■ 168 ■ 闘神の魔術






闘神教アルス・マグナの魔術だが、現在は基本的に三種類の流派に分かれている」


 さて、合間を縫ってブルーノによるリッカルドへの指導の始まりである。

 先日と同じ酒場に同じ方法でラジィ、リッカルド、ブルーノが集っての指導だが、普通の家屋に過ぎないここで把握まで概要を教えるのみだ。

 実践的な修行は、元よりブルーノには実戦してやれないため、魔力操作的な補佐と概要を暗記したラジィが付き添って別の場所で行なう、という手筈だ。


「とは言っても太陽神教アムン・マグナ地母神教マーター・マグナのように得意不得意が顕著なわけではない。あくまで闘神アルスの魔術を使って戦うスタイルとして確立したものだ」

闘神教アルス・マグナは四大宗教の中では群を抜いて古いもの。その完成度は覆しようがなく自然と集束する、ということね」

「そういうことだ」


 歴史が長すぎるからこそ、もう奇を衒う余地が残っておらず、洗練され研ぎ澄まされた結果として三つの流派が出来上った、ということらしい。


「先ずは基本の聖句から行こう。『之が示すは幾多の研鑽、此処に示すは弛まぬ修練。 大死を超えて大活至らば、刃砕けど折れぬが道理。道を切り開け、万夫不当の無銘の刃よ』」


 ブルーノの後に従いリッカルドが聖句を唱えると、どうやら闘神アルス地母神機兵マーター・マキナを武器と認めたようだ。リッカルドの全身が淡い金色の光に包まれる。


『おお! なんか身体が軽く滑らかになってる!?』

「飛び跳ねたりするなよリッカルド、二階の底が抜ける」

『おおっとぉ! ごめん、父さん』


 はしゃいでいたリッカルドがピッと姿勢を正す様に、ブルーノが小さく笑ってみせる。


「これは成功、ってことでいいのよね?」

「ああ。身体強化も発動しているようだ。」

「おお、大盤振る舞いじゃない闘神アルスってば。流石は四大宗教の座を固持し続けるだけはあるわ」


 どうやら武器強化と身体強化が同時にかかっているらしく、ブルーノの見立てではこのままでも、今の身体の動かし方が分かればこれだけで十分に戦力になるとのことだ。


「うーん、ただそうすると問題なのは……」


 ラジィがつかつかとリッカルドに歩み寄り、無詠唱の身体強化を発動して緋紅金剣を鞘から引き抜いた。

 そのまま剣の刃ではなく鎬の部分でリッカルドの腹をぶっ叩くと――


『おげぇっ!!』


 傷一つないはずのリッカルドが腹を押さえてガチャンと膝をつく。


「やっぱり。サヌが実装した痛みの感覚も強化されてるわね」

『そ……そんなところまで……きょうかしなくていいのに……』


 リッカルドは息も絶え絶え(元より息はしてないが)で苦言を呈するが、武器強化と身体強化を同時にかけてしまうような闘神ざつなのが、そんな細かい配慮をしてくれるはずもないだろう。

 地母神機兵マーター・マキナを強化するということは、そこに実装された全ての機能が増幅されるということ。これは利点でもあり大きな欠点でもあるだろう。


『こ、これじゃソフィの盾になってやれねぇじゃん……』

「でも防御力自体もちゃんと上がってるっぽいわよ。割と本気で殴ったのに全く凹んでないし」


 ラジィがパシンと緋紅金剣を己の手の平に打ち付けると、ビクッとリッカルドが立ち上がる。

 ソフィアの身体でラジィと組み手をした後遺症せいかだ。いつまでもしゃがんでいると良いようにやられるという、それは反省であり実体験でもある。


『ジィ、やっぱりこれ要らない機能だったんじゃない?』

「そんなことないわよ。もし地母神機兵マーター・マキナが痛みを感じないと貴方、最悪夜にソフィアの身体で動いてる時も避けない癖がついちゃうもの」


 習慣とは馬鹿にならないものだ。だからこそ武芸者は剣技の型を幾度となくなぞり、それを自らの身体に染み込ませていくのだ。

 いざというとき、どんなときでも普段のように身体が動くように、と。


「言ったでしょう? 痛みは自分が正常であることを知るために必要なバイアスなのよ。痛みがないものは自分の身体が狂ったり壊れたりすることに気付けないのだから」


 そう指摘すると、リッカルドも嫌々ながら痛みの必要性を呑み込んだようだ。

 実際、アレフベートとサヌアンがいない現在、地母神機兵マーター・マキナが大破したら直せる者がラジィしかいないのだ。そしてそのラジィはあと三年もすればシヴェル大陸へ帰ってしまう。


