■ 207 ■ リュカバース開港記念祭、七日目
リュカバース開港記念祭の最終日、運営委員会はつつがなく祭事の行を進めていった。
この間、ラジィの割り出しに従いマフィアファミリーがホテルの部屋を強襲するものの部屋はもぬけの殻。
どうやら敵魔術師たちは宿とは別に確保した隠れ家に潜んでいると見られ、マフィアたちは捜索を断念。
敵との決戦は日暮れ後、彼らが動き出してから火蓋が切って落とされることとなった。要するに、いつも通りだ。
「結局また最後はエルダートの連中に任せることになるのか」
バルドはそう、運営委員会の会議室にて予定表を前に小さく呻いた。
運営委員会は何一つ魔術師たちの支援をしてやることができていないが、
「戦場をはき違えるなよ。未来は続いていくんだ。俺たちのやることはこの祭りを成功に納め、リュカバース発展の礎とすることだ」
同僚の、レンティーニファミリーから輩出された運営委員に肩を叩かれるが、そんなことはバルドも分かってはいるのだ。
ただ既にガレスが引退に追いやられたことが、バルドの内心に影を落としている。彼らは無敵の存在ではなく、殺せば死ぬ同じ人間でしかないという証明がそれだからだ。
そう考えれば幾ら魔術師とはいえ、十四、五歳程度にしか見えない子供に未来を託すのはあまりに不甲斐ないではないか。
ただ、思考はそんな情けない暴走をしながらも、バルドの
日暮れ後は、リュカバース警邏隊の船が出港し、水上から花火を打ち上げることになっている。
観光客は港や水際に集まって、しばしリュカバースの街中に空白ができる時間帯だ。
敵も人死にが大好きな連中じゃなければ、この時間帯に活動を開始するだろう。全ての花火を打ち上げ終えるまでの一鐘間に、この七日間の抗争の決着が付く。
「弔砲、だな」
誰の、とはバルドは言わなかったし、同僚たちも聞かなかった。
だが、それは確かに弔砲にして手向けの花になるのだろう。それが誰に贈られるものかは――神ですらも知り得ない。
§ § §
「祭りの最後のスケジュールとして、会場から花火を打ち上げるのですよ。皆様もごゆるりと参照下さいな」
祭りに招いたリュキア貴族たちの前で、カルセオリー伯爵夫人ムーサがそう、おっとりと一同に告げる。
彼女の声は弾んでいて、彼女自身が花火を楽しみにしていることは声音からも明らかである。
「ラーマコス、この夜に咲く花が貴方の心にずっと残り続けますように。どんなに苦しい時でも、この記憶が貴方の帰るべき指標になることを祈ってるわ」
「ありがとうございます、母上。私以上に幸せな竜牙騎士団員は恐らくリュキアのどこにもいないでしょうね」
母の抱擁を受けながら、ラーマコスは少しだけこの母の優しさに感謝した。
自分のためだけにこんな祭りをでっち上げたと聞かされた時にはアホかと思ったものだが、この母の優しさと愛は本物であり、それを踏みつけにするのは下衆のやることでしかない。
(なんにせよ、あとはもう見守るだけか。先輩、頑張って下さいね)
そう祈りを送りながら、ラーマコスはテラスの上で語り合う父とその政敵を見やる。
(僑族の魔術師に代理戦争をさせて、自分たちは高みの見物か。陛下が百八の席次を家から引き剥がしたくなる気持ちも良く分かるな)
醜い話だ、とラーマコスは思う。だがそれは視線の先にいる二人が醜いのではなく、爵位持ちのリュキア貴族全てがそうなのだ。
そんな状況を何とかせんとしていただろう国王シェンダナは、しかし三男スティクスの死後、竜牙騎士団の演習に顔も見せなくなるほど落ち込んでしまっている。
彼が三男スティクスに何かを期待していた、というのは竜牙騎士団員全員が直感していたことで、しかしそのスティクスが生きていた、なると――
(多分、嵐が来るな。その嵐が過ぎ去ったときに生き延びられるのは誰か)
クィスは隠遁を続けるつもりだろうが、果たして運命はそれを許してくれるだろうか? その問いにラーマコスは首を横に振らざるを得ない。
リュキアの盤面は大きく変化を続けている。このうねりは恐らく止まらないだろう。だが、
(何故、盤面が変化しているのか。糸を引いている者がいるはずなのに、それが分からないというのは気持ち悪いな)
おそらくユーニウス侯ファウスタも、カルセオリー伯アンティゴナも、自分たちが指し手のつもりでいるのだろう。
だがそれは傲慢なる者の愚かな誤りでしかない。真の指し手は、真に糸を引くものは別にいるのだ。
(まぁ、先ずは国境防衛を生き延びることか。また会いましょう、先輩)
ラーマコスはそう思い、次いで少しだけ無念に苛立った。
(結局、私もシェリフもジェロームも玉砕。ナンパに成功したのは先輩だけか。ケッ、スルタンのハレムがよ)
