■ 010 ■ 燃えよリュカバース

「何故だ、何故火の手が上がらない?」


 ノクティルカ騎士団特殊第四部隊、通称【改編部隊】隊長であるランベール・ジュオーは港に停泊する船の一隻上でキツく拳を握りしめる。

 部下たちはもうとっくに行動を起こしている時間の筈だ。だというのに作戦開始時刻を経過してもどこからも火の手が上がらない。

 内心で何故、を繰り返していたランベールはしかし指揮官である以上、仮設の本営であるこの商船から離れることができないでいるが――それも限界とばかりに腰に佩いた剣を確認したところで、


「隊長!」


 船乗りを装った部下が必死の形相で桟橋に向けて走ってくる。

 公共の場だ、船長と呼べと言っただろうにと内心でランベールは怒鳴りかけたが、その怒気が不安からなる己の八つ当たりであることぐらい承知の上だ。黙って部下の呼吸が整うのを待つ。


「どうした、マチュー。何があった」

「前もって準備しておいた火種が潰されてました。一つじゃありません、私の担当分全てがです」


 その一言でランベールは本作戦の失敗を覚った。作戦が誰かに洩れたか、あるいは看破されたのだ。


「……隊長、まさか我々の中に裏切り者が?」

「早まるな。無闇に味方を疑う段階ではない」


 部下を諫めつつ、ランベールは思考する。変だ、とは彼も思っていたのだ。どういうわけかリュカバース守備隊がここ数日、あからさまにその数を減らしている。

 その意味するところを量りかねていたが、情報を集めた結果、近々第三王子が視察に来るというではないか。隣国の第三王子が第一、第二王子に疎まれているという情報は当然特務部隊を率いる隊長としてランベールも知っていて、だから第三王子への嫌がらせだと思っていたが――


――リュキア王家に我々の行動が見抜かれていた? では庶民に扮した騎士がいるのか?


 妥当な推論ではあるだろう。ノクティルカにランベールたちがいるように、リュキアにも特務騎士団が存在していてもおかしくはない。

 それが潜伏してランベールたちの裏をかいたと思えば辻褄が合う。だが、だとすれば一体何がリュキア王家にランベールたちの侵攻を信じさせたのか――


「はあっ、ゲホッ、な、なんとか間に合った……まだ燃えてないわね」


 突如としてランベールの意識は脳内から現実に引き戻された。船体下方から聞こえてきた、確かに聞き覚えのある女性の声。

 だが、だがしかしその声の持ち主がこんなとこにいるはずはない。他人のそら似だとしか思えないが、まで考えて、ランベールの頭の中に稲妻のような冴えと赫怒が迸った。


 桟橋に這い上がってきた、茶色の癖っ毛をしとどに濡らしたメイド服姿の少女は――ああ、やはり間違いない。

 下方に視線を向けたランベールと、その少女の視線が交錯する。ランベールの怒気を前にしても一歩も引かないその、見た目とは裏腹に極めて強硬な覚悟。


「フォンティナリア様……」

「やはり貴方ね、ランベール。今すぐリュカバースより兵を引きなさい。如何な理由があろうと宣戦布告も無しに他国の街を壊滅させてよい理由はありません」


 そうはっきり言い切ったのは、リュキア王国首都、リュケイオン王城内にてフォンティナリアの侍従を務めていたアウリスである。


「護衛のアウリスも付けずに単独でここまでいらっしゃったのですか……!」


 そう尋ねながらも、ランベールにはもうその裏が予想できていた。

 故に、声音に怒りが滲み出てしまう。


「アウリスは今フォンティナリアとしてリュキア王国首都に留まり、人目を引きつけてくれました。私はその忠義に応えねばなりません」


 古典的な手段だ。リュキア王国首都でステネルス第二王子と面会したフォンティナリアの方が護衛兼侍従のアウリスで、侍従に扮していたのが本物のフォンティナリアなのだ。

 ノクティルカ一族におけるフォンティナリア・パダエイ・ノクティルカの持てる価値は極めて低い。それは親より受け継いだ魔術師としての実力が微妙であるのみならず、その容姿があまりに地味でパッとしないことも一因であろう。