地母神機兵マーター・マキナの全損は貴方の死だと思いなさいリッカルド。ソフィアの盾も大いに結構。だけど限度を超えれば貴方の身体は死ぬのだとね」

「戦というものは基本的にはやられる前にやるものだからな」


 守りに入らず戦え、とラジィにもブルーノにも言われればリッカルドは頷くしかない。


「一つ目の流派はまさにそれだ。強化段階を引き上げて力で押す。ある意味オーエンのジガン流に近い」


 魔力で編んだ神気で武器の利点を強化して切り込む猛攻スタイルだそうで、とにかく攻撃力が高いのが売りらしい。


「二つ目の流派は逆だな。後の先を取るカウンター主体だ。肉体の感覚を鋭敏かつ繊細にして敵の攻撃をいなし、反撃を叩き込む」


 並の身体強化から更に踏み込んで、肌感覚と精密動作性を強化し、微に入り細を穿つ蜂の一刺しを叩き込む。


「三つ目は射撃戦主体だ。ピンポイントで肉体の一部と投擲する矢や石を強化し、射撃の威力を上げる」


 投擲したり射撃したりする石粒や矢に神気を纏わせて打ち出し、遠距離攻撃の威力を弥増すのが第三の流派だそうだ。


「基本的に守勢がないのね」

「ああ、闘神教アルス・マグナは前進制圧のための神教だ。守りに入るものを闘神アルスは讃えない。戦って闘って、そして勝つのが闘神教アルス・マグナ徒だ」


 聖句の時点で薄々察していたが、闘神教アルス・マグナは前のめりに生きる神教なんだな、とラジィは改めて頷いた。

 背中の傷は恥だと考えるのが闘神教アルス・マグナなのだ。前進以外は不要、ただ磨いた技で以て推して前に進むだけが闘神教アルス・マグナのやるべきことなのだ。


 分かりやすく単純明快で、そして強い。更にその特性上人間同士の戦争でもガンガン押して行けて、だけど武器を取り上げれば無力化できる。

 ある意味貴族達にはこれほど扱いやすい神教もそうそうないだろう。


「貴族の決闘で相手の武器を落としたら勝ちになるの、闘神教アルス・マグナが由来なのよね」

「そうだ。闘神教アルス・マグナは貴族の信者が多いからこそ四大宗教として変わらず一大勢力を維持している」

『へぇー』

「聞かれる前に言っておくがリッカルド、私は庶民の出だぞ。ノヴェッラ――死んだ妻は貴族だったが、貴族に返り咲こうとは思わないように。貴族はお前が考えるほど甘くないし、何より残酷で冷酷だ」


 ブルーノ曰く、不要であるはずのソフィアですら、生きていると分かれば何らかの使い道を考えて誘拐する、ぐらいは妻の実家はやるらしい。

 ブルーノから険しい顔でそう聞かされたリッカルドは身震いする。妻が病に倒れてもブルーノが妻の実家に戻らなかったのは、間違いなく戻っても二人が幸せになれることはないと分かっていたからだ。


『俺の実家、クズなんだね』

「人としてはな。だが政権を維持する機構としてのみ見るなら正当にしてしかも強固だ。効率的、とは言いたくないが」

「ここまで体制として続いてきている以上、絶対悪みたいなものはそうそうないものよ。大神教マグナが主導する孤児排斥的態度も、ある意味では総体の健康を維持するためだし」


 孤児とは学がなく、不潔であり、人としての生き方を誰からも教えられていないハイコストローリターンな存在だ。

 全体としての余力に欠ける社会はだから、そういう患部を切除して社会の健康と安定を優先せざるを得ないときもある。貴族が孤児に恩情をかけず常に排除を優先する思考なのは、その名残とも言えるだろう。


「知識として基本的なことはこれくらいだ。あとはエルダート嬢に適時アドバイスをもらいながら、どのスタイルが自分に合うか色々と試してみるといい」

『分かった、ありがとう父さん!』

「ソフィアを頼んだぞ、リッカルド。我が息子よ」

『うん!』


 仕事がある、と先に戻ったブルーノの背中を見送って、


『……なんか、幸せすぎて不安になるよ。俺、ここが俺の人生の頂点で、あとはここから転げ落ちていくだけなんじゃないかって』


 リッカルドがそんなふうに呟くのは、まぁラジィにも分からなくもない。

 ラジィもカルセオリー伯家とコルレアーニのアジトから押収した書物を資料室に詰め込んで篭城していた時には同じことを考えたものだ。


「幸せな時間も不幸な時間も永遠ではないわ。それを永遠にしようと無駄な努力を続けているのが世襲貴族、門閥貴族という連中ね。他人を踏みつけにして搾取してでも、自分の幸せを維持しようとする」

『やな連中だね』

「彼らにとって平民なんてのは踏み潰した靴の裏に張り付く芋虫の死骸でしかないからね。そういう感性でしか生きられない、というのはある意味哀れでもあるけど」

『いや、踏み潰された芋虫のほうがよっぽど哀れだと思うよ』

「違いない」


 ラジィは苦笑して、リッカルドとともに隠し通路を通って酒場を後にする。

 そうして帰宅した教会の前で、


「ッツ! ラジィ・エルダート! 何故貴方がこんなところにいらっしゃいますの!?」


 同じ地母神教マーター・マグナのローブを纏った縦ロール娘に指を突きつけられて、


「ほら、リッカルドが馬鹿なこと言うから転げ落ちちゃったじゃない」

『俺のせいなの!?』


 ラジィの幸せで穏やかな時間は、どうやらこれで終わってしまったようだ。






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