■ 084 ■ 装備調達
「おお、来たか。立った今終わったところだ」
砥石から手を放したトゥデルが額の汗を拭いながら、クィスに背負われたラジィにニッと笑顔を向けてくる。
近くの布で刀身を拭えば、新たな切っ先が切り出された仄かに青色を纏う刃が、匂い立つような波紋を浮かべている。
生体装甲である竜麟は基本的に色が付いているが、中心部に迫るほど色が薄くなっていく特徴がある。
僅かに青みがかった、しかしどちらかというと白に近いその刃は、だから精鱗精度が極めて高い一品である。
「見事なものね」
ラジィが刃先を受け取って出来を確認するが、文句の付け所はどうやらなさそうだ。そのままトゥデルに返す。
なおトゥデルが今現在作業をしているのは、前にラジィがアミュレット作成用の細工道具を譲って貰った装飾士パオロの工房である。
新色町は嬌声が煩い、というのでトゥデルが落ち着いて作業を出来る場所、としてここが選ばれたのだが、
「たびたび迷惑かけてすまないわね、パオロさん」
「と、とんでもない! 名工トゥデル様の仕事を間近で見られるなど、これ以上の栄光はございません」
あの時ラジィに不満タラタラだった装飾士パオロが、まるで借りてきた犬のように縮こまっている。これではどっちが工房の主か分かるまい。
どうやら貴族からもお声がかかるパオロですら平伏してしまう程に、トゥデルの名はリュキアでは売れているようだった。
両者がそんなやり取りをしている横で、
「ああ、そういやベクターが持ってきたポーションがそこの台の上にある。
「了解」
トゥデルが顎で指し示したポーションをラジィは手に取って栓を抜いた。いつもの癖で一気飲みしようとして、
「あ、これ飲用? 塗布用?」
危うくラジィは何とかギリギリの線で思いとどまった。
「そいつは塗布用だな。幹部に塗って使う奴だ」
「おっと危ないところだったわ。くわばらくわばら」
クィスの背中から滑り降りて、ラジィは右脚の拘束を解くと、足首にとろみのあるポーションを塗りたくる。
ドロッとしたポーションが瞬時に肌に吸い込まれていって、
「んー、やっぱり二本の足で歩けるっていいわね!」
曲げ、伸ばし、足首を一回転して両足で大地に立つと、流石に気分が高揚してくる。
残ったポーションを両手首の包帯を解いて塗布すれば、みるみる肉が盛り上がっていくし、ローブをたくし上げて脇腹に塗れば、肋骨の痛みも引いていく。
残るは、
「はい」
「え、何?」
悪い顔のラジィにポーション瓶を差し出されたクィスは首を傾げたが、
「肩甲骨も折れてるのよ。手が届かないから塗って? お・に・い・さ・ま」
この小悪魔め、とラジィからポーションを受け取ってクィスは内心で呻く。横でティナが笑っているのが、ああ実に腹立たしい。
ラジィはクィスの信頼を試しているのだ。拒否すれば家族じゃないし、欲情するならあの話は全て嘘だったという事になる。
能面のような顔でクィスがポーションをラジィの背に塗って、手早くローブを下ろすとラジィが少しだけつまらなそうな顔をする。
理不尽だ、とクィスとしては思うが、ラジィからすれば流されても面白くないし無反応でもイラッとくるので、まあ理不尽な話である。
「もう痛むところはなくなったかい?」
「うん、大丈夫」
一通り体操して体の具合を確認したラジィがしかし、
「……だけどすごいお腹減ってきたわ」
お腹を撫でながらそう零す。
ポーションは無から有を産み出す薬ではないので、脂肪から筋肉から再生に使われたラジィはあっという間に欠食児童である。
元々ラジィは体脂肪が多い体格ではないというか、どちらかというともう少し脂肪があった方がいいくらいなのだ。
「あ、なんかじゃあ買ってくるね。少し待ってて」
「ありがとう、お姉ちゃん」
「うっ……ジィにお姉ちゃんとか言われるとなんか鳥肌が……」
引きつった顔のティナとアウリスが工房を去り、その間にトゥデルは手早く最終作業を済ませていたようだ。
茎を柄で挟み込み目貫を打ち込んで口金と胴金で固定。手留を巻いて、柄頭に石突を備える。
