■ 085 ■ グラナ
「これまで散々苦しませて悪かったなぁアラセリ。ようやくだ、ようやくお前に生きる意味を与えてやれる。だからアラセリ、俺の力になってくれるよな?」
「ええ、ええ、グラナァ……グラナグラナグラナグラナグラナぁ、ようやく私に見せてくれるのね、運がよかっただけのクズが無様に死んでいく様を見せてくれるのよねぇ!?」
アラセリ、と呼ばれた女性は明らかに尋常じゃない表情で恍惚とグラナを見やる。
そんな娘にグラナは然りと頷いて、麻薬に侵されやせ細った女の身体を強く抱きしめる。
「ああ勿論だ。たまたま運がよかっただけのくせに表社会で偉そうに御託を並べるクズは俺が始末してやる。だからアラセリ、一緒に戦おう。俺とお前でやるんだ」
「ああ、ああ、グラナァ! そうよ、私と貴方でやるのよね! そう、そう、そうだわ! 私は貴方の家族だもの!」
麻薬の多幸感に支配された女は手渡されたナイフを握りしめ、迷わず己の喉をかききって、その場に倒れ伏す。
「……すまねぇアラセリ。生きている間にお前を幸せにしてやれる力がなくてすまねぇ。せめて見ていてくれ。お前の死で俺が為すことを見守っていてくれ。お前の命が、傲り高ぶった魔術師どもを殺す一部始終をさぁ」
その命尽き果てたアラセリの死体が、まるでクィスの竜化が解除された時のように光の粒子となって分解され、グラナの身体に吸収されていく。
「すまねぇ、すまねぇアラセリ。お前も生きている間に意味を持ちたかったよな。力無き俺と
牢の中で膝をつき、グラナはアラセリのために涙を流す。
グラナはその生の意味を誰にも認められなかった人々を愛している。自分も、そうだったから。
§ § §
何一つ才を持たず、生きる意味など与えられず、求められず、ゴミのように死んでいくありふれた孤児のはずだったグラナは、
「お前には才がある、魔術の才がある。ならばこの歴史に葬られし
飢え死にしかけていたところを師に救われ、九死に一生を得た。
「望みを継げ、我ら
人の倫理観というのは変化していくものだ。古い時代に常識だったものが、時代が移るにつれて非常識になることはままある。
だが、人の常識が変化しても神から魔術を引き出す術は変化しない。どれだけ野蛮だ、前時代的だといわれても
神は、魔術の根幹は、それがこの世に降臨した時から不変なのだ。人の在り方がどれだけ変わろうと、神の在り方は変わらないのだ。
「だが、本懐を忘れるなグラナ。近代的と称される神の魔術は対価が緩い代わりに出力も低い。古の魔獣が復活せし時に戦えるのは我らだけなのだ。
その為に力を示せ、有用性を示せ。
そう語った、既に年老いていた師は、最後にグラナの力となってその命を捧げ、そうしてグラナは自分が知る限り唯一の
だが、グラナが想像していた以上に、現代という世は
「は? 魔術を使うのに生け贄が必要? そんな魔術は聞いたことがないぞ!」
「適当な事言いやがって、お前まさか隣村に雇われて俺たちを殺しに来たんじゃないだろうな」
「冗談じゃないわ、どうして魔獣如きを殺すのに私が犠牲にならなきゃいけないのよ!?」
数多の神々が幅をきかせている社会において、出力は並外れているものの生け贄が必要な
だからグラナは二度目の喪失を味わうことになる。
只人を超えた魔術師になったところで、結局のところ社会は自分を必要としていない、という絶望。人類という種への失望。
信仰を絶やさなかった師がどれだけ信心深く人の行く末を憂いていたか、グラナには想像すらできなかった。
グラナという魔術師を、この世は全く必要としていない。
この世に生きる善良な人たちは、魔獣よりグラナをこそ悪と断定し、その存在に向かって石を投げるのだ、と。
グラナを苦しめる原因は何か、を徹底的に追求するなら、恐らくはグラナを
もうこの世界は
社会というのは移ろいゆくのだから、当然「もう不要となった神と信仰」だって当然発生しうる。
一度麻の服を着たなら、もうイチジクの葉には戻れない。戻りたくない。戻る意味がない。それが人というものだ。
