■ 049 ■ 娼館を作ろう
さてラウラによって集められたラウラの同僚(というか住所不定無職だが)たちであるが、ラジィの手料理によって健康な肉体を取り戻したあとは専ら孤児たちの夕食係として働いていた。
料理が出来るか出来ないかはさておき、マニュアル化された指示に従えば、少なくとも食べられないものはできあがらない。
語学教育の一環としてティナがヒューゴたちに考えさせた「文字が読める奴なら決して間違えようがないレシピ書き」は教育的にも台所的にも極めて妙案であった。
これにより文字の読める少女によって口頭で伝えられ、結果として食事の質はほぼ一定に保たれている。
ただ、逆に言えば基本のスープ作りは今や誰でもできる仕事であり、故にラウラたちの日当は銅貨二枚に留まらざるを得ないということだ。
「さぁ、モラトリアムはここでお終いだよ!」
そうしたある日にラウラたち元街角娼婦は全員一箇所に集められた。ラウラが目を覚ましたあの、狭い小部屋が複数ある安宿じみた建物である。
「ふぅん、確かにすっぴんの器量じゃ勝負は挑めないね」
十代後半程度に見える女性がラウラたちを見回して、遠慮もなくそう吐き捨てる。
「何よ、私たちとそう変わらない年のくせに!」
見た目では、到底敵わないからだろう。少女の一人が外見年齢を論って憤るが、
「悪いが私は今年で二十九だ。あんたたちと一緒にして欲しくないね」
そう反論されてラウラたちは思わず目の前の美女を二度見してしまった。
どう見ても二十を超えているとは思えない。年齢詐称以外の何者にも見えないのに。
「東洋人ってのはこっちの連中より幼く見えるってだけさ。人種特有だよ、別にエルフやハーフリングの血が入ってるわけじゃない」
その美女はそう言うが、ラウラは海向こうの事なんてさっぱり分からない。だからただ呆然と頷くのみだ。
実際、目の前の美女とラウラたちでは迫力も態度も立ち居振る舞いも全く似て非なるものである。
彼女には自信から来る貫禄が手指の先まで満ち満ちている。
何一つ持っていないラウラたちとは心の頑丈さからして違うのだ、と言外に語られているようにすらラウラには思える。
「シェファだ。以後ラジィの雇われとしてこの娼館の運営を任された。お前たちが選べる道は二つだ。このまま私の下で稼げる娼婦になるか、もしくはここから出ていくかだ」
誰でもできる仕事をやる奴なら余ってる、とシェファに指摘されてラウラは暗い顔になってしまうが、
「いいかい、私の言うことに従えばあんたたちは日に
そうシェファに言われては流石にラウラたちもカチンとくる。若さ以外の全てにおいてシェファに負けてる、と頭では分かっていても感情は別だ。
それが安い挑発であることくらいはラウラも分かってはいるが、安い挑発に乗って何か問題があるのか? と問われれば――別にないのだ。
やってみて駄目だったら駄目でした、で裏路地に追い戻されるだけなのだから。
離脱者はおらず、全員が睨み付ける視線を平然と受け止めたシェファが莞爾と笑う。
「いい面構えじゃないか。そうとも。身体で金を稼ぐことは悪じゃない。精々男共から搾り取ってやろうじゃないか、ええ?」
そこまではラウラは考えちゃいない。日に大銀貨を稼げるというのが本当ならそう在りたいと願う。ただそれだけだ。
そうして、
「えー、此度あなた方に対し教鞭を執ることとなりましたティナです。学びたくない子は学ばなくていいんで邪魔しないで去ってくれると嬉しいです」
ラウラたちは何故か、ティナによる国語の受業を受けることになった。
精々男共から搾り取ってやろうという話は一体どうなったのだろう?
