■ 008 ■ ウルガータファミリー

 さてリュカバースの外側で様々な思惑が交錯する中、肝心のラジィ・エルダートはといえば、


「クソが、ティーノがやられた!」

「冗談じゃねえぞ、こんな真っ昼間からカチコミだと?」

「どこのシマかまだ分からねぇのか!?」

「だから地母神教マーター・マグナだって言ってるじゃない」


 リュカバースのとある酒場の地下室へと単身カチコミかけていた。まさに鉄砲玉である。


 金と人が集まる場所には自然と裏の社会が形成される。今ラジィが喧嘩を吹っ掛けているのもそんな組織の一つ。有り体に言ってしまえばマフィアファミリーの一つだ。


「血迷ったか、俺たちをウルガータファミリーと知っての狼藉か!? 以後心安らかに生きられると思うなよ!」

「あら、それは困るわ。私はあと四年十ヶ月はのんびり暮らすって決めてるのに」


 緋紅金ヒヒイロカネの、既に刃が潰れた鈍器化が今のラジィには好都合だ。当たるを幸いラジィは次々と現れる精悍な男どもをボコボコにぶん殴っていく。地下牢の時と違って今は絶好調だ。いくらでも手加減する余裕がある。

 割れる酒瓶、立ち込める血と酒精の匂い、怒りの臭い。倒れる棚にひっくり返る椅子と机。テーブルクロスが踊れば食器が宙を舞い、被害総額は如何ほどだろうとそろそろラジィも怖くなってきた所で、


「おう、そこまでだ」

「下がっててくだせぇお頭! 賊が狙うのはあんたの首だぞ!」


 配下の静止を振り切りようやくボスらしき男が現れてくれてラジィは内心胸を撫で下ろす。


「見ねぇ顔だが何が目的だ嬢ちゃん。命か? 金か? シマか? それとも俺サマの直筆のサインか?」

「その前に自己紹介が必要よね。お初にお目にかかります。地母神教マーター・マグナが神殿騎士、ラジィ・エルダートよ」

「こいつはご丁寧に。俺がウルガータだ」


 軽く唇を歪めたウルガータが目配せすると、配下らしき男がラジィの背後で転がった椅子を起こした。遠慮も迷いもなくラジィがそこに腰を下ろすと、ウルガータもまた転がっている椅子の一つに腰掛ける。

 大の男が身体のそこかしこを抑えて呻いているという周囲の惨状、それを余所にこの二人だけがまるで別世界にいるみたいに無防備で、だからウルガータファミリーの面々は気が気ではない。


「お頭、呑気に座ってる場合じゃねぇでしょう!」

「もうそういう段階なんだよ。そのガキの剣を見ろ。俺たちみてぇな貧乏人にゃ滅多にお目にかかれねえ緋紅金製だぞ」


 緋紅金、と聞いた配下たちが揃ってギョッと目を剥いた。緋紅金といえばその強度もさることながら、含有率の低い粗雑なインゴットですら黄金の十倍以上で取引されることで有名である。ましてや高純度であれば黄金の百倍は下らないだろう。

 そんなものを平然と目の前の少女は振り回している。まさに文字通りの意味で少女とここにいる男たちは格が違うのだ。


「で、ですがお頭、いくら緋紅金製っつってもその剣ナマクラじゃねぇですか」

「だから余計に拙いんじゃねえか。鋼を切っても刃こぼれしねぇ高硬度の緋紅金が何をやったらあそこまでのナマクラになるか、お前らに想像がつくか?」


 配下の男たちは黙り込んだ。実際のところ緋紅金の実物を手にしたことがない彼らには何がどう拙いのか、正確には把握できないのだ。

 情報として普通ならありえない事が起きているのだとは分かるのだが、実感と納得が伴わないのだ。


 とはいえ長年付き合ってきたボスの態度が、否応にも彼らを控えさせる。

 今のボスの気配は、他のファミリーとの会談に望む時のそれに等しい。己の身動き一つすらがボスの恥になる、そんな場の空気が今ここにはある。


「すまねえな、俺ら貧民にはあんたの価値が一目じゃ分からなくてよ。無駄な手間取らせたのは勘弁してくれや」

「構わないわ。私の方も先触れなしでお邪魔してしまってごめんなさいね。無礼を許してくれると嬉しいわ」


 ニコリと笑ったラジィは剣の柄を手放し膝の上に置くと、改めてウルガータを見やる。

 顔によぎり傷のある、場数を踏んだ男の顔だ。髪は短く、服装は身体にフィットした掴みにくい素材のシャツとパンツ。優雅さより質実剛健を優先するタイプの男、現場寄りの男だ。