「お望みの通りに仕上げたつもりだ。出来上がりを確認してくれ」
トゥデルに手渡された、生まれ変わった竜麟の剣を――否。
竜麟の槍をラジィは握り締める。
穂は竜麟、柄は
留め具や石突にはラジィが譲った霊銀を用いた、ラジィの身長をも超える長槍に竜麟の剣は生まれ変わったのだ。
「剣じゃなくて槍なんだね」
「ええ、あいつに対しては斬撃より刺突のほうが有効だったし、何より殴り合いじゃ勝てないから、せめて得物を伸ばしてあいつの間合いの外で戦わないと」
そう語りながらラジィは両手で流れるように竜麟の槍を振り回した。
突き、払い、巻き落とし、囲いの形成。握りを滑らせつつ槍を回して石突での打撃。全てが流れるような美しさだ。
「それに、元々私たちが仕込まれていたのは槍術だから。剣よりこっちのほうが馴染むのよね」
ダート修道教会でラジィが鍛え上げてきたのは槍の扱いだ。ラジィは武器を選ばずに戦えるが、やはり槍のほうが一日の長がある。
共に戦い抜き、しかしラジィを残して死んでいった同胞たちを思い出すから、これまでのラジィはあえて自前の槍を持たないでいた。そのせいでよく支給される剣が主兵装だと周囲から思われていたが、本来の得物は槍なのだ。
「トゥデル様、そちらの槍には装飾は施さないのですか? 見事な業物に仕上がったようですが」
それが専門である装飾士パオロが怪訝そうに首を傾げるが、
「依頼主の要望でな。そういうのは一切無しだ」
トゥデルは不要と一蹴した。貴族ならば財力を示すために、また冒険者の場合は売却して近々の身銭を得たりすることもあるので、装飾はあったほうが価値が上がる。
「武器に武器以上の意味はいらないそうだ。貴族や冒険者が使うんじゃねぇからな」
武器とは使用者を生かしその敵を屠る為の道具だ。これから対人戦を行うラジィが宝としての価値がある武器など持っていては、雑兵が集まってきて鬱陶しいだけだ。
装飾が仕事のパオロは不満そうだが、トゥデルには強く出れないのだろう。無言で引き下がった。
そうやって槍の具合を確かめながら手に馴染ませているラジィに、
「模擬戦、やってみるかい?」
ふと屋外から声をかけてきたのは――何故この男がまだリュカバースにいるのかラジィは不思議でならない。
「戻ったか、ベクター」
「おまえ俺を運び屋かなんかと勘違いしてないかトゥデル。特Aランクの冒険者様だぞ。で、どうだいお嬢さん」
ベクターが頭を振り振り背負っていた背嚢をトゥデルの前に下ろしてラジィにウィンクすると、
「ええ、宜しくてよ」
ラジィも獰猛な笑みでベクターの誘いを受ける。両者は工房横の裏路地に移動して、ベクターは腰に佩いていたミドルソードを身構える。
「あら、いつもの大剣は?」
「今回はポーターをやらされてたのでね、街道を歩くだけで護衛対象もなしなら邪魔なだけさ。ハウスに置いてきたよ」
武器というのは基本、平時はお荷物である。戦闘任務でもないのに御大層な武器は確かに必要あるまい。
鎧も脱いで革の胸当てと肩当てのみというのは――それが油断にならないぐらいにこの男は鍛えているということだろう。
「本来の得物じゃないから負けた、なんて泣き言は聞かないからね?」
「なに、武器の試運転に付き合うには十分さ」
既に神を定めている一部を除いて、冒険者が強制的に入信される
当然、生まれ持っての魔力持ちのそれからは二段ほど劣るが、その特性故に魔術の才のない一般人でも魔獣と戦えるようになる。
だから一獲千金を求めて、己の肉体以外の何も持ち得ない連中が一山当てようと次々に冒険者ギルドの門戸を叩くのだ。
ランクに応じて強化度合いに差が付く
上位ランクに近づけば近付く程に強力な身体強化が使えるようになる。肩書きだけでなくランクの差が完全な実力差になるのだ。
そしてそのランクを定めるのは神だから、上位ランクが下位ランクに負けることは殆どない。
神がランクを厳粛に判断するから冒険者ギルドもまた不正が行いにくい、実力上等の組織なのだ。
「聖句は?」
「なしでいこう。無詠唱程度なら好き好きで」
