■ 210 ■ 闇夜に花散るその下で 後編
「おおぉおっ!」
クィスが振るわれる薄刃を両手で掴んで、ダリルの背中に蹴りを入れるも、その薄刃は見た目に反してかなり頑丈に出来ているようだ。
ダリルの身体から引き千切ること能わず、逆にクィスの手の内を蹴りつけた反動で薄刃が走り抜けて、両掌がパックリと裂けた。
「「【
倒れ込んだダリルの背中にラジィとクリエルフィの飛斬撃が突き刺さり、しかし平然とダリルは立ち上がる。
「そんな! 切れませんの!?」
「獣為変態、
既に仮面もない素顔のダリルは、その瞳に知性の色はなく、ただただ獣のように牙の隙間からヨダレを垂らして三人を見やり、
「グガァ!」
この中で一番与し易しとみたか、クリエルフィ目掛けて躍りかかる。
「クリエ下がれ!」
掌の痛みには気にせず拳を握り直して、ピーカブーのままクィスは走り出し、薄刃の嵐をくぐり抜けて脇腹に拳を叩き込む。
僅かにダリルの動きが鈍り、
「【
神速の踏み込みでラジィがダリルに迫り、聖霊銀剣をダリルの腹に突き立てるが、浅い。
聖霊銀剣はダリルの腹筋を浅く抉るのみに留まり、
「ゴァアアアッ!」
振り下ろされる双剣を竜麟の剣で受けたラジィの腕に、ダリルの薄刃がしゅるりと巻き付いた。
「なっ!?」
ラジィのローブは最上級品故に、薄刃程度では切り裂くことは能わないが、だからこそ逆にその薄刃を巻き込んで腕を取られてしまう。
「ジィ!」
「【
ラジィの身体が身をひねるダリルの動きに合わせて軽々と宙を舞い、
「がはっ……!」
凄まじい勢いで振り回され石畳に叩き付けられる。その衝撃にラジィは両手の剣こそ手放さないものの、腰椎にヒビでも入ったか、ビクリと弛緩してそのまま立ち上がれずにいる。
「クリエ、カバーを!」
「畏まりました!」
ラジィを背に負うようにクリエルフィがラジィとダリルの間に割って入り、だが、
「駄目だクリエ影が!」
「え!?」
薄刃の影がクリエルフィの影と重なり、クリエルフィの動きがぴたりと止まる。
即座にクィスが火弾の明かりで影を消すものの、
「くうっ……!」
踊る薄刃がクリエルフィの右手首を鮮やかに切り裂いて、血飛沫が石畳にピシリと走る。
かなりの深手だが、両断はされていない。右手がまだ動いているのはクリエルフィが戦場の機微を学んだ咄嗟の回避の賜物だ。
「止血を! 時間は稼ぐ!」
「すみません!」
全身の獣為変態を再開して、クィスは鱗の防御力に任せて突貫する。
踊る薄刃が脇腹の鱗を引き剥がし鮮血が零れるが、気にせず距離を詰めてダリルの双剣を握る両腕を掴んでヘッドバッド。
即座に右手を離し、固く握り込んだ拳を顎も割れよとばかりに真上へと振り抜いた。
――浮いた、今だ!
すぅ、と息を吸い込んで全力のブレス照射を行うも、
――器用な奴だな、クソッ!
