■ 297 ■ 揚陸
「停船せよ、しからざれば攻撃す」
小型艇を無視して船をリュカバースへと入港する進路を取る船団に対し、三度、小型艇を寄せて警告を促し、その全てを無視された警邏船団長であるウィリアムは覚悟を決めた。
「ソンに旗信号を送れ。警邏艇の半数を連れて避難地点へと向かえ、と。残りの船で侵略者を迎撃する」
「アイアイ、キャプテン!」
部下のマリンソルジャーたちが慌ただしく甲板を走り回る中、ウィリアムは小さく顔を掌で拭って、これまでの日々を思い返していた。
楽しい日々だった。かつてクソみてぇな領主の下で海兵として働いていた時には一度として得られなかった、高揚に満ちた日々だった。
§ § §
部下の命に何らの価値も見出さないクソみてぇな領主と手を切ったはいいが、その領主に四方八方手を回されて、海兵として再雇用してくれる者など誰もおらず、
「聞いたか? 今リュカバースって土地が熱いらしいぜ! 金も船もモノも集まってて、一旗揚げようと人も流れ込んでるってよ!」
海に出られる商船員たちを羨みながら酒に溺れていたウィリアムの耳に、そんな声が飛び込んできて、駄目で元々と訪れたのがこの地である。
そうして仕事を探していたところに白髪の少女が現れて、
「おじさま、船乗りの仕事に興味はない? 名誉と責任をその肩に乗せるつもりはないかしら?」
そんな誘いに、まぁ娼婦にしては可愛い子だったので酒の肴にはなるかなとお誘いに乗ったら、何故かマフィアのドンの前に連れて行かれて、
「こいつか? ジィ」
「ええ。上級船員の経験がありながら無職っぽい人よ。ドンのお眼鏡にも叶うんじゃないかしら」
「ふむ。ウィリアムだったか? ウチは今、海兵力の拡大を迫られていてな。どうだ? 一つ警邏艇を指揮してみるつもりはねぇか?」
何の面識もないのにそう責任ある地位を打診されて、呆然と頷いて――それからはずっと激動の毎日だった。
「お頭、此処のマフィア連中は頭がおかしいんじゃねぇですか?」
勤務の最中、共にクソみてぇな領主と手を切ってリュカバースへとやってきた古株仲間がそう言うのも当然で、
「海賊から奪い返した商品は一割だけ回収して残りを船主へ返せ、って……今時まともな領主ですらそこまで正直にはやりませんぜ。連中は本当にマフィアなんですかい?」
「マフィアにお前らそれでもマフィアか? と聞く勇気は私にはないな」
マフィアの配下で、ウィリアム等警邏艇はある意味どこの海兵よりも商人に親身な海戦力として働くことになった。
クソみてぇに船員を使い潰す領主の下で働くのが嫌になったウィリアムにとって、これ程居心地のよい職場など他に考えられもしなかった。
商人たちに感謝され、信頼を寄せられ。
まぁ警邏艇であり、リュカバースが発展を続ける以上海賊との戦闘も少なからず発生し、安全で安心とは言い難い生活だったが――船員にまでポーションが支給される職場などそうそうあるはずも無い。
自分たちが使い潰されているのではないという信頼があるなら、真面目に働くためにそれ以上に必要なものなど、ウィリアムは終ぞ知ることはなかった。
此度もそうだ。魔術師とは戦わなくても良い、無駄に命を散らす必要はない、とウィリアムはウルガータから忠告を受けていて、そして目の前の船団は
乗っているのは、恐らく魔術師の軍勢だ。そしてそれが、ウィリアム等警邏艇の制止を無視してリュカバースへと向かっている。
だから、本来ウィリアムはこの場で戦闘を回避することが許されていて――
「一人でも多くの魔術師を此処で沈める! 陸上ならさておき、海上であれば連中も船を失えば海の藻屑だ、警邏艇の本懐を務めよ!」
「オオッ!!」
然らば、ウィリアムは退くわけにはいかない。
