■ 295 ■ リュキアの終焉 Ⅳ
「誰ぞ、生きておるものはおらぬか、誰ぞ」
視界にある最後の敵魔術師を屠り、ルフリウムの地に降り立ったステネルスはそう配下の竜牙騎士団に声をかけて回るが、その声に応えるものはいない。
城壁が破られたルフリウム城内には今や無数の死体が山のように転がっていて、どちらが敵でどちらが味方の亡骸なのか、見分けるのも困難なほどだ。
仲間の死体を踏み越え、仲間の死を以て前進し、自らの死と引き替えに城壁を為す石材の一つでも破壊して果てる。
いっそ無駄死ににすら近いほどに命を使い潰して、連日猛攻を加えてルフリウムへの突破口を作り上げてきた。
ステネルス一人で、少なくとも三百は殺した。竜牙騎士団全体で恐らく二千を超える、雑兵と手練が入り交じった玉石混交の
「誰ぞ、生き残りは本当にいないのか――」
ふと、足元に転がっている死体が目に留まる。
ラーマコス。竜牙騎士団で最もステネルスと親しくしてくれていた、まだ年若い騎士は敵魔術師の死体の中央で事切れ、虚ろな眼窩を宙空へと向けている。
「先に逝ったか、ラーマコスよ……他の、皆も。私を、一人、残して……」
誰からも返事を貰えず、ステネルスは王城の中心で力無く崩れ落ちた。
実際のところ、既に神殿を作成するどころか空を飛ぶ余力も失ったステネルスもまた満身創痍だ。
脇腹には深い刺し傷が刻まれているし、両腕は飛来する魔術をいなすために盾と使ったせいでズタズタだ。
このまま手当をせずに放置していれば、ステネルスは失血死するだろう。それが分かっていても、誰もいないこの王城に一人取り残されたステネルスにはもう、生き延びようという意思が欠けている。
視界の傍らに動く影を見つけた、と思ったらそれは死体を囓るネズミのようだ。ネズミと目があったステネルスはハハッと力無く嗤う。
味方は全滅したようだが――果たして敵は全滅したのだろうか? まだそこいらの徴発兵に魔獣の心臓を喰わせた雑兵部隊を組織して、再び攻めてくるのではないか。
だとすればステネルスはこれを竜牙騎士団として、たとえ一人になろうと迎撃せねばならないが――
「情けない限りだ、な……第二王子としての責務を、果たさねば、ならない、と、言うのに」
身体が、もう動かない。
それ以上に心が折れている。共に戦ってきた竜牙騎士団の全滅が、ルフリウム城下の兵士たちの全滅が、想像を超えてステネルスを打ちのめしている。
竜牙騎士団を率いてルフリウム城下町の改善を始め、それも最近ようやくある程度軌道に乗り始めていた、その最中にこれだ。
ステネルスがやってきたことは全て炎と瓦礫の中へと消えた。残るものは何もない。
唯一残っているのは竜牙騎士団長の証である
こんな、誰の助けにもならないものが王家の至宝であるだとか、馬鹿らしいにも程がある。
はぁ、と息を吐いて、ステネルスが天を仰ぐと、
「ははっ、精根尽き果てた様な顔をしてやがるな。無様なものだ」
そう、どこかで聞いたような声で嗤われて、ステネルスは呆然と声のした方に視線を向ける。
「呑気に座ってるなよ。ノクティルカは
だが、その視線の先にいる人影にステネルスは心当たりがない。
「……何者だ、ノクティルカの魔術師か」
「冒険者だよ、死体漁りさ。竜牙騎士団ならいい装備を調えているだろうからな」
冒険者だ、と名乗った男はしかし、フード付きローブに身を包み、その顔には仮面を付けていて、素性は知る由もない。
だが少なくともステネルスを此処で害するつもりはないようで、いつの間にか失われていたステネルスの聖霊銀剣を手にしているのは――だからやはり死体漁りなのか。
「次の戦いのためになるべくいい装備を調えておきたくてね。抵抗する気の失せた負け犬なんぞにご大層な武器は不要だし、貰っていってもいいだろ?」
ヒョイ、とステネルスの聖霊銀剣を掲げて、仮面の裏で恐らく嗤ったであろう男に、ステネルスもまたぎこちない笑みを返す。
またしても愛剣を奪われるとは、とことんステネルスは武器と相性が悪いらしい。
「構わんが、駄賃代わりに頼まれてはくれんか? これをリュケイオンの――」
そう、腰の
「リュケイオンなら落ちたぞ。国王シェンダナも第一王子ストラトスも討ち死にした。残るリュキア直系男子はリュカバースにいるスティクス・リュキアだけだが、どうする?」
思考が、呼吸が停止する。
ルフリウムがこのザマなのだ、なんとなく予想はしていたが――改めて他人から突きつけられれば、やはりステネルスの折れた心に更にヒビが入ってしまう。
「そう、か……兄上は身罷られたか」
「ああ。で、今どんな気分だ?」
そう仮面の男に明日の天気でも尋ねられるような声音で問われ、ステネルスはその意味を把握しかねた。
「どんな、とはどういう問いだ、それは」
「だから血を分けた弟をぶち殺して辿り着いた未来がこれなんだろ? だから今どんな気分なのかな、って今後の参考までに聞きたくてね」
挑発、あるいは嘲笑われているのだろう。それは死にかけた頭でも理解できる。
だがそう問われたステネルスの理性は、あり得ない問いかけをされている、と警鐘を鳴らし始める。
「まぁ、そのスティクスも今度こそヤバ目だがな。何せノクティルカの狙いはスティクスのいるリュカバースだからな」
あり得ないことを今、ステネルスは三つも言われている。
一つには、スティクスが未だ生きているということ。
二つには、スティクスの殺害を下手人はさておきステネルスが行なったということ。
三つには、ノクティルカの狙いが、今スティクスがいるリュカバースだということ。
