を駆使してリュカバースに神殿を構築していたのだ。

 もっともそれはダニ獣魔や陣神カストラの魔術を相殺できる機能でなかったため、起動して日の目を見ることはなかったが。


「ソフィアが地母神マーター教会リュカバース支部にいるなら、ソフィアを引金にして自動的に神殿が作用するから、暫くは耐えきれるわ」


 残るオーエン、ナガル、ソフィア、リッカルドらは今のところは無事だろう。

 複雑そうな顔をしているヤナと無表情のゼルを除いた一同がホッと胸をなで下ろす。


「王都リュケイオンの王城に神殿が張ってあった例から分かるように、どの国もごく一部の貴人の住居範囲ならまだリュカバースと同様に耐え切れているはずよ」

「だけど、そのごく一部を除いた他は全滅か……」

「そうねクィス。それに神殿展開が可能な魔術師というのはそこまで数は多くないし。現時点でこの世界に現存する魔術師の九割は死んだと思った方がいいわ」


 ラジィの試算に、誰もが言葉を失った。

 どの神教も例外なく被害を被っていて、例外があるとすれば心呑神デーヴォロ魔術師の未来が読めるノクティルカと、神殿作成が専門の陣神カストラ教ぐらいのものだろう。


「人死には少ない方がいいに決まってるけれど、その為に貴方たちが死ななければいけない理由は無いわ。でも天使ラミを何とかしないと結局貴方たちも死んでしまう。どうすべきかは――皆の判断に任せるわ」







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