■ 291 ■ 破滅の足音






 教会に集うはいつものラジィ、クィス、ティナ、アウリス、フィン、ラオのエルダートファミリー六名。

 マフィアの護衛としてナガル、ガレス・ノイマン、コルン・ノイマン、ヤン・シンルー、イオリベ・シメイ、オーエン・ソギタニの六名。

 地母神教マーター・マグナ教会リュカバース支部関係者としてリッカルド、ソフィアを加えた十四名の魔術師だ。


「まず最初に言っておくわ。私が今日ここに皆を集めたのは、私の我儘で皆を地獄に引きずり込む為よ」


 知己たる魔術師たちに、ラジィはそう隠すことなく告白する。


「紆余曲折を経て、このリュカバースは観測される範囲では最も安全に栄えた港町になってしまったわ。故に、この街を欲しがる連中は後を絶たないでしょう。その筆頭が、」

地母神教マーター・マグナか」


 車椅子の上の青年に、いっそあっけらかんとラジィは頷いてみせる。


「ええ、ガレス。彼らは魔術師の殺戮を行なった天使であり、マフィアと組んで街を牛耳る裏切り者を討伐する、という大義名分を掲げて正々堂々ここを獲りに来るでしょう」


 地母神教マーター・マグナが装備を調えて数で殴る戦術であることは、ここの魔術師ならもう誰もが知っている。

 要するに地母神教マーター・マグナというのは出費が嵩む神教なのだ。栄えた街なら傘下に欲しがるのは当然のことで、これはラジィの在不在に関係なくそう動く。


「つまり、ラジィの首を挙げるというのは建前であると?」


 ナガルの問いに、ラジィは小さく首を横に振った。


「どっちも本命だと思うわ。政治部はその思考上、どうやっても地母神教マーター・マグナでは至尊に至れないもの。運命神フォルトゥナ魔術を研究して、自分たちだけが利することができないか、は当然企んでいるでしょうね」


 魔術というのは使いようだ。誰もが自分の不幸を訴え他人の幸せを掠め取る運命神フォルトゥナ魔術でも、理解を深めれば自分だけが上に立てる、他人から一方的に運を掠め取れるのでは、と考えるのは至極当然のこと。


「呆れた話だ。まるでハイエナよな」


 オーエンが憮然とそう地母神教マーター・マグナを評すると、ソフィアが軽く顔をしかめてしまう。

 別に地母神教マーター・マグナ全体がそうというわけではないし、オーエンもそういう意味で言ったのではないが、やはり気持ちのいいものではない。もっとも、


「仕方ないわ。現状に満足し感謝する、ということを知らない連中が貴族だもの。ましてやあの騒ぎで地母神教マーター・マグナは殆ど戦力を失ってないからね。今こそ勝機と動くでしょうよ、いや商機かな」


 同じ地母神教マーター・マグナであるラジィまでがそう肯定してしまっては、ソフィアの不満は向かう先を失ってしまう。


「まあ、連中の思惑はともかくとして、私としては立身出世を第一に考える連中に運命神フォルトゥナは渡せないし、ルガーらも殺させはしない、ということよ。そして私は地母神教マーター・マグナとして、只人のために魔術師に難き道行きを歩ませることを良しとする」

『つまり、マフィアとジィを守るために俺たちを地母神教マーター・マグナと戦わせるってことだね』

「そうよリッカルド。でもこれはあくまで私にとってのみの正しい在り方だし、貴方たちにも貴方たちの我儘を通す権利がある。故に無理強いはしないわ」


 そうラジィは己の青い瞳を皆にめぐらし、


「コルンはいいの? このままだとガレスが危険な目に合うと思うけど」


 そう煽るでもなくただ純粋に問うと、コルンが少しだけ頬を膨らませてラジィを軽く睨む。


「私だって別に私と兄さんしかいない世界に生きているわけじゃないんですから。第一、戦わなければアンニーバレも殺されちゃうんですよね?」

「まあ、取引できれば命ぐらいは助かるかもだけど――来るのはだいたい最初の頃のマルクとクリエルフィみたいな連中だと思ってくれればいいかな」


 あ、無理だそれ、と全員が小さく溜息を吐く。

 クリエルフィとマルクは話せば分かる奴らだったし、確かに善人でもあった。だが当初の振る舞いは目も当てられないというか、端で見ているだけで恥ずかしくなるほどの空回り正義感を振りかざしていた。

