■ 171 ■ ザコの処分は巻いていきます
「まだやるの?」
「げ、元気……いっぱい、でしてよ……ッ!」
震える膝を叱咤してクリエルフィが立ち上がる。立ち上がるならラジィは容赦はしない。
前に出たクリエルフィの突きを難なく躱し、踏み脚の膝に竜麟の槍の石突きをカウンターの容量で叩き込み、足が止まった相手に――これ以上の凶器は不要だ。
槍を手放して人中、喉、水月と正中線の急所に三連続で拳を叩き込めば、クリエルフィが膝をついて、そのままラジィの胸にずるずると倒れ込んできた。
「はい、成敗。そこそこ頑張ったわね、そのガッツだけは認めてあげる」
誰の目にも、「ああ、これはもう立てないな」と明らかに分かるノックダウンである。
「ふ、ふざけるなよ小娘ェ! あれだけ自信満々に言っておきながら手も足も出せずに負ける奴があるかぁ!?」
自信満々で騎士団を率いて教会を取り囲ませていたアンティゴナ・カルセオリーの御尊顔は血の気が引ききってもはや真っ青である。
「アンティゴナ閣下も懲りないわねぇ。そのフットワークの軽さとバイタリティだけはちょっとだけ尊敬する――わッ! 成敗!」
もうそろそろコントの様相を呈してきているが、それでもお約束なのでラジィは腹パンを忘れない。カルセオリー伯のライフはラジィのグーパン一発で赤点灯だ。
「閣下!」「アンティゴナ閣下ぁ!」
「撤退だ! 閣下を回収して撤収するぞ!」
再び一撃で倒れ伏したカルセオリー伯を担ぎ上げた部下たちが、脱兎の如くに教会前から立ち去っていく。
「おのれ! 次は私が相手だ下賤な孤児風情が! まさか逃げたり隠れたりはしないだろうな!」
そうすると次に立ちはだかるのは、憤怒の形相でラジィを睨むクリエルフィの腰巾着である。
「横やりを入れずにちゃんと一対一の決闘を見守った。その覚悟に応じてお相手してあげるわ。来なさい、えーと……誰だっけ?」
「マルク・ノファトだ! いずれ【
「まだやるの?」
「……何故だ、何故だァアアッ!! 仮にも私は【
結局はマルクもラジィに一撃すら与えられず膝をつくこととなった。
頬をしとどに濡らしながら石畳を拳で殴っている男泣きを見ていると、勝者であるはずのラジィの方がなんかもの悲しくなってくる。
――素質はあるんだけど……徹底的に実戦経験が足りないわ、こいつもクリエルフィも。
額の汗を拭って、ラジィはそう内心で独り言ちた。言うだけあって両者の筋力も魔力も十分だった。鍛えていることは疑いなかった。地母神流剣衝術も本物だった。マルク相手にはラジィも詠唱抜きだと汗をかく程度には動く必要があった。実戦も、幾度かは経験しているはずだ。
だが現時点では教科書どおりの動きから両者とも全く脱却できていないのだ。
貴族の出であるからこそ、命の危険があるような戦場に立つことが恐らくこれまで一度もなかったのだろう。幼い頃から殺し合いをしているラジィにそれで勝てるはずがない。
「だが、だが私は負けるわけにはいかんのだ! お嬢様の未来のた――」
立ち上がろうとしたマルクの頭蓋をラジィは横から思いきり蹴飛ばした。仮に首が折れようが頭蓋が割れようが構わないという全力の蹴りである。
というのも、
「人質を取ろうとするなら容赦はしないわ。次は殺す」
「ば……か、な……何故……」
ラジィの【
一切の前振りを見せなかったマルクには理解不能だろうが、相手が行動に移す前に、その行動パターンから未来を先読みできる。
これこそラジィが誇る最強の力。マルクのような分かりやすい男には、ラジィの裏をかくなど絶対に不可能である。
「
「それもそうね。まぁ殺さないにしても脚の一本ぐらいは潰しておいた方がいいかもだわ」
ハァ、と溜息を吐いたラジィの手の内にある竜麟の槍に、神気が集束して光の束を為す。
【
驚愕と絶望に染まりながらも脳震盪で立ち上がれないマルクの左脚目掛けて、断頭斧の如くに振り上げられたラジィの槍を前に――
「や、止めなさい! 【
「……はぁ!?」
目を覚ましたクリエルフィが割り込んできて、ラジィはポカンと間抜け面を晒してしまった。集中が解けて、【
「……一応聞いておくけど、貴方、自分の方から喧嘩を売ってきたって意識はちゃんとあるわよね……?」
何こいつ気持ち悪い、みたいにラジィが怖じ気づくと、どうやらクリエルフィは己の覇気、あるいはマルクを思いやる心にラジィが怯えたと思ったらしい。逆に少し持ち直すのがラジィには更に気持ち悪い。
「元々は【
「……いや、理由とかじゃなくて、そっちが先に暴力での喧嘩をふっかけてきたんだよね? って聞いてるんだけど……」
「ですから、やむなくだと言っているでしょう! 本意ではなかったのですわ!」
ラジィが呆れて槍を下ろした理由が、端で見ていたクィスらにも嫌と言うほど理解できてしまった。