「私の要件だけどね、単刀直入に言うと今この街では火祭りの準備が進んでいるのよ」

「そいつぁなんかの比喩か?」

「いいえ、文字通りの意味ね。今この街にはそこかしこに可燃物が隈無く、ごく自然に配置されていて、あと警邏の騎士が人口に対してあまりにも少ないみたい。少し部下に見てきて貰ってもいい? ただし、見つけても絶対に面には出さず排除もしないように」


 言うべきは言った、とばかりにラジィがそこで口を閉ざせば、ウルガータに残るのは二択しかない。言う通りにするか、ラジィにここから消えてもらうかだ。

 半瞬でウルガータは決を下した。視線を向けられた配下の一部が、ごく自然な所作で部屋から消えていく。


 統率力も配下の質も、何より頭が悪くない、とラジィは内心でほくそ笑んだ。

 彼我の実力差を正確に読み取れるか否かは生死を分かつ極めて重要な能力だ。これがない奴から死体になるか、あるいは食い物にされてから死体になるしかない。


 無言で待つことしばし。戻ってきた配下がウルガータにそっと耳打ちする。


「あんたの言う通りだそうだラジィ。これはお前さん主催の祭りか? この火祭りで俺に何を踊らせたいんだ?」

「違うわ。私の目的は火祭りの開催阻止、というか謎の火祭り運営の一掃ね。だけど今火種を排除しちゃうと警戒されちゃうから、寸前まで知らんぷりしてて欲しいのよ」


 ラジィにそう提案されたウルガータは黙って腕を組んだ。現状は理解できたが、その裏の流れは全て未だ暗中にある。

 誰が何のために。そしてこの少女は何故それを阻もうとしているのか。語られる言葉は真実なのか。


「ああ、私がこう動くのは私が地母神教マーター・マグナだからよ。火祭りの運営はどうもこの国の人じゃないみたいで、だからこれは人と人との揉め事だけど。市井があまりにも犠牲になりすぎるし、それに気がついた以上私は地母神教マーター・マグナとしてこれを阻むべきと考え、その協力者として幾つかあるファミリーの中から貴方を選んだ。私に語れるのはこれが全てよ。明日また来るから、その時貴方の答えを聞かせてくれると嬉しいわ」


 そうして言うべきは言ったとばかりにラジィは立ち上がると、軽やかにその荒れた部屋を後にする。

 【霊算器マシヌラ・カリキュメトリア】が弾き出した、ラジィの知る範囲でもっとも確度が高い火遊び阻止の選択肢がこれだが、さて。良い方に転んでくれればよいのだが。




 そうして、残されたウルガータは考える。

 余計なおべっかも脅しも自己弁護も一切口にせず、ただ語れるだけを淡々と語った少女とのこの先の未来についてを。


「嵐みてぇな娘でしたが……どうしますお頭、殺るならいつでも行けまさぁ」

「阿呆、行けても帰ってこれねえよ」


 ウルガータは進言してきた部下の頭を軽く叩く。あのラジィとやらの恐ろしさを正しく把握できているのはどうやら己一人らしい。

 部下たちもウルガータ程ではないにせよ、ある程度は死線を潜り抜けてきた筈だが、まだケツに殻のついたヒヨコだと思い知らされた気分だ。

 武器のみならずあのローブ、聖霊銀糸の編み込まれたローブがあのように穴だらけになったということは、同じようにラジィもまた穴だらけになって未だ生きているという証でもある。


