■ 293 ■ リュキアの終焉 Ⅱ






「さて、見えてきたぞ。獣の軍勢がな」


 無人となったリュキア城下町に、ちらちらと人影が見え隠れする。

 魔術師以外が戦場に立っても身体強化や射撃魔術による手数差で一方的に打ち負ける以上、この世界の戦争とは基本的に少数による高火力戦が主となる。

 故に隊伍を組んで軍隊が押し寄せる――みたいな戦いは身体強化が強めな神教以外には採用されることはない。然るに、


「ふぅむ……リュケイオンに迫る心呑神デーヴォロ魔術師は八百から九百、というところか」


 国の存亡を懸けた戦であっても、千を越える騎士たちが正面からぶつかり合うような事態は、小国だとそうそう起こりはしないのだが。


「随分と多いですね。正規騎士のみならず徴発兵も多く含まれているのでしょうか」

「魔獣の秘蹟紋フォーミュラで戦える心呑神デーヴォロならではだな。羨ましくはないが羨ましいものよ」


 ただ、それにしても二個騎士団だけで八百を越える魔術師、というのは随分と数が多い。

 対して王都に残るリュキアの芽蒔神スパルトイはと言えば上位百八人が二人で、あとは百九位以下の魔術師が六十程しかいないというに。


 彼我兵力差は十倍を越え、しかし、


「では、精々不埒な侵略者を討って果てるとしよう」

「畏まりました、国王陛下」


 国王シェンダナは不敵に笑い、その実子は王の判断に追従する。


「ここに王命は下された! 勇猛果敢にして名誉ある芽蒔神スパルトイ諸君! 既に守るべき民はここに在らず! 然るに後の平和の為、後のリュキアの民の為に一匹でも多くの獣を殺して果てよ!」

『おおっ!!』

「八百八士を、リュキアを舐めた愚鈍どもに芽蒔神スパルトイの鉄槌を下せ! ヒュペレノール、神殿展開! これより我ら芽蒔神スパルトイは死地に生きて死地に死ぬ、心せよ!」

『おおぉおっ!! リュキアに栄光あれ!』


 八百を超えて迫る魔術師を前に、百にも満たない魔術師たちがその命を鉄槌へと変えて咆哮する。


「では父上、先に逝きます」

「ああ――ストラトスよ」


 そう城壁へ踏み出そうとしていたところを呼び止められ、ストラトスは怪訝そうに振り向くと、シェンダナが悔恨のような表情を浮かべていて。


「最後まで親として愛してやれずにすまなかったな」


 今際になってようやく王としての立場を捨てた父シェンダナの謝罪に、ストラトスは険のない笑顔で以て応えた。


「それが王というものなのでしょう? 国と民を何より優先する名君シェンダナの子として生まれたこと、生涯の誇りにございます。では御免!」


 そう心から言い放って、ストラトスは何気ない所作で城壁から身を投げる。



「見ろ、リュキアの連中を! 王都ですら戦を恐れて身投げをするような弱卒揃いだ! 我らの勝利は疑いないぞ!」



 迫る敵魔術師の、恐らく指揮官だろう。それが部下を鼓舞するように、城壁から落下するストラトスを見て嘲笑う。

 なるほど、確かにそのまま何もせず落下すれば、ストラトスのそれはただの身投げであるが――




「我ら大地に蒔かれし竜骨、それより芽生えし八百八士。建国夢見て七百倒れ、勝鬨謳うはただ百八士」




 生憎、ストラトス・クトニオス・リュキアは只人ではない。




「我らの骸をこの地に埋めよ、ここが我らの故郷リュキアなり」




 聖句を唱える。かつて芽蒔神スパルトイが己の血とともにリュキアの民に残したという聖句を。



 身体の中に流れている神の血が熱を持つ。


 身体が神代のころのそれに書き換えられていく。


 芽蒔神、序列第七位。馬に跨がり槍を両手に戦場を駆け抜けたと語られる半神クトニオスが、ストラトスの身体を借りて顕現する。


 身体が、半神として再構築される。



 ストラトスの落下地点を中心に、地面を抉ったかのような土埃が上がり、次にはそれが砂嵐となって王城に迫っていた魔術師たちの顔を叩く。



「! 気をつけ――」



 心呑神デーヴォロ魔術師の現場指揮官が上げた注意喚起が、半ばにて断ち切られる。

 何事か、とその声の方を誰もが見やれば、舞い上がった土埃の中――


「油断が過ぎたな」


 土埃の中から姿を現したのは、それは獣為変態をも凌駕する異形だ。

 槍の穂先に、口腔から頭蓋を貫かれた魔術師をぶら下げて嘶く、馬上の騎士が顔をいびつに歪めて嗤う。


 いや、それを馬上の騎士と称しても良いものだろうか?