 マフィアは悪だ、貴族は味方に付けろ、自分たちは正義で拍手喝采で迎え入れられる、と無謬に信じていたあの頃の二人のような連中が、それこそ徒党を組んでやってくるのだ。


 ましてや、


「彼らには魔術師を皆殺しにした天使の討伐、という揺るぎない大義名分があるわ。諸悪の根源たる天使を庇い立てする者の一切を悪と断じて憚らないでしょうよ」


 地母神教マーター・マグナの最高指導者カイ・エルメレクが封魔神オーディナリスから信者を庇って死んだのだ。

 政治部の言葉巧みな誘導によって、リュカバースへの侵攻は苛烈なほどの正義感で以て行なわれることは、もはや疑うまでもない。


「だから地母神教マーター・マグナは強いわ。全員がカイの仇討ちだって、この聖務に命を懸けて臨んでくる。マフィアが私を捕縛して地母神教マーター・マグナに差し出しても、元はと言えばマフィアが天使を飼っていたのが悪い、と決めつけマフィアを皆殺しにしてリュカバースを奪う。故にここで逃げておかない限り、ここにいる全員が生き延びられる未来は、現時点では私の演算にはありません」


 そのラジィの一言に、しかし驚く者は誰一人としていなかった。

 封魔神オーディナリスが降臨しかけて以降の社会で生きている間に、彼らもまた世界があまりに異質に変化してしまったことを感じ取っていたのだ。


 港町であるが故に、リュカバースには様々な情報が流れ込んでくる。

 庶民によって貴族政治が打ち倒されて興った国。魔術師殺しに熱狂して魔獣に滅ぼされた街。


 既に耳に入っているだけで、十を軽く超える国と地域が崩壊し、社会秩序を失った無法地帯になったという。

 その結果として商品だか盗品だかは不明だが、これまで貴族が溜め込んでいたような骨董品や芸術品が無造作にリュカバースに流れ込んできて、そして買われていく。


 何故かマフィアが犯罪に対して厳しく目を光らせているリュカバースでは中抜きが行なわれにくく手数料が安いから、そういった品の取引場所としてリュカバースは今や世界の中心かと錯覚しそうなほどに栄えている。

 だからこそ未だ強大な戦力を保持している者は、何としてもリュカバースという港を丸ごとマフィアから奪い取ってしまいたくなるのだ。


 マフィアは確かに正義ではないだろう。この繁栄を手にするために、少なくない人の命を魚の餌に変えてきた。

 だが、マフィアが正義でないならば、皆殺しにしてマフィアの結果だけを横から掠め取るのは正義なのか?


 否。断じて否だ。


 この場に集った誰しもにも、この街の一員としての自覚がある。

 リュカバースという街を作り上げ、これまで支えてきたのは自分たちだという揺るぎない自信と自負がある。この街と隣人たちを愛している。

 恥知らずの傲慢な侵略者に背中なんか向けてやりたくないという、正当なる怒りがある。

 そして、何より、


「ここを去ろうにも、行く先などありませんしね」


 ナガルの言葉に、皆が一様に頷いた。

 ここに集った連中はどこにも居場所が無くてマフィアの元に辿り着いた漂流者だ。


「それでも、死ななければ希望はある。どこかでまたやり直すことはできるわ」

「我々は魔術師ですからね。しかし魔術師でない僑族は安住の地をまた魔術師の暴威によって奪われる事になる」

「ラジィほどじゃないが、俺たちだってそういうのは業腹だ。そうなるのが分かっていて自分たちだけ逃げるような生き方はしたくないな」


 元より身寄り無き背水の陣であるのだから、命の保証などをラジィにわざわざ求めたりはしない。そうナガルとガレスが応じたことで、ラジィも覚悟を決めて頷いた。


「そう、じゃあ始めましょうか。そろそろ報告が来るはずだから」

「報告が来るって、何の?」


 問うクィスにラジィは無言で教会の入口を見つめ――


「皆ここに揃っていたか」


 開かれた教会の入口から入ってきたブルーノの顔は、これまで見たことがない程に強ばっていて、


「リュキア王都リュケイオンが陥落した。ノクティルカが本腰を入れてこの国の制圧を始めたようだ」


 語る声音とその内容は、その表情に負けず劣らず険しいものだった。






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