「了解」
特Aランク、というのはAランクの中で、人間社会的に功績を上げた者に与えられるランクだ。
神から見ればAランクでしかないが、そのAランクとて上にはSしかいない、かなりの上澄みだ。
Sランク冒険者が
純粋な魔術師からは二段ほど劣るとはいえ、無詠唱でもそこそこの身体強化は可能、そして膂力と体格はラジィとの魔力差を埋めるに十分だ。
ラジィは槍を腰だめに、ベクターもまた応じるように剣を八相に構える。
ジリジリとすり足で距離を詰める両者は瞬き一つせず――
然る後に弾かれた
ヂン、という硬質な音と共に刀身と穂が一瞬だけ触れ合い、弾き合い、生じた隙間。
ベクターが前に出て穂から柄の間合いへ滑り込む。
ラジィは下がらずこれに応じ、槍を掌で滑らせて石突をベクターの腹筋へ叩き込むと同時に、ベクターの膝を踏み台に蹴って今度こそ後方へ跳躍。
ラジィが着地するより早くに猛追したベクターが地摺り青眼を跳ね上げ、
「何と!」
ラジィはそれを受けることなく槍を地面に突き立て、それを支柱に身を捻って回避。
手元で柄を滑らせ、石突ぎりぎりを掴んだ槍がラジィの着地と同時にベクターに突き込まれる。
正中線、心臓狙い。だが僅かに身を屈めたベクターはこれを胸当てで防いだ。
貫通は、しない。
「! 魔獣素材ッ!」
「そういうことだ」
ラジィの槍が高跳びに使っても全く傷まないのと同様に、革鎧も魔力を流すことで強度を上げられる。
完全に弾くと穂先が流れて鎧われていない身体を傷つけてしまうから、穂先を革に少しだけ食い込ませて止める。
そういった手際は、地味だが極めて繊細かつ高度な魔力制御だ。流石は特Aランクといったところか。
ラジィが引き戻す槍を横に弾き、がら空きになった正面をベクターが詰める。
対するラジィは弾かれた勢いはそのままに槍を半回転させ、石突による杖術にスイッチ。
二度、そして三度。大ぶりではなく得物の先端だけで相手の身体を刮ぐような小手調べの後、示し合わせたかのように両者は背後に飛び退き、
「っツ!」
ベクターの眼前に迫るは石の塊、いや、石畳だ。
槍の穂先を石畳の隙間に突っ込んだラジィがそれを剥がして、器用にベクターへ向けて槍で投げつけたのだ。
――この娘、ただ強いだけでなく環境を利用するのも上手い!
石畳を弾き落としたベクターが再び晴れた視界にラジィの姿を――いない。何処へ? 消えた? 否、影はある。
――上か!
工房の壁を蹴ってベクターの背後上空に位置取ったラジィが、今度は隣家の壁を蹴って後ろ上方からベクターの頭蓋に弧を描く槍の穂先を振り下ろす。
甲高い音を立てて、ラジィの槍を受けたベクターのミドルソードが半ばで断ち切られた。
目を剥いたラジィは慌ててベクターの髪の毛ギリギリで槍を止めて、裏路地に着地。
ベクターは追撃はしない。武器を破壊されれば、実戦ではないのだ。ここで勝負ありだろう。
「あっぶな、装備の差を忘れてたわ」
あまりに綺麗に魔力が通るので、いつものようにラジィが武器まで強化していた結果がこれだ。
どこか満足げに頷いたベクターが、折れた剣の刃をヒョイと拾って口笛を吹く。
「見事だお嬢さん、ここまで動けるのはうちのクランにも俺以外じゃ二人しかいないぞ。どうだ、マフィアなんか抜けてうちに来て一緒にやらないか?」
「残念だけど、今はまだ布教の最中なのよ」
「む、それ以前に還俗してないのか。残念至極」
ベクターががっかり首を振るが、ラジィとしてもがっかりだ。
せっかくの手練相手だったのだ。もう少し振り回して感触を確かめたかったとラジィは後悔するが、まぁ自業自得である。
「鋼の剣ではこれが限界か。見ろよトゥデル、お前の打った剣がこのザマだぞ」
「うむ、流石は竜鱗の刃だ。気分がいいわい」
竜鱗の刃の特徴はバランスの良さだ。
流石に専用の
聖霊銀剣は魔力を流さないと鉄程度の硬度しか持たない、どちらかというと魔力を攻撃力に変換する装置としての意味合いが強い。だが竜鱗は魔力抜きでも十分に武器として強力だ。
