■ 082 ■ 家族 Ⅱ
「ジィを一人では死なせない。どこでジィが倒れても、必ず迎えにいく。まあ、不慮の事故で僕のほうが先に死んだらジィにも迎えに来て欲しいし、あと墓の一つでも立ててくれると嬉しいかな」
クィスというのはラジィがつけた名前だ。そしてクィスは死ねばその外見はスティクスのそれに戻るから、クィスを知っている人でもそれがクィスだとは分からない可能性もある。
クィスにまつわる全てを知っているのは、ラジィ、ラオ、フィン、ウルガータ、ブルーノ、ティナ、マクローの七人だけ。シェファやアウリスすらも、クィスという人間の全貌は知らないのだ。
「ジィが五年間の巡礼を終えてシヴェル大陸に帰っても。一度ここに家庭を築いたなら、家だけはずっとここに残る。
家を作るのだ。ラジィとクィスと、あとティナの、孤児三人のための家を。辛くなったらいつでも帰ってこれる家を。安らぎの空間を、故郷を。
「一緒に泣いて、笑って、気を置かずにダラダラくつろげる、僕らの帰るべき家を僕たちと作って欲しい。家庭は一人では作れないから。だからジィ、僕に、僕たちに君を守らせて欲しい。お願いだ」
そうクィスが思いの丈を振り絞ると、ラジィの顔が泣き笑いのように歪んだ。
それは多分、ラジィがずっと心の奥底で欲しがっていたものだ。
己が主である筈の【
だがグラナに指摘されたように、契約はラジィを最低限安心させただけで救ってはくれなかった。
いや、このクィスの提案も、究極的にはラジィを救うことはないのだ。
ラジィはもう自分が救われないことを知ってしまっている。この世に生まれ落ちた意味を全うする術を、ラジィは奪われてしまったのだから。
だが、それでも、
「……クィスは知らないだろうけど、私は本当は怠け者なのよ?」
それが自分を救ってくれないことを知っていてなお、ラジィはそれを拒めなかった。
まやかしでも、それが欲しいと思ってしまったから。
「家事ぐらいならもう僕にもティナにもできるよ。アウリスだっているし」
「絶対にクィスは私を邪険にして、私を足でゴロゴロ転がすようになるわ」
「……
足でどかされたり首根っこ掴まれてブラブラさせられたり、猫か何かみたいに扱われていたのは間違いない。まあ、だいたいラジィが悪いのだが。
「悪いけどやること終わったら、私はもうろくすっぽ働かなくなるわよ。それでもいいの?」
「構わない」
もうクィスもラジィの性格はだいたい理解できている。口では何だかんだ言ってもラジィは困っている人を見かけると助けずにはいられない性格だ。
【
きっとラジィには大人しく部屋に引きこもっていることなどできないのだから。
「だから、改めて問うよラジィ。僕とティナの義兄弟になってくれないかな」
「……クィスも男の子ね。グラナなんかと張り合っちゃって。そんなに私を屈服させたいのね?」
安い男のプライドの張り合いだと、そう聞こえてしまったのなら完全にクィスの失敗だろう。
そうクィスが唇を噛むと、ラジィが悪戯の成功したような顔で笑った。
「せっかく私はクィスとティナが表社会で生きていけるように頑張っていたのに。それを無視して、私と一緒にリュカバースの暗黒面に足を踏み入れても――本当に構わないのね」
一転して真面目な顔で問われて、クィスと、そしてティナは――真面目な顔で頷いた。
「麻薬取引してるマフィアと繋がってる領主が支配してるのがリュカバースの表社会だっていうなら。それらの上にステネルスやストラトスが君臨してるっていうなら、僕は喜んで裏社会に飛び込むよ。ラジィがどうこう以前に、僕はあいつらと同じ世界で生きたくないんだ」
「私も別に、というかランベールみたいな連中を飼ってる時点で最初っから私の出自は真っ黒だからなぁ。ぶっちゃけ貴族社会よりウルガータさんやブルーノさんのほうがよっぽどマトモだし」
「……二人とも、もうちょっと光指す世界で生きようとする努力してもいいと私思うのよ」
少し呆れたような顔でラジィが小さく
二人から視線を外し、真面目な顔でウルガータを見やる。
「ルガー」
「なんだ?」
「私は貴方の用心棒として
そういうことか、とウルガータは頷いた。
ラジィが家族になろうというクィスの提案に頷けないのは、その前にグラナの誘いに首を縦に振ってしまっているからだ。
要するにクィスの言葉に頷くと、まずラジィは自分がグラナの家族になったことも認めなければならなくなる。それを認めたくないから、ラジィはクィスの提案を受け入れられないのだ。
「ああ、そうだな。広義ではそうと言えなくもない」
だからラジィは自分の所属を元々ウルガータファミリーでしょう? とウルガータに問うたのだ。
一度マフィアのファミリーと契約したら、勝手な離脱は許されない。ラジィが一人でグラナに「家族になる」と言っても、それは有効にはならないからだ。
これは単にラジィの意識の問題、というだけでなく、万が一にも
