■ 059 ■ ウルガータはもう怠けられない




 結果として、ウルガータはラジィとシェファに全額ベットした己を信じ、それは正しく報われる結果となった。


「……随分と人が増えたな」


 これまでは薄暗く死の気配が漂っていたペントラ区には、今や活気が華開いていた。

 シェファがリュカバースじゅうの下級娼婦を支配下に置き、このペントラ区とブルーノのクルップ通りに割り振ったため、通りの一階では孤児たちがせっせと紡績をしたり機織りをしたり染めをしたりと忙しく働いている。


 娼婦がいれば服がいるから布と糸、皮はどれだけあっても足りはしない。装飾品も作るから鉄工や細工師も必要だ。

 純粋に人が増えたから空き家も修理が必要で木工、屋根工は休む暇もなく、生きるためには食事が必要だから飲食店や酒屋、パン職人も二人目、三人目の親方が店を開いている。


 これまで下級の街角娼婦がリュカバースの各地に落としていたみかじめ料は、その全てが今やウルガータやブルーノの懐に入るようになった。

 まだこれまでの投資を全回収するまでには至らないが、それも時間の問題だろう。


 実際ウルガータから見ても、通りで談笑している少女たちの仕上がりは、元街角娼婦のそれとは思えないほどに上質だ。

 肌理細きめこまやかな肌に赤く瑞々しい唇。ガサガサで骨張っていた以前の姿からは想像も付かない麗しさ。


 彼女らの表情には自信と安心が満ち満ちていて、ウルガータを見かけると礼儀正しく頭を下げた後に、愛嬌として秋波を送ることも忘れない。

 生気もなく、人の顔を覚える以前に声が聞こえているかも分からないような半死体じみた過去など、影も形もない。


 街はにぎやかで蝿も鼠も見当たらず、娼婦以外の誰もが額に汗して真面目に働いている。日が暮れれば娼婦たちが一斉に動き出す。

 街中には私服のソルジャーもそれとなく紛れ込ませているが、ラジィの子飼いから見習いマフィアになった警邏隊が火種はすぐに処分してしまうので殆ど燃え上がらない、というのが日課の報告だ。




 他の中堅ファミリーがウルガータたちの真似をして失敗している、という話はウルガータの耳にも届いている。

 ラジィによる完璧な信賞必罰がない、という点を差し置いても彼らが一人として成功できていないのは、偏に安価な労働力である孤児たちを全部ウルガータたちに難民攻撃として押しつけてしまったからだ。


 孤児とて人なのだ。全体のパイを増やすためには人がいなければいけないのに、他のボスたちはその孤児ひとを役立たずと自ら放逐してしまった。

 それではパイが大きくなるわけがない。生の生地を、食えないからと焼く前に捨てたようなものだ。


 経済活動に組み込まれていないものを組み込むことが目的なのに、彼らはそのもっとも必要なピースをウルガータたちにくれてやってしまったのだ。

 それでは新たな雇用など生み出すことができるはずもない。結果として孤児を見捨てなかったラジィの判断が正しかった、ということだ。


「どうだいルガー、見事なもんだろう」


 娼館の花形用、と裁縫師ルイゾンが取り出してきた反物を見せられて、再びウルガータは軽い頭痛に襲われた。

 布地の手触りもそうだが、それより何と深みのある紫色の染めだろう。ここまで深く美しい染めができる染料がこの街にあっただろうか?


「ジィが集めてた貝の中に紫の染料を分泌する奴がいてね。ただ量が取れなくてさ、持続性を考えるとせいぜい年に一着が限度。だからこれを纏える奴がこの新色町の頂点さ」


 今やペントラ区とクルップ通りは纏めて新色町と呼ばれている。この色のドレスを纏うものが、その新色町における女王だと一目で分かる布だ。

 娼婦たちはこぞってこの色を目指して切磋琢磨するだろう。男のウルガータですらそう思ってしまう。


「お前は着ないんだな」

「私が着たらヒヨッコどもじゃ勝負にならないからね」


 若干茶化したようにシェファが笑う。それはそれで勿体ないとウルガータは思うが、シェファはもう裏方として娼婦たちを監修する方が楽しくなってしまっているようだ。

 じゃあなんであんな痛い思いして容姿を取り戻したんだよ、馬鹿か? と思わないでもないが、多分それは触れない方がいいに違いないとウルガータの首筋がヒヤッと警告してくる。


