■ 296 ■ 地獄へと集う人々






「だから、これ以上は無理だって言ってんだろ、追い返せ!」


 そうカルセオリー伯の館は談話室にて、ウルガータはドンと拳を机に叩き付ける。


「いいか? ただでさえ何もしねぇ穀潰しが略奪までしてんだぞ! 俺たちの金で買った俺たちの備蓄をだ!」


 今のリュカバースには、王都リュケイオンや、またレウカディアからリュケイオンを経てリュカバースに至る途中にある領地から、リュキア貴族が大挙して押し寄せていた。

 序列持ちでありながら、ノクティルカと戦うことなく逃れてきた貴族たちはしかし、只人に対してだけは当然のように傲慢だ。


 カルセオリー領に到達し、カルセオリー伯にリュカバース滞在の許可を得た貴族たちは当然の顔で、ハイエナのようにマフィアの倉庫から食糧や酒を略奪して糊口を凌いでいる。

 しかもさも自分たちが土地を追われた哀れな民であるかのように悲愴な顔をして、だ。


 悲嘆な顔で、しかしもう大陸の端まで追い詰められたこの地でいよいよ迎撃の準備をする――わけでもなく、ただ喰って呑んで嘆いているだけ。

 あまりの馬鹿馬鹿しさにマフィアたちはもう怒りを越えて乾いた笑いしか出てこない。



 こんな何もできない連中が、これまでリュキアという国に君臨していたのか、と。



「売るもんがなくなりゃこっちだって港が維持できねぇんだ! それぐらいは分かれよ愚鈍!」

「こっちとて苦慮しているのだ! 序列持ちが一度に百人以上だぞ!? 連中が手を組んで我らに襲いかかってきたらどうする!」

「返り討ちにすりゃあいいだろうが! お前だって序列持ちだろうが! あ? リュキア騎士団リュカバース駐屯騎士は張りぼてかよ!」

「リュカバース駐屯の三十では押し寄せる百には勝てんと言っているのだ! 何故それが分からん!」


 しかもそんな貴族連中は当然のように部下たちも連れてきており、その武威で以て庶民の家を襲い住人を追い出し、そこに狭い狭いと文句を言いながら居座る始末である。

 控えめに言ってそれは強盗の手口であり、もうウルガータからすればカルセオリー伯の面子を立ててやる気などこれっぽっちもない。


「ならこっちで勝手にやらぁ! テメェは邪魔するんじゃねぇぞ! 金を払わねぇ奴は身分を問わず盗人なんだからな!」


 喚くアンティゴナにはもはや一瞥もくれず、ウルガータは護衛のラジィを連れてカルセオリー伯邸を後にする。

 馬鹿らしい、あまりにも馬鹿らしい。

 この後に及んでアンティゴナはまだ、リュカバースが滅びることは無いと思っている――否、滅びるなんて未来を想定することがまずできないのだ。

 そしてリュキアが再興することを信じて疑わないから、その時のためにリュキア貴族たちに恩を売っている。


「もうとっくにリュキアなんて国は滅びているってのに、それも分からねぇのかよあの狸は」

「いいえ、認めたくないけど薄々は分かってるから、せめてリュキアの芽蒔神スパルトイを一人でも多く配下におきたいのよ。彼も私たちが自分を守ってくれると考えるほどの馬鹿じゃない、ってことね」


 要するに、どうせノクティルカが来ればラジィたちはこれと戦わざるを得なくなる。

 そうしてノクティルカとラジィらが交戦し互いに疲弊したところを、残る芽蒔神スパルトイで一掃しようという、いつものアンティゴナスタイルというわけだ。


 そしてそれは当然のように、庶民やマフィアの被害を無視した考えだ。

 というより一人でも多くのマフィアと僑族がこれで死んでくれれば、あとは国際的に極めて評判の良いリュカバースを自分たちの支配下に戻せるとすら考えている。やはりいつものアンティゴナ、というわけである。