ラーマコスは十六歳の、まだお盛んな少年である。
§ § §
「さて、あとは酒を飲みながら待つだけだな」
これまで幾たびの夜戦の場となっている、ウルガータの所有する館にて、ウルガータ、シェファ、ブルーノがショットグラス掲げて、乾杯。一気に中身を飲み干して空にする。
全体を統括するウルガータの仕事は既に終わっている。ここから様々なトラブルが発生してもその対処は現場で全て処理される。
ウルガータらの仕事はその報告が上がってくる夜明けがメインになるだろう。
後はどっしり構えて、余裕の態度ぶって部下を安心させるのがドンの最後の仕事だ。安全確保と業務効率を秤に乗せれば、魔術師でないウルガータにはもうやれることはない。
「さて、幸運の女神は誰に微笑むか。運試しのお時間だ」
マフィアのボスたちは本来であれば一箇所に固まっておくべきで、その方が護衛する魔術師たちも楽ができるのだが、そこはやはり別ファミリーの
あえて別々の場所に散らばったのは、敵の最優先目標がウルガータであることが明白だからだ。であれば巻き添えは食いたくない、と誰でも思うもの。
もっとも他の
ウルガータの殺害が最も困難であることは誰の目にも明らかである以上、あえてウルガータを避けて狙いやすい
どっちを狙うかは攻撃する側に自由な選択権があるわけで、要するに運試しのお時間という奴だ。
そんなことを考えていたら、
「よう、邪魔するぜ」
大規模ファミリーの
「おぅどうしたハリー・ミッチェル。わざわざ火中の栗を拾いにきたのか?」
新たに用意された椅子に腰を下ろしたハリーはなにをいまさら、と肩を竦めてみせる。
「前に行ったはずだぜドン。俺はお前のその甘ったるい夢に賭けた、ってな」
そう笑いながらハリーは持参したテキーラの封を開け、自分が一口呷ってみせてから三人のグラスへと注ぐ。
カッと熱い液体が喉を焼く感覚はウィスキーに近いが、風味は完全に別物だ。
「悪くないね。ライムを搾るんだっけ?」
「おぅ、流石は奥様だ。情報通じゃねぇか、と?」
扉の開く音に四人が姿勢を正すと、
「ようシェファ、今日も洒脱にして瀟洒だな、見惚れちまうぜ」
次いで現れたのはチャン・ロンジェンで、その手には白酒をぶら下げての登場である。
「なんだ? 殉死する気にでもなったかよロンジェン」
若干虚を突かれたような顔のウルガータに、チャンは自信満々で笑みを返して席に着く。
「冗談、俺は死なねぇよ。そういう卦がでてるからな」
自信たっぷりにチャンがそう笑うと、シェファが呆れたように腕を組む。
「あんた、相変らず八卦で未来を決めてるのかい。そういう博打は止めろって私は忠告したはずだったがね」
「シェファ、あんたはもうチョイ故郷の魔術を信じちゃあどうだい。文化が泣けてくるじゃねぇか」
「そいつは魔術じゃなくてまやかしだろうに」
「似たようなもんさ、まやかしも呪いもな」
ハッと笑ったチャンが白酒の封を切り、呷り、一同のグラスに中身を注げば、
「おう、俺が最後か」
やはりというか何というか、
「やっぱこういうのは皆で楽しまねぇとな」
「ガレスがやられた割には随分と余裕だな」
ブルーノとしては、陽気なアンニーバレの態度に逆に不安を覚える。
リッカルドがやられたと聞いたとき、ブルーノもカッと頭に血が登りかけたものだ。ガレスを息子のように可愛がっていたアンニーバレもそれは同様だと思ったのだが――
「ガレスをやったクソ共が負けるのを見下ろしてやるにはここ以上の特等席はねぇだろう?」
「ちげぇねえ」
一同は笑い、同胞の勝利を願って乾杯し、グラスを乾かして硝子張りの窓の下に広がる前庭を見やる。
芝生が敷き詰められていた前庭は
「人の庭だからって好き勝手してくれやがったが、それも今晩でお終いだな」
「終わってみりゃああっという間だったな。準備にはあれだけ苦労したってのによ」
ハリー・ミッチェルがしみじみと言えば、一同は同意するように頷いた。
ソルジャーの大半は今海岸沿いに送られており、リュカバースの街中は空洞に近い。
こっちでドンパチ始めたことに気が付いて戻ってくる観光客がいていも、ソルジャーたちが押し留めるだろう。
最重要目標たちは今この場に集い、だからここからは互いの全戦力を投入した総力戦だ。
今回も、万が一ラジィが負けたときの手筈をフィンとキッチリ整合済みだ。
ウルガータとフィンがいる限り、ラジィが負けてもその命だけは確実に救ってみせる。その前準備だけは完璧に整えてある。
「勝ってこいよジィ、お前には勝利の女神がお似合いだ」
人事は尽くした、然らばあとは天命を待つのみだ。
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