それを認めようとせず、
だが、そんなことまでは年若くして
やらなければいけないことは人を救うこと。自分と同じ否定されるもの、求められないもの、消えて欲しいと思われている者たちを救済すること。
そして
グラナの最初の救済は忘れもしない、ある貧民街で麻薬に溺れて金欲しさにグラナへ襲いかかってきた、ニキという名の女性である。
男に捨てられたと。
その男はずっとニキに愛をささやきながら別の女性と関係を持っていて、ニキから財産を絞れるだけ絞った上にニキの名で融資まで受けて、ニキの前から消えたらしい。
男の行方を追い続けたニキはようやくその居場所を突き止めたものの、既に男は地位を固め終えていて、借金塗れのニキは門前払いされ、もう会うことすらままならなくなっていた。
「ニキよ、もし君がその命を捧げたら、その男を殺せるとしたらどうする?」
「そりゃあ殺すわよ、決まってるじゃない。もう私には何もないの! あるのは私のものじゃない借金だけよ! 薬に逃げるしかない私には他にできることなんてないんだからねぇ!」
「分かった。なら俺がそいつを殺してやる。お前の命で、俺がそいつを殺してやる。だからニキ、その命を俺と
「……いいわ、どうせもう私が頑張って生きてもどうにもならないんだし。たとえ言葉だけの嘘でも、私の心を掬ってくれた貴方に全てを捧げるわ」
ニキは麻薬の多幸感に酩酊したまま首を掻き切りその命を断ち、グラナはその命で以てニキを騙した男を殺し、その妻たちを纏めて麻薬漬けにした。
何も知らないなら放置しようかと思ったのだが、複数いた妻たちは、ニキのことを知っていて、馬鹿な女と笑っていたからだ。
そうしてグラナは貧民街の救世主になった。
救われなかった人、貶されてきた、落ちぶれたことでもう自分を陥れた者に対する復讐だけが人生の全てになっている者たちを、徹底してグラナは救済していった。
弱者を救済し、その弱者を食い物にしていた強者に鉄槌を下す。
だが強者というのは富めるものだ。支配者層だ。そして支配者層は金があるから、
「進め、今宵残虐な殺人鬼をなんとしても仕留め、街に平和を取り戻すのだ! 騎士団の本懐を遂げよ!」
「応!」
グラナは数の暴力に押されて撤退せざるを得なかった。
瞬間火力ではグラナに勝る魔術師はいない。だが貧民街を一掃され家族を失い、毎夜毎夜追い回されればグラナは手も足も出ない。
魔術の長所と短所は常に表裏一体なのだ。瞬発力はあるが持久力と面制圧力に欠けるのが
グラナは住み慣れた街から逃げ出さざるを得なくなった。この流れを何度も繰り返し、五つ目の街を追いやられたグラナはいよいよ理解した。
社会体制側に付く魔術師は己の敵だと。己の救済を邪魔するものだと。
そうしてリュカバースに辿り着いたグラナは、まだドンではなかったコルレアーニと意気投合した。
「所詮は金さ。金があれば領主だって騎士団だって買収できる。ここの貴族は身内での序列争いが厳しいからな。いい家格の家と婚姻関係を結ぶには金が必要になる。その傾向が強すぎるから金に貪欲だ」
「金はいらねぇ。俺は弱者を救済しなきゃならねぇんだ。俺の救済を支援しろ。そうしたらお前の敵は全て俺が消してやる」
「いいとも。だが領主と騎士団の関係者は最後まで狙うな。それをやるのは私がこのリュカバースの裏社会を掌握してからだ」
「……いいだろう」
グラナはコルレアーニと組み、コルレアーニの敵を公開処刑し弱者を救済していった。
公開処刑は時々でよかったから、合間合間にグラナは他の都市、他の国にも弱者を救済しに行った。
ただフラッと訪れた先では滞在時間の短さからあまり信用されず、また巨大神教が幅を利かせている土地では、やはり数の暴力には単独では勝てない。
やはり、現時点におけるグラナの居場所はコルレアーニの側にしかないのだ、と。
グラナは理解せざるを得ないし、それで困ることもない。
この世に悪と欲がある限り、グラナが救わなければならない相手は延々と増え続けるのだから。
§ § §