ここを抑えておけばラジィはあくまでずっとグラナの家族に属したことはなく、ウルガータファミリー所属のままになるのだから。
だからラジィはクィスとティナにも、裏社会に来てもよいのか? と聞いたのだ。
この論法だと、ラジィの家族になったら自動的にクィスとティナもウルガータファミリー入りすることになるからだ。
「クィスの提案を棄却して私から改めて問うわ。クィス、ティナ。私の義兄弟になってくれる?」
「ああ」
「勿論」
話は付いた、と判断したらしいティナがここでハイハイと手を上げてきた。
「じゃあ私とジィとクィスは確定として、アウリスはどうする? なんならもう本国へ帰ってもいいけど」
何とかしてアウリスに自分の人生を歩かせたいティナが、これを期にそう提案するが、
「私は今のこの変化に満ちた生活が気に入っておりますので、どうかお三方の家で護衛兼使用人として雇用頂きたく存じます」
アウリスは丁寧に腰を折ってティナの提案を袖にする。その声にははっきりとした自我がこもっていて、命令だからそうしている、という面持ちなど欠片もない。
「本当に気に入ってるの? 何で?」
「何でと申されましても……本国に帰っても代わり映えしない令嬢のお側係になり、代わり映えしない毎日に埋没するだけでしょう? お嬢様のお側としてこのアウリス、幸運なことにヒッター家で最も面白い生き方をさせて頂いている、と考えておりますれば」
そんなアウリスの返しにラジィはニヤリと笑い、ティナが椅子の下で地団駄を踏んだ。
クィスたちには意味が分からなかったが、何らかの話があったんだろうと納得する。
ウルガータが手を上げると、ウェイターがラジィ、ティナ、クィスの前にウィスキーを注いだショットグラスを用意してくれる。
義兄弟の契りを交わす酒坏の替わりである。
「で、どういう順番になったんだ?」
ウルガータに尋ねられたラジィがニヤリと笑う。
「外見年齢通りティナが長女ね」
「何で!? 私はジィの妹で一向に構わないのに……」
「そうしないと貴方、サボりつくすじゃない。サボるのは私の仕事よ。ティナには私不在時の責任を負ってもらわないと」
「そ、そんなぁ……」
その下がクィス、ラジィは末妹ということで義兄弟の序列は定まった。
ラオがラジィの番であり、フィンがラジィの騎獣であることは依然として変わりはなく、そのままだ。
「義兄弟の契りってどうやるの?」
「前に本で読んだことあるから、それでいいと思うわ」
そうラジィは己の知識を誇るように笑い、二人にグラスを手に取るように促した。
「我ら三人、生まれは違えども兄妹の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者を救わん。同年同月同日に生まれ得ずとも、同年同月同日に死する事を願わん」
カチン、とショットグラスをぶつけて、三人は酒盃を呷る。義兄妹の契りはこれで成立した。
対外的に何かが変わるわけではない。だが、この誓いは決して消えることなく、この三人を結び付けるだろう。
「二人の姓はどうするの?」
「んー、ジィは新しい姓に変えたい?」
そうクィスに尋ねられたラジィは考え込み、やがて首を横に振った。
「天涯孤独になっちゃった二人には悪いけど、私には【
「じゃあ三人ともエルダートでいっかぁ」
「そうだね。人が増えて困る家系でもないだろうし」
「まあ実質私一人の為の姓だから支障はないけど……いいの?」
エルダートは
それを名乗るのは己が罪人であると名乗るようなものなのだが、
「姓無しの庶民より出世した感じがするよね」
「響きも悪くないですしねー」
クィスもティナも、知っているのにあえてすっとぼけた。それはラジィの罪じゃないし、仮に罪だと感じているならその負荷を分散してやればいい。
その両者の判断はどうやら正しかったようで、少しだけラジィの表情が和らいだから、クィスたちがエルダートを名乗るのはやはりラジィの心を僅かにでも救えたのだろう。
「さて、ではエルダートファミリーの最初の仕事はお家存続だね」
なにせラジィはグラナに家族になれと狙われていて、クィスとティナは命を狙われているときた。
まずはグラナをなんとかしないと、発足したばかりのエルダートファミリーに未来はない。
何とかしてグラナを倒し、ドンを引きずり下ろして領主を締め上げ、リュカバースに平穏を取り戻す。その為には、
「とりあえずやれることは全部やるぞ、いいな、ジィ」
「はぁい。お義父様の仰る通りに」
「ちょっと待て俺を勝手に父親にするな!」
「あ、じゃあクィスはウルガータファミリーの若頭ってことになるんですね。よっ、若大将!」
「ちょっと待ってなんでそうなるの!?」
勝つために、形振り構わず全力を投じるのみだ。
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