■ 170 ■ お貴族様による素晴らしい良手






「お初にお目にかかります。シヴェル大陸は地母神教マーター・マグナ総務局次長アンブロジオ侯爵が長女、クリエルフィ・テンフィオスと申します」

「これはこれは、リュキア国王よりこの地の当地を任されし王国の下僕、アンティゴナ・カルセオリー伯爵にございます」


 カルセオリー伯のカントリーハウスにて、貴族両名が挨拶を終えると、両者の前に香り高い紅茶が運ばれてくる。

 逸品だな、とクリエルフィは理解した。紅茶は貴族の嗜みだ。教養として茶葉の種類は瞬時に判断できるのが優れた令嬢というもの。味わうまでもなくクリエルフィは判別できる。


 一口啜って味を褒めた後、早速クリエルフィは切り出した。


「この度私は総務局次長より、このリュカバースにて布教活動に従事するよう申し付けられてこの地にやってまいりました。つきましてはカルセオリー伯のご認可を頂ければ、と」


 マルクがスッと箱を取り出すと、アンティゴナの侍従がそれを受け取り、箱を開いてアンティゴナへと見せる。

 山吹色のお菓子もまた貴族の嗜みだ。貴族から許可を得るには当然、菓子の一包みぐらいは携えて挨拶をするのが暗黙の了解である。


 だがそこでアンティゴナは渋い顔をする。


「なるほど、しかし既に当地には地母神教マーター・マグナの支部がございますでしょう。しかもステネルス第二王子の許可も受けていらっしゃる。今さら私の認可は不要なのではありませんかな?」


 アンティゴナの言葉に、クリエルフィは微笑を維持するのに少なくない努力を必要とした。


――ラジィ・エルダート! まさか王族から認可を取り付けていたなんて! 寄る辺のない孤児の癖してあの余裕はそういうことでしたのね!


 一方でアンティゴナの方もクリエルフィとラジィの関係をこれである程度推察したようだ。


――コルレアーニはあの小娘を孤児だと言っていたな……要するにこの二人、いがみ合っていて情報の共有ができておらん。対立関係にある、となるとどちらに付くほうが利があるか……


 お互いに微笑を維持したまま、水面下では出し抜く方法を常に考えている。まさしくどちらも貴族であろう。


「そう言えば、王子の認可には個人名までは書かれていなかった、と私は報告を受けておりましたな。であれば、私はどちらでも構わないのですが」


 アンティゴナからそう切り出されて、クリエルフィはわずかに悩む。現時点でラジィが王子から布教活動の認可を受けているのは事実であり、アンティゴナとしては王子の不興を買いたくないというメッセージが込められている、と推測される。

 アンティゴナの言いたいことはつまり、お前の背後の地母神教マーター・マグナ総務局とやらは、その権威に比肩するのか? ということだろう。


――愚かな。たかが小国の王子ごときの権威がシヴェル大陸を制覇した地母神教マーター・マグナに比肩すると考えているとは。まさに井の中の蛙ね。


 クリエルフィは内心ですっかり呆れ返ってしまったが、だからと言ってここで居丈高に出ることはできない。

 リュカバースにいるのは今クリエルフィとマルクのみだ。権力では比較にならなくても、このリュカバースという地における武力は明らかに相手の方が上だ。

 クリエルフィが応援を呼んでも増援が到着するまで二ヶ月はかかる以上、相手の面子を潰しては身動きが取れなくなるどころか、最悪暗殺すらされてもおかしくはない。


「所詮ラジィ・エルダートは卑しき孤児にございます。まさか王子の寵を受けたわけでもなし、排除してしまえば宜しいだけかと」

「排除する、とおっしゃいますが、私どもが王子の許可を無視して神殿に攻撃を仕掛けるわけには参りませんのでなぁ」


 この狸め、とクリエルフィは軽く苛立ったが、カルセオリー伯の立場ならまぁそう答えるよなとも普通に思ったので、そこは頷くしかない。


――確かラジィ・エルダートは適正判別の時、道場アリーナ適性は最低だったわよね。


 クリエルフィ・テンフィオスは真面目な性格なので、追い落とすべきラジィ・エルダートの適性までちゃんと確認済みだ。

 ラジィとは違ってクリエルフィは書庫ビブリオシカほどではないが、道場アリーナにもそこそこ高い適性を示している。

 加えてラジィ・エルダートは【至高の十人デカサンクティ】の地位を得てからは一度も己の神殿から出てこなかった引きこもりだ。実戦の感もかなり衰えているに違いない。


――ローブにも傷一つ汚れ一つなかったものね。ラジィ・エルダートはこの巡礼でも全く戦闘を行っていない。一対一なら勝てる、勝てるはずよ……! 書庫ビブリオシカとして暴力で圧倒するのはあまり美しくないけど……


