■ 290 ■ 離脱






「シン、大丈夫? 酷いコトされなかった?」


 内赦局から解放され、会議室クリアに戻ってきたシンはそう開口一番ラムに問われて、やや寂しげな顔で首を横に振る。


「ごく普通の取り調べでしたよ。後味の悪い話ではありましたが」


 【御厨コクイナ】シン・レーシュの容疑は既に晴れている。

 内赦局の調査によって、本当の犯人は炙り出された。ラジィの前、シンの巡礼に同行し、グラナとの戦闘で死んだ神殿騎士の家族。その一人がシンに濡れ衣を着せようとして行なった、と内赦局が丹念に調査を重ねた結果として判明したのだ。


 不死身に近い再生能力を誇る身献神サクリコラグラナとの戦闘で、シンの巡礼団は多大な死者を出してしまった。

 その上でグラナには逃げられ仕留めることができなかったのだから、シンを恨む者が現れてもなんらおかしくはない。


 家族を挽肉にされ、その報復すら成し得なかったとあれば、その怒りがのうのうと生きているシンに向かうのはある意味では仕方のないことだ。

 何にせよ、真犯人が特定されたことで【御厨コクイナ】シン・レーシュに対する容疑は完全に晴れている。むしろ理不尽に嵌められようとしていた被害者として激励が数多寄せられているような状態だ。


「ひとまず、新たな【神殿テンプル】が立つまでこの地母神教マーター・マグナを纏めねばならぬ。我らも協力するが、頼んだぞ【御厨コクイナ】」


 【宝物庫セサウロス】サヌアン・メフィンの言葉にシンが頷き、


「世界の状況は未だ予断を許さない激動の最中にあります。皆さんも協力をお願いします」


 続けて残る六人が頷き、しかし一人がそのまま無言で席を立つ。


「シンばーちゃんが戻ってきたならもう大丈夫だな。俺はジィと共に抜ける」


 仲間の安全が確保されたのであれば、もう【道場アリーナ】ツァディ・タブコフがここに留まる理由は無い。

 元より、ツァディが地母神教マーター・マグナにいるのは当代の天使たるラジィを殺さず手元に置く、と判断したカイの側にいるためだ。あらゆる悪意からラジィを守る為の影響力が必要だったからだ。


 その為の傘であり、理解者だったカイが死んだ今、ツァディにとって【至高の十人デカサンクティ】という地位など何らの価値もない。


「動いてもいいのかね? 君が動けば後を付けられるだろうが」


 ツァディが動かないことがラジィの安全に繋がる、という問題は依然として横たわっている、と【温室ハーバ】ダレット・ヘイバブが問うてくるが、


「いや、連中はもう動いたよ。だってマルクが帰ってこない」

「マルク?」


 誰それ? と【スタブルム】ザイン・へレット他数人が首を傾げたが、


「【道場アリーナ】候補生で【書庫ビブリオシカ】候補生クリエルフィ・テンフィオスの従者でしたね」


 クリエルフィに御厨コクイナ魔術の指導もしたことがあるシンが応じ、ツァディが苦い顔で頷いた。


 ツァディとて腐っても【道場アリーナ】、十の宗派の一つを纏める【至高の十人デカサンクティ】の一人なのだ。

 いくら頭が悪いとは言え、道場アリーナの【至高の十人デカサンクティ】候補生ぐらいは顔を知っているし、交流が全くないわけではない。というかツァディの道場アリーナバフに肖りツァディを越えよう、と切磋琢磨する連中が手合わせを求めてくる毎日だ。


