■ 048 ■ 執念




「ようシェファ、まだ生きてるか?」


 ウルガータに伴われてラジィが訪れたのは、ウルガータのシマから少しはみ出た、隣接するロンジェンファミリーの支配する一角である。

 貧民街ではないものの、どこか寂れた雰囲気のある――まぁ好意的に言うなら閑静な住宅街とも言える一角だ。


「いらっしゃいませウルガータ様、とっとと帰れこの糞虫め」


 おそらくはメイドと思われる少女からの罵倒にラジィは怯んだが、ウルガータはどこ吹く風だ。恐らく日常茶飯事なのだろう。

 黒髪も艶やかなそのメイドは年の頃はラジィと替わらないように見える。少なくともまだ成人してはいないだろう。


「ようフェイ。今日も飼い主の客に噛み付く無能は相変わらずか」

「貴方のその下卑た顔も変わりませんね。何の御用です?」


 どう見ても拒絶感マシマシのメイドの対応に、ウルガータは軽く顎を擦ってみせる。


「シェファの治療ができるかもしれない術師を連れてきたんだが、不要だったか」


 そう告げられた、フェイという名であるらしい少女が纏っていた拒絶の空気に僅かにヒビが入ったのを、ラジィもまた察知した。


「……へぇ、貴方の新しい愛人かと思ったのですが、違うのですね」


 ラジィを見ながらそう返したフェイという少女の胸ぐらを、突如として前触れもなくウルガータが掴んでグイと顔を引き寄せる。


「テメェがシェファを信奉するのは勝手だがな、お前のそれが主人の敵を無駄に増やしてると考えたことはあるのかええ? ぶち殺すぞクソガキ。忠臣のフリした自己満足の諛臣野郎が」