「先ずは語彙を増やすことだ。ワンパターンじゃない褒め言葉を幾つも用意しておくんだよ。褒められて財布の紐が緩まない男なんていないんだからね」
だが、シェファ曰く娼婦とは身体ではなく頭の生き物であるのだという。
腰のくびれや尻の豊満さ、胸の形などは――まぁ、それはそれで重要だがラウラたちはまだ若いし態度でいくらでもカバーできるのだそうだ。
「いいかい? あんたたちがゴミのように扱われていたのは行為の最中に『早く終わらないかな』なんて顔をしてたからだ。相手を嫌悪しているからあんたたちは人として扱われなかったんだよ」
客も一人の人間であることを忘れるな、とシェファはことあるごとにラウラたちに解いた。
人として扱われない悔しさをお前たちも分かっているだろう? と言われれば、ラウラにも身に覚えがある。
人として扱われてこなかったラウラ自身もまた、自分を買う客を一人の人として扱ったことなどなかったのだ、と今なら思えるからだ。
「船乗りってのはね、命懸けなんだ。あんたたちから見ればご立派な船に乗ってるように見えてもね、船なんて所詮大海の直中じゃ木っ葉にも等しい。命がゴミ同然なのは奴らも同じさ」
時化の海に乗り出したことがある奴にしか分からないけどね、とシェフィは言う。可能な限り船乗りたちの恐怖を理解してやれと。
難しいなら二つの高い塔の間に張られた一枚の板の上を歩いているところでも想像すればいいと。
「命の保証なんてない。だから港に着いたら彼らは生きている実感と、あと何より『勇者として尊敬される』ことを求めているんだ」
そんなこと、ラウラは考えたこともなかった。
ラウラにとって自分を買う船乗りたちは「自分程度しか買えない底辺」だった。自分を見下しているから、自分を買う相手もまた見下していたのだ。
先ずその認識を変えろ、とシェファはラウラたちに強く訴えてくる。
「人として扱われない悔しさは、あんたたちが誰よりもよく分かってるだろう? 相手も同じだと考えな。褒めてやれ、讃えてやれ。人として大事に扱ってやんな。それだけで相手はあんたたちに優しくなる」
その為にも褒め言葉が必要だ、とシェファは言う。相手の知性レベルにあった、使い回しではない個々人に刺さる褒め言葉が必要だと。
そういう意味ではティナほどラウラたちの教師に相応しい相手はいない。
腐ってもティナはフォンティナリア・パダエイ・ノクティルカだ。貴族としての教育を受けた少女だ。
その貴族社会における多様な言い回しは百花繚乱。誉め称える言葉の豊富さはそれ即ち貴族としての格である。
ラウラたちは与り知らぬところだがラジィの加護もあって、ラウラたちは次々と新しい褒め言葉を学んでいく。
なおティナとしては娼婦を育てる仕事に自分の知識が役立つ、と言われて「おっ、おう……」みたいな感覚である。
そんな教育に寄与していいのか不安になるが、流石にティナの常識ではすぐに是非を語れる話ではない。彼女たちを裏路地に戻すかい? と問われてしまうとそれ以上は何も言えなくなる。
「クィスだ。君たちに似顔絵の描き方を教えて欲しいってジィに頼まれた。君たちが人の顔を覚えていられるようにしたいらしいよ。真面目に学んでくれると嬉しい」
次いで、クィスによる絵画教室は嬌声で湧き立った。
なにせクィスはいくら半分だけとは言え元リュキア王国第三王子である。
近親相姦を繰り返してきたとは言えそれなりに容姿も選んだせいか、リュキア貴族もまたそこそこの美形揃いだ。
これまで彼女たちの客だった男連中とは比較にすらならないが、だからこそ手の届かない相手だとラウラたちは覚ってしまったのは僥倖である。
これは生きる社会が違う生き物だ、と。一種のアイドル的立ち位置にクィスが納まったのは、彼女たちの仕事的にも幸運だったろう。
「一度取った客の顔は忘れるんじゃないよ! 覚えていていてくれた、ってのは明日をも知れぬ船乗りたちにとって無茶苦茶嬉しいんだ。それだけで客はあんたたちを大事にするだろうよ」
あくまで積荷を運ぶ有象無象だからこそ、個人として覚えていてくれたということが何よりも嬉しいのだとシェファはラウラたちに叩き込む。
