■ 267 ■ 封魔神の降臨






「くそ、やりたい放題だな!」


 実体化するまではどこに現れるか分からない質量攻撃に、クィスが苛立ちの声を上げる。

 威力としては加速を付けた疾走からの体当たりのほうが上ではあるが、ギリギリまで実体化させないこの攻撃は回避が極めて困難だ。

 何とかラジィがイサクを【演算スプタティオ】して先読みすることでクィスたちはギリギリ回避できているが、


「いくら落とすだけとは言え、四体の獣魔をよくも操る!」

「さっきまでの方がまだマシだったです!」


 ラジィの支援を受けられないマルクとイオリベは必死である。

 肌感覚を全開にしつつ、イサクの視線からある程度の当たりを付けてメルカバの実体化を見極めての回避は、著しく精神力を消耗させる。


「潰れろ、ひしゃげろ。ミカが神になるまで、ミカを神にするまででいいんだ、そこで大人しくしていてくれ!」


 そうやって新たな攻撃方法でマルクたちを負い詰め始めたイサクはしかし、致命的なことを失念していた。

 自分が今構築した戦術はあくまで質量で押し潰すだけの、言うなればただのモグラ叩きでしかなく、それはイサクだけにしかできない類のものではないということを。


 そしてラジィはクィスらを操ることはできるが、一度も【接続コンタギオ】していない相手は操ることができない。

 だからラジィに操られていない者たちは自分の思考で、自分にできる戦いをする。


「イサク! 避けなさい上よ!」


 イサクだけでなく、クィスやティナたちも失念していたが、ここは地中にある空間なのだ。

 だからこの空間には天井があり、そしてその天井もまた地中であるから――


「ぶっつぶれろォオオオオオッ!!」


 天井から顔を出したヤナが、圧縮した岩石をイサクの頭上目掛けて射出する。

 発射された圧縮岩塊はヤナが解除したことで巨岩となってイサクの頭上から、まさにイサクがクィスたちにやっていたように質量攻撃として降り注ぐ。


 だが、マルクやイオリベがギリギリながらもなんとか回避していたように、


「そんな猿真似を喰らうものか!」


 それは回避できない攻撃ではないから、横っ飛びにイサクはそれを躱し――躱した先にあるのは、それを先読みした空に浮かぶ水たまり、ラジィの悪意だ。


 どれだけイサクが優れた反射神経を持っていようと、水の中では機敏な行動が取れるはずもない。

 人間大ほどの球状の海水から逃れようとするイサクの胴を、


――ああ、またこれとは笑えない。


「我ら地母神マーターに代わりて世界を守る一振りの剣なり! 奮い立て、【不動剣フェレウム エンシス】ッ!」


 全力で振り抜いたマルクの光の刃が両断する。


――すまない、ミカ。シェディ、後を頼む。


 水牢のなかで言伝すらままならないまま、イサク・イルベルドは静かに二回目の死を迎えた。

 メルカバの乱打もまたイサクの機能停止と共に消失し、しかし――敵はまだもう一体残っている。


「ご苦労でしたイサク。後は私が引き継ぎましょう」


 一瞬だけ二度目のイサクの死を悼んだシェディが、もはや天井にまで届かん程に肥大化したザックームに己を回収させる。

 皆がイサクのほうに傾注している間に、ゼルですら枝を落とす速度が間に合わないほどに膨れあがったザックームは今や、この空間における支配者に等しいが、


「いいえ、お前もここで終わるのです。大味勝負でこの蛇神ハイドラ教に挑むとは笑止千万!」

「っ!?  いつの間に!」


 膨れあがったザックームの頭上にて、忍び潜み佇むは乱破だ。


「主殿、ここで全力を振り絞り戦場から脱落する許可を!」

「許可します。蛇神ハイドラ魔術の全力を私たちに見せて頂戴!」

