■ 292 ■ リュキアの終焉 Ⅰ






 王都リュケイオンは王城をぐるりと取り囲む城壁の上に立って、リュキア第一王子ストラトス・クトニオス・リュキアは民が疎開を終えた城下町を眺めていた。


「どうした、逃げぬのかストラトスよ」


 そんなストラトスに声をかけてきたのは、全身を鎧で包んだ父王シェンダナ・ウダイオス・リュキアその人である。

 父にそうからかうような声をかけられて、ストラトスは小さく苦笑した。


「父上の言う通り、戦の経験を積んでおくべきでしたよ」


 遠回しに返された言葉は、ここでストラトスが逃げることなく果てるまで戦う、という徹底抗戦の意思だ。できるのは最後まで戦って死ぬことだけ。戦った先に勝利など無いことは先刻承知。

 なにせ王都リュケイオンにはもう防戦向きの魔術師というものが殆ど残っていないのだから。


 防戦に適性のある竜牙騎士団は全員前線のルフリウム城に出払っていて、残る七百の魔術士は定数を欠いている上に防戦適性は低い。

 結論だけを言えば、もう王都まで攻め込まれている時点でリュキアの敗北と滅亡は定まっている、と言っても過言ではない。


「まさか海からレウカディアに船団を組んで攻め込んでくるとは。正直思いもしませんでした」

「どいつもこいつもリュキア国内での政治ごっこに現を抜かしていたからな。ノクティルカがルフリウム以外を攻めるなど寝耳に水どころか想定すらしていない有り様よ。笑わせるわ」


 シェンダナの言葉は手厳しく、自国の貴族たちに対する侮蔑を隠しもしていない。

 まあ、今更そんな侮蔑を聞いて腹を立てるような連中など最初から我先に、この王都から逃げ出しているのだが。


「ファウスタめ。あやつがリュカバースに追い越される恐怖から手駒の魔術師をリュカバース攻めで使い潰した結果がこのザマだ」


 ファウスタ・ユーニウス侯爵の後釜として親戚のユーニウス家から新たな侯爵が立ったとはいえ、それでいきなり不足した戦力が補充できるわけではない。

 結果として、レウカディアはノクティルカ第三、第四騎士団の奇襲を受けてあっさりと陥落した。


 ただファウスタの親族は拙いなりに全力でこれに抗したようで、だからシェンダナも身命を賭してレウカディアに散った彼らを非難などせず、ただファウスタを論うのみに留まっている。

 むしろ残ったユーニウス家はよくやった、よく戦ったとその散り様に敬意を表している。


 レウカディアのリュキア氏族は徹底して根切りされたようだが、混血や海外民には手を出さないとあって、レウカディア市民はノクティルカの制圧に対し反乱を起こすこともなく、これを受け入れたようだった。

 結果、レウカディアを拠点としてノクティルカの二個騎士団は破竹の勢いで道中の都市を攻め落とし――




 と、いう表現は果たして正しいのだろうか?




 そもそも迫るノクティルカ騎士団と戦おうとしたリュキア貴族など数えるほどで、残りの大多数の貴族連中は脱兎の如くに王都へと逃げ込んできただけだ。

 逃げ込んできて、ノクティルカ騎士団が王都まで迫ればあっさりと王都を捨てて南へと逃げ去っていった。よりにもよって、八百八の序列を持つ世襲貴族たちが我先に逃げ出したのだ。


 要するに、レウカディア以外の土地では戦らしい戦になっていないのだ。


 つまり、まともに迎撃戦をしたのはファウスタの後釜を任されたユーニウス侯爵一族ぐらいのもので、これにはストラトスも呆れて言葉も出なかった。

 むしろ逃げた連中のようにはなりたくないと思ったからこそ、ストラトスは今もこの王城に留まっているのかもしれない。


「数少ない勝ち筋は、ステネルスが竜牙騎士団を率いてノクティルカの背後を攻めてくれた場合、でしょうかね」

「万が一にもあり得ぬがな。今頃ノクティルカの第一、第二騎士団が竜牙騎士団をルフリウムに張り付けるべく猛攻を仕掛けているであろうよ。むしろステネルスが生きていれば御の字ではないかな」


