■ 274 ■ 神竜対天使






 高く高く、天を突くように六本の柱が伸びる。

 そそり立った柱は中央で折れ曲がり、枝を伸ばすかのように無数に分岐して、その先々に光輝く柔らかな羽毛を纏って羽ばたき始める。


 三対六枚、伸びた翼がその下にある巨体を易々と宙に浮かせて――その下にあった頭蓋が、天を押さえる天使へと向けられる。

 光輪クヮルナフ光輪ヘイロー光輪オーリーオラ

 輝ける光輪をその頭上に浮かべるはしかし、天使ならぬ蜥蜴のそれだ。


「な、なんでクィスはあんなことになってるんです?」


 ティナが怖気と共に発したその問いに対する答えを、この場にいる誰もが持ち得ない。

 赤竜の身体は今や黄金の光を纏う純白の鱗に鎧われ、その威圧感は第三段階まで臨界した天使ラミに勝るとも劣らない。


 赤竜クィスに打ち込まれたのは、ただの神臓の欠片の筈だ。その出力は完全な神臓のそれに敵うはずもない。

 仮に臨界したとてだから、クィスでは天使ラミには及ぶはずもないのだ。それは大前提であるはずだった。

 だが、


「グォアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 咆哮と共に放たれたブレスが天使ラミの視線と衝突し、拮抗している。封魔神オーディナリスの魔術消去と、手四つで組み合っている。