「可能な限り民に被害を出さずにリュカバースをドンの街として存続させる。その為の【演算スプタティオ】は既に終わっているわ」


 丘の上にあるガゼボにて、


「あとはドンのご命令があらば【演算 再現スプタティオ レフェロ】を始めるだけ、だというのに」


 ラジィがそう街並みを見つめるウルガータの横に並んで、そう告げるが――


「何を迷うの? ルガー」

「……その為にお前に、味方殺しをさせることをだ」


 そう、海の向こうを睨んでウルガータは独り言ちる。

 地母神教マーター・マグナがこのリュカバースを取りに来ることは、もうウルガータも想定している。

 そうなればラジィは街と僑族の平和を守るために、地母神教マーター・マグナと戦うであろうことも。


 そう考えると、ウルガータもまた芽蒔神スパルトイを生かしておくべきではないかと考えるのだ。

 アンティゴナではないが、魔術師には魔術師をぶつけるのが一番だ。芽蒔神スパルトイを生かしておけば、そのあまりのクズっぷりを目にした地母神教マーター・マグナ芽蒔神スパルトイと激突する可能性は低くない。

 そうして消耗させた方が、あるいはラジィたちの負担は減るのではないかと、そうウルガータとしては思うのだが、


「冗談、地母神教マーター・マグナを舐めないでよルガー。竜牙騎士団ならさておき、最初から戦う気もない芽蒔神スパルトイなんかじゃ地母神教マーター・マグナの頭数なんて減らせないわ」

「……だが、芽蒔神スパルトイは国を興すための魔術師なんだろ?」


 ラジィのダメ出しに、ウルガータは食ってかかる。ラジィ自身が言ったのだ、芽蒔神スパルトイの本質は建国神なのだ、と。

 そして今やリュキアという国は滅びた。然るに亡国の民となった芽蒔神スパルトイは、その本来の凶暴性を発揮できるはずではないか、と。


 だが、ラジィは皮肉げな笑みを浮かべて肩を竦める。


「『建国夢見て七百倒れ』よ、ルガー。その覚悟もない者に芽蒔神スパルトイの本来の実力は引き出せないわ」


 それは、自らの国を、自らの自治を、自らの自律を、自らの自由を願って戦うための者の力だと。

 不当な外圧に反旗を翻し、幾度血を流し、どれだけの仲間が大地に倒れようと、皆に平和な国を与えてやりたいと願う勇者に、天使が応えたが故の力だと。


「過去の幸せに縋り、それを何もしないまま取り戻したい、なんて弛緩した望みになど芽蒔神スパルトイだって応える気も起きないって話ね」

「……ああクソ、どうしようもねぇんだな、もうリュキア貴族ってやつは」

「そう、煮ても焼いても食えないの。そもそも難き道行きに背中を向け安きに逃れる相手は地母神教わたしたちの救済対象じゃないし」


 その先に苦難の道が続いていると分かっていても、それでも正しく在るためにその道を歩まんとする者を助ける。それが地母神教マーター・マグナの教義である。

 ただ救われるのを待っているだけの連中には、地母神教マーター・マグナは見向きもしないのだ。


 ただ、それはある意味ではリュカバースの住人も同様で、


「今を生きる人たちは時代に試されているわね。芽蒔神スパルトイも、地母神教マーター・マグナも、マフィアも、リュキアの民も、そしてノクティルカも」



かつえる民に温もりを、難き道行きに安寧を。只人にそれが成せぬというなら、私がそれを成しましょう』



 ラジィ・エルダートは愚直にそう在り続ける。

 ラジィにとっての道行きはそれ以外になく、故に実質的にラジィにとっては芽蒔神スパルトイも、地母神教マーター・マグナも、マフィアも、リュキアの民も、そしてノクティルカもその全てが等価だ。