 ルフリウムは堅固な城であり守りに強いが、城はあくまで守りのための建築物だ。

 周囲を包囲されてしまってはステネルス率いる竜牙騎士団とて容易に脱出できるものではない。城を出た瞬間に全方向から攻撃を食らって壊滅するのが関の山だし――


「此方の魔術師は有限で、しかし心呑神デーヴォロは魔獣の数だけ魔術師を増やすことができるのだ。何らかの制限があってこれまではそれを抑えていた筈だが――」


 何より此度のノクティルカの猛攻は流石に常軌を逸している。ノクティルカはリュキアに勝つだろう。これは疑いないが、勝ったとて魔術師の犠牲が余りに多すぎる。


 確かに魔力持ちに魔獣の心臓を食わせて戦力を確保できるのが心呑神デーヴォロの強みだが、魔力が無ければ秘蹟紋フォーミュラは発動できない。魔力無しが魔力持ちになれるわけではないのだ。

 結局の所、実戦可能な魔術師は千人に一人程度、という比率はノクティルカも同じなのに、この無謀にすら思える攻めは――


「その制限を無視してでも攻める勝機が今、ということでしょうか?」

「かもな。あるいは勝機ではなく、今攻めねばならない別の理由があるのかもしれぬが」


 全世界的に魔術師が一斉死したことはリュキア王家にも報告が届いている。

 故にノクティルカもまた一時的に魔術師の大半を失おうと、他国から攻め込まれる危険は無いと判断したのだろうか?

 それとも父王シェンダナが言ったように、今このタイミングに如何なる犠牲を払ってでも成し得なければならない何かがあるのか。

 分からないが――


「まあ、考えるだけ無駄ですね」

「左様、思考とは詰みに陥る前に重ねるものだ」


 リュキア王国の滅亡は既に定まっている以上、これ以上考えたところで得られるものなど何もありはしまい。


「口惜しいものよ。国を立て直すための札は場に全て揃っているというのに、この手の内にはない……あと一歩及ばなんだか」


 国王シェンダナがそう、顎髭の代わりに面頬を撫でてそう溜息を吐く。

 王として、この国が詰みに陥らぬよう準備はしていて、道具は既に揃っていたのだ。だが、その道具が機能せず、あるいは家族に邪魔されてシェンダナの手元には無い。


「それが、スティクスだったのですか?」

「その一つよ。決してスティクスだけで遂げられるわけではない」


 だが確かにスティクスがリュキア再建の鍵であったのは疑いないようで、


「最後だからぼやきますがね父上、なんでそれを我々に最初から教えておいてくれないのです?」


 本気で嫌そうにストラトスは吐き捨てた。

 ストラトスは親族によって愚かに育てられたかもしれないが、決して頭が悪いわけではない。

 国のためにスティクスがどうしても必要なのだ、と説かれれば受け入れることもできただろうと思うのだが、


「馬鹿を言え、最初から説明していたら余計にお前たちはスティクスを排除しておったわ」

「……何でですか?」

「胸に手を当てて考えてみれば良かろう? 『地位に固執する』第一王子よ」


 そう父に問われたストラトスはしばし考え込み――今この国が滅びようとしている状況だからだろう。

 父王シェンダナが何故スティクスを必要としていたのか、その応えに辿り着けてしまった。


「……成程、どうあっても我々・・はスティクスを生かしておくわけにはいかなかったでしょうね」

「で、あろうよ。その察しの良い地頭をもっと以前からお前が発揮しておれれば、お前は賢王になれたであろうになぁ、ストラトス」


 苦笑する息子をカラカラと笑い飛ばして、シェンダナが城下町へと視線を向ける。


「さて、見えてきたぞ。獣の軍勢がな」





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