■ 009 ■ 火がつく前の鎮火活動
「さて、では共同戦線を張ってくれるということで情報を共有しましょ」
火祭り前日の晩、ウルガータの行きつけだというパブに集まったラジィとウルガータ、そして、
「こいつはブルーノ、ブルーノ・レンティーニだ。他のファミリーのシマで動かなきゃいけねぇからこっちも影響力が必要なんで引き込んだ。構わねぇだろ」
「裏社会の力関係までは私には分からないし、貴方が必要だと感じたならそのように。ラジィ・エルダートよ、宜しくね」
一見して優男に見える青髪が黙って顎を引くように頷いた。無駄口を叩かない男のようだが、ラジィとしても自分を見て子供がどうとか言いださないなら十分だ。
だが貸し切りになっているパブのテーブルにバサリとラジィがお手製の地図を広げてみせると、流石に二人の顔が僅かに強ばった。
地図というのは機密情報だ。無論、国の地図に比べれば街の地図は比較的容易に作れるものだが、この街に来てからたった二日の少女にそれが成せるのは明らかにおかしいだろう。
両者ともラジィの身辺調査は既に終えている。入管に金を掴ませて、ラジィがまだこの街に来てたった二日しか経ってないことは既に承知しているのだ。
「こいつぁ、ラジィよ」
呻くウルガータに、ラジィは一本立てた人差し指を己の唇に当てて軽く目配せする。
「聞きたいことは分かるけどまだ手の内は晒せないわ。私たちはこの火祭りを鎮火するための一時的な協力関係でしかないのだもの」
「承知した。出所は聞くまい」
ブルーノが低いバリトンで即座に応じ、ウルガータも頷いたので改めてラジィは二人の前に地図を押し出した。
「今やリュカバースには巧妙に日常風景を装った火種が用意されていて、その総数は計二百八十にも上るわ。謎の敵は本気でこの街を火の海にしたいみたいね」
ますますウルガータ、ブルーノ両名の顔の彫りが深まっていく。ラジィの地図には両者が部下を使って調べた以上の火種が記されていて、要するにラジィの調査能力は両ファミリーのそれすら超えると覚ってしまったからだ。
「これから敵の戦力を逆算すると、人数は最低で四十人ほど。全員魔術が使えるわね。多分リュキア王国の騎士平均より強い、手練揃いよ」
「その根拠は?」
「火種の数と配置間隔からの算出。本気でリュカバースを火の海にしたければ、騎士団による鎮圧活動を上回る速度での放火が必要になるわ。ま、全ての火種に一刻以内で火を付けないと無理ね」
平時における騎士の人数と警邏範囲を想定して、リュカバース駐屯騎士が仮に動いたとしても火消しが間に合わない延焼速度を確保する為の最低限が、今ラジィが挙げた戦力だ。
今この街の駐屯騎士は引き上げているらしいが、火祭りの主催者にとってこれを計画した時点ではそれは知らなかったと仮定し、そこは想定から外してある。
火種の設置間隔の癖から、だいたい一人頭が受け持つ着火数は把握できた。一人につき六つか七つ。故に火種の総数から投入人員は割り出せる。
松明を持って走り回ればこれから火を付けます、私が放火犯ですと言っているようなものだ。故に火種は隠す必要があり、しかし火種が小さければ燃え広がるのに時間がかかる。であれば魔術での着火が前提だろう。
「火種には火薬も仕込まれていたし、結構組織力の強い連中が主催者みたいね」
「火薬か……」
この時代、火薬はかろうじて存在するもののその性能は低く、しかも市井には出回っていない。当然、マッチのような便利な着火道具などこの世にはまだ存在していない。
火打ち石に火口が全盛の世において、火薬などというものの作成法は秘中の秘。庶民どころかウルガータたちすら容易に手に入るものではない。ましてや作ることなどとても無理だ。
この時点で他のファミリーがこの火祭りの主催者という線はほぼ消えた。これだけはウルガータたちにとって安心であり残念でもある。
「最低四十人からなる魔術の使える精鋭を、限られた時間で正確無比に動かせる自信がある。ま、真っ当な組織よね」
そう、野盗やチンピラ崩れでは組織だった行動は難しい。このように一糸乱れぬ行動が必要な計画を立てられる時点で、それは群れの長に対する信頼が厚い真っ当な組織ということだ。
「……相手はリュキア騎士団か?」
「もしくは隣国の騎士団かのどちらかが最有力ね」
ラジィがマフィアなんぞに伝手を求めたのはそれが最大の理由だ。【
騎士団が糸を引いている可能性がある以上、ラジィは闇社会を頼るしか無かったのである。いくつか確認できたファミリーの中で戦力があり、かつ騎士団と癒着している可能性が低めだったのがウルガータ、ということだ。
「エルダート嬢、私たちの役目は?」
「主催者は恐らく民が寝静まった深夜に事を運ぶでしょう。だから貴方たちの仕事は明日、日暮れと同時に全ての火種に水をかけて回ることね。どこに敵が潜んでるか分からないから闇夜に紛れて、細心の注意を払って」
前日、もしくは昼間にそれをやってしまえば主催者にそれが知られてしまうし、火種が使用不能と判明するのは遅ければ遅いほどいい。よって日暮れから深夜までに三百近い全ての火種を処分する必要がある。
中々の難題だ、と両者は呻いた。自分のシマなら何とかなるが、日暮れ後に他のファミリーのシマへ兵隊を向かわせるのは他のファミリーに対するあからさまな挑発行為だ。最悪、組をあげての殺し合いになる。