ダリルは薄刃を石畳の隙間に突き刺し空中で姿勢を制御、クィスのブレス照射から逃れてみせる。
手傷は与えられなかったが、しかしブレスに晒されたダリルの左手の剣が溶け落ちて、それをダリルは即座に投げ捨てる。
変わりに生えるはクィスと似たような獣の爪で、射程は短くなったが戦力は全く削がれていない。
飛び掛かってくるダリルの剣を躱し爪を打ち合い鳴らし、互いの膝が鈍い音を立ててぶつかり合い、即座に両者が後退したところで、
「クソッ、何やってるんだリーダー!」
「いくら捨て鉢だからって民間人の殺害はやり過ぎです!」
どうやらシェリフとジェロームが屋根の上を走ってこの場に駆けつけたようだが――拙いとクィスの身体を悪寒が貫いた。
「避けろジェローム、それは敵だ! 居場所がバレてるぞ!」
「……はい?」
ジェロームにはダリルが合流したように見えたのだろう。跳躍してきたダリルから距離を取ることもなくダリルの剣が何もない空間を走り抜けて――
「あ……なん…………で……リー……ダー……」
幻影とはいえ、それはそのまま姿を別の場所に映しているだけなのだろう。
明らかにダリルと離れた位置にあるジェロームの身体が両断されて、ズルリと石畳に零れ落ちる。
「ジェローム! 畜生どうなってやがんだよリーダー、何で!」
「ダリルは発狂してるんだシェリフ! 取り込んだ魔獣に意識を食われてるんだよ!」
「あ!? 何だよそれ! テメェらがやったのか!」
「違う!
言い終わるより早くにダリルがシェリフに襲いかかり、
「匂いだ、匂いを追われているぞシェリフ!」
「獣の鼻かよクソがぁ! すまんリーダー!」
シェリフが【
「んだとマジかよ!?」
「下がれシェリフ! クソッ!」
刀身が溶断され溶け落ちるまでの時間さえ稼げれば、ダリルにはそれで十分過ぎるほどだ。
「グアッ!」
薄刃を躱したシェリフの脇腹にダリルの爪が深々と食い込み、追撃を振るわんとするダリルからシェリフを逃がすべく、
「間に合えっ!」
クィスがシェリフを思い切り突き飛ばし、たたらを踏んだクィスの腹にダリルの踵が食い込んでそのままクィスも蹴り飛ばされる。
そのままシェリフを追おうとするダリルの背中目掛けて、
「街へは行かせないっての!」
「仲間を殺しても一切躊躇もしませんか!」
ラジィとクリエルフィが突撃する。
「「【
二振りの聖霊銀剣と竜麟の剣。合わせて三本がダリルの背中を突き破り腹から切っ先を覗かせるが、
「んなっ!」
「嘘でしょう!?」
骨と、そして
「避けろジィ!」
流石に剣を手放したラジィとクリエルフィにそれぞれ、薄刃で引き抜かれたそれぞれの剣が、
「ぐうっ……!」
「あぐっ!」
二人の腹に深々と突き立てられる。
流石のラジィのローブも、竜麟の剣を前にしては突破を許さざるを得ないようだ。急所は躱したようだが、石畳に血の池が広がっていって、とても楽観視はできない大怪我だ。
「くそっ、これ以上は!」
突貫したクィスが未だダリルの背中に残ったラジィの聖霊銀剣を掴んで横一文字に振り抜いた。
聖霊銀剣が脇腹を引き裂いてその刀身を露わにし、だが胴体を半ば両断されて、なお。
「化け物かよ……!」
ダリルは獣の筋力で出血と内臓を抑え込み、より人のいる方向を目指して走り出そうとする。
その有り様はまさに魔獣としか言いようがなく、だから、
「ダリル、もう止めて!」
だから、ヤナがそうダリルの前に立ちはだかろうと、そのすべてがもう無意味なのだ。
「駄目だヤナ避けろ! もうダリルに言葉は通じないんだよ!」
「嫌だ! 人を獣扱いするな! ダリルもあたしも人間なんだって! そうダリルが言ってくれたんだから、そうでしょう!? ダリル!」
そんなヤナの問いかけにもダリルはもう応えはしない。応えるのは薄刃と爪、人を切り裂く凶器のみ。
誰もがヤナが爪で引き裂かれる姿を幻視し――
「……そこまでにしとけや、リーダー」
ヤナ目掛けて振るわれた爪を、しかしシェリフがその体を盾にして食い止める。