 遠慮などない、ウルガータの剥き出しの殺意は少女にも伝わったようだ。

 表情だけは変えず、ただウルガータの手を振り払って少女が家屋の奥へと消えていく。


「すまんなラジィよ。不快にさせた」

「構わないわ。どこの世にもああいう人はいるものよ。己の信仰心こそが主にとってもっとも価値ある財産だって思い込む手合いはね」


 ラジィとしてはウルガータが気遣ってくれるなら一々初対面の相手になど腹は立てない。

 もうあの少女の言うことなど微塵も頭の隅にすら残す価値がないと決めてしまっている。


 部外者からの身勝手な非難などもうラジィには耳慣れたものだ。

 孤児から【至高の十人デカサンクティ】の席を手に入れたラジィからすれば。


「ウルガータかい? 入りなよ」


 そうして、家屋の奥から声が届いて、ウルガータと共に声のした部屋へラジィが足を踏み入れると、


「どうした、こんな過去の女に会いに来るほどお前さんは暇してるのかい?」


 フェイという名前らしいメイドに支えられながらベッドの上で身を起こして嗤う女性は、なるほど。


銀梅呪スフィリスね」


 ラジィは納得したように顎を引いた。銀梅呪スフィリス、美の女神の呪いとも語られる、娼婦の引退理由第一位にあげられる病気。

 ピンク色の発疹が全身に現れ、終いには腫瘍が全身の至る所に現れ容姿が失われるだけでなく肉体が機能不全に陥って死に至る、呪と名がつけられているがれっきとした病だ。


 目の前の女性はその典型的な病症で、顔にまで小さな腫瘍が浮き出てしまっている。


「暇じゃねぇよ。だから一つお前さんをこき使ってやろうかと思ってね」

「ハッ、病人をこき使おうってかい。あんたらしいよ」


 そう鼻で笑う女性は、年の頃は病症がなければ十代後半ぐらいだろうか。まだその世代特有の美しさ、美貌の片鱗が顔立ちやスタイルのそこかしこに残ってはいる。


「かわいいお嬢ちゃん、なんて名前だい?」

地母神教マーター・マグナの神殿騎士、ラジィ・エルダートよ、宜しくね」

「はっ、こんな年端も行かぬ子を抗争に巻き込むなんざ落ちぶれたね、ウルガータよ」


 恐らくは数多の男を虜にしてきただろうその容姿はしかし、今や腫瘍がそこかしこに浮き出ていて全てが過去の物になってしまっている。


「むしろ俺が巻き込まれたんだがな。で、ラジィ、どうだ?」


 ウルガータに問われたラジィは俯いた。


「……材料さえあれば病気の進行を止める治療薬は作れるわね」

「……なんだって!?」


 シェファ、というその女性が顔に喜色を浮かべるのがラジィには心苦しい。

 ラジィが与えられるものは、女性が求めているものではないと分かってしまっているから。


「薬は作れます。だから貴方はベッドから離れて再び普通の生活を送ることはできるでしょう。だけど、その変異した肌は私の薬では戻せないわ」


 そう告げると、ああ、やはり。シェファの顔がはっきりと落胆に彩られてしまう。

 そう、この女性が取り戻したいのは健康な身体ではない。美しい身体なのだ。


「……なぜ病は治せても皮膚は治せないんだい。病気でこうなっているんだろう?」


 食い下がるように聞いてくるシェファに、だからラジィは残酷な事実を突き付けねばならないのだ。


「ええ、だけど生卵とゆで玉子みたいな話なのよ。病気は加熱だと思ってください。火を止めても固まった卵は生には戻らないように、すでに貴方の身体はそうなってしまっているの」


 変容した皮膚をもとに戻すのは、中ば時間逆行にも近い奇跡が必要だ。そう、霊薬エリクサーのような。


「あんた、薬師なんだろう!? 金ならいくらでもくれてやる。どんな材料だって手に入れてやるとも! それでも駄目なのかい!?」

「いいえ、私はあくまで【書庫ビブリオシカ】、知識の保管庫でしかないの。【温室ハーバ】のような奇跡の薬は作れないのよ」


 【温室ハーバ】、ダレット・ヘイバブなら霊薬エリクサーも作れるだろう。霊薬エリクサーならあの程度の肌など簡単に元に戻してしまうだろう。

 だが、だからとてこのシェファがどれだけ金を持っていても、ダレットがシェファの為に霊薬エリクサーを作ることはない。


 第一にまずシェファの貯金がどれほどのものかはわからないが、間違いなく高級娼婦クルチザンヌ程度・・の全財産をかき集めても霊薬エリクサー一本の材料費には絶対に届かないということ。

 そして第二にたかだか容姿を戻すためごときに、ダレットは霊薬エリクサーなどくれてやるはずがないということだ。


 あれは失われてしまう命の為に、そう。最早手を尽くしても救い得ぬ命を救うために使われるべきだと、ダレットならそう考えるだろうから。

 彼女より苦しんでいる人など、世界中にはごまんといるのだ。ダレットの腕を以てしても量産など不可能かつ材料も希少な霊薬エリクサーをどうして美貌の為ごときに使えようか。


「身体が健康になるならいいじゃねぇか。俺は今お前さんの経験と知識を買いに来てんだ。顔と身体を買いに来た訳じゃねぇぞ」

「……唐変木のあんたにゃ分からないよ。私にはこれが生き甲斐なんだ。これだけが私の喜びだったんだ。いつか年老いて失われるとしたって、こんなに早くなくなるなんざあんまりだろうよ……」


 そうさめざめと泣き腫らすシェファを見ているとラジィも多少は気の毒になってくる。

 自分の容姿が失われたら自分がどう思うか、ラジィにはいまいち分からない。彼女のように悲しむのだろうか?

 もっともここにツァディがいたら、


「はっ、外見気にする奴が一年間の引きこもりで鶏ガラゾンビみてぇな外見になるかよ」


 ぐらいは言ったろうが。


「なあ、本当になにもないのかい。私は死ぬまでこの醜い姿で生きなきゃいけないのかい?」


 そう迫られるとラジィとしても困ってしまう。実は一つだけ方法があるのだ。どう考えても頭のおかしな方法が一つだけ。


「ない、わけじゃないけど……」

「あるのかい!?」


 ベッドから転げ落ちそうになり、フェイに留められたシェファがギラギラと目を輝かせるが、


「その子がいる前では言いたくないわ。きっと私は恨まれるもの」


 とても真っ当な手段ではないのだ。提案するのも馬鹿らしいが実行する方はもっと馬鹿な案が、一つだけ。

 そしてそんなことを提案すれば、先の態度からしてフェイはきっとラジィを敵視するだろう。そんな余計なやっかみなど、ラジィは背負いたくない。そこまでしてやる義理はない。