 なにせ護衛のアウリスの方がよっぽどノクティルカの姫に相応しい威厳と凜々しさ、美しさを備えているのだ。

 知らないものが見れば、ましてや服装まで変えられていれば誰もがアウリスの方をフォンティナリアだ思ってしまう。


 写真などない世の中である。隣国の、しかも肖像画すら描かれず表舞台にも出てこない少女の顔など、他国の者に分かるはずがない。服装、態度、肌や髪の質から判断するしかないのだ。


「我々を! 祖国のために尽くす我々をリュキアに売ったのですか! 仮にもノクティルカの名を持つ貴方が!」


 もはや船長のフリなどかなぐり捨ててランベールは叫んだ。どんな非難や中傷にも祖国のためと耐えることができたランベールではあったが、こんな裏切りには流石に耐えられなかった。

 最新の予言の内容も知らされないようなノクティルカ一族の落ちこぼれが、子供じみた正義感でランベールを売ったのだ。あまりの理不尽さに怒りで脳髄が焼き切れそうになる。


 もし手の届く距離にフォンティナリアがいたなら、ランベールは己が抜刀したという事実をフォンティナリアの死後に知ることとなっただろう。船上と桟橋、それだけの距離がかろうじてフォンティナリアの命を救った。

 だが、それも僅かな時間稼ぎに過ぎない。


 ランベールは荒れ狂っていた。今リュカバースで待ち伏せの兵に討たれているであろう部下たちの為にも、この行動力だけある無能を切り捨てなければとても正気など保てない。

 そうランベールが桟橋へ飛び降りようと船縁へ手をかけたところに、


「ステネルス第二王子は第三王子が襲撃に巻き込まれて消えれば港町一つが潰れてもなお良しと仰りました! 民の殺害では済みません、リュキア王族殺害の責任を貴方たちは押しつけられるのですよ!」


 フォンティナリアの叫びに反応して、ランベールの知性が急速覚醒した。荒れ狂う情動に冷水を浴びせて憤怒を鎮火していく。


――第三王子が襲撃に巻き込まれて? 港町一つが潰れても?


 話が合わない。港町一つを潰してでも第三王子を殺したいというなら、じゃあ此度の襲撃を阻害しているのはリュキア王国ではない?


「……姫様、その言葉はノクティルカの名に誓って事実ですか」

「私の魔術を忘れましたかランベール! 誓って事実です。第三王子が死ぬ確率が高まるよう、第二王子はわざとリュカバースを手薄にすらしています。何なら僑族を貴方たちが皆殺しにしてくれれば好都合とも考えているのです!」


 ランベールの殺意がたちまち雲散霧消していく。フォンティナリアがランベールたちの動向をリュキアに伝えたのは事実だろうが、代わりに得た情報もまた極めて重大な意味を持っている。

 フォンティナリアの魔術は優れた嗅覚と聴覚だ。それが得た音と匂いの情報は他の者の証言より一割、いや三割増しほどは信頼が置ける。


――我々の策を邪魔した相手はリュキア王国ではない? では一体誰が……


 そうして、二度目の雷鳴の如き閃きがランベールの思考に火を付けた。リュキア王国第二王子が死んで欲しいと語った者。それ即ち第三王子と、そして僑族・・だ。フォンティナリアの言葉に答えは全て含まれていた。

 そう、なんてことはない。誰かの陰謀とかそういう難しい話ではなく、単に小賢しい庶民が火種に気が付いたと考えればいいだけのこと。


――ぬかった、たかだか移民のゴロツキ如きに足元を掬われようとはなんたる迂闊!


 ランベールは握っていた剣の柄を船縁に叩き付けた。その無駄な暴力行為によって怒りを散らし、意識を立てなおさんとばかりに再びリュカバースへと視線を向けようとして、そして――


 恐らくは報告に来た部下であろう二人目の人影がランベールの視界の端に映ったが、何かがおかしい。

 まるで糸でも切れたかのようにその人影が桟橋近くで倒れ伏して――その背後に、いや、今や桟橋に影? 黒い、影?


「ちょっとどいててね」

「えっ!? ヒャアアアアアッ!」


 そしてフォンティナリアが横っ飛びに吹っ飛ばされ海へと落ちていくすぐ隣より閃き迫るは――真紅の剣だ!