「ラジィにも使わないのか。あいつが見つけた染料なんだろ?」

「女神様はお洒落に興味はないみたいだね。フルールが色々頑張ってるけど今のところ空振りさ」


 何でもブルーノ側の裁縫師フルールに気に入られたラジィは、ドレスを着せられては延々首を横に振るといった状況にあるらしい。

 地母神教マーター・マグナのローブしか着ようとしないラジィにどうお洒落させようか、最近のフルールは仕事の合間にあれこれと改造お洒落ローブを仕立てているのだそうだ。


 ご愁傷様、と少しだけウルガータは溜飲を下げた。

 あのガキも少しは女らしくなれば少しは大人しく――なって貰ってもそれはそれでウルガータとしては困るのだが。




「嫌がらせの襲撃が来そうな前兆があったわ」


 ラジィがウルガータかブルーノの元を尋ねてくる時は必ずこの一言がついてきて、そしてその予言は今のところ九割方当たっている。

 残りの一割は、想像だがウルガータたちが歓迎の準備をしていることを察知され、襲撃を諦めた例だろう。


 ラジィからの忠告がない襲撃もあるにはあったが、それはだいたいウルガータたちの平時の備えで対処できる範囲であり、


「エルダート嬢は自分に頼り切りにならないよう、気付いていながらあえて黙っていることもあるのだろうな」


 ブルーノがそう下した判断に、ウルガータも完全に同意である。

 自分に頼り切りになるな、と。ラジィは多分そう言っているのだとなんとなく分かるし、同時に僅かばかりの恐怖をも感じる。


 ラジィがティナやクィス、それのみならず孤児たちの面倒を見ている時にもウルガータは似たような匂いをかぎ取っていた。

 物理的ではない、精神的な匂い。それが何かを、ウルガータはよく知っている。知っているから恐怖を覚える。


 これは死神の影だ。当然、他人を殺して回る存在という意味ではない。

 明日自分の命が消えてなくなることを受け入れている、孤児や下級娼婦から日に日に失われつつあるこの匂いを、しかしラジィだけはずっと失うことなく纏い続けている。

 ラジィは自分がいなくなることを前提として行動していて、その「いなくなる」は必ずしもラジィが自分の意思でリュカバースを去る、という意味に留まらないということ。


 それが、ウルガータにもブルーノにもどうしても許しがたい。


「それはあの子が孤児だったからだろうね」


 シェファも交え、ブルーノと三人で杯を交わしたある晩に、シェファがそう推測を二人に展開した。


「あの子の心は今もまだ裏路地にあるのだろうさ。ジィは私たちを信用はしていても信頼はしていないからね」


 そう、時折ウルガータが「こいつ俺たちのことをサイフか何かと思ってるんじゃないか」と感じるのもそのせいだ。

 用いてはいても、頼ってはいない。それがシェファのみならずウルガータたちにとっても口惜しい。

 悔しい、許しがたいのだ。


「多才な子だよジィは。だから私はこうも思うのさ。『あの子は何でも出来るから一人でいるのか、それとも一人だから何でも出来るようになったのか』ってね。二人はどっちだと思う?」


 ウルガータとブルーノは押し黙った。そのどちらでもあるような気がするし、どっちでもないような気もする。

 ただラジィはその人当たりの良さに反して、何一つ自分のことは語らない。他人のことは積極的に理解しても、他人に自分を理解させない。


 ウルガータたちが知っているのはラジィが地母神教マーター・マグナの神殿騎士で、知識の支援職だということ。これだけだ。

 それ以外は何一つとして、ウルガータたちはラジィのことを知らない。ある意味クィスよりもティナよりも謎の存在なのだ、ラジィ・エルダートという少女は。


「何にせよ、あんたたちがしっかり守ってやんな。無論、身体じゃなくて心のほうをね。それすらやれないならあんたたちはマフィア以前に大人として失格だって忘れるんじゃないよ」


