■ 086 ■ 勝利のための積み重ね




 グラナの手によってドンを除いた大手ファミリーが軒並み壊滅の憂き目にあったことは、リュカバース裏社会を震撼させた。

 いよいよドンは自分のファミリーのみでこのリュカバースを仕切るつもりだと、マフィアなら誰の目にも明らかになってしまったからだ。


 故に、残る中小ファミリーのボスは選択を強いられる。コルレアーニファミリーに吸収されるか、もしくは現体制を延長する新たなドンを立てて権利を認めて貰うか、自らが新たなドンになるか、だ。


「で、だ。もう不可侵条約とか言っている時間はとうに過ぎ去ったと思うんだが。お前はどうする、チャン・ロンジェン」


 ウルガータに問われたロンジェンファミリーのボス、チャン・ロンジェンは他人事のような顔で、細い竹籤の束を手に取った。


「ウルガータ、仮にお前がドンになったあとの方針は?」

麻薬ヤクは扱うな。それと領主の出方次第だが、基本的には公開処刑以外はこれまでのドンのやり方を踏襲するつもりだ」


 ウルガータを待たせたまま掌の内でそれをじゃらじゃらと摺り合わせ、竹籤を取り分けて静かにテーブルに置く。


「いいだろう、以後ロンジェンファミリーはウルガータファミリーに付く」


 唐突にそんなふうに言われればウルガータもラジィもビックリだ。


「おめぇ、それ賽の目で決めるのと大差ねぇよな」

「馬鹿を言うな。易占を投げ遣りな博打と一緒にしてくれるなよ。こいつぁ運命を読む道具なんだ」


 そうチャンに言われてもラジィもウルガータもいまいちよく分からない。困った顔を見合わせてしまう。


「分からねぇか? 偶然性から運気の流れを読むんだよ。明確な未来が読めねぇなら、最後に勝つのは運の強いほうだ。占いはそのツキを引き寄せるためにやるもんだ」

「あー、うん。言いたいことは分かるようなきはするけど、それはまやかしよ。運なんてものはしょせん他人との比較でしかないもの」

「他人との比較だからこそ誰が今運を握っているか、それを読むのが大事なんだぜ、淑女レディ


 説明を聞いてもチャンはコイントスで己の未来を決めたようにしかラジィには見えないのだが――

 だがそれもチャンの自由か、と思い直した。ロンジェンファミリーのボスはチャンだ。そのチャンが如何なる理由であれそうすると決めたなら、ラジィに覆す手段はないのだから。


「では、以後ロンジェンファミリーは対コルレアーニ同盟の一員と見做し、裏切りには名誉無き死を以て償って頂きます」

「了解だ淑女レディ。盟主が期待を裏切らない限りは此方も期待に応えよう」


 ウルガータとチャン・ロンジェンが握手を交わして、然る後に椅子に腰を戻したウルガータが顎をしゃくる。


「であれば、そっちの海神オセアノス魔術師も俺たちの戦力に加えて貰おうか」

「構わんが、苦情は聞かんそ。シンルー、挨拶しろ」


 チャンが背後にそう声をかけると、仮面にフード姿の黒服が一人、一歩歩み出てウルガータにペコリと頭を下げる。


「盟主は信頼を御所望だ。フードと仮面を取れ」

「で、で、でも、顔見たらきっとがっかりしますよ。そうしてこいつはいらねぇとか弱っちい奴めとか言い出して最後は海に沈められるんだ。私知ってるんだ……」

「ガタガタ言ってねぇで顔見せろってんだよ!」


 チャン自ら立ち上がってフードを剥ぎ仮面をむしり取ると、その下から出てきたのは緑色の髪をショートに切りそろえた、見た目にはティナと同じ年頃の女性である。


「シンルーだ。歳は概算二十で海神オセアノスを破門にはなってないが、どうせ死んだことになってるだろうよ」

「顔見たらがっかりするって……なんでだ?」

「見たところ普通のお姉様、よね?」


 ウルガータとラジィは首を捻った。歳の割に童顔なのはシェファと同じで、それ以外は別に変でも傷がある訳でもない。

 強いて言うなら化粧も髪の手入れも興味はなさそう、位だ。顔立ちだって普通、そう極めて普通だ。


「ふふふ、そんなこと言いながら内心ではどうせ辛気臭いとか死相が現れてるとか北の夜空に八つ目の星が見えてそうとか思ってるんだ。それでこんな奴生かしておいたら巻き込まれて死ぬから先んじて殺しておこうとか企んでるんだ……」

「口を開けば悲観的な事ばかり言いやがる。不吉なことばかり垂れ流し続けるんだよ、こいつは」


 チャン曰く、魔術師としての腕は優秀で、過去には商船の護衛を勤めていたらしい。海水を真水にしたり、食糧の保ちをよくしたりと重宝されていたのだそうだ。

 だが孤独に大海原を進む船上で延々と不吉なことをたれ流し続ける悪癖のせいで、船員たちまでドンドン陰気になっていって船の空気が最悪になり、キレた船員の一人に海に突き飛ばされたらしい。