 遮二無二に己の剣を叩き付けることでランベールはかろうじて己の命を繋いだ。考えての所作ではない、身につけた反射と生存本能がランベールを救ったのだ。


「隊長!」

「挟み撃ちにしろ!」


 先に報告に来ていた部下には目線もくれずに、ランベールは甲板へ着地した襲撃者へと目をやった。

 バンダナからわずかに覗く白い髪に、蒼珠のように透き通った瞳。早すぎて影にしか見えなかったそれは子供、そう、まだ十五にも満たないであろう少女だ。


「辿り着いたわよ。貴方が指揮官ね? 何が目的か知らないけど無辜の民を焼き討ちにするのはやり過ぎよ! 地母神マーターがお許しにならないわ!」


 闖入者のその説教に、ランベールは聡くも相手が何かを理解した。知識としてのみであるが学んだことのある地母神マーターという言葉、それを崇める者は何者か。


「余所者が我らの戦の邪魔をするな地母神教マーター・マグナァ!」

「えぇ……庶民の焼き討ちを戦と称するのは流石に厚顔無恥すぎない? って思うの私だけなのかな……」


 そんな辟易した口調とは真逆に、ランベールの刃を易々弾いて反撃と振るわれる切っ先は神速。殆ど理性の介在しない反射神経によりランベールはこれを辛くも避けられたが、


「隊長はやらせんぞ!」


 そう部下が少女へ斬りかかってくれなければ返す三の太刀をランベールは防げなかったろう。

 ノクティルカ国騎士の精鋭であるランベールですら二合打ち合うのが限界というほどの狂刃に、ならば己の部下は何合打ち合える?


「おぉおおおおっ!」


 配下へ二の太刀を振るおうとする少女にランベールは果敢に斬りかかった。己が二合、部下が一合。二人がかりの挟み撃ちでもこれが限界だ。

 この連携が崩れた瞬間にランベールたちは負けるなど何という悪夢か。それを成すのはよりにもよって己の半分も生きてないであろう未成年の少女で、しかも腰にはまだもう一振りの凶器が残されている。


 これは悪手だとランベールは瞬時に覚った。暴力では確実に押し負ける。使命と責務を秤に乗せて、ランベールは瞬時に覚悟を決めた。


「これは祖国のために必要なのだ! その内に竜を宿すという何者かをここで仕留めねば国が滅びるのだよ! 地母神教マーター・マグナともあろうものが亡国に寄与するか!」


 情でもいい、理でもいい。どちらでもいいから言葉でこの地母神教マーター・マグナを止めなければ己も部下も使命を果たせずここで死ぬ。

 故に他国には明かせぬ秘密をも惜しげもなく開示すると、どうやら多少は響くところがあったらしい。少女が僅かに圧を緩める。


「そういうことね。誰なのか分からないけど殺さなきゃいけない奴がいる。そう、そういう断片的な情報に基づいて動くなら焼き討ちしかないかぁ……ようやくしっくりきたわ」


 少女が矛を収めかけた今が勝機と、ランベールは意気込んだ。ここを押し切らんと慎重に言葉を選びながら口を開く。


「左様、国の存亡がかかっているのだ。この街の民を軽んじるつもりなど――ないとは言えぬが、一都市と一国では死なねばならぬ者の数があまりに違いすぎる! 看過できぬのだ!」

「ないとは言えないんだ……正直な人ね貴方。ちょっと憎めないわ」


 むぅ、と年頃の子供らしい声音で呻いた少女が、しかし非難の籠った視線でランベールを睨んでくる。


「それにしたって一都市丸々皆殺しはないわ! その竜とやらが国を滅ぼすって誰が決めたのよ。呪い? 伝承? 予言とかなら鵜呑みにしちゃダメよ、ああいうのはだいたいがいい加減なものなんだから!」


 それはそうだろう。ノクティルカの秘中の秘を知らないものからすればやはりランベールの行いはやり過ぎだ。

 だが流石にランベールとて予言について詳しくはは語れない。万が一『書』が失われてはノクティルカはそれこそ予言の成就を待たずにお終いだ。


「ほら、ちょっと落ち着いて理性的に考えた方がいいと私思うのよ。そりゃあかかってるのが国の存亡なら必死になる気持ちも分かるわ。でも誰か一人を殺せば皆が救われるとか、そんな都合のいい世迷い言に大の大人が飛びついちゃ駄目よ」