――この男は、何故それを知っている。
一つだけ取ってみても常人には知り得ない情報を三つも叩き付けられれば、死際のステネルスとて疑問を抱かずにはいられない。
「其方……何物だ」
問うステネルスに、返されるは失笑だ。
「オイオイ王子様、社会の裏で暗躍しているのがお前だけだとでも思ってるのか? 貴族のくせにおめでたい頭だな」
「間諜――細作の類か」
改めて、ステネルスは冒険者だという男が仮面で顔を隠している理由に思い至った。
こいつは、この男は要するに表の仮面で冒険者を、裏の素顔で社会の暗部を探っている、闇の狭間で生きる者の一人なのだ、と。
「で? 参考までに聞かせてくれよ。弟を殺しまでして積み上げた全てをご破算にされた、今の心境って奴をさ」
そう仮面の男に嘲るように問われて、そしてステネルスの脳内に再び別の違和感が滲み始める。
この男、この男の声をステネルスは確かに聞いたことがある。だが、一体どこで――という思考よりもステネルスにとって、男の問いの方がどうやら重いようだ。
「――自分の、愚かさ、視野の狭さに、後悔している。もっと、早くに色々なことを色眼鏡無しで知れていたら――」
「違う未来があったかもなぁ。確かにそうだ。要するにこれはお前が選んだ末の結末って奴だ」
「そうだな……何故、人生は一度きりで、やりなおしが――きかないのだろうな」
そうステネルスが零すと、何故か仮面の男が怯んだのがステネルスにも分かった。
だが、自分の語った何が男を揺るがしたのか、それが分からない。
「聖霊銀剣の、駄賃代わりに……頼まれてはくれんか?」
「何をだ?」
再び
「スティクスが――生きているというのなら――これをスティクスに渡して」「無意味だ」
「……何?」
「それはスティクス・リュキアの手の内にあっても意味がないんだよ」
分からない、仮面の男の言葉の意味が分からない。
「どういう……意味だ? そなた、何を知っているというのだ。リュキア王家の私でも知らぬことを……」
「さて、あの世でもしシェンダナに会えたら聞いてみるがいいさ」
「……父の、関係者なのか、お前は」
「そうだよ。シェンダナの望みを叶えるための後押しが俺の仕事。お前の望みを叶える義務は俺には無い。たとえお前が王子だとしても俺に命令できると思うな、愚鈍」
理由は、良く分からないが。
だが仮面の男がスティクスに
「なら、せめて……スティクスを……助けて、やってくれ」
ならば、ステネルスが最期に思うのはただそれだけだ。
スティクス、スティクス・リュキア。会って最後に話がしたかった。だがステネルスの未来は此処で果てて、この先へと続かない。
だから、ならばせめて、
「生きていたのなら――この先も、生きて……リュキア王家など、どうでも、よいから――リュキアの――民を」
「そりゃ無理だろ王子様、よく考えろよ。リュキアの民なんてクソ共を、よりにもよって自分をぶっ殺そうとした奴に背負わされるとかクソ食らえだろうが。ん?」
「……だな」
ハハッとステネルスは嗤った。最後までステネルスはスティクスを自分の都合よく動かそうとしか考えられないらしい。
「ならば――リュキアの、民では、なくとも……せめて、スティクスが――自分の、救いたいと思う、人、だけ――でも、救える……に」
ステネルスの視界が霞んで、ぼやけていく。どうやら相当に血を流しすぎたようで、脳に血が回っていないのだろう。
これが、だからステネルスの紡ぐ最後の言葉であり、だから、
「いいだろう。義務は無いが最後の情けだ、お前の願いは叶えてやる。元より俺もスティクス・リュキアに死なれちゃ困るんでな」
「感謝……、る」
「はっ、一回ぐらいは貴様の無様な死に様を拝んでやろうと思って来たんだが……ある意味無駄足だったな」
仮面の男が聖霊銀剣を振りかぶり、それが餞であると気が付いたステネルスは、そっとうなじを晒して項垂れ、そして、
「じゃあ、あばよステネルス。情けのついでだ、死体はノクティルカの連中に渡らないよう処分しておいてやる」
聖霊銀剣が振り下ろされ、ステネルスの首が静かにルフリウムの中庭へと落ちる。
そうして、ステネルスの亡骸を灰と焼き捨てた仮面の男、【
「始まりも終わりもリュカバース、リュキア始まりの港か。俺の道行きもこれでようやく終わりだ。長いようで短かったな」
スティクス・リュキアにフォンティナリア・パダエイ・ノクティルカ、天使ラミ、そしてエテルナリア・ユグルカ・ノクティルカ。
リクスにとって必要なピースはこれで全て、リュカバースに揃う。
「主役はあくまでティナとクィスだ。俺の存在はどこにも残らない、本当にその通りだったな」
故に、これがリクスにとって最後の仕事となるだろう。
この仕事によってリクスが救われることはない。全ては無意味だ。リクスもまた、ステネルスと同様に何も成し得ないまま死んでいく、歴史にその名を残せない影に過ぎない。
だが、それでも、
「だが、たとえこの手には何も残らなくても――それでもそうありたいと願ったのだから」
だから、影法師リクス最後の仕事を始めよう。
全ての役者が揃い、リュカバースが朱に染まり、誰もが絶望の淵に沈んで、それでもあの二人が諦めないのならば――
「さあ、勝負だアズライル、ノクティルカ、そして
もっとも、その答え合わせの結果をリクスには知る術がない。
その答えを知ることができるのはこの世で唯一、スティクス・リュキアただ一人だけだ。
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