■ 058 ■ ウルガータだって怠けたい Ⅱ




 娼婦の統括としてシェファがウルガータのシマにやってきた効果は、流石は一度高級娼館で頂点に上り詰めた高級娼婦クルチザンヌと言うべきかすぐに現れた。


「仕立屋ギルド所属、ケクラン工房のルイゾンと申します。以後お見知りおき願います、頭領カポ・ウルガータ」

「同じく仕立屋ギルド所属、フラーラ工房のフルールです。以後頭領カポ・レンティーニのお世話になります」


 製パンや木工ギルドが送ってきた新米親方ではない。高給娼館にも出入りが許されていた名うての裁縫師が二人、ウルガータたちのシマに工房を開いたのだ。

 腐っても一度は奥方と呼ばれたシェファの影響力に最初はウルガータも喜んでいたのだが、それもつかの間。


「……おい、何だあれは? バルド」

「はい、エルダートのクソガキが海藻と貝を集めてるみたいです」


 スラムのガキたちが何故かせっせと海藻及び貝をクロップ通りへと運び込み始めた。

 他のボスたちがラジィの人道支援に目を付け、自分たちのところの孤児をウルガータたちに押しつけてきた直後のことである。


「迷惑かけて悪いわね。余所から来た子たちの維持費は私が出すから、引き続きこれまで通りの支援だけお願い」


 とラジィが身銭を切る宣言をしたことと、最近はやることが増えてソルジャーの采配が複雑になってきたためあまり気にも留めていなかったが……


「流石に食事が足らなくなったか?」

「どうでしょうね。娼館では海藻食が推奨されていると聞きましたが」

「……海藻ってあれ、食えんのか?」

「シェファ奥様曰く、髪艶をよくするのにいいそうですが。まぁ俺は食いたくないですね」


 ああ、美に対する執念な、とウルガータは一度は納得して、その後日常の光景になった海藻及び貝集めのことはあまり気にしなくなった。

 ラジィが港湾の管理官から港湾清掃を請け負った、という報告をあげてきたため一応頭の片隅には置いておいたが、その程度である。


 何だかんだでシェファが教育した底辺娼婦たちはそこそこ稼げるようになってきたようで、


「夜の街におけるソルジャーの配備を詰めておきたいの。協力して貰えるわよね?」

「ああ、稼げる相手を守るのは俺たちの仕事だからな」


 ラジィから夜の街に立つ娼婦を守れる人員の配置を求められ、これにはブルーノもウルガータも真面目に対応した。

 みかじめ料を払ってる相手を守らないマフィアに存在価値などない。見限られて他のファミリーのシマに逃げられるのがオチなので、これは真面目に検討する。


 孤児をメッセンジャーにするというラジィの案は正直ウルガータたちにとってはありがたかった。

 隅々まで娼婦たちだけのために目を光らせる余裕はまだ二人にはないから、これは随分とソルジャーたちの負担軽減に寄与してくれる。


「ティーノ、現場はどうだ?」


 実際に現場でソルジャーの指揮を執っている右腕ティーノに尋ねても、


「はいボス。孤児共は安価で真面目に働きますし、警備要員を交代で休ませられるので正直かなりありがたいですね」


 ラジィの子飼いである孤児たちは怠けず真面目に働くので、ティーノからの反応も悪くない。

 左腕であるバルドはラジィに対して「こっちの都合を考えない金遣いの荒いクソガキ」という偏見が入っているが、ラジィと距離を取らせているティーノはそこら辺はフラットだ。

 ティーノがありがたい、と言うなら孤児を連絡員に使うのは悪くないということなのだろう。ならばゆくゆくはシマの全ての職人に孤児を一人ずつ配置するのもよいかもしれない。


