【書庫】対【書庫】候補生

 ■ 169 ■ 正当なる地母神教会リュカバース支部長






 外でする話でもないだろう、ということで礼拝堂に移動すると、騒ぎを聞きつけたのだろう。

 留守番していたフィン、ラオ、アウリス、ソフィアのみならずティナとクィスも既に帰宅しているようだった。


 とりあえず色々語りたそうにしていたので、護衛と思しき男を連れた縦ロール少女を祭壇に立たせて、残りの皆で長椅子に腰掛ける。


「で、誰?」


 そうラジィが問うと、少女ではなくその後ろに控えていた緑髪の男が橙色の瞳をクワッと見開いた。


「下郎、賤しき生まれは口の聞き方も知らないと見える」


 その時点で一同はムッとしてしまうのだが、少女が青年を手で下がらせ、改めてラジィを睨む。


「クリエルフィ・テンフィオス【書庫ビブリオシカ】候補生ですわ。後ろのはマルク・ノファト【道場アリーナ】候補生。マルクはさておき、私と貴方は一時期同じ学舎で学んでいたでしょうに、どうして知りませんの?」


 お前も【書庫ビブリオシカ】ならばそう簡単に忘れないだろう、というクリエルフィの詰問に、ラジィは【書架アーキウム】へと【接続コンタギオ】して該当項目を探るが、


「……いや、本当に誰?」


 ラジィの【書架アーキウム】は該当項目なしと返してきた。


「ッ!! 昔からそうですわ。貴方は孤児の分際で才能を鼻にかけて、私たちなど存在しないかのように振る舞って!」

「存在しない?」


 そこでラジィはようやくピンときたようだ。【書架アーキウム】の禁則項目を一時的に解除すると、確かにその名前に該当する記録はあった。


「ああ。クリエルフィ・テンフィオスね。初対面のセリフが『このような場所に麻薬塗れの汚らわしい浮浪児がいていい筈がありませんわ』だった、家柄を鼻にかけた無知令嬢」

「なんですってぇ!」

「貴様、テンフィオス侯爵家の御令嬢を侮蔑するか!」


 その一言でだいたい周囲の一同はこの両者がどういう関係か嫌でも理解できてしまった。

 孤児出身の【書庫ビブリオシカ】候補生と貴族出身の【書庫ビブリオシカ】候補生では水と油だろう。それこそ石鹸すらなんの役にも立たないほどの。


「で? 家柄だけが取り柄の貴方が一体何の用?」

「何の用はこっちの話ですわ! 私の邪魔をしているのは貴方でしょうに! 私は正式に地母神教マーター・マグナからこのリュカバースに支部を建て、その司教となるよう辞令を受けておりますのよ! それを貴方が!」


 クリエルフィが荷物の中から取り出した任命書を広げてきて、ラジィとフィンでそれを確認すれば、


「……本物ですな。どうやらリュカバースに人と金が集まり始めた故に支部を立てようと考えたのでしょう」

「っちゃー、その可能性は考えておくべきだったわね。ちょっとやり過ぎたかしら?」


 そう、実際のところラジィはちょいとばかり一箇所に留まってやり過ぎたのだ。人と金の集う土地なら大宗教が放って置くはずがない。

 いや、グランベル大陸をよく知る宗教なら、リュキアはガチガチの選民主義的芽蒔神スパルトイ信仰一択だと分かっているので及び腰になるだろうが、シヴェル大陸がメインの地母神教マーター・マグナなら話は別だ。


「やり過ぎた? 貴方、何を仰っていますの?」


 そんなクリエルフィの問いなどどうでもいいとばかりにラジィが無視を決め込んでいるもので、


「えーと、だからこのリュカバース繁栄の筋書きを書いたのがジィってことなんだよ、レディ・テンフィオス」


 クィスがそう説明するが、クリエルフィが返してきた上品な笑みには、あからさまな侮蔑――というより失望が滲んでいる。


「語るならもう少し面白い冗談を仰って欲しいものですわ。政治のせの字も知らぬ孤児出身の、しかもその生活は修行に明け暮れ、【書庫ビブリオシカ】着任後は己の神殿から出てきもしなかった世間知らずに一体なにができると?」