 それだけの出力をクィスは、一体どこから調達しているのか。その力の出所が、ティナたちには全く見当もつかない。


 だが、だが一人だけ。


――そうか、そういうことだったのね。


 ラジィ・エルダートが、【霊算機マシヌラ・カリキュメトリア】の【演算スプタティオ】が再現したラジィ・エルダートだけは気がつけた。

 聖句の中には、その神の全てが体現されている。だから聖句を読み解けば、その神の在り方は分かるようになっている。



『我ら大地に蒔かれし竜骨、其より芽生えし八百八士』



 芽蒔神スパルトイの聖句は、まずそこから始まっている。

 つまり芽蒔神スパルトイの先祖返りとは、究極的には八百八士ではなくその竜骨、大地に蒔かれた骨の主にまで回帰するのだ。

 その状態が、今のクィスだ。即ち大地に蒔かれた竜骨スパルトイ八百八士全ての力を回収した状態が今のクィスだ。


 それ即ち、芽蒔神スパルトイという神そのものが物質となってこの地に舞い降りたに等しい。然るにこそ神臓を持つ天使に拮抗しうる。

 ということは、だ。


――今頃、他の芽蒔神スパルトイ魔術師は魔術を使えなくなっているわね。


 スティクスを殺そうとしたステネルスは慧眼だったな、とラジィとしては思う。

 ラジィがマクローから聞いた話では、現時点で八百八の序列は定員割れを起こしているとのことだった。


 その上リュキア氏族というのは血の尊さに胡座をかき、魔術師として戦士として戦場に立つことを拒絶するような連中ばかりだと聞く。

 そんな様だから奴隷という使い捨て戦力の供給が途絶えた途端に、リュキアはノクティルカとの国境地帯に虎の子の竜牙騎士団を送らねばならなかった。

 リュキアという国は、魔術師の性能で常にノクティルカに後れをとっていたのだ。だが、


――このクィスならば、戦力不足をあっさり覆せるわ。国王が望むのもまた宜なるかなってところよね。


 八百八の席次が定員割れしていても何も問題はない。クィス一人に八百八人分の魔術師の力が備わっている今の方がよほど効率がいいまである。

 いや、八百八人分ではないか。


――そういえばスティクスの護衛だったマクローが言っていたわね。序列一位と二位は常に不在、その次の序列三位は序列把握担当だって。


 常に空位で埋まらなかった、芽蒔神スパルトイ魔術師の二席。

 この片割れが今のクィスだとするならば、だ。


――もう一つの席次に求められる役目はならば、クィスに対するカウンター。竜を殺すための安全装置、ってのが無難かな。どっちが序列一位と二位なのかはわからないけど。


 聖句が『我ら大地に蒔かれし竜骨、其より芽生えし八百八士』で始まる以上、その竜骨を蒔いた魔術師がいた筈である。

 然るにそのもう一人に該当する者には今でもまだ、魔術師としての力が残されているはずだ。

 そしてその事実を観測するために、第三席にも。


 何にせよ、八百八人分だろうと八百六人分だろうと誤差の範疇ではあろう。

 今のクィスを国境地帯に配備――いや、国境守備隊の心呑神デーヴォロ魔術師を一掃しつつ一直線にノクティルカ国の首都ノナクリスまで突っ込ませればそれでよい。


 リュキア国王シェンダナが礎のことまで識っているかは定かではない。

 だが礎云々を抜きにしても、首都を壊滅にまで追い込めば政治的機能は大打撃を受ける。

 それで暫くはリュキアとしても国境を気にせず国内の立て直しに注力できるだろう。


「ガァアアアアアアアアッ!!」


 ブレスの圧力に押し負けつつも、何とかそれを消し去りきった天使ラミが、何かを求めるように視線を彷徨わせる。その視線が求めるものを、アズライルは正しく悟ったのだろう。

 胴体を両断されたイサクの死体が、焼け爛れ心臓を貫かれたシェディの死体がアズライルに操られ、それぞれ手にしていた聖霊銀剣を虚空へと投じる。


 そうやって放たれた聖霊銀剣を両の手に備えた天使ラミが、四つの瞳を見開いた。

 ラジィの瞳とミカの瞳。血に濡れたような紅の瞳。それらが殺意を持って神竜クィスを見やり、そして天使ラミの翼が翻る。


 瞬間移動をしたのかと錯覚するほどの爆発的な加速。黄金の髪が軌跡を描いて、天使ラミが狭いソラを疾駆する。

 その速度はまさに神速。接触する空気を断熱圧縮しながら赤熱されていく二振りの聖霊銀剣が、神竜クィスの鱗を紙のように穿って突き刺さった。


 そのまま天使ラミがすれ違うようにクィスの隣を駆け抜ければ、その胴体に凄まじい二筋の赤い裂傷がぱくりと開く。

 だが、その行く先にあるのは野太いクィスの竜尾だ。鞭のようにしなる尾が強かに天使ラミを打ち据えて、しかしその打撃をも耐えきった天使ラミが尾を根元から断ち切ろうとし、


――アァアアアアアアアァア?


 クィスの尾に聖霊銀剣を叩き付けた天使ラミは、しかしその尾を両断すること能わず、然るに瞬時の判断を迫られる。

 聖霊銀剣を手放すか、もしくは筋肉の収縮で斬撃を止めた尾の軌道に振り回されるか。


 そうして、恐らく天使ラミにはミカの思考が色濃く反映されているのだろう。恩人たちの聖霊銀剣を手放せなかった天使ラミはクィスの尾の動きに振り回され――遠心力を以て大伽藍の壁面に叩き付けられる。

 もっとも、既に物理的な衝撃は天使ラミにもクィスにも大した痛痒を与えられなくなっているからの、その判断だったのか。平然と天使ラミは叩き付けられた石壁からふわりと離れ、神竜クィスへと相対。


 六枚の翼を大きく広げた神竜クィスが、今度は大質量の塊となって突撃、その勢いのままに赤熱する爪を振るう。

 対する天使ラミはこの掌を三枚に下ろして指の二本を落とすも、腕の先に残された僅かな掌を防ぎきれず鍾乳洞の床へと叩き付けられる。


 そのまま平然と身を起こし浮かび上がる天使ラミと、即座に掌を修復する神竜クィスはどちらも涼しい顔で、しかし相手を睨み付ける瞳だけは苛立たしげだ。


「アレでは埒が明かぬなぁ」


 両者の激突を見守っていたラオがそう、顎骨を撫でながらそう評する。

 天使ラミも神竜クィスもどちらも既に概念存在へ片脚を突っ込みながら、しかしその行いはいまだ物質としての活動に縛られている。


 どちらも未だ神に至りきれないからこその物質的な激突はしかし、それでは両者の勝敗をどうやっても決定づけることができないのだ。


「埒が明かない、では私たちの負けよ。天使ラミが最終臨界を終え神になったら、この世界は封魔神オーディナリスの魔術で満たされてしまうもの」

「……となるとやはり、もう一手が足りませんな」


 互角では負ける。だが、ラジィたちにとっての勝機が無いわけでもない。

 互角にまで持ち込めているなら、もう一手を用意できればいい。


 臨界の第三段階に至った天使ラミではあるが、しかしそれが行える対処は現状だとあくまで、物質的な範囲でしかないのだ。

 人には理解が及ばぬ超常の攻撃が飛んでくる前に、天使ラミと神竜クィスがお互い拮抗状態にある間なら――神臓さえ抉り出せれば天使ラミを止めることができる。

 だが、その一手というのは――


「ゼル、お願い」


 戦場に、もう一体の天使を追加するということだ。






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