「それよりマーター・マグナとやらは何だ、知ってる奴はいるか」


 部下たちの大半と同様に、ウルガータも一応この大陸の生まれだ。この陸地にないものについての情報には疎いが、幸いシヴェル大陸出身の流民が部下にもいたようだ。


「海向こうの宗教ですボス。治療や魔獣退治を盾に金を強請ゆする業突張りの集まりですよ」

「へぇ……向こうじゃ宗教が冒険者ギルドみてぇなことやってんのか。あの娘の行動はそれに則してるか?」

「そうっすね……あいつら人間どうしの戦は基本無視ですが偽善で市井の救助とかはやるんで、まあ則してるっちゃ則してると思います」


 ふむ、とウルガータは顎を擦った。正直なところ、ウルガータは宗教が嫌いだ。あんなのは無意味な縛りを有り難がる非合理な狂信の集まりだとしか思ってない。

 あの娘の存在がその証だ。あの年の少女にマフィアのアジトにカチコミなど、やれてしまうべきではないのだ。それをやらせてしまう力と思考を幼子に植え付けるような宗教にどうして好意的になれようか。


 だが、実利と好嫌は常に分けて考えるべきだ。


「騎士が少ない。火種が多数。これは事実だ」


 要するに、リュキア王国の連中は知っていて火種を放置しているか、あるいはリュキア王国自ら火種を設置している。つまりウルガータたちが被害を被ることをリュキア王国は望んでいるということ――

 いや待て、確か前のテーブル組織会談で第三王子がこの街に視察に来るとどこかのファミリーが言っていたような。


「こいつは一筋縄じゃいかねえな……」


 火祭りの狙いは第三王子か? それの責任をウルガータたちマフィアは押し付けられようとしている? いずれにせよ火祭りなど開かれない方がいいという点において、ウルガータとラジィの望む未来は確かに一致している。

 あとはどれだけ相手を信頼できるかだ。あるいは、どう立ち回ればウルガータはこの状況でファミリーに利益をもたらせるかと言い換えてもいい。


「暴力的ないい子ちゃん、か」


 正直に言えば、ラジィ・エルダートにウルガータはそそられている。あれ程の暴力が味方につけばウルガータは己のシマを更に広げられるに違いない。長く続いた中堅ファミリーの地位からも脱却できるかもしれない。

 だかあれは神の信徒だ。盲目なる神の僕だ。宗教をコントロールしようとして大火傷した連中など挙げれば枚挙に暇がないほどだ。


――愚かな負け犬の後に自らの意思で続くかウルガータ、ええ?


 魅力的だ。だから誰もが失敗してきた。

 欲に目が眩み博打に手を伸ばして命を失った連中のリストに、ウルガータは自らの名を自らの手で書き込もうとしている。

 だが、


――堅実なだけではうだつが上がらねぇ。いつか何処かで博打をやらなきゃなんねぇんだ。


 それが十年近くこのリュカバースでマフィアをやってきたウルガータの結論だった。

 堅実なだけじゃシマを維持するのが精一杯だ。ここより上を目指すなら、全てを失う覚悟がないと無理なのだと。


 だが、そんな博打で勝てるか否かを最後に決めるのは運だ。頭角を現せた奴は努力も相応にしているだろうが、何より運がよかったのだ。世界は運で回っている。結局は運のいい奴だけが得をするのだ。

 ラジィは数あるファミリーの中からウルガータを選んだと言った。ならばこれがウルガータにとってのツキと言わずして何と言う?


 マフィアのアジトに乗り込んできたということは、それぐらいしか頼る伝手がないと明かしたも同然。ならばラジィのリュカバース最初の伝手にウルガータがなってやればいい。

 そうすればラジィに話をするには先ず俺を通せ、と主張できる程度の立場は得られるだろう。目論み通り上手く行くとは限らないが、先ずは目論まなければなにも始まらない。


「いいぜ、乗ってやろうじゃねぇかラジィ・エルダート」


 【至高の十人デカサンクティ】が一柱、【書庫ビブリオシカ】ラジィ・エルダート、これにて巡礼開始二ヶ月にしてマフィアとの共同戦線である。

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