「ごめんな、リッカ。お前も生きている間に幸せになりたかったよな。救われたかったよな。死の今際にしか救いをもたらせない力無き俺と
そう、救済を続けては号泣に目を腫らせていたグラナの肩に、そっと手が乗せられる。
振り返ればそこに長年の相棒がいて、しかしそれはグラナにとって不思議である。
コルレアーニはグラナの救済に理解を示してはいたが、自身は興味がないから地下牢に降りてくることは一度もなかったのに。
「王手をかけるぞ。お前が救済と処刑にしくじった、とウルガータの奴らが噂を流している。そのせいで他の連中がお前を舐め始めてきたようだ」
ウルガータ、という名はグラナにとって、もはや一人の救済対象と二人の仇を想起させる以上の意味を持ってはいない。
「ラジィ、そうだ俺は油断してラジィを救ってやれなかった。あの子は俺が絶対に救ってやらなきゃいけなかったのに。驕ってたんだ俺はよぉコルレアーニィ。情けねぇ、なんて情けねぇんだ、侮られて当たり前だろうがよぉ、なぁコルレアーニィ」
「お前が良くても私が困るのだよ。グラナ、出撃だ。ウルガータを叩きのめす前に、私とウルガータの漁夫の利を狙っている上位ファミリーの頭を潰してこい。もう余計な邪魔は懲り懲りだろう?」
当たり前だ、とグラナは頷いた。あと少しだったのだ。あと少しでラジィを救ってやれたのに、想定していない魔術師が横槍を入れてきて他の家族まで理不尽に奪われた。
これ以上他の魔術師に邪魔されてたまるものか。このリュカバースで魔術師を擁する組織は、ここでまず一掃しておく。ドンの利とグラナの利は一致している。
中堅ファミリーには魔術師を温存しておける余裕はない。だから、上位ファミリーを徹底して叩き潰す。それが今のグラナに必要なことだ。
「リュキア騎士団は? 本当に懐柔できてんだろうなコルレアーニィ? お前が殺すなっつってるから殺してねぇが、あいつらはクズだ。あいつらを恨んでる家族も少なくねぇんだぜコルレアーニィ」
そうとも。コルレアーニと組んでなければグラナが真っ先に殺したいのが選民主義に囚われ僑族をゴミとしか見ていないリュキア貴族なのだ。
家族の大半が、リュキア騎士に利する行動を取りたくないと考えたまま死んだ。即ちリュキア貴族を殺し尽くすならさておき、リュキア貴族を守るためにはグラナは力を振るえないということでもある。
「もし横槍入れてきたら有無を言わせず処刑するぞ。それが嫌なら手綱握っとけよなぁコルレアーニィ?」
「そちらは任せておけ、お前の邪魔はさせんさ。万が一邪魔する馬鹿がいたらそいつは命令にも従えない、力はあっても使えねぇ無能だ。好きに潰せ。ケツは拭いてやる」
それでいい。コルレアーニとグラナは一蓮托生なのだ。リュカバースを掌握し、ゆくゆくは麻薬を船でばら撒いてリュキア全土を牛耳る。
ようやくここまでこぎつけたのだ。こんなところで立ち止まってはいられない。
最終的には驕るリュキア騎士への怒りを纏めて、貧民に
腐敗した騎士貴族に理不尽に虐げられている民ならば、
昔は魔獣から人を守るために、弱き民草は
今は魔獣以上に人を弾圧し嗜虐し尊厳を踏みにじる人を殺すために、弱き民草は
人間にとっての敵は、とっくの昔に魔獣から同じ人間へと成り代わっていたのだ。
世界がそう変わっていったなら、
「一歩ずつ、着実に。先ずはこのリュカバースを獲る」
「そうだ、私とお前でやるんだグラナ。私たちの理想郷をここに作り上げるぞ」
麻薬が横行し、下々の民は生け贄を捧げて騎士を殺し、騎士貴族はそんな民草を外道と弾圧する地獄のような世界。
だがそれがコルレアーニとグラナが追い求める理想の世界なのだ。
誰にも邪魔はさせない。立ちはだかる全てを叩き潰す。
グラナはもう止まれないし、止まる気など更々ないのだ。
救うべきを救うために、グラナは生きているのだから。
この行いはまさしく、誰にも見向かれもせずにひっそりと消えていく、忌まれた者への救済であるのだから。
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