「貴方が健康になることと、貴方の世話をし続けられることのどっちが大事かも分からない子の前で迂闊なことを言う気は私にはないわ」

「だな、それでいいラジィ。お前が不要な恨みを買う必要はねぇよ」


 ウルガータも内心思うところがあったのだろう。そうフェイを論うと、


「私の存在がシェファ様の完治を阻むのであればどうぞこの場でお切り捨て下さいませ」


 そうフェイが首を差し出してきて、これにはウルガータもラジィもドン引きである。


 降伏のふりをした隙狙いならウルガータもラジィもそこそこ相手にしているから分かる。

 こいつは多分シェファに死ねと言われれば笑って死ぬタイプだ。自分の感情すら主の命令でいくらでも蓋をするのだろう。


「狂信かよ。それはそれでクソ喰らえだぜ」

「そのへんにしてやってくんなウルガータ。フェイの罵りを許していたのは私だ。私が怒ったり毒を吐く前にフェイが吐き捨ててくれるから私は穏やかでいられたんだ」

「ああ、隣に怒ってる人がいると逆に落ち着いてきちゃうあれね」

「……まあ、似たようなもんさ」


 ラジィの微妙なたとえに笑ったシェファは、次いで獲物を狙う鷹のように鋭く瞳を引き絞る。


「で、どうやれば治せるんだい」


 あ、こりゃ言わなきゃ帰れないな、とラジィは諦めた。本当にこんな提案をするのは人としてどうかと思うのだが、これも人道支援の為の人材確保と覚悟を決める。


「先ずは普通に病を癒やします。これで新しい腫瘍はできなくなるでしょう」

「そこまではさっき聞いたね。それで?」

「新しい腫瘍ができなくなれば、あとは今ある腫瘍が全部なくなればいい。つまり」


 ラジィが何を言いたいか、そこでウルガータは気が付いた。

 なるほど、まともな奴なら間違いなく手を出さない。一歩間違えれば、いや間違わずともそれはほぼ拷問だ。


「その腫瘍ができている部分の皮膚と肉を一つ残らず削ぎ落として、ポーションで怪我を癒やせばそれでおしまいよ」


 そう、全身百箇所を超える変色、あるいは膨れ上がった皮と肉を全て削いで、その後で癒やせばいいのだ。


「ただの外傷治療ポーション程度なら私でも作れるからね。だからあとは貴方の忍耐力と財力次第ってことなんだけど……」

「よし、やろうじゃないか。フェイ、金庫の中身を全部その薬師様にくれてやんな。私の救いの女神様だ。以後は如何なる無礼も働くんじゃないよ。ウルガータにもだ」

「はい、奥方様」


 即決即答されて、ラジィとウルガータはお互い血の気の引いた顔を見合わせてしまった。

 方向性は違うが、このシェファもまたフェイと同様に狂信の徒であるようだ、と。




      §   §   §




 結論から言えばシェファの銀梅呪スフィリスは快癒した。ラジィの頑張りとシェファの執念で快癒した。


「ハハッ、見てご覧ラジィ。この珠の肌を。滑らかつやつやで傷一つない私の肌がようやく戻ってきたよ!」


 抜け毛がなかったのは幸いだろう。ラジィの食事療法もあって肌は艶々、身の回りの品がよいせいか黒い御髪も艶を放ち、一分の隙もない仕上がりである。

 左右が完全に対象なのかと思えるほどに整った頬、化粧無しでもすっきり整った目鼻立ち。人種の特徴で若く見えることもあって、成熟した女性の魅力と幼気で小悪魔的な妖艶さを同時に兼ね備えている。


 なるほどこの美貌になら男たちはいくらでも金を積むだろうとラジィは納得した、納得したが――


「ああうんおめでとうシェファ。すごいわ、よくがんばったわね」


 ラジィからすればシェファの顔を見ていると幻肢痛に襲われるのだ。それぐらい凄惨な治療現場だった。

 変容した肉の切り落としはラジィはやりたくなかったのでフェイにやらせた。黙々と命令に従い主を切り刻むこのフェイがラジィは本当に気持ち悪かったが、口出しできる立場ではないので黙ってポーションを差し出した。


