■ 089 ■ エルダートファミリーの出陣




 灯火の消えた自室にて、ラジィは着ていた服を全て脱ぎ捨て、一糸まとわぬ裸体を月明かりに晒す。


 ベッドの上においた木箱から、先ずは白のキャミソールと漆黒のガーターベルトを取り出して装着すると、ベッドに腰を下ろしてオーバーニーソックスを手に取る。

 するりとそれに右脚を差し込みソックスを太腿まで引き上げ、前後をベルトで固定。左脚も同様に漆黒のソックスで包む。

 ソックスの上から股下より少し丈のある短いドロワーズに両脚を通し、腰紐と両脚の紐を結んで、ラジィはベッドから立ち上がった。


 木箱から純白のインナードレスを頭から被って袖を通す。これもまたローブと同じデザインのため、腕とスカートの下側両開口部は大きく広がっていて、これだけだとまるでクラゲのようだとラジィは思わないでもない。

 そのまま袖を通すのに苦労しながらインナーの上にローブを纏い、両腕に手の甲と手首の少し奥までを覆うレース編みのフィンガーレスグローブを、首にチョーカーを装着。


 さらにグローブの上から装飾士パオロに作らせた、表面にピジョンブラッドがズラリと並んだブレスレットを両手にはめて靴を履けば、戦支度は完了だ。


「どうかしら、フィン、ラオ」


 具合を確かめるように爪先立ちでくるりと一回転すると、花のようにスカートが広がって、それだけでもう新品純白のドロワーズが覗きそうになる。というか覗いてる。


「お美しゅうございますよ、主さま。とてもお似合いです」

「左様、これから向かうのが舞踏会ならばよかったのだがな」

「舞踏会よ、死の舞踏ダンス・マカブルだけどね」


 ベッドに転がしていた竜鱗の槍を手にとって、ブレスレットが柄と干渉しないことを確認し、ギュッと得物を握り締める。

 そんなラジィの背中――ラジィの手でローブとインナーに切れ込みが入れられている背中を見やったフィンが、悲しそうに目を伏せる。


「やるのですね、主さま」

「ええ、やるわフィン。万が一、臨界状態が私の意志で解除できない場合に外部からの強制遮断、お願いね」

「畏まりました」


 今日の勝利を得るために、ラジィはこれから禁忌に手を染める。その代償として力の使い方を誤ればラジィはこの世から消えてなくなるだろう。

 自分としてはそれでも構わないが、こんな自分にも幸せになって欲しいと願ってくれる人がいるのだ。ならば可能な限り生きるための努力を惜しむべきではないだろう。


 その先にラジィの救いも幸福もないのだと、最初から分かっていても。


「ラオ、嫌な役を押し付けるけど、貴方だけが頼りなの。ごめんなさい」

「構わぬよ、皆が自分で為せることを為せばよい。それだけのことだ」


 今宵、ラジィが仮に勝てたとしても、その勝ち方は最低のたぐいに属するだろう。

 だが、たとえ最低と言われようと、ラジィは勝つしかないのだ。

 自分を助けるためにクィスとティナがグラナの恨みを買い、処刑対象になってしまっているのだから。


「では、行きましょう。明日の朝日を皆で拝むために」

「はい、主さま」

「久しぶりの戦よ、血沸き肉踊るなぁ」


 ラオを肩に乗せ、フィンを従えてラジィは自室を後にする。部屋に残るのは、カイとツァディに宛てた遺書だけだ。


 階下に降り、礼拝堂の扉を開くとクィス、ティナ、アウリスの三人は既に準備を完了していたようだ。


「綺麗だよジィ。よく似合ってる。黒百合の妖精みたいだ」


 さらりと褒め言葉が衒いもなく出てくるのは流石元貴族の頂点、王族の面目躍如か。


「ありがとうクィス。三人とも準備は良さそうね」


 クィス、ティナ、アウリスの三人は黒のスラックスと白いシャツ、黒のベストとごく普通の出で立ちだ。代わりにラジィお手生のアミュレットを腕に一つ、予備として二つをそれぞれポケットに忍ばせている。