【
「そ、そうですわ。【
名案だ、と手を叩いているクリエルフィを前に、クィスたちは嫌な予感しかしない。
「ジィ、【
「他人の【
あ、それやっちゃ駄目なやつだ、と瞬時にフィン以外の誰もが悟った。当然フィンは一歩先んじて悟っている。
何が駄目って、そんなことをしたら――
「ラジィ・エルダート! 私と【
「……止めといた方がいいとは忠告しておくけど、本当にやるのね?」
「当然よ! ふふっ、居間になって怖じ気づくなんて可愛いところもあるのですね。ですが地位と生まれというのは非情なのよ! 幼少の頃からずっと本に囲まれて生きてきた私にとって孤児の貴方など敵ではないわ!」
さあこい、とクリエルフィが立ち上がったので、ラジィも色々と諦めた。
「【
「【
同じ魔術を発動させた両者は額を合わせて、
「「【
同時にそう唱えた瞬間、クリエルフィが目と鼻から血を溢れさせながらガクン、と膝をついた。
送られてきた凄まじい情報量はクリエルフィの【
「お、お嬢様ぁアッ!! 【
「言われた通りに情報を流し込んでやっただけよ。仮にそれ以外が行なわれたとしても、それを見抜けないようでは【
クィスに拘束されたマルクが弱々しく暴れる前で、ラジィはだから言わんこっちゃない、と溜息を吐く。
「勝負になるはずないのよ。こちとら【
「…………は?」
マルクが怒りも忘れて呆然と固まってしまうが、ラジィからすれば何ら驚くことではない。宗派の名称そのものを二つ名として名乗ることを許されるというのは――【
「全部……だと? 嘘を言うな、
「それを納められるからこその【
ラジィが【
書物に巻物、粘土板、そういったものを一度全て状態確認と称して瞬間でも良いから日の目に当てれば、あとは【
ほんの僅かでもページが開けば、【
「だ、だがお前は本を読むために【
「記録することと読むことは別の話よ。私は本読むの好きだし、あと私が記録しただけじゃフィンには読めないしね」
「は…………?」
マルクが再び絶句して、最早二の句も告げられない。
【
だが
その為に【
そういう理由もあって、ラジィはフィンと一緒に二人でずっと【
実際はラジィが言ったように、ラジィ自身が本を読むのが好きというのもウェイトの大部分を占めていて、フィンが云々は建前に過ぎないが。
「まぁ、でも実際負けたのはこっちかもね」
ラジィがそう、教会前の道ばたに倒れ伏してびくんびくん悶えているクリエルフィを前に、心底嫌そうな顔で頭を振った。
「どういうこと? ジィ」
「それがねティナ、どうやらこいつ常人の範囲内では私が何やっても負けを認めないみたいなのよ」
実際のところ拷問したり、あるいはクリエルフィの前で逆にマルクを拷問するなどすれば心をバキバキにへし折ってクリエルフィに負けを認めさせることはできる。
だがそれは人としてやって良いことの範疇から大きく逸脱しているし、なのにそれぐらいじゃないと、「ラジィにだけは負けたくない」こいつはあらゆる屁理屈を動員して敗北を認めない。そう【
勝敗が誰の目にも明らかなのに、駄々をこねて一切それを認めようとしない。そんな相手にはラジィも流石に勝ちようがない。
いや、勝ってはいるしそれをクリエルフィ以外の誰もが認めるだろうが、それでもクリエルフィだけはそれを認めないのだ。
それは視点を変えればある意味ラジィの負けである。言語と理屈の敗北、とも言うが。
「仕方ない。ティナ、クィス。ルガーに頼んで引越し先の選定と荷の移動をお願い」
「え!? 無血開城しちゃうんですか!? 全面的に、これ以上無い程に勝ってるのに?」
「今後もこいつに付き纏われる方が私の生活的には大敗北よ、お姉ちゃん。泣く子と地頭には勝てぬとはよく言ったものね」
はぁ、と憂鬱な顔で息を吐いたラジィは、呆然と膝をつくマルクに向き直った。
「そんなわけで貴方たちの勝ち。そっちが望んだものはこれで全てくれてやったわ。あとはもう私たちに構わないで、いい?」
「あ……了解した。以後は
流石のマルクもこの状況で勝ち誇ることはできないようであった。若干気まずそうに首を縦に振る。
どうやら脳筋イエスマンだと思っていた腰巾着のほうがまだ理性的だったようで、第一印象ってあまり当てにならないな、とラジィは少しだけ反省した。
「結構。やれやれ、こんなアホ臭い負けかたするとは思ってもみなかったわ。アウリス、引っ越しの準備を始めましょ」
「畏まりました」
そんなこんなであっという間に人足たちが教会に集まってきて、最低限の物資を残して全て教会から全てを持ち去ってしまった。
残されたのはマルクにクリエルフィ、そしてラジィお手製のポーションが二つだけだ。
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