左胸から右脇腹へ爪が走り抜け、ショック死しかねない致命傷を負ってなおシェリフは倒れない。倒れるわけにはいかないのだ。
「ほれヤナ、最後の役目だ……生きてママに報告を持ち帰れよ。負けました、すみませんってな」
「嫌だ、やだよシェリフ!」
しがみついてくるヤナを後ろに蹴り飛ばし、これが生涯最後とシェリフが神への祈りを捧げる。
「虚なる大空、輝ける日輪。天と地の狭間にまします
シェリフを引き裂いた十本の爪を縦に重ね、ダリルはシェリフが最後の抵抗として放った【
赤熱する爪が焼ける嫌な匂いが立ち込める。死に際のシェリフの矛が勝つか、狂気のダリルの盾が勝つか。
その軍配は十本の指と引き換えに、シェリフの詠唱込みの火線砲すらも凌ぎきったダリルに上がり、
「うっおおおおおおっ!」
それでもなお薄刃でヤナを切り裂き街へと向かおうとするダリルに、クィスが後ろから組み付いた。そのまま大きく翼を広げる。
「ジェロームを、シェリフを! 仲間を切り刻んでおいてまだ殺したりないのかよ!」
そのままダリルごと空に舞い上がるが、ダリルとてそれを黙って許容する筈もない。
即座に翼が切り裂かれて、二人は揉み合うように落下するも、
「……ありがとう、シェリフ」
既に【
街路へと落下し、石畳を砕いたのはダリルの背中だ。
下がダリル、上がクィスだ。ならばもう後は、
「あぁああああっ!!」
ひたすらにクィスが拳を振り下ろすだけだ。
一撃毎にダリルの鼻、頬の骨が砕ける感触がクィスの手に伝わってきて、同時にダリルの薄刃がクィスの全身の至る所を切り裂き、突き刺さるが、クィスは気に求めずにただただ拳を振り下ろす。
手を止める必要も、負傷を気にする必要もなかった。何故ならクィスの身体は今や、ダリルが傷つける側から癒えていく。
さながらそれは飢えることなき不死の肉体を得たかのようで、そしてそれを誰が為しているか、クィスにはもう分かっているからクィスはただただ拳を振り下ろして――
「これで、終わりだ」
ラジィより弧を描いて投じられた竜麟の剣をクィスは尾で絡め取って両手で柄を握りしめ、それをダリルの心臓へと突き立てる。
一度、ビクリと震えたダリルはそれでついに沈黙し――
「――成敗」
闇夜の死闘は、終わりを告げた。
リュカバースの街とその住人たちの心に、深い傷跡を残して。
§ § §
「勝ちましたか、クィスさん」
腰を痛め腹に風穴を空けられたラジィの身柄をクリエルフィに任せ、巡回を始めたたクィスはそう駆け回らずして目的の人影を見付けることができた。
「二人が助けてくれたお陰でね」
「そう、なら、良かった」
二人、肩を寄せ合って数少ない暗い路地に隠れて座っていたサリタとコルナールは、服は破けて真っ赤に染まっているのに、その下の裸体には傷一つなく、それはまさに今のクィスと同じ状態だ。
即ちコルナールとサリタが
「これで、良かったのかい?」
「ダリルには、これ以上無役な殺生をさせたくなかったから」
「クィスさんには信じられないかもしれませんが、ダリルはすごく人の命は大事にする方なんですよ。この任務だって、最初から不特定多数の市民を巻き込む以上、自分が生きて帰るのは不義理だって、そう考える人だったので」
「どうやってダリルを生き残らせるか、皆で考えたものです」とコルナールは穏やかに笑う。
だが、クィスが厳密に聞きたいのはそこではなく、いや、もう答えはわかっているのだが、
「そうじゃなくてこの魔術、例えばシェリフにかけてもよかっただろうに」
継戦能力を維持するこのサリタの魔術は、別にかけるのはクィスじゃなくても良かった筈だ。
即死してしまったジェロームには手遅れだったろうが、シェリフを生き延びさせることは出来たはずだ。そんな問いに、サリタとコルナールは寂しそうに首を横に振ってそれを否定する。
「チームの責任はチームで背負うもの。それが私たちの誓い」