「任務から戻ってきたマルクを見たって他の【道場アリーナ】候補生が言ってたんだけど、誰もその先を知らないんだ」

「……そのマルクとやらは一体何の任務に携わっていたのです?」


 【スタブルム】ザイン・へレットの問いには、不安の色が答えを得るまでもなく滲み出ている。


「クリエルフィ候補生を補佐しての、別大陸への布教活動だってさ。詳細はぼかされていたけど、多分グランベル大陸だ。リュカバースだよ」


 その一言に、残る六人の【至高の十人デカサンクティ】が息を呑んだ。


「そうか、よく考えりゃジィのおかげで繁栄してたもんなあの街」

「栄えている街にはそりゃ、教会建てたいわよね、ウチとしては」


 【武器庫アーマメンタリウム】アレフベート・ギーメルが苦々しげに頷き、【納戸ホレオルム】ラム・メドムがその手で悲痛な顔を押さえて呻く。


「マルクが戻ってきた。クリエルフィと一緒じゃなくて単独でだ。そして行き先はグランベル大陸で、このシヴェル大陸の外、【至高の大複合神殿マグナ・サクロ・サンクトゥス】の外だ」


 誰もが、最悪の現実をついに理解した。

 クリエルフィの父にして政治部第二位、アンブロジオ・テンフィオスがこの状況でどう動くか。鬼の総務局次長ならば、安い感情に流されず冷静でいられるか?


 ラジィてんしに、自分の娘を殺されたと知ってもなお、平然と?


「シンばーちゃんを嵌めようとしたって奴の裏には絶対に内赦局がいる。もしかしたら真犯人とやらは内赦局にばーちゃんを嵌めるようそそのかされてすらもおらず、ばーちゃんを嵌めたって罪すら最初から内赦局がでっち上げた濡れ衣かもしれない」

「そこまで――いや、マルク・ノファトが本当に消されているのならば、そこまでやってもおかしくないのですね」


 シンが恐々と頷いた。これまで【神殿テンプル】カイ・エルメレクがどれだけの重責を担っていたのか、想像するだけで気が滅入ってくる。


「でも、今回の件で政治部も大きく動いているはずだ。多分ジィを手に入れたい連中は既に【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】からいなくなってるだろう」

「糺すならばクズの親玉がいない今が一番、ということですね。今後の政治部の暗躍を阻止するための、今はチャンスでもあると」

「ああ」


 【菜園サジェス】テッド・ヨドカフにツァディは頷いた。ツァディにとってはもう帰ることのない場所だが、他の【至高の十人デカサンクティ】にとってはここが居場所だ。

 以後のことを考えれば、少しでも風通しを良くしておくべきだろう。


「じゃあ、みんな元気で。もう会うこともないだろうとは思うけど」

「名残は惜しいが、時間も惜しいな。ジィを助けてやりたまえ、兄貴分」

「ありがとう。みんなの事をずっと愛してる。俺も、ジィも」


 【宝物庫セサウロス】サヌアン・メフィンに頷いて、ツァディは一人会議室クリアを後にする。


「神意に透明と讃えられた【神殿テンプル】が倒れ、歴代最高とすら謳われた【道場アリーナ】と【書庫ビブリオシカ】が去るか。ここも寂しくなるな」


 【温室ハーバ】ダレット・ヘイバブの言葉に、誰もが悲しそうに頷いた。

 だが、しんみりしてもいられない。数多の魔術師が世界中から失われたこのご時世で、しかし未だ地母神教マーター・マグナはその勢力をほぼ欠けずに維持している、数少ない神教なのだから。


 ここで地母神教マーター・マグナが自制を失えば、世界の地獄は更に加速する。


「我々は我々の成すべき事を成しましょう。一先ずは驕り高ぶった振る舞いをする信者の掣肘からですね」


 【御厨コクイナ】シン・レーシュの言葉に、六人が頷いた。

 カイが欠けても、ツァディが欠けても、ラジィが欠けても――クリエルフィが、マルクが欠けても、他の数多の【至高の十人デカサンクティ】候補生を失っても、それでも世界は続いていく。

 故に【至高の十人デカサンクティ】たちが成すべき事は、


かつえる民に温もりを、難き道行きに安寧を。只人にそれが成せぬというなら、私がそれを成しましょう」


 これまでと何も変わりはしない。

 只人のために、その力を貸し与えることだけだ。






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