「……」

「……」


 ウルガータとラジィは困り切った顔を見合わせた。そりゃあないよ、と思う一方でそりゃあ仕方ないよ、とも思ってしまう。

 船上というのは逃げ場のない過酷な閉鎖環境だ。陸も見えない、自分たちしか頼れるものがいない世界だ。そんな環境で延々沈むだの死ぬだ自分たちはゴミだの囁かれれば頭がおかしくなってくるだろう。


 止めてくれ、と言いたくなる気持ちは分かるが、貴重な魔術師を海に突き飛ばすとか……

 いや、その商船の船員たちはそこまで病んでしまった、ということか。


「ドンに盾突くとかチャンは馬鹿です現実が見えていないんです。大手ファミリーも全滅したのにまだ勝てるとか思ってるんだからお目出度い話ですよ。そうしてみんな仲良く死ぬんです。死ねだぁ、死ね死ねだぁ」

「……おいチャン、お前の魔術師様は戦う気はなさそうだぞ」

「気にするな。そいつの呟きはあくまで一種の不安解消だ。大海原に突き落とされて平然と生還した女だぞ? ドン相手にでも普通に戦える。肝は座ってんだ」


 チャン曰く、シンルーの陰気な呟きは最低最悪を想定して置くことで心を落ち着けるシンルーなりの戦意高揚手段らしい。

 要するに、この呟きとシンルーのやる気は完全に真逆、ということらしいが……


「聞いてるととてもそうは思えねぇな……」

「そうですよねそうですよねそうですよね。私如きを加えてドンに勝てるなんて誰も思いませんよね。そうやって戦う前から私は戦力外通告されて皆がドンに挑む中、ボッチでチャンと共にそれを見守るしかないんだ……」

「とまあ、本人はやる気だし上手く使ってやってくれ」


 エヘ、エヘ、と卑屈に笑うシンルーを前にして、ラジィたちは再び顔を見合わせた。

 会話が普通に成立しないのはかなり困りものだが、そんなことはもう言ってられない状況である。

 この海神オセアノス魔術師をものにして、ラジィたちはあのグラナに勝たねばならないのだから。




      §   §   §




 チャンと同盟を結んだ翌日、教会の自室で槍の手入れをしていたところにいきなりバァンと教会の入口が開かれ、慌ててラジィが階下へ降りてくると、


「はい、ラジィ! 頼まれていたもの出来たわよ!」


 フルールが和やかな血走った目で、ラジィに木箱を手渡してくる。

 爛々と輝く目は「私今すぐ寝たい」とあからさまに訴えていて、肉体を統括する頭脳に反乱を起こしているようにラジィには見える。


「ありがとうフルール。でも貴方、先ずは寝た方がいいと私思うのよ」

「そういうのは後! いいから出来を確認してみて!?」

「後なのね……」


 急かされるままに蓋を開けてみれば、中には漆黒の反物だった黒天鴉ブラックサンの羽毛がキチンとした衣服に仕上げられていて、しかし、


「……これはまた随分奇っ怪なローブに仕上がったわね……」


 中から引っ張り出したローブを広げてみて、ラジィは軽く目眩がしてきた。多分、これをローブだと言ってローブだと信じる人は一人もいやしないだろう。


「ローブとしてはね。でも可愛いわよ?」

「うんまあ、そうなのかもしれないけど。あともう寝た方がいいわよ貴方」


 そんなことを言い合っているいると、さて。なんだなんだとティナたちも礼拝堂に集まってきた。

 それぞれがそれぞれなりにラジィが掲げているローブに視線を向け、


「……なんというか、色々と豪快なローブだね」


 上手くクィスが言葉を丸めたが、豪快と言えば確かに豪快かもしれない。

 一言で言うとこのローブ、恐らく動き回ったら鎖骨から下の上半身だけしか隠せないのが明白だからである。


 流石に肩は隠れるものの鎖骨まではほぼ剥き出しで、申し訳程度に首には同じ黒天鴉ブラックサン布製のチョーカーが用意されているのみ。

 胴体と上腕部分は多少布地に余裕を持たせている程度でそこは普通なのだが、そこから先があれだ。下半身と両腕部分は異様に広がっていて、腕や脚が五本や六本は通せるだろう位にふんわり優雅に花開いている。