ラジィが巡礼の最初に竜鱗の剣を使い潰したのも、魔力伝導、硬さ、粘り、切れ味の全てが高いランクで纏まっていて使いやすかったからだ。
この槍も、申し分ない。柄に用いた妖樹の枝も、ラジィの魔力にしっかり応えてくれる。
真っ二つになったミドルソードの剣先をベクターに手渡され、その美しい断面を見やったトゥデルは満足そうに頷いた。
「まさに竜鱗の武具を狩るに相応しい武威。俺は驕っていた、俺の目が曇っていたようだ。どうかお許し願いたい。ラジィ・エルダート殿」
「驕っていたのはこっちの方よ。だから負けたんだわ。トゥデル」
「何だ?」
「ありがとう。とても良い仕上がりだわ。文句の付けようがないくらいに」
そう笑いながら伸ばされたラジィの手をトゥデルは握り、その硬い掌の感触を称賛した。
この少女は普段の研鑽も疎かにしてはいない、まさに
それを見抜けなかった己の間抜けさに、トゥデルは今や恥じ入るばかりだ。
「リュケイオンの工房にある防具素材を幾つかベクターに持ってこさせた。詫び代わりだから好きなのを選んでくれ」
「助かるわ」
武器は手に入れた。次はならば防具だ。
§ § §
「というわけで、これでローブを作って欲しいのだけど」
そうしてラジィが次に訪れたのは、ブルーノのシマに仕立て屋を構える元高級娼館御用達裁縫師、フルール・フラーラの工房である。
「わぁ、
「防具の素材なのになんで見てひと目でわかるかなこの人」
ラジィがトゥデルの素材集から選んだのは、成獣すると人の三倍近くにまでなる火喰い鳥の魔獣、その羽毛から作られた布である。
しなやかで柔軟ながら斬撃に強く耐火性を備え、しかも烏の濡羽色と賛えられる艶と肌触りは、
「防具の素材が防具のみに使われると思ったら大間違いよ?」
貴族にも人気だそうで、成程お貴族様は冒険者の危険や死を以て着飾っているのだなぁ、とラジィとしてはつい皮肉りたくなる。
まあ、今日のラジィはそれに文句を言えない立場でしかないのだが。
「で、どういうローブに仕立てればいい?」
「足に絡まないようスカートは膝上で、それなりに肌が見えても構わないわ。防具としての性能を損ねない範囲で可愛くして」
「え……いいの?」
驚愕したようにフルールがラジィを二度見する。
これまでフルールはラジィに可愛い服を着せようとしては「私はローブしか着ないから」と拒否られ、ならば改造ローブだと色々やってはみたのだが、
「肌の露出を極力減らすのがローブでしょ、却下」
とラジィにはひたすらダメ出しをされ、ちょっと凹んでいたところなのだ。
「今回だけは構わないわ。私には可愛いとかよく分からないから全てフルールにお任せします」
「任せてよ!
それがいきなりラジィのほうから可愛くして、多少肌が見えても良しと言ってきたのだ。一転して狂喜乱舞である。
「ローブなんだし、
「分かってる分かってる! ラジィは素材が良いから下手に装飾盛らなくてもイケるもの」
ひとまずフルールが快諾してくれたので、あとはお任せで良いだろう。
「にしても、真っ黒な布とはね。これまでとは随分イメージ変わるわね」
ラジィの穴あきローブは聖霊銀糸と水晶蜘蛛糸で織られていてそのままだと眩しいので、表生地と裏地は普通の白染めした布を用いている。
その裏地の色が透き通って表からは見えるため、愛用の穴あきローブは一応外からは白いローブとして映る。
マフィアの会合に出る際にこちらで仕立てたものは、それから中地である防具性能を抜いたものだからやはり白だ。
白から一転して黒へ。そういう意味では確かに大幅なイメチェンになるだろうが、
「黒い方がマフィアのヒットマンぽいでしょ?」
「成程、違いない」
心の拠所がどちらにあるかの話だ。
だが今はリュカバースの色を纏いたいって、そういう気分なだけだ。
もっともマフィアの黒を勝手にリュカバースの色扱いされたリュカバース市民がこの会話を聞いたら、「縁起でもない」と怒るだろうが。
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