 ベストの背中にもポケットが三つ備えられていて、そちらにはポーションが一本ずつ収納済みだ。

 服装こそ普通だが、総合的な耐久力はラジィより上だろう。


 武装はアウリスのみ佩刀、ティナとクィスは獣為変態するため武器は不要だ。

 ただ、クィスは背嚢を一つ背負っていて、中身はどこまで効果があるかは不明だが、多少は火力の足しになるだろう。


「ああ、今日は私も奥の手で獣為変態みたいに少し外見に変化が出るけど、気にしないでね」

「? 地母神マーター魔術にも変態する魔術があるんです?」

「いいえ、私だけのオリジナルよ。どちらかと言うと秘蹟紋フォーミュラに近いわ」


 三人は顔を見合わせたが、ラジィがそれ以上は語らなかったので、あえて口を閉ざした。


 何せ秘蹟紋フォーミュラに近い、ということは、つまりは人ならざる御業であるということ。

 だからの奥の手であり、できればラジィも隠しておきたかったのだと何となく分かってしまう程度には、もうこの三人はラジィのことを理解できている。


「……ごめんなさい、巻き込んじゃって」


 そうラジィが三人の誰に言うでも無くポツリと呟くが、


「それってこっちの台詞でもあるからなー」

「うん。別にジィに巻き込まれたわけじゃ無いと思うし」


 ティナもクィスも内心では後ろめたさを覚えているのだ。

 そもそもノクティルカ特殊部隊が焼き討ちなんぞを企まねば、ラジィはマフィアと手を組むこともなかったはずで、ティナはその連中を統べるノクティルカ一族だ。

 じゃあそのノクティルカ特殊部隊が何でやってきたのか、というと予言された竜を撃滅するため、つまりクィスかそれに類する誰かを討ち取るのが目的だったわけで。


 クィスはランベールらノクティルカ特殊部隊についてティナやラジィから詳しく話を聞けたわけではないが、前後の話をつなぎ合わせればその程度は想像できる。

 そう追っていくと、ティナからも自国の都合に二人を巻き込んだように見えるし、クィスからも竜化する自分の異常性が周囲を巻き込んでいると見えなくもないのだ。


「要するに、運命だったということでしょう」


 そう纏めたアウリスの言葉の通りなのだろう。

 ラジィが悪いわけでも、ティナが悪いわけでも、クィスが悪いわけでもない。


 ただ、偶然が重なってこの状態に陥ったというだけのことだ。誰かが反省したり罪悪感を覚えれば解決するような話ではない。

 故に謝罪は無意味だ、とクィスらが告げると、


「でも、こうは思わない? もう少し自分に運があれば、もっと違った可能性もあったかもしれないって。もっと楽に素晴らしいスローライフができたんじゃないかって」


 ラジィが珍しく「たられば」の話を振ってきて、その意図はクィスたちには分からなかったが、


「思わないかな。だってどこかでボタンを掛け違えていたら、こうやってジィと知り合うこともなかったかもしれないし」

「それねー。ジィはあの濃紺ワカメに酷い目に合わされたからそう考えるのも仕方ないけどさ。私たちはジィに出会えたこの偶然に感謝してる。楽させて貰ってる自覚あるし」


 そう二人があっさり否定すると、ラジィが嬉しいとも悲しいともつかない顔をした。

 その理由は二人には分からないものの、すぐにラジィは顔を引き締めてしまう。


「そう。ならばこの今を乗り切りましょう。乗り切って、この運命を未来に繋げましょう」

「ああ。六人揃って、ここに帰ってこよう」

「多勢に無勢、数で押し切ってやりましょー!」


 相手は一人、こっちは魔術師が八人いるのだ。契約によりフィンは見てるだけだが、それでもまだ七人いる。そう簡単には負けやしない。


「では家長、号令を」

「合点承知!」


 ラジィにそう促され、ティナはグット拳を握りしめる。


「よーし、ではエルダートファミリー、出撃!」

「応!!」


 そうして教会の扉を開いて、ラジィたちは満月の元、現在の前線たるリッツォーリファミリーのシマへ向かって歩いて行く。

 住民たちも、恐らくはマフィアたちが注意して回っているのだろう。通りを行くものは満月だというのに猫の子一人も見当たらない。


 明日の朝には、どこかのマフィアが魚の餌になっていると、リュカバースの住人たちはもう分かっているのだ。

 それが僑族たちが結成するマフィアの抗争と入れ替わりが長らく続いてきた、リュカバースという土地の特徴なのだから。




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