自分が使い捨ての道具じゃないと認められる事を、人は誰しも求めている。だから覚えていてやることはそれだけで彼らを満足させ、同時にラウラたちを失いたくない存在だと思わせられるとシェファは言う。
そうすればリピーターになるし、上手くやれば所帯を持てるかもしれないと言われれば俄然やる気も増す。
「記憶力に自信が無い奴ほど努力して似顔絵の技術を学びな。あと名前と、次はいつリュカバースに来るかの予定を聞き出すんだよ。それを記録しておけばだいたいは思い出せる」
だからこそ文字と数字と似顔絵の心得が必要で、ここ最近のラウラたちはすっかり勉強と素描にかかりきりである。
さらには暦についても学ばされ、嫌が応にも未来を検討することを強いられる。明日をも知れなかったラウラたちにとってはまさに未知の話だ。
明日のことなんて、これまで考えられたことがなかったから。
今日を生きるだけで精一杯だったから。
「私はジィと違って、あんたたちの結果を評価する。つまり稼げる奴を優遇するってことさ。それが儲けを出すってことだからね。努力しない奴は勝手に落ちこぼれな」
言外に「無能は追い出す」と指摘されて、ラウラたちの学習意欲は嫌でも高まらざるを得なかった。
彼女はラジィとは違うのだ。儲けにならない相手、儲けようとしない相手は即座に排除しようとするし、そこに後悔も後ろめたさも抱かない。
なお、彼女たちの話術の練習にはウルガータファミリーの新入りソルジャーが充てられることとなった。
ラウラたちにとっては彼らの自尊心をくすぐり、おだて、褒めそやして一つでも多くの情報を引き出すことが求められた。
一方新入りソルジャーたちは重要な情報をついポロッと漏らさないようウルガータに厳命されており、地味ながら熾烈な攻防が繰り広げられる。
ついでに体位の練習までシェファが踏み込むと、チラホラとついいらぬことを喋ってしまうソルジャーたちも出始める。彼らの出世街道が遠回り確定になった瞬間である。南無三。
その一方でラウラたちに自信を付けさせることに成功したシェファとしてはほくほくである。ウルガータなど精々苦労すればいいのだ。
「技術は身についたかい? なら次はあんたたちの表情だ。鏡の前でしばらく練習しな。今自分がどういう顔をしているのか、外向きの顔を完全に制御下に置くんだよ」
これまで使っていた割れた鏡とは違う。手鏡が全員に一つずつ、そして安宿の廊下に一つ共用の姿見が用意され、ラウラたちはひたすら百面相を行なうことになる。
そうやって初めて、ラウラは笑顔一つとっても自分が可愛く笑えている時と残念な笑顔、賤しい笑顔など違いがあることに気が付いた。
なるべく可愛い笑顔だけを常に選べるように、表情の動かし方を徹底して訓練する。
やせ細っていた身体も年齢相応に戻ったこともあって、「あれ? もしかして私は結構可愛いのでは?」ぐらいに思える程度にはラウラも心身ともに回復している。
そんなこんなでラジィのバフモリモリで突貫学習を続けた結果、ラウラたちも技術はそこそこに身についた。それはラジィとしてもよいことだと思うが、
「ねぇシェファ、流石に一流の衣服までは買えないわよ。そんな散財はウルガータが許さないし」
そう。まだ貧民街には仕立屋がいないのである。
労働力の提供、ということで紡績ギルドは誘致でき、せっせと糸車で孤児たちが紡績をしているが、仕立屋はおろか布屋ギルドにすら手が届いていない。
ウルガータ側の貧民街ペントラ区、及びブルーノ側の貧民街クロップ通りの両方に工房を構えたギルドは製パン、紡績、木工、石工の四つだけだ。
庶民の服ですら新品には手が届かないのに娼婦用の見目良い服など揃える金がない、とラジィは苦い顔をするが、
「私に任せときなジィ。そこは私の伝手で何とかしてみせるさ」
そうシェファはあっけらかんと笑ってみせる。蛇の道は蛇か、とラジィは呻いた。
どうやらこのシェファ、
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