 腹立つくらいの正論に、ランベールはどう返したものか言葉につまる。この凄まじい暴力を誇る少女はその一方で根っこが極めて真っ当だ。

 力でそのまませり勝てるのに、何とかランベールを説得しようとするその態度からもそれは窺える。言っている事はフォンティナリアと同じなのだが、此方は外国の民だ。それほど怒りも湧いてこない。


 そもそもランベール自身、神子の予言が疑いなく実現してしまうと知らなければ、汚れ仕事に手を染める改編部隊の存在など倫理に悖ることをよく知っていた。

 ランベールはノクティルカの忠臣だが狂信ではない。祖国のためにそれが必要だからやっているだけで、確かに多少は早まっているかもしれないが、この判断は理性に基づいたものだ。


「これが最後のチャンスなのだ。災厄の足取りを追えるのは今日この時のみ。今日を過ぎれば目標の大まかな居場所すらも我々は見失ってしまう、今日やるしかないのだよ!」

「ああそっか、日時が指定されているから準備が終わっていても実行が今日固定だったのね。うーん、大の大人が盲目的に信じこんじゃう予言ってウチより宗教的だわ……」


 私ですら地母神教マーター・マグナの教義をそこまで信じられないわ、と少女が嫌そうに眉をひそめた。

 少女の中でランベールたちは謎の予言を信じる狂信者、という扱いになってしまっているようだ。それがあながち間違いではないから、ランベールもまた内心では頭を抱えたい心持ちである。


 どうやら詰んだか、とランベールの理性が冷静に状況を把握した。

 神子の存在を少女に信じさせられなければ、ランベールの言葉は根拠のない与太話で終わりだ。だが秘中の秘についてはランベールは口が裂けても他国民には伝えられない。

 できれば勢いで押し切りたかったが……この少女、その凄まじい戦闘能力と果敢さに反して思考は冷静で地に足がついている。あまりにも決断に迷いがないから脊髄反射に見えるだけで、状況に流されるようなことはないのだろう。


「国を背負っているなら投降を呼びかけても無駄よね。はぁ……また私ってば魔獣じゃなくて人を殺すのね」

「殺害が嫌なら引けばよかろう。ここの民の死は君の責任ではないし、君ぐらいの年齢で命の駆け引きを行なうのは早すぎる」

「五歳の頃から殺し合ってるし、今更よ」

「……凄惨な人生だな」

「寄る辺なき孤児の人生なんてだいたいそんなものよ、騎士様」


 もはや言葉で語る時間は終わり、とばかりにランベールは剣を構え直す。勝ち目は薄いが、皆無ではあるまい。

 少女もまた一瞬で思考を切り替えて聖霊銀の剣に持ち替える。その滑らかさたるや、歴戦の武人であるランベールが思わず見惚れるほどだ。


 そうして、僅かな物音が再激突の引金となるであろう張り詰めた空気の中で――


「え?」「何?」


 少女もランベールも示し合わせたように視線を同じ方向へ向けた。

 火の手が上がってる。リュカバースの一角、荷揚げした商品の保管庫と思しき家屋に火の手が上がっている。

 だがおかしい。保管庫なんて引火しやすいものがたんまりある放火しやすい場所など、真っ先に火種は潰されているはずだ。

 両者ともに理解不明、と夜闇に目をこらして――


「は?」「まさか――」


――ギャオオオオオオオオオオオン!!


 海からのそりと這いだしてきたそれが、まるで怒りのような咆哮を上げる。

 咆哮を上げて、湯気を上げて、身体を海から引き摺りあげてリュカバースの地を踏みしめる。


 全身を鎧う真紅の鱗。

 鶏冠と一体化した硬質の鬣。

 長く踊る太い尾に、ずらりと並んだ乱杭歯。

 闇夜に輝くは宝玉の如き緑色の瞳で、しかしその直径は少女の胴体ほどもある――


「あれが国の礎を打ち砕かんとする竜なのか!?」

「え、うそ? 本当に竜が出てくるの!?」


 竜だ。紛う事なき巨体を誇る竜である。

 あまりに予想外の展開に、咄嗟に少女もランベールも身動きすら忘れて闇夜に雄叫びを上げる赤竜を見やってしまう。


 リュカバースの混乱は、どうやらもう一幕用意されていたようだ。

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