 クリエルフィとしては書庫ビブリオシカの才能で自分のほうが優れていることを証明したいのだが、人は目に見えた成果を求めるものだ。

 まずは実力で叩きのめして、こちらに正当性があることをカルセオリー伯に知らしめる必要があるだろう。知識の伝道者としての実力を見せつけるのはその後でも良いはずだ。


「分かりました。ですがラジィ・エルダートは小賢しくも子飼で身の回りを固めているようです。立会人として幾人か騎士をお貸しいただけないでしょうか」

「ふむ、立会人」


 あの教会に集っていた連中は恐らく魔術師の筈だ。数に訴えられたらクリエルフィには勝ち目がない。

 故にクリエルフィも頭数を揃える必要がある。借りられるなら戦力は借りておいた方が良い。


「騎士が戦うのは、あくまであちらが数に訴えてきた時。その認識で間違いないですな?」

「ええ、一対一なら私が負けるはずがありませんもの」


 そう断言するクリエルフィは自信に満ち満ちているもので、


――確かにこの娘もかなりの魔力だ。あの化物と同様にあの小娘を上回っている可能性はある。貴族の出の、次長の娘なのだからな。


 貴族信奉が強いアンティゴナはそう判断した。ラジィに勝るツァディを見ているからこそ、ラジィを上回る地母神教マーター・マグナは他にも複数いる、と推測したのである。


「承知いたしました。では騎士団長を連れて私もご同行致しましょう」

「伯爵閣下御自らですか!?」


 流石にそれは恐れ多い、とクリエルフィは本気で断りを入れるが、


「なに、あの娘には少々手を焼かされたこともありますのでな」


 手を焼かされたどころか失禁して胃液を吐いてのたうち回ったのだが、モノはいいようである。


 そうやって言いくるめられたクリエルフィが去った後のサロンにて、カルセオリー伯アンティゴナはスッと口辺の笑みを消した。


「これからレウカディアが仕掛けてくるというのに身内争いか。これだから僑族はクズなのだ、せめてタイミングをずらしてくれればよいものを」


 清々しいほど身勝手な発言だが、ラジィやウルガータが聞けば「流石リュキア貴族。見事に自分のことしか考えてない」とある意味感心しただろう。

 リュキア貴族とはそういうものだとラジィたちは知っていて、クリエルフィはそれを知らない。リュキア貴族にもシヴェル大陸貴族の常識が通用するとクリエルフィは思っている。


「まあ良い。テンフィオスとやらが勝ったら私がこの手でマフィアを壊滅させ、再び実権を握ってファウスタ小僧めの鼻を明かしてやる」


 しかもラジィが倒れたら自分たちの手でマフィアを駆逐し、今のリュカバースの発展を自分で維持できる、と考えているのが実にリュキア貴族である。

 アンティゴナの中ではあくまで僑族とマフィアは、素晴らしい己の善政を邪魔する羽虫でしかないのだ。


 マフィアがどれだけの活躍を見せても、アンティゴナの頭の中では常にアンティゴナの才はマフィアを上回っている。

 マフィアが努力すれば努力するだけ、アンティゴナの才能は高まっていくのである。アンティゴナのお花畑な頭の中では。


「騎士団長に通達しろ。小娘どもの為にキャットファイトの場を整えてやるぞ、とな」

「畏まりました」


 侍従が消えたあと、アンティゴナはクリエルフィが差し出してきた山吹色のお菓子を手にとってほくそ笑む。これで一つ妻や娘にドレスでも仕立ててやろうか、と。


 ある意味アンティゴナはリュカバース一幸せな奴であろう。世の中の苦労を殆ど負うことなく、実質的に無害だからとラジィたちにカルセオリーの長として留め置かれ、このように私腹を肥やせているのだから。






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