「さあ来るが良い、不埒な侵略者どもよ。この第一王子ストラトス自ら相手をしてやろう」


 その下半身は象ほどもある馬のような四肢へと変化し、その両腕は人の身丈の三倍はあろうかという、刃付きの馬上槍と一体化した、馬面の異形。それが蹄の音も高らかに疾駆する。

 両腕と一体化した槍を振り抜けば、それだけで家屋ごと心呑神デーヴォロ魔術師二、三人が纏めて断ち切られる。


「な……何だあの化物は……あれではまるで獣為変態ではないか……」

「来ないなら此方から行くぞ。覚悟はよいか」


 芽蒔神スパルトイとは戦争の神、侵略の神、建国の神だ。

 リュキアの中核を為すクトニオス一族の始祖は、戦馬に跨がり敵を蹂躙する騎馬隊として戦場を駆け抜けた猛者たちだ。


 その神性へと先祖返りしたストラトスは――だからあらゆるものを踏みつぶしながら前進し、蹂躙し、眼前の敵を突き殺す。


「おのれ、たかが一騎だ! 飛び道具もないようだし半包囲から射撃魔術で討ち取ってやれ!」


 正確な分析と共に心呑神デーヴォロ魔術師たちが見晴らしの良い家屋の上に登って、獣為変態からの炎や稲妻を投射し始めるが――



「! 速い、上に無茶苦茶だ!」



 ストラトス=クトニオスは今やこれを遮るもの無き突撃騎兵だ。目の前に建物があろうと人があろうとお構いなしに突っ込んで、壁と人垣をものともせずに踏みつぶす。片時たりとも脚を留めない。

 地形など気にせず思うがままに右へ跳ね、左へ跳ね、全速力の疾走からいきなり後ろへ跳ね戻り、縦横無尽に戦場を駆け抜けて狙いを定められない。


 それでもなんとか半包囲陣形を心呑神デーヴォロ魔術師たちが苦心して作り上げた、瞬間。


「ぐぁっ!」

「ギャアアアッ!」

「馬鹿な、家屋が、ぁ、あぁああっ!」


 ストラトス=クトニオスを包囲していた魔術師たちが、家屋に飲まれて消えていく。

 そう、まさにリュケイオン市街地に「喰われた」かのように建屋に呑み込まれて絶命する。


「一つ、冥土の土産に教えてやろう」


 両手が変化した槍で心呑神デーヴォロ魔術師の首を落としながら、ストラトス=クトニオスがたてがみを振り乱して不敵に笑う。


「我が父ウダイオスの一族は工兵として名を馳せた芽蒔神スパルトイだ。この戦場は既にシェンダナ=ウダイオスの工作室、箱庭である。精々気をつけよ」


 そう嗤うステネルスの前で、また一人の魔術師が家屋に喰われた。

 当然、喰われた魔術師が家の窓や出入り口から出てくることはない。家屋は既に出入り口無き棺桶と成り果て、その中身は肉片と化しているからだ。


「こ、こんな理不尽な話があるか!」


 どうやら雷電鹿ブロントディアを食らったらしい心呑神デーヴォロ魔術師が、雷をやたらめったら撃ち放ちながら吠えるが――家屋に雷を放ったところで何の意味もない。


「理不尽? 当然である。それが芽蒔神スパルトイ上位八席を相手にするということよ」


 雷電鹿ブロントディアの魔術師を、バターか何かのようにあっさりと頭蓋から股間まで唐竹割りにして、




「このリュケイオンと諸共に死ね、雑種ども。其方らに此処より帰るべき道などない」




 ストラトス=クトニオスが王都リュケイオンを駆ける。


 城壁では既にヒュペレノール一族が、ステネルスには遠く及ばないものの雷雨の神殿を形成し、雷で以て迫る獣を打ち据えている。【陣旗ヴェクシルム】が城壁上にはためいている。

 然るにストラトスの役目は、心呑神デーヴォロ魔術師を城壁という鉄床にたたきつける金槌となることだ。



「やれやれ、本当に少しでも実戦経験を詰んでおくべきだったな。教科書通りの戦術しか思いつかぬ」



 金槌が単騎しかいないことを覗けば、鉄床戦術は定石とも言える戦術だ。

 というか単騎で敵陣を中央突破し背中に回り込めるストラトスには、ある意味奇策など不要ですらあろう。教科書通りの振る舞いが、だからこそ基本に則って最高効率を叩き出す。



 そうして、ストラトス=クトニオスは片時も休まずリュケイオンの街をただひたすらに駆け回る。

 己が父から受け継ぐはずだった街を。あるいはステネルスに奪われていたかもしれない街を。



「お前は生きろよ、ステネルス。帰る家を残してやれなくてすまないが――」



 人馬一体、人刃一体となったストラトス=クトニオスはそうして、遊び回る子馬のように延々と、延々と己の庭を駆け抜けて――










 落陽と共に、ハリネズミのように全身に数多の刃を突き立てられたストラトス=クトニオスはついにその動きを止めた。

 その死を確認する為に接近することを誰もが恐れたストラトスの遺体は、荼毘に付されるかのように炎の中へと消えて、そして家屋と共に崩れ去った。


 そうして鎚を失ったリュケイオンの城壁もまた、心呑神デーヴォロ魔術師たちによる集中砲火によって崩れ去り――




 リュキア王国首都リュケイオンは陥落した。




 その街並みの中に、大量の魔術師の死体を抱きながら。






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