■ 208 ■ Earth Red






『花火の打ち上げ開始と同時に各員は行動を開始、以後は自己の判断で作戦続行と離脱を判断せよ。各員の奮戦に期待する』


 七人がバラバラに避難した先にて、ダリルの残したメモ書きをシミオンは放り投げた。


「まあ、せいぜい頑張ってくれ。ボクの役目はもう終わってるしな」


 サリタやコルナールによる回復阻害は効果はあるが、シミオンによるダニ獣魔の病呪は遅効性ということもあり、一度中断してしまったら再開しても大した効果は上げられない。

 シミオンの役目はもう終わっているのだ。あとは人混みに紛れてこの街から出れば任務は完了だが、


「半身不随程度じゃあなぁ? ガレス。お前だってどうせボクを殺したいんだろ?」


 シミオンにこのまま黙ってリュカバースを去るという選択肢はない。

 今夜は決戦の夜だ。リュカバースの魔術師はドンやその他マフィアファミリーの頭領カポの護衛で手一杯で、わざわざガレスの為に護衛を手配する余裕はないだろう。


 それを予想してガレスの方も待ち構えているかもしれないが、シミオンとて狩猟騎士団で訓練を積んだ元神殿騎士だ。

 身体強化のみでも戦えるし、そんじょそこらの魔術師相手になら奇襲を受けない限りは五分五分に渡り合える。


「花火が上がったら、女神様。今度こそボクが君をガレスから解き放ってみせるよ。君の力はあんな男の為じゃなく弱き人々の為に振るうべきなんだ」


 シミオンの言う事は、ある意味では間違っていないのだ。

 元より狩猟騎士団を始めとした魔術神派本部神殿付きの正規騎士団は、民草の為に魔術を振るうべくして編成されたものだ。

 ガレスもそうだったし、シミオンもコルンもそれは変わらない。一応リュキア騎士団もそうなのだが、アレは最も酷い例なので例外としても構わないだろう。


 シミオンは草原国で生を受けた魔術師であり、その周囲に住まう魔獣は典型的な獣に近い姿のものが殆どだった。

 そういう魔獣を徹底的に駆除してやりたいと思っていたから、シミオンが授かった獣魔はダニという、影もなく魔力持ちまじゅうに近づいて弱らせるものになった。決して、人を殺したいと願って得た獣魔ではないのだ。


 だが同時にその獣魔はシミオンの性格の、すなわち魔獣と正面からやり合いたくはないという臆病さの現れでもあった。

 痛いのは嫌だ。できれば自分は苦しまず魔獣だけを傷付け、弱らせる力が欲しいという願いの体現がシミオンのダニ獣魔だった。


「そう、誰だって痛いのは嫌だ。その筈なのに」


 初めてピジョンという獣魔を、それを授かったコルンという少女の存在を知った時、シミオンは戦慄し恐怖に恐れおののいた。

 シミオンの故郷には人、というか動物の皮膚下に卵を植え付ける類の虫がいて、一度ならずシミオンはそれにやられたことがあったからだ。


 皮膚が盛り上がり、その内側で虫の幼虫が蠢いていることの恐怖は筆舌に尽くしがたい。

 それを体験したことがあったからこそシミオンはピジョンを恐怖し、次いでコルンを尊敬した。


 シミオンはその望みからダニの獣魔を授かったように、コルンもまたその望みからピジョンを授かったのだ。

 即ち自ら傷を負ってでも誰かの助けたらんとする、その気高き心意気はシミオンと正反対である。だからこそシミオンの目にはにはコルンが女神のように映ったのだ。


 だがそんな女神をガレスの奴は攫って行った。コルンの望みが「そう」だからピジョンを授かったのに、妹が血を流すのは見てられないなどと勝手な我儘を押し付けてコルンの望みを封じ、そのくせしてこんな片田舎で犯罪者であるマフィアの為にコルンの力を使わせるなど……これ以上冒涜的な話があるだろうか?


「女神様は神殿で、民のためにその力を使い、尊き血を流すべきなんだ。それが分からないお前はガレス、所詮は薄汚い獣以下なんだって、それを分かるんだよ!」


 確かに一般市民から見れば、シミオンが語るコルンの在り方のほうが正しく見えるだろう。

 献身的な魔術師が自ら傷付くのも厭わずに力無き民の助けをする。それはそれは美しい美談ではあろう。


 だが、それをコルンが本当に望んでいるなら、コルンは兄を押しのけてでもそうしている筈だ、という点にシミオンは気付いていない。

 そもそもコルンは基本的に、ガレスを思いやるあまりにガレスの言うことを聞かない娘である。故にコルンがそうしたいならガレスを無視してコルンはそう生きた筈だ。


 然るにシミオンのやっていることはどれだけ一般的な正義に近くとも、実際にはシミオンの理想をコルンに一方的に押し付けているだけだ。

 それは美談の皮を被った傲慢な独り善がりでしかないのだと。その事実に気付けないのがシミオン・ロウズという男だった。


 理想の魔術師の在り方というものを信奉するあまりに滅私奉公を強要するそれは、根が真面目で視野狭窄な人間に有りがちな正義酔いとでも言うべき病巣である。

 だがここにシミオンをそう諌めてくれる者は一人もいない。


 獣魔神フェラウンブラ正規神殿では別段偏見を持たれないダニ獣魔も、他神教の魔術師からすれば嘲笑の対象でしかないと、神殿を出たシミオンはいやというほど痛感することとなった。