 実際、孤児たちはウルガータやブルーノが驚くほどに礼儀正しくなった。

 ウルガータやブルーノの姿を見かけると、


頭領カポだ!」

頭領カポ・ウルガータが来たぞ、お前ら全員礼だ!」

頭領カポ・ウルガータ! いつもありがとうございます!」

頭領カポ! この前は本当に助かりました!」

頭領カポ、妻と一緒に新しい調理パン考えてみたんです、お一つ食べてみて下さい」

頭領カポ、寝ていきませんか? 頭領カポならいくらでもサービスしちゃうから!」

頭領カポ、一杯サービスしますので呑んでいきませんか?」

頭領カポ!」


 それぞれがそれぞれのやり方で敬意を見せるし、その瞳には明らかに尊敬の色が窺える。

 お前何やったんだ? とウルガータがラジィに聞いてみても、


「貴方たちの給料はウルガータとブルーノが払ってるって言ってるだけよ?」


 別に特別なことはしていない、と言わんばかりの返事が返ってくるだけだ。こうなると逆にこそばゆくもある。


「でもあの子たちが貴方たちを尊敬しているのは、二人がちゃんと非常時にソルジャーを派遣してくれているからよ。そこ、裏切らないでね」


 そうラジィに釘を刺されればウルガータも兜の緒を締め直すが……マフィアとしてやるべき事をやるだけで敬意を払われるのは流石に初めての体験すぎて据わりが悪い。


 様子を見にウルガータが娼館、シェファの元を訪れてもそうだ。

 底辺娼婦たちがウルガータに対し長年の部下のように頭を垂れる。シェファの教育かティナの教育か、その仕草はウルガータが感心するほどに美しい。


「そう気にすることはないさ。あのらは底辺だったからこそ、守られることに過剰な喜びを示すってだけの話だよ。ありがたく受け取っときな」


 シェファにもそう窘められ、そういうものかと納得しかけたウルガータの横を、洗い終えた洗濯物を抱えた孤児が通り過ぎるが――何かがウルガータに違和感を抱かせる。

 何がおかしいのか、まで考えて、


「おい、ちょっと待て。それはなんだ?」


 ウルガータに声をかけられた少女は深々と頭を下げた後に、


「はい! 頭領カポ・ウルガータ! どれのことでしょう!」

「その桶の中にある棒状のそれだ」

「はい! 頭領カポ・ウルガータ! これは石鹸です!」


 ものすごい真面目な顔で、ウルガータに理解できない返事を返してくる。

 石鹸? 石鹸というのは柔らかくて匂うものであるはずだ。それが何だ? 孤児が桶に乱雑に放り込んでいる固体は――それが、石鹸だと?


「その、石鹸はどこから手に入れた?」

「はい! 頭領カポ・ウルガータ! ジィから渡されています! 毎日これで服を洗えって!」


 ウルガータの頭は真っ白になった。

 知識として、匂わない石鹸があるのはウルガータも知っている。だがそれは一部の貴族たちが使う高級品の筈だ。

 それがなんだ? 下級娼婦の服を洗うためにジィから渡されている? どれだけ散財すればあのクソガキは気が済むのか!


「……もういい、行け」

「はい! 頭領カポ! 失礼します!」


 孤児が去った後、その場に残るのはシェファのクツクツという笑いだけだ。


「心配なさんなルガー、あの石鹸はジィが作ったものさ。かかっているのは孤児の人件費だけ。無駄な散財はしちゃいないよ」


 ウルガータの頭は再度真っ白になった。


 状況が理解できない。貴族が高値で購入するような匂わない硬石鹸をラジィが作っていて、それを下級娼婦の為に毎日垂れ流していると?

 あまりにイカレた現状に頭がおかしくなりそうだ。その辺の素材からアミュレットを作られ渡された時もそうだったが、今回の衝撃はそれに比肩するだろう。


「売れるだろ、売れよ」


 その程度のことぐらい分かんだろ、とシェファに詰め寄るが、シェファは呆れたような顔を作って肩をすくめるのみだ。


「売れないよ。生産量はそう多くないんだ。売ったら私の可愛い娘たちが身体を洗わなくなる」


 ウルガータは正気でいられず頭を掻き毟った。


「いいかよく考えろシェファ、なんで底辺娼婦が毎日臭わねぇ石鹸で服と身体を洗ってんだ、どこをどう見てもおかしいだろうが! 貴族にでもなった御心算おつもりかよええ!?」


 どう考えたって、下級娼婦のみかじめ料より臭わない硬石鹸を売った方が利益になる。しかもそれが小量とはいえ、孤児を働かせるだけで作れるというなら尚更だ。

 金の価値も分からない底辺共が、金の塊を毎日服にこすりつけて水に流しているのだ。ウルガータからすれば狂気の沙汰だ。金を毎日せっせとドブにばらまいているようなものだ。