今後のことを考えれば此処で警邏艇が全滅するわけにはいかないが――素通りさせたとあれば市民に対するドンの面目が立たないだろう。
故に魔術師が相手とは言え、何隻かは戦う意思を見せなければならない。傷一つ無い敵船団を港に入れるわけにはいかない。
洋上警邏隊副長であるソンは優秀な男だ。彼が生き残れば警邏隊を立て直してくれるだろう。
「
「アイアイ、キャプテン!」
部下たちが手慣れた動きで、いつものように戦の準備を進めていく。
投石機、準備良し。
弓兵、準備良し。
白兵戦の準備良し。
覚悟なら――もうとうの昔に決めている。
「酒樽を空けろ。正し一人一杯ずつだぞ」
「アイサ―、キャプテン!」
ウィリアムは勝てないことを分かっている。
船員たちも勝てないことを分かっている。
それでもその声に悲壮はなく、その闘志に微塵の怯えもない。
此処はいい職場だった。此処はウィリアムたちが任された、ウィリアムたちの縄張りなのだ。
だからそれを守る為に戦うのに、どうして迷いが必要なのか。
「ドン・ウルガータと麗しのリュカバースに、栄光と繁栄のあらんことを」
全員が盃を空にして、そして器を投げ捨てて、
「攻撃開始。侵略者を討て」
「アイアイサー!」
投石機が唸りを上げて、
そのお返しとばかりに飛来するのは【
そうして物理と魔法による射撃戦が繰り広げられ――
§ § §
「流石に一隻も沈めずに全滅はできんのでなぁ!」
最終的に一隻に狙いを付けて攻撃を集中し、隣接、接舷。
マリンソルジャーたちは自ら油を被って、火薬を懐に敵船の中に乗り込んで果て――そして最後にウィリアムが油をまいて火を付けた乗船の舳先を、敵船の横っ腹に叩き付ける。
メリメリと木板の折れる音と共に、ウィリアムの乗船が敵船の腹にめり込んでがっちりと固定される。
「くそっ! 海の上で焼死なんぞ笑い話にもならんぞ! 急いで火を消せ!」
「無理です、燃え広がって手が付けられません!」
所詮は陸上の宗教といったところか。既に炎に巻かれて脱出先を失ったウィリアムは笑いながら、船上でパニックに陥る
だが、その瞳に映るのは狼狽し、海へと飛び込んでいく無様な連中などではない。そんなつまらないものよりもっともっと見たい光景がウィリアムにはあるのだから。
「楽しかったなぁ。ああ、楽しかった……」
ただ、ウィリアムが見ることのできる光景はここまでだ。
あとは、ドンやその顧問魔術師たちが何とかするだろう。
「この上なき名誉ある職を与えて頂けたこと、感謝致します。ドン・ウルガータ、レディ・エルダート」
魂の故郷を奪いに来た卑劣極まる簒奪者たちの醜態を眺めながら、ウィリアムの命は炎の中へと消えた。
享年三十八歳。十五の年に海に出て以降、人生の半分以上を洋上で暮らした男の魂が、リュカバースの海へと還っていく。
§ § §
そして、それからしばしの後。
一隻二百人を失いながらも、残る千八百人からなる
「此度の戦はこの地に布教の橋頭堡を確保すると同時に、【
アンブロジオ・テンフィオス総務局次長の言葉に、神殿騎士たちが正義と熱意と怒りを露わにして応える。
「敵は
『おおっ!!』
勇気と正義と慈愛を胸に、
マフィアに死を。
【
リュカバース支部長クリエルフィ・テンフィオスの無念を晴らせ。
全世界に理不尽な死をばらまいた天使、ラジィ・エルダートのその罪に相応しき罰を。
そう己の正義を信じる
命じられるままに、進むのみだ。
だからこそ、彼らは気が付くことはない。
悠然と通りを領主の館へ向かって歩く、自分たちを見る周囲の庶民の眼。
そこに隠しようのない敵意の光が翻っていることを。
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