 シェファの言うとおりだろう。戦力的にはウルガータたちにはラジィは守れない。魔術師と一般人という関係にとって、これは現前とした事実だ。

 ならばせめてラジィがここでの生活を楽しいと思える環境を整えてやるくらい、やってみせねば男が廃るというものだ。




      §   §   §




「同盟を組まねぇか? いや、同盟って程じゃねぇな、そう。相互不可侵って奴だ」


 話がある、と隣接するシマのボス、チャン・ロンジェンが面会を求めてきて、開口一番に切り出してきた話がそれだ。


「俺はもうそっちのシマに手を出さねぇからそっちもこっちを攻めるなって話さ、どうだ?」

「ハッ、手持ちの護衛を潰されてビビったかよ」


 ウルガータとしては憤懣やるかたなしといった話だ。なにせこの前ラジィを襲った、海神オセアノス魔術師の雇い主がこいつで、今もそいつを背後に護衛として控えさせている。

 だから当然、ウルガータも今は背後にラジィを控えさせてのこの、会談の場だ。


 ついでに言えばこのチャン、ウルガータのシマに自分のところの孤児を押しつける件にも一枚噛んでいる。

 自分は散々攻撃しておいて、それが通用しなかったから同盟を組もうとは実に調子のいい話だが、


「いんや、お前のとこにシェファがいるだろ? あいつを攻撃したくないだけさ」


 真面目腐った顔でチャンがそう言えば、ああこいつもシェファに面会を許されていた一人だったな、とウルガータは思い出す。


「ならこの前、こっちにガキを押しつけてきやがったのはどういう了見だ、ええ?」

「そりゃ人助けに決まってるだろ? そっちはガキを上手く使えるみたいだしな。実際助かったろうが」


 冗談じゃない、とウルガータはチャンを睨み付ける。あくまでそれは結果論であって、こちらにシェファがいるのが分かっているのにチャンはウルガータを攻撃したのだ。

 実際、チャンもそれで逃げ切れるとは思っていなかったようで、肩を竦めて再度口を開く。


「潰すならドン・コルレアーニが動く前に、って思っただけさ。ドンがシェファを殺さねぇって保証はねぇしな」


 そういうことか、とウルガータは怒りこそ収めないものの納得はした。

 ウルガータがドンと戦って負ければウルガータファミリーの幹部連中は縛り首だろう。だがその前にウルガータが倒れたなら、幹部をどうするかは倒した者次第だ。


 故にウルガータを倒すなら早めに、とチャンは手を打ち、しかしチャンにはもうウルガータは倒せないと分かったために手を引くと、そういうことらしい。

 結局のところ潰そうとしたが駄目だった、であることに代わりはないのでやはり業腹ではあるが、


「いいだろう。ただし条件がある」

「なんだ?」

「前に円卓テーブルでラジィを侮辱したこと、ここで謝罪して貰おうか」


 ウルガータはそれを以て禊とすると決めた。敵は少ない方がいい。その方がラジィの負担も減るのだから。

 それに比べれば自分の怒りなどいくらでも呑み込むべきものでしかない。


 一方で予想もしない交換条件を出されたチャン・ロンジェンは僅かに困惑した。

 図々しいことを言っているのはチャンの方なのだ。ある程度譲歩や金は必要だろうと思っていたのだが――


「テメェはラジィを馬鹿にした。そいつをほったらかしにしておいたら俺の名誉が穢れるってもんだ。で、どうするよ。俺はどっちでもいいぜ」


 謝罪するか、それとも潰すか。いずれにせよそれでチャンが放った侮蔑はこの世から綺麗さっぱり消えてなくなる。

 そうウルガータに問われて、


「会談の場でウルガータごとき・・・の愛人呼ばわりしたことを、どうかお許し願いたい。淑女レディ


 チャンは恭しくラジィに頭を垂れた。もっともついでにウルガータをコケにすることはちゃんと忘れていないが。

 一方でマフィアの頭を下げさせたラジィとしては困ってしまう。組織を統べる男の頭は軽くはないのだ。


「ええと、これ、私が許すって言っていいの?」


 そうラジィがウルガータにおずおずと聞いてくるが、当然。


「ラジィに許す気があるならな」


 最初からウルガータはそのつもりだ。取引などするつもりはない。単純にチャンに謝罪させることだけが目的なのだから。


「元から別に気にしてなかったというか忘れてたんだけど……まあいいわ、許します」

「感謝する、淑女レディ


 チャンが頭を下げたこともあって、ウルガータファミリーとロンジェンファミリーは相互不可侵、ということで話がついた。

 彼らが退席した後に、


「ねぇウルガータ、あんな条件よりもっとお金とかお金とか、お金を引き出すとかもう少しやりようがあったんじゃないの? お金とか」


 ラジィにお金お金と連呼されてウルガータは笑った。確かに金は必要だ。だがお金で買えないものもある。


「いいんだよ。あいつが自分の非に対して頭を下げられる男か否か、それが分からなきゃ手も組めねぇだろ」


 非を認められない男との約束なんぞクソの役にも立たねぇ、と言えばラジィも納得したようだった。


「それもそうね。あと一応お礼を言っておくわ。ありがとう、ウルガータ」

「気にすんな。確認のついでだ。あとルガーでいい」

「なんか急にウルガータが優しくなって気味が悪いわ……はっ、さては私の身体が狙いね?」

「最初からそうだったろうが。もっとも求めているのは戦闘力ゴリラの方だが」

「ゴリラ言うな」


 両者は不満そうな顔を見合わせ、そして小さく破顔した。


「これで均衡が崩れ始めた。これから忙しくなる、覚悟しておけよジィ」

「お手柔らかにお願いしたいわ」




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