「実行犯が判明次第、手当たり次第に私が仕留めていくけど、人手が足りないから手伝ってくれると嬉しいわ」
そうは言うものの、相手は国の暗部を任される精鋭だろう。マフィアの兵隊にはあまりラジィも期待はしていない。暗殺できたらして欲しいな、位の感覚である。
「ラジィよ、お前さん
「今この街にいる
そう、ラジィに兵隊はいない。なのにこの情報収集能力だ。そこが両者にとってはあまりに不気味だが、今それを気にしても仕方ない。
「なぁラジィよ、これを実行すると俺たちは他のファミリーに目を付けられることになる。奴らの面子を潰したってな」
前もって他のボスたちに周知しておけば、一応は顔も立てられる。だが、仮に騎士団と癒着しているファミリーに情報が渡っては全てはおじゃんになってしまうかもしれない。
黒幕はこれだけ周到にリュカバースを潰そうとしているのだ。火祭りが無理となれば諦めて手を引く? まさか。別の手段を考えるだけだ。
つまり黒幕の頭か手足を潰さねば以後永久にリュカバースは狙われ続けるわけだし、何としてもこの不意討ちで徹底的に裏をかきその手足を潰すのが最上だ。
それはウルガータもブルーノもよく分かってはいるのだが――お客様であるラジィと違って両者はこの地でこれからも人付き合いをしていかねばならないのだ。生き残れればそれでいいというわけではない。
「分かってるわ。要するに、これが終わった後に貴方たちに飛んでくる火の粉をたたき落とせって、そういうことでしょ?」
マフィアの面に泥を塗ったなら必ず報復が飛んでくる。それを潰すことを、つまりマフィアの安全を守ることをラジィは求められていて、ただそれは仕方ないかなとラジィは既に納得している。
ウルガータを提携相手に選んだのも、ウルガータが
「ただ、私には兵隊がいないから貴方たち二人を同時には守れないって、それは理解しておいてね」
「ああ」「承知した」
この後に及んで下らない
ショットグラスにウルガータたちはウィスキーを、ラジィには果実の絞り汁が用意され、カチンと縁をぶつけて三者は中身を飲み干した。
後はただ、己に任じられた責務を果たすだけだ。裏切りは死を以て報いられることだろう。それがマフィアの流儀というものだ。
§ § §
そうして、運命の日のお天道様がお隠れし、世界に闇の帳が落ちた後。
「よし、行くぞ」
「応!」
ウルガータ、ブルーノファミリーの兵隊たちが活動を開始する。
「やぁロッサーナ、少しいいかい?」
兵隊の一人がある住居のドアを叩けば、うら若き乙女がそっと、警戒するように扉を少しだけ開く。
「あらティーノ。なぁに、私が恋しくなっちゃった?」
「いつも俺は君が恋しくて仕方ないさ。だけど今日はそうじゃなくてね、ちょっとバケツ一杯の水を借りたいんだ」
「……はぁ?」
どこに主催者の目があるか分からない。だから兵隊もあからさまにバケツを手に走り回ったりはしない。己のシマなら住人にも顔が利くから、知り合いから水もバケツも借りられて、
「じゃ、また後でな、愛してるよロッサーナ」
「はぁ」
こっそり用意されていた可燃物に水をかけては次の目標へと移動する。
住人が味方である両者のシマはこのような流れでほぼ一掃できたが、問題はここから先だ。
「おぅ、テメェ、ウルガータんとこのじゃねぇか。こんな夜中にバケツなんか抱えてなんだぁ? 賤しくも肥の回収か?」
「悪ぃが相手をしてる暇がねぇんだ。アンニーバレの旦那に宜しくな!」
夜の街はマフィアの世界だ。そこに飛び込めば当然のように対立が生じる。
わざわざ領域侵犯を犯し、しかもバケツを抱えて木材や木箱に水をかけて回っているのは――こいつら何なんだとシマの主が訝しむのは当たり前だ。
「関係ねぇ、やっちまえ!」
「クソが、異常な行動には異常が付きものって察しろよ脳筋が!」
幾人かの兵隊は他のファミリーから逃れられずあちこちで抗争が始まるのはまぁ、分かってはいてもラジィたちからすればもどかしい。兵隊を潰されるウルガータたちからすればもどかしいを超えて歯ぎしりものだ。
だがそんな三者の煩悶も無駄になっているわけではない。草木も眠る深夜を前に一つずつ、確実に火種は潰されている。
「じゃあ、私も出るわ」
高台にある公園のガゼボにて、ことの推移を見守っていたラジィが椅子から立ち上がった。
黒い服に身を包み、白い髪をシニヨンにして黒いバンダナで隠した黒ずくめの夜間迷彩仕様のラジィが少し迷った後、腰の二刀から
「ああ。俺はここに残るが必要に応じてブルーノは出る。闇夜の戦だ、同士討ちには気をつけてくれよ」
「了解!」
ガゼボにウルガータと茶器を残し、ラジィは闇夜へと身を投じた。
「【
【
月の光なきリュカバースの町並み、その屋根上を身体強化を駆使して跳ぶように走り抜けたラジィは、
「一人目」
その速さのまま屋根を蹴って斜めに中を滑り落ち、火種に火を放つも燃え上がらない事実に驚愕していた男へ
あっさりと刈り取られる意識。人影が膝をつくより早くにラジィは石畳を蹴って転進、次の容疑者候補へと走り出す。
【
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