「私は天使だもの。究極的には私には敵も味方もないし。だから正しく在ろうとする者にこそ寄り添うわ」


 たとえどれだけかつえてでも、難き道行きを歩むことになってでも。それでもより正しく在りたい、と希う人々の支えとなることを願う。

 それこそが地母神教マーター・マグナの最上位魔術師、【至高の十人デカサンクティ】であるラジィ・エルダートの生き方だ。


「リュキアは故あって滅びた。故があれば芽蒔神スパルトイも、地母神教マーター・マグナも、マフィアも、リュカバースの民も、そしてノクティルカも等しく滅びるでしょう」


 この激動の時代だからこそ、生き残った魔術師もまた、力ある者として正しく自分を律さねばならない。

 それをやれなかった国と地域は既に幾つかが滅び、幾つかが血で血を洗う殺し合いを今も続けている。このリュカバースの地をそのような土地にしてはいけない。その為ならば、


「必要とあらば私はドンすらも廃するわ。その覚悟は当然あるわよね」

「ねぇな」


 ラジィに問われ、ウルガータはそれを一蹴した。

 だがそれは己の命をチップにして賭ける覚悟ができていないからではなく、


「今更俺が我欲じゃ動けなくなってることぐらい、お前さんの【演算スプタティオ】は分かってるだろ」

「うん」


 ウルガータは莞爾と笑うが、ラジィは笑えなかった。

 元々ウルガータはそういう善性を優先する男ではなかったのだ。ラジィが手を組んだときのウルガータは、麻薬こそ嫌えど躊躇無く人を殺せる悪党だった。


「貴方はちょっとばかし良い人になってしまったわ、ルガー。それを少しだけ申し訳なく思う」


 それが何の因果かラジィと手を組むことになり、二人三脚でやってきた結果、少しばかりウルガータは甘く、あるいは丸くなってしまった。

 ラジィが、ウルガータをそう変えたのだ。その方が地母神教マーター・マグナ的に都合がよかったから、そうしたのだ。


「驕るなよジィ。俺の道行きは俺が選んだんだ。お前に選んで貰ったわけじゃねぇ」

「分かってるわ。だけどそれを支えたのは私よ、支えられてないとは言わせないわ」


 ウルガータは麻薬のない世界を望み、ラジィがそれを支えた。ウルガータがどれだけ豪語しようと、ラジィ抜きには今のウルガータはあり得ないのだ。

 クィスの言った通りだ。人と人とのふれ合いとは感情の交換であるのだと。そういう意味では一貫して神になることが望みであるラジィは、やはりその根底が人間ではないのだろう。

 いや、


「そして私も変わった、か。此処に来たことで家族ごっこをしてもいい、と思えるようになってしまったしね」


 天使はだいたいこの世に生まれ落ちてから五、六年で死ぬか神として臨界するのが普通だ。

 そういう意味ではラジィもミカも、天使という種の平均寿命に比べて長く生きすぎている。人に感化されすぎてしまったのだろう。



 ラジィは天使らしくない天使になってしまった。ラジィと融合したミカもそうだった。

 どちらも、人の世界で長く生きすぎたのだ。



「私の代わりに地下鍾乳洞神殿で死んだヤナって子は、人生っていうのは自分が望むように自分の命を使えたか、って言ったけど――ドンもそう思う?」

「ミッチェルファミリーなら、笑って死ねればそれは良い人生だと言うだろうよ」


 人はどうせ死ぬのだから、人生の長短になど意味はなく、ようは死の瞬間に満足できているか否かが最も重要なのか。


「私が、私に優しかった人に少しでも長く生きて欲しいと思うのは――天使である私に人としての幸せを得て欲しい、と思うのと同程度に的外れなのかな」

「さてな、人生観に正解なんてねぇんだろうよ。みんな我欲と他利を摺り合わせて何とか生きているだけなんだからな」


 我欲、自分が幸せになりたいと願う心。

 他利、他人を幸せにしたいと願う心。


 究極的には社会とはその摺り合わせだ。その社会の中にいる以上、天使とてその事実から逃れられない。

 故に、


「誰もが幸せになれる人生を選び取れないのは、苦しいわね。この苦しみを最初に知れれば良かったのに」


 ラジィ・エルダートは望む全てを幸せにすることはできない。

 それはどれだけ未来予測ができるラジィでも変わらない、変わらないのだ。






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