 要するにクィスの言を何一つ信じていないようで、ああだからラジィは最初から無視してたのね、とティナが額を抑えて大きく息を吐く。


「無駄よクィス。その子は自分の信じたいことしか信じないから、言葉は通じても会話は通じないの。そういう生き物だと思うしかないわ」


 そんなジィの指摘にマルクの表情は憤怒と変わり、クリエルフィはきりりと眉をつり上げる。


「偉そうに仰いますこと。第一貴方、【至高の十人デカサンクティ】としてこれまでどのような行動をなさっていますの? 私が評価して差し上げてよ」

「貴方なんかに言う必要はないわ」

「孤児出身はこれだから困りますわ。貴族である私が言え、といったのだから貴方は黙って全てを語ればよいのです。どうせ判断する知能もないので」「黙れ」


 え? と皆がラジィに視線を向けると、ああ。


「たかが候補生、司祭如きが【至高の十人デカサンクティ】に如何なる権限で命令をしているの? 根拠を仰いなさい」


 これラジィは無茶苦茶怒ってるな、と誰もが口を閉ざす選択を迷わず選んだ。

 そも、このメンバーの中でラジィに口で勝てるのは精々フィンぐらいしかいないのであるし。


「孤児の分際で偉そうにお嬢様の――」


 そうマルクが歩み出て腰の剣に手を伸ばした瞬間にはもう、緋紅金剣の切っ先がマルクに突きつけられている。


地母神教マーター・マグナの規範に沿って、巡礼中の【至高の十人デカサンクティ】に命令する権限が一司祭の奈辺にあるかを聞いているのよ」


 マルクがこれ以上動いた瞬間、それが易々とマルクの肉と骨を突き破って背中から現れるだろうことを、誰もが確信した。

 クィスたちもそうだが、何より他の誰でもないマルク自身もまた、疑いなく。


駄犬いぬは黙ってなさい。さっきからキャンキャン煩いのよ。主とその相手の会話に許可なく横から口を挟むのが主の顔に泥を塗る行為だと全く識らない。孤児でも知ってるそんな常識を識らないなんてそれでも貴方は本当に貴族? もう一度マナーを学び直しては如何?」

「ぐ……」


 そうやってマルクを黙らせたラジィは、その舌鋒を再びクリエルフィに向ける。


「で? 貴方が私に命令する権限は何処に有りや。答えなさい【書庫ビブリオシカ】候補生、貴方の【ちしき】はその正当性を担保しているのかしら?」


 そうラジィが指摘すると、【リベル】と【接続コンタギオ】したクリエルフィが僅かに顔をしかめた。


「じゅ、巡礼中の【至高の十人デカサンクティ】が現状において単独での問題解決が難しい場合、【至高の十人デカサンクティ】は状況を展開し、現地の地母神教マーター・マグナ徒の力を借りることが可能と規範にあります。現在の状況はそれに該当するのではなくて?」

「冗談。貴方はリュカバースが順調に発展している、と地母神教マーター・マグナが認めたからここへ赴任したのでしょう? 現状において私にはなんの障害もありません。テンフィオス【書庫ビブリオシカ】候補生の要求は濫用に該当します」

「くっ……【書庫ビブリオシカ】の指摘を正当と認め、要求を棄却します……!」


 クリエルフィは煮え湯でも飲んだような顔でラジィを睨み付け、紡がれる言葉は怨嗟にも等しい。


「ですが、リュカバース支部の司祭としてこの地に封じられたのはこの私です! 【至高の十人デカサンクティ】であろうとこれを覆すことは罷り成りません!」

「覆すつもりはないわ。貴方は司教として布教活動に努めれば良い。私にはそれを止める権利はないし、止めてもいないでしょうに」


 そうラジィが言い捨てると、ようやくクリエルフィは笑顔を取り戻した。


「でしたら、ここから退去なさって下さいませ。【至高の十人デカサンクティ】と言えど、正式にその地に封じられた司祭の布教活動を阻害することは認められません。此処が地母神教マーター・マグナの紋章を掲げている限り、市井はここをリュカバース支部と見るでしょう。これは現地の司祭に対する妨害行為に値する、と指摘します」

「なるほど、テンフィオス【書庫ビブリオシカ】候補生の指摘を正当と認めます。ではリッカルド」


 ラジィがようやくマルクに突きつけていた剣を降ろして、リッカルドにニコリと微笑んだ。


「外、入口の上に掲げている地母神教マーター・マグナの紋章引っぺがしてきて」

『おう! 任せろ!』


 そうやって周囲が呆気にとられている中でリッカルドが入口上に掲げられていた地母神教マーター・マグナの紋章を力ずくで引っぺがして、


『外したぞジィ! これでいいんだよな!』


 地母神教マーター・マグナの紋章飾りを大きく掲げてみせる。


「さて、これで此処は地母神教マーター・マグナの教会とは誰も誤認しなくなったわね。で? 続きは?」

「き、詭弁ですわ!」

「詭弁? 対外的に地母神教マーター・マグナの意匠が何一つない家屋を指差して『これは地母神教マーター・マグナの教会だ、地母神教マーター・マグナに対する侵害だ!』と語る方が詭弁でしょうに。貴方、自分の発言を客観的に判断できないの? それで【書庫ビブリオシカ】候補生を名乗って恥ずかしくないの?」