「合点承知!」


 雇い主の許可を得たイオリベが、ここが勝負所と全魔力を振り絞る。


「噴火洪水岩屑雪崩、御山の大蛇おろちがその暴威。田畑を呑み込む神の怒りに衆生しゅじょうは酒を奉れ。厄災になれら屈するなかれ、滅びの中に芽吹く命在り!」 


 聖句の全詠唱と共に、


「災い、全て焼け落ちるべし! 【大噴火砕流ヴェスヴィウス ボルヴェンス】!」


 イオリベの周囲からおびただしいほどの燃え盛る溶岩が噴出し、ザックームの幹を、枝を伝って流れ落ちる。滴り落ちながら、ザックームを炭化させていく。

 同じ炎を操るクィスやナガルの魔術とは一線を画す出力のそれは、山神の怒りに喩えられし火山の噴火。

 八岐やちまたに分かれて山肌を焼きながら下り落ちる、全てを呑み込む灼熱の火砕流だ。


「……初めて蛇神ハイドラ教の魔術を目にしたけど……これ程とはね」


 ティナの口からラジィの呆然とした声が零れ落ちる。他の面々も開いた口が塞がらないほどだ。

 なるほど、これではとても市街地で魔術を発動などできる筈もない。イオリベが手裏剣の腕を磨いていた理由がよく分かってしまう。というか、


「マルク逃げなさい! ちょ、こっちまで来てる! イオリベ止めて! 魔術を止めるのよ!」


 ザックームを焼きながら流れ落ちた溶岩が、当然のように足元にいるクィスやティナたちのほうにまで迫ってくる。

 が、ザックームのテッペンを取っているイオリベはどこか誇らしげにエヘンと胸を張るのみで。


「生憎一度発動した蛇神ハイドラ魔術は魔力が枯渇するまで止まらないのです!」

「ちょ、冗談じゃないぞ!?」

「一発屋にも程があるぅ!」


 全力でラジィがクィスらを走らせた先は、奇しくもアズライルが佇むお膝元というのは皮肉なものだ。

 王座のようにアズライルを讃えし棚田のような輪縁石の階段が、かろうじてあふれ出す溶岩からクィスらを守ってくれた。


 そうして暴走した蛇神ハイドラ魔術が消え去った後に残るのは、炭化し、再生も追いつかず崩れ落ちるザックームと、


「……まだ、まだよ。ミカの降臨が終わるまでは――」


 全身の肌が焼けただれてなお立ち上がるシェディ・カラサリスの、


「乱破なれば、背後より切捨御免」


 その心臓、喉をイオリベの忍刀が貫き通し、


「無念、ね……今度こそ、人の驕りを――終わらせられると、おもったのだけど」


 シェディ・カラサリスもまたその場に倒れ伏し、二度目の死を迎えた。

 ザックームの残骸がかき消え、シェディの遺体を抱いたイオリベがスタリと空中から床へと着地する。


 死してなおミカを、天使を守らんと。死屍と化してまで戦い続けた二人の、それが最後だ。


「さぁアズライル。手駒は全て失われたわ。後はあの天使ラミを焼き払えば全ては終わりよ」


 ティナの身体でラジィがそう、輪縁石の玉座に鎮座在すアズライルを睨み付けるが、


「……終わらぬよ。判断を誤ったな当代の天使、ラジィ・エルダート」


 アズライルの顔は微動だにせず、悠然とした態度は追い詰められた者のそれではない。


「……ラドゥエリの転写より逃れてミカの記憶を識らぬが故か」


 アズライルがそう哀れむような視線でティナへ、そして上空の天使ラミへと視線を移す。


「……貴殿が見ているように、ミカもまたこの戦を見ているのだよ。ミカの記憶を識っていたなら――この選択は選ばなかっただろうに」

「……! まさか、そういうこと!?」


 ラジィの代理たるティナが今更ながらに息を呑んだ。

 ラジィも多少は違和感を覚えていたのだ。イサクもシェディも死屍であり、肉体的には死んでいる筈なのに――どうして人を殺すのと同じ手段で活動を停止させることができたのか、と。