 だからこそシミオンは他の神派は一切信用しなくなり、それ故にシミオンの独り善がりはますます強くなっていって、その歪みはコルンの前でガレスを拷問するまでに捻れてしまった。


 人のために魔獣を殺さん、と奮い立っていたのも過去の話、今や己の行いに正義の欠片もないことにシミオンは気づけず、だからこそシミオンは止まらない。


 花火の音と同時に、シミオンはフードを目深に被って闇夜を駆ける。

 決着の時だ。どちらがコルンを側に置けるか、白黒はっきりつけてやる。


 そうして、ノイマン家の前で見張り番をしていた犬ッコロロクシーの頭蓋を反応できない素早さでかち割って、シミオンはノイマン家の扉を開く。


「やはり来たな、シミオン・ロウズ」


 扉を開き、家屋に踏み込み、今は足が不自由なガレスの為、一階が寝室と移されたベッドの上の人影を、シミオンは睨みつける。


「来るともさ、女神様の人生を正道に戻すためだ。獣魔の、獣魔神フェラウンブラ魔術は世のため人の為に使われるべきなんだからな」



 ベッドの上では三人の人影が身を寄せ合っていて、一人はガレスだ。もう一人もまた当然のように、そのガレスに身を寄せるシミオンの女神様。

 そして残るもう一人は――


「ガレスぅ、コルンのみならずお前、そんな小さい少女を侍らせて手籠めにしてるのかよ、呆れ果てた奴だな。獣魔神フェラウンブラ魔術師の風上にも置けないクソ野郎め」


 年頃は十三、四歳ほどだろう。青い透き通るような髪の少女もまた、怯えたようにガレスの腕にしがみついている。


「お嬢ちゃん、痛い目を見たくなかっらそこをお退き。ボクの敵はそこのガレスだけだが、邪魔をするというなら容赦はしないぞ」


 シミオンは別に少女趣味があるわけでも嗜虐趣味があるわけでもないのだ。だから自分の襲来が予想されただろうに少女を侍らせているガレスを、全身全霊で以て侮蔑する。シミオンは決して、魔術師として悪人ではないのだから。

 シミオンが鉈のようなナイフを懐から引き抜いて少女をそう脅すと、


「さぁやるぞソフィア。之が示すは幾多の研鑽、此処に示すは弛まぬ修練。 大死を超えて大活至らば、刃砕けど折れぬが道理。道を切り開け、万夫不当の無銘の刃よ!」


 一転して勝ち気な笑みを浮かべた少女が聖句を唱える。

 だからこそシミオンは油断などせず、


「! 魔術師ならば容赦はしない!」


 一気に距離を詰めた。

 手加減不要、そのままナイフを突き入れるべく腰だめに構えて身体ごと突撃するも――


かつえる民に温もりを、難き道行きに安寧を。只人にそれが成せぬというなら、私がそれを成しましょう」


 体重を乗せた全力の突きが、腕を掴まれて安々と止められるなど有り得ない。

 元正規神殿騎士団だったシミオンの動きが、少女の細い腕に掴まれただけで動かすこともままならないなど――いや、それ以前に!


「二重の聖句だと!? 馬鹿な、こんな馬鹿な話があるか!」

「馬鹿じゃなくて奇跡だよ」


 ニイッと笑う少女の顔はまるでいたずら小僧のように人懐っこく、しかし同時に、


「凶器を握ってのおいたは駄目だぜお兄さん。知ってるか? 人って刃物で刺されるとすげー痛いんだぜ?」


 獣のように獰猛だ。


 ゴキリ、とシミオンの手首がへし折れ、握力の弱まった手の内からヒョイとナイフが抜き取られる。

 そのまま少女はナイフを投げ捨てると恐ろしい速さでシミオンの懐に飛び込み、


「ジィ直伝! 正中線四連突き!」


 人中、喉、水月、股間の四箇所に神速の拳をねじ込まれれば、シミオンでなくともこれに耐えられるような男はいない。人体の急所は、鍛えようがない弱点だからこそ急所なのだから。

 シミオンはあっけなく膝をついて、ガレスが下半身を預けるベッドの側へ前のめりに倒れ伏した。抵抗などしている暇もない。それほどまでに理不尽な暴力だった。


「おっしゃ、ダウン取ったぜガレス兄!」

「ありがとう、助かったよリッカルド。もうお前は俺より遥かに強くなってるな」


 そうガレスにくしゃっと頭を撫でられた少女が、少年のような顔で嬉しそうに笑う。


「冗談、俺なんかまだまだだよ。迂闊に敵を追いかけてギーメルさんからもらった大事な身体を奪われちまったし。で、こいつどうするの?」

「無論、とどめを刺すさ。これ以上こんなクズに仲間が振り回されるなど論外だからな。ロクシー」


 そうして倒れ伏すシミオンの首のすぐ側で、先程頭蓋を叩き割ってやった筈の犬ッコロが生暖かい息を吐きながら顎門を開いて――


――馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な! ボクは正規獣魔神フェラウンブラ狩猟騎士団員だったんだぞ、正義はボクの方にあるのに、それがこんな、こんなところで!


 すがるように床から視線を向ければ、コルンの女神様がまるでダニでも見るような侮蔑たっぷりの瞳でシミオンを見下ろしている。


「これでリュカバースのダニが一匹減りますね、兄さん」


 嘘だ、こんな顔を見るためにここまで来たんじゃない、とシミオンは泣き笑いのような絶望も露わに、


「ガアッ!」


 ぶちり、と頸動脈を噛み千切られ、シミオンの身体から急激に血液とともに意識が失われていって――

 二度とその身体に戻ることなく広がって消えていった。






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