「ッッ!! 【書庫ビブリオシカ】の指摘を正当と認め、先の発言を棄却しますッ……!」


 クリエルフィから絞り出される声は火山より溢れ出る溶岩のように沸々と煮立っていて、


「宜しい。ああ、でも貴方はこの私の駐留する家屋が地母神教マーター・マグナの紋章を掲げることを己の業務の妨害だ、と指摘した」


 それに対するラジィの声は氷よりも冷たく、感情の欠片もない。


「貴方は現役の【至高の十人デカサンクティ】に地母神教マーター・マグナの紋章は相応しくないと言ってしまったのよ。その事実を【リベル】から消さないようにね」


 喧嘩を売ってきたのはそっちだ、とラジィが指摘すると、仕切り直しが必要と判断したのだろう。


「……今日はこの程度で済ませておきます。引くわよ、マルク!」

「はい、お嬢様」


 そうクリエルフィが言い捨てて大股に教会から去って行けば、残された面々は胸をなで下ろして――いいかどうかすら分からない始末だ。舌戦では勝ったが、相手は貴族である。正面から相手取るのは得策でないことぐらいは誰の目にも明らかである。


 そんな暗雲立ちこめる雰囲気の中で、ラジィ一人が面倒くさそうに長椅子の上に寝っ転がって天を仰ぐ。


「アンブロジオ総務局次長――貴方個人のことは嫌いじゃなかったけど、子供の育て方はダメダメだったのね。仕事の鬼なんかやってるから、ろくに家庭を顧みてる暇が取れないのよ」

「誰? それ」


 ティナの至極当然のツッコミに、ラジィは己の顔を手で覆うことで応えた。


「あの子の父親で、地母神教マーター・マグナ政治部のナンバー2よ。地母神教マーター・マグナの貴族のくせにお供が一人ってことはあの子、巡礼中の私を上回る成果を上げるべくこの地に送り込まれた、ってことになるわ」


 ラジィの五年間の巡礼の旅を上回る成果を期待されて、クリエルフィはこの地に赴任した。

 だが、クリエルフィもアンブロジオも分かっていない。リュキアという国家がどれだけ腐っているかを徹底的に事前調査する前にアンブロジオは娘を支部長に指名し、クリエルフィは従者一人のみしか連れずにこの地に来てしまった。


「ジィより目立った成果って……実力的に無理じゃないかな。あの二人、確かにそこそこ鍛えてるけどさ。ディーやアレフベートさん、サヌアンさんから感じた圧みたいなのがないし」

『うん、俺も今なら分かるよクィス兄。あの二人、ギーメルさんやジィみたいなおかしさがないもん』

「圧倒されないんだよねぇ。何て言うか、まだ只人に留まってるというか、真っ当と言うか」

「何よクィスもリッカルドもティナも。人を寄ってたかって変人みたいに、失礼しちゃうわ」


 口ではそう言いながらも、ラジィとしても三人と同じ意見だ。あの二人はまだ、候補生の域から逸脱できていない。

 確かに素質はあるとラジィも感じたが、まだまだ研鑽が足らない。もっと【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】で修練を重ねるべきなのだ。【至高の十人デカサンクティ】として突き抜ける何かを、まだあの二人は備えていない。


「布教の成果と魔術師としての才能は別に比例しているわけではない。私を上回る成果を出せないってことは無いわよ。あの子が送り込まれたのがここリュキアって腐った国じゃなければね」


 政治部め私を追い出したくて逸ったな、とラジィは思う。アンブロジオはもっとリュカバースの下調べをしてから状況を判断すべきだったのだ。

 その上であればアンブロジオの頭脳なら、あんな善良な・・・・・・娘を、貴族がマフィアより品性で劣る都市に送り込みなどしなかっただろうに。


「何にせよ、これで地母神教マーター・マグナにジィの居場所がバレちゃったわけだよね? ここからどうする?」


 現実的なクィスの問いに、ラジィは首を横に振って応えた。


「どうもしないわ。このリュカバースでルガーの邪魔をする敵は潰す、ただそれだけのことよ」


 そんなラジィの気負いない一言に、改めて一同は理解することとなった。

 ラジィにとって、【至高の十人デカサンクティ】を除いた地母神教マーター・マグナはやはり基本的には敵なのだ、と。






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