 布をたっぷり使って広がりを持たせているくせに、袖丈は短く八分程度で手首から先を覆えていないし、スカートは膝上と此方もあまりに短い。


 ただ箱の中を見ればローブに包まれない袖先、手首と手の甲を守護するためのフィンガーレスグローブが用意されているようだ。

 また太股から下は手首のそれと同じ意匠のオーバーニーソックスをガーターベルトで吊る仕様のようで、これで案外素肌は覗かないようになっているらしい。


 ただそれは、あくまで仁王立ちして動かなかった場合の話である。


 腰でいったん布地が絞られているから、強風が吹いてもローブが胸まで捲れ上がることはない。

 その一方で風をたっぷり孕むであろうこのローブで跳ね回れば、これでもかとふんわり広がっている前腕と下半身はほぼ丸見えになるだろう。


 と、言うかスカートの中が丸見えになってしまうのはどうなのか? と一同は首を捻らざるを得ない。


「あれ? ジィは下着見えても気にしないって聞いてたけど違うの?」

「違わないけど、流石にこの下着を履いてるところを見られるのは恥よ、淑女レディ的にないわ。人としてお終いよ」


 ローブ、及びその下に着る白のインナー(こっちも布地たっぷりふんわりヒラヒラだ)の下から出てきた三角形の布切れを手に取って、ラジィはうわぁと顔をしかめた。


「あー、貴族仕様の下着ですねそれ」


 ティナがそう教えてくれるが、ラジィにはこれを履く人間の思考が全く理解できない。

 何で布をたっぷり使えるお貴族様の下着が、こんな布地を徹底して切り詰めた三角形なのだ? しかも大事なところはちゃんと隠してはいるが、部分部分は透けているではないか。


「ああ、脚を可能な限り覆わないようにすることで脚を長く見せようとしてるんですよ」


 少しでも好く見せるための涙ぐましい努力だ、とティナに教えられてラジィはほとほと呆れかえった。


「く、くだらない……じゃあ透けてるのは?」

「そりゃお貴族様は侍従以外だと恋人ぐらいにしか下着を見せませんのでねぇ。透けてる方が扇情的でしょ」

「ああうん、私はいつもの下着でいいわ」


 却下、とラジィが下着を突っ返すとフルールが私ご不満です! みたいな顔を向けてくるのがラジィには腹立たしい。


「えー!? ちゃんと下着も刺繍頑張ったんだから着ようよ!」

「着ません! 流石にこれは痴女の装いよ! ステネルスだって蔑むわこんなもん!」


 流石にこの下着はない、ということで下着だけはいつもの白くて厚い布地のカボチャ的あれに留めることにした。

 だからこんなのはいらん、とフルールに黒透け下着は突っ返したのだが、いつか役に立つこともあるかもと言い含められて、結局ラジィはそれを持たされてしまう。


「勝負下着の一着くらいあった方がいいわよー」

「そんな勝負は当分しないわよ、私まだ十四だもの」


 なお注文していた地母神教マーター・マグナの紋章はちゃんとローブの胴体中央にしっかりラジィが渡した霊銀糸で刺繍されていて、それがこの服をローブと主張する唯一の残骸と言えた。


「失敬な、グローブとソックスにもちゃんと刺繍してあるのによく見てよぉー」

「あ、本当だ」


 言われてみてみれば黒い糸でしっかりと手の甲、及び太股の外側部分に地母神教マーター・マグナの紋章が刺繍されていて、まあそれ以外にもレース飾りがたっぷりなのだが、紋章があることはある。確かに。


「ちゃんとやることはやってくれているわけね……」

「そりゃそうよ。依頼主クライアントからの要望にはしっかり応える。それができなきゃ親方なんて名乗れないわ」


 むん、と胸を張ったフルールに、しゃあない、とラジィは覚悟を決めて向き直った。


「ありがとうフルール。色々言いたいことはあるけどお疲れ様、助かったわ。大切に使わせて貰うわね」

「お褒めにあずかり恐悦至極にございます、お客様」


 優雅に一礼したフルールは、そこで緊張の糸が切れてしまったのだろう。礼拝堂の椅子に倒れ込んでそのまま高いびきをかいて寝始めてしまった。


「……あー、私これ着て戦うのか。自分で言いだしたことだけど今更ながらに恥ずかしくなってきたわ」


 ぶっちゃけこれはローブかドレスか、と問われれば大半の者がドレスと言うだろう。そんなものを着て戦場に立つのは馬鹿のやることだ。

 だが、今回はあえてラジィは馬鹿に為らねばならない。これでラジィの勝率は――本当に自分でもどうかと思うが――かなり向上するのだから。


「グラナに色仕掛けでもするんです?」


 ティナにそう問われたラジィは首を横に振る。あいつは恐らくクィスとは比べものにならない程に、家族に対しては禁欲的だ。

 色仕掛けなど通る甘い男ではない。救いに対しては常に真摯なのだ。


「それらの説明も含めて、作戦会議をしましょ。ティナ、エルダート家の家長として決戦に必要と考える面子を集めて頂戴」


 会議の参集メンバーを一任されたのだ、と気付いたティナはハッと息を呑んだ。

 誰を呼び、誰を除くか。即ち誰を信頼して戦力とするかの判断を、ラジィは己ではなくティナに預けたのだ。


「私が決めて、ジィは本当に構わないんですね?」

「ええ。私はティナとクィスを信じるわ。だから二人が信じるに足ると思った人までを戦術に組み込んで、グラナとの勝負に臨みます」


 ティナは唇を強く噛み締めて覚悟を決めた。

 これ以上無い程のラジィからの信頼の証だ。これを裏切ったら、ティナはグラナを下回る口先だけの下種ゲスに落ちこぼれるだろう。




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