「船員から病気を貰わないための対策だそうだよ」

「は? 底辺娼婦の生死よりよっぽど金策の方が重要だ! 正直に言うがな、俺たちのシマはもう割とギリギリだ。お前やラジィが金使いすぎてんだよ!」


 確かに少しずつみかじめ料は増えている。だがまだそれ以上に出費が続いているのだ。

 善行? 金がかからないなら大いに結構。だがそれができるのはウルガータたちに金が残されている間までだ。


「冷たいことを言うようになったじゃないか。ええ? ルガー」

「裏社会で生きるのに冷酷さが足りないと言ったのはお前だ、シェファ!」


 そうだ。そうシェファが言ったのだ。ウルガータは甘過ぎると。だからマフィアに向いてないと。


「ハッ、だったらとっとと麻薬に手をつけなよ。何を良い子ぶってんだい?」


 そう言い返されたウルガータは押し黙る。


 全くシェファの言うとおりで、だからウルガータは未だに芽の出ない中堅ファミリーの一つでしかない。

 マフィアにとって何よりも儲かるのは麻薬だ。それは誰の目にも明らかな事実である。


「私は前に言ったはずだよルガー、あんたには冷酷さが足りないって。麻薬に手を付けずに裏社会でコルレアーニファミリーに勝てると思ってるのかい? そういう甘い夢は寝てから見るもんだよ」

「……」


 そうとも。ウルガータだって分かっているのだ。ウルガータとブルーノは自ら、もっとも稼げる手段をあえて無視している。

 だが、それに手を出してしまっては――


 言葉を紡げないでいるウルガータの腰へ、そっとシェファが労るように腕を伸ばす。


「やりたくないんだろ? 分かってるさ。だからルガー、お前は裏社会では決してコルレアーニには勝てない。勝ちたければ別の方面から攻めるしかないんだよ」

「……これが、そうだと?」


 ウルガータが呻くように言うと、そうだとシェファは頷いてみせる。

 ハッタリではない。確信に満ちた瞳がそこにはあった。


「そうさ。コルレアーニは不健康をばらまいて金を吸い上げてる。奴の強みは誰もが認めているが、究極的にはあいつは誰にも慕われていない。孤独なドンさ」

「……だが、強い」

「そうだ。あいつは強い。麻薬で吸い上げた財で武装してるからね。ならお前がコルレアーニに勝てる手は一体何だい?」


 そう指摘されずとも、ウルガータは分かっているのだ。

 ウルガータの手元にあるカードの中で最強のものは一体何なのか。


「分かるだろ? ジィを手放したその時が、お前の勝ち筋が消える時だ」


 ラジィ・エルダート。地母神教マーター・マグナの魔術師。ウルガータが持てる最強の手札。

 アミュレットや薬に硬石鹸など、どう考えても普通には出てこないものをホイホイ作り出せ、かつ肉弾戦においても並の魔術師を圧倒する英才。


「お前はあの子にベットし全額張ったんだろ? もう別の勝負を挑む余力はない。勝ちたければこれで行くしかないんだ」


 そうだ。ウルガータは知っている。

 堅実なだけじゃシマを維持するのが精一杯だ。ここより上を目指すなら、全てを失う覚悟がないと無理なのだと。


「もう一つ私はあんたに言ったよねルガー、信用は何よりも重要だと。あんたはそこそこラジィに信用されてる。それを裏切るんじゃないよ」

「俺に出来ることは子守りだけたぁ、泣けてくる話だな」


 ウルガータはそう自嘲したが、


「馬鹿が、麻薬に手を出してない時点でお前さんは永久に子守役だよ。何せあれは未来を潰す薬なんだからね」


 そうシェファに優しく窘められ、ウルガータは降参した。

 そうとも。ずっとウルガータは子守役だった。ブルーノを仲間に引き入れた時も、ラジィを引き入れた時も。

 ずっとそれがウルガータのやっていること、それだけがウルガータのやっていることだった。


 それだけをずっと、これまでウルガータは必死になってやってきたのだ。


「……本当に、黒字になるんだな?」


 シェファは勝ち気に笑った。高級娼婦クルチザンヌの、鑑賞されるための顔ではない。野心剥き出しのギラギラした勝負師の顔だ。


「絶対はないさ。全力を尽くす、それだけだよ」


 博打で勝てるか否かを最後に決めるのは運だ。頭角を現せた奴は努力も相応にしているだろうが、何より運がよかったのだ。

 世界は運で回っている。結局は運のいい奴だけが得をするのだ。


「そうだな。くだらないことを聞いた」


 ウルガータはラジィに全額張ったのだ。ならばそれが勝つことを最後まで信じるしかない。




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