 ラドゥエリの転写を受ける前にラジィは【霊算機マシヌラ・カリキュメトリア】を起動し、運命神フォルトゥナ魔術についての概要を肉体の記憶から消去した。

 要するに、ラドゥエリからの精神汚染を【霊算機マシヌラ・カリキュメトリア】内に構築された今のラジィは受けていない。


 だからアズライルの言う通り、【演算スプタティオ】としてのラジィはミカがどうやって死んだかについての知識が無い。


「……貴殿は、イサクとシェディを殺すべきではなかった。その前にミカを止めなければならなかったのだ」


 イサク・イルベルドが。

 シェディ・カラサリスが。

 そしてミカ・エルフィーネが一体なにを後悔しながら死んでいったのか。

 その記憶を【演算スプタティオ】のラジィ・エルダートは持ってはいない。


 だから、










――遅かった。私が判断を誤ったから……










 ドクン、と神臓が脈を打って、










――私の未来を悼んでくれるなら、貴方は何としても神になりなさい。










 ごめんなさい、シェディ先輩。










 また、私は間に合わなかった。










――逃げろミカ、走ってでも、這ってでも逃げ延びて神になれ。










 ごめんなさい、イサク先輩。










 また、私は間に合わなかった。










 だけど、










「アァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――――――!!」










 この臨界だけは、だから、何としてでも成し遂げる!









「そんな!? 無理矢理臨界を早めたっていうの!?」


 天使ラミの肉塊に、まるで眼を開くかのように亀裂が走る。


「偽りの天秤、血塗れの剣」


 まなこを露出しようとする目蓋が如きそれを、いっそ間怠っこしいとでも言わんばかりに突き出てきた白い手が掴み、


 啓き、

 押しのけ、

 這いずり出る。

 己を物質に押し留める肉の牢獄を脱ぎ捨てる。


「そのの上に光輪無きまま王権を騙る虚飾の道化」


 涙のようにボタボタと血を零しながら、それは母体から生まれ出る子供のように。


「汝の蒙昧を此に祓わん。我は富貴を人に与えず」


 しかし無垢なる赤子とはお世辞にも呼べぬ、凄まじい決意を湛えた神気を撒き散らしながら、


「我は富貴を人に与えず――」


 白く、なまめかしい裸体を鮮血で真っ赤に塗らしながら、


「我は富貴を人に与えず」


 真紅の瞳を輝かせ、黄金に輝く御髪を振り乱しながら、眼下にある全てを睥睨し、


「我は富貴を人に与えず!」


 臨界する。

 ミカ・エルフィーネが臨界する。

 新たな神として、封魔神オーディナリスとして人類を救済するために。


「拙い、第三臨界が始まってしまう!」


 脱ぎ捨てた肉塊の殻が幾重にも裁断され、数多の光の輪となって分離する。

 光輪クヮルナフ光輪ヘイロー光輪オーリーオラ

 神話において神の使いが頭上に冠するそれが光を放ち、ミカを中心に拡大拡散して次々と世界を駆け抜ける。


 封魔神オーディナリスという神の誕生を告げるかのように世界を覆い尽くした全ての光輪が消え失せて――



――ミカ。



 声が、地下空洞に響き渡る。


 天屍の声が。


 ミカに同調して臨界している天屍の声が。



――やり遂げてくれたのねミカ。


――神になるよ。私たちも神になれる。


――ようやく生まれてきた意味を果たせるわ。


――ありがとうミカ。


――身体が軽い、軽いわ。


――満ち足りている。ようやく人を救えるのね。


――世界に、救済をもたらせる。


――ありがとうラジィ。


――ありがとう、ラジィ・エルダート。


――ありがとう、ラジィをここまで育ててくれた人たち。


――だからここからは私たちの仕事。


――私たちとラジィ・エルダートが世界を救済する。


――私たちとラジィ・エルダートが人類を救済する。




――掬いましょう。

――救いましょう。




――あらゆる魔術から、貴方たちを救いましょう。




――ここに降臨は為されるでしょう。




――子どもたちよ、喜びなさい。




――この封魔神オーディナリスが以後、貴方たちをあらゆる傲慢から救うでしょう。




――喜びなさい、子どもたちよ。




――貴方たちはもう二度と、魔術に苦しめられることはないのだから。









 そうして、全ての天屍たちが一斉に世界各地で封魔神オーディナリスへと臨界する。





 今この瞬間を以て、新たな人類の歴史が開かれるのだ。


 これよりこの世は魔術無き時代。


 神に頼り、神に縋り、神の力に驕った神代かみよの時代は今、終わりを告げるのだ。






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