 ポーションは無から有を生み出せる霊薬エリクサーと違い、怪我を直せばそれだけ腹も減るし体力も失われる。

 体力がない状態だと傷を癒やしても傷痕が残る可能性があるので全身の腫瘍を一気には癒せず、間に御厨コクイナの加護による体力回復を挟みつつの十数回に分けての治療である。


 一回一日で全て終わるならまだわかる。しかし二週間超に続く拷問じみたこの治療を最後まで続けるとは正直ラジィは思ってもいなかった。

 必ずどこかで音を上げると思っていたのだが……


 なお、いくら霊薬エリクサーが複数あったとはいえ古死長竜アンデッドエルダードラゴンに戦闘を挑み、ガス壊疽に耐えて戦闘続行を選んだラジィが受けた苦痛も実はシェファと大差なかったりする。

 その先に得られるものが美貌だろうがスローライフだろうが、どう考えても利益に対して苦痛の方が多すぎるというのはどちらも同じなのだから。


 もっともそれをラジィに指摘したら、「私がやったのは世のため人のためであって美貌がどうとかいう馬鹿な理由なんかじゃないわよ!」と憤慨するだけだろうが……


「あんたは私の女神様だ。あんたの頼みなら何だって聞こうじゃないか。私に何をやらせたいんだい?」

「えっと、最下層の明日にも死にかねない女の子たちを、どうにかして安全を確保しつつこの街の経済活動に組み込めないかなって」


 そう提案すると、何だそんな簡単なことかいとシェファはカラカラと笑った。


「そんなもん娼館を作りゃ終わりじゃないか、ってウルガータにはそんなノウハウはないものね。だからの私か。いいよ、やってやろうじゃない」

「いやちょっと待って!? 私安全にって言ったわよね?」


 ラジィからすれば何とか身体を売らなくていい方向に持っていくつもりだったのだが、


「ラジィ、娼婦は娼婦だから危険なんじゃない、一人だから危険なのさ。一箇所に纏めて管理すれば安全だしこれ程稼げる仕事もないんだよ」


 銀梅呪スフィリスの苦しみを味わってなおシェファは娼館を作ろうという。

 いや、確かにラジィが銀梅呪スフィリスの治療薬を作れることが分かっているのだから危険は少ないし、ソルジャーを置いておけば暴力沙汰も防げる。安全、ではあるのだろうが。

 動揺するラジィを前にして、シェファはちょっと呆れたように嗤ってウルガータを見やる。


「お前は最初からそのつもりだったんだろ、えぇ? ウルガータ」


 シェファの笑みにウルガータはただ無言で肩を竦めるだけだ。


「なぁにお行儀のいい神殿騎士様に運営を任せるつもりなんざないさ、運営は全部私に任せときなラジィ。ただ頭はあんただけどね」

「……お飾りのトップなんかいらなくないかしら?」


 そうラジィが尋ねると、シェファが厳しくも優しい顔でラジィを正面から見つめてくる。


「悪いことは言わないから、握れる手綱は投げ出さず目を逸らさず握っときなラジィ。さもないとお前さん、いつか必ず後で『なんであのとき権利を放棄したんだ』って嘆くことになるよ」


 シェファの言うことは責任逃れではなく、むしろラジィを慮ってのことだったので、ラジィも真顔で頷くとシェファが今度は柔らかな微笑を浮かべる。


「あんたは方針だけを定めりゃいいよ、後は私が上手くやるからさ。ハハッ、楽しい毎日が戻ってくるよ! ついてきなフェイ! もう楽はさせられないよ!」

「勿論でございます奥方様。不肖ながらこのフェイ、どこまでもお供させて頂きます」


 こうしてラジィは何故か元高級娼婦であるシェファの雇い主として貧民街の娼館を運営することになったのである。


「カ、カイにバレたら私どうなるんだろう。人道支援だってカイ納得してくれるかしら……」


 五年後に巡礼の結果を報告する未来を予想してラジィは青くなったが、ラジィとしても他に手がないからウルガータに尋ねたのである。


 もはやなるようになれとラジィは匙を投げた。

 当人がこう言ってるんだ。シェファがあとは上手くやってくれるだろう。そう思うしかない。




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