「たとえどんな理由があろうと、ダリルが虐殺をしたならその責任は私たち全員のものです。その責任は私たちが負いますから、だからヤナだけは見逃してあげて下さい」
死者が出てしまった以上は、責任を負うための
だからサリタとコルナールもこうやって路地に隠れながら、ただ座ってクィスを待っていて、それ以外に何もしなかった。
今ポーションを服用すれば、魔術が切れても二人は生き延びられるだろうに。今はまだ魔術が切れていないのだから、地母神教会リュカバース支部にでも押し入って、ポーションを奪うくらいはやれたはずなのに。
「一応確認ですが、クィスさんはポーション持ってたりしませんか?」
「使い果たしたよ。仮に残っていてもウチのマリンソルジャーに使うだろうね」
今はラジィの分のポーションすら使い果たして、ラジィの身柄をクリエルフィに預けて予備のポーションを取りに行ってもらったくらいだ。
敵であるサリタやコルナールに分けられるポーションなど、残っているはずがない。
「ですよね」とコルナールが笑うのは、最初から期待などしていなかったからだ。
「君たちの最後の仲間は、どうすればいい?」
「ですから、ヤナはできれば見逃してあげて――」
「そうじゃないよ。僕たちの魔術行使を阻害している、八人目の君たちの仲間さ」
そうクィスが告げると、二人が予想外とばかりに目を丸く見開いてしまう。
「……気づいていたんですか」
「ウチの妹は賢いんでね。全知全能ではないけど、
そうクィスが伝えると、コルナールが僅かに眉をひそめた。女の前で他の女の自慢をするなとばかりに。
「どうして、個体を特定できた?」
「簡単なことさ。娼館の禿もフラーラ工房の針子も、装飾品には目敏いんだ。君たち三人と、同じアクセサリを身に着けている人が他にもいて、しかしその一人以外はいないとなればピンとくるだろ」
サリタの魔術と魔ダニは無差別に効果を発揮するから、だから魔術師がそれを防ぐにはアミュレットを身に着けておくしかない。
着替えのためにサリタら三人を裸に剥いた禿もフラーラ工房の針子も、装飾品の最先端をつっ走っている連中だ。初めて見たデザインのアクセサリなら必ず記憶して記録を取るし、その流行具合に目を光らせる。
加えてラジィから、無差別攻撃を躱す手段としてのアミュレットの存在を示唆されれば、当然シェファを通じてラジィに報告が上るわけで。
「本当に、街全体が一丸になってるんですね」
「勝てないわけだ、むしろ負けて当然」
コルナールとサリタがどこか賞賛するように苦笑いを浮かべる。
ただ分かっていてもクィスたちは八人目への対処ができなかったのだから、コルナールたちの手管も見事、とクィスとしては賞賛するしかない。
「できれば見逃して頂けるとありがたいです。彼女は完全に独立していて、この街に入ってから一度も連絡を取り合ってないので」
「そう、それにあの子はもう表の顔のほうが本業になってるし」
「分かった。なら手出しはしないよ。そのまま帰ってもらう」
そう伝えると、二人はやはり安心したようだった。
ほっと胸を撫で下ろし、だから二人をこの場に縛り付けておく鎖はもう、一つとして残ってはいない。
「ありがとうございます。じゃあもう、ここまでかな」
「うん。魔力も、もうそろそろ切れる」
サリタとコルナールの魔力が切れるということは、今見た目には消えている身体の傷が再び開くということだ。
その身体に刻まれているであろう致命的な裂傷は、二人がダリルの虐殺を止めようとした証でもある。
「ありがとう、たとえダリルの為であっても、虐殺を止めようとしてくれて」
「お礼とか言わないでくださいよ、恥ずかしくて死にそうになります」
「うん。足止めにもならなかった。顔から火が出そう」
そう二人が笑う顔は年頃の少女のそれで、どうして自分は明日も続く世界にこの笑顔を返してやれないのかと。
それが、クィスは悔しくてたまらない。
そんなクィスの悔恨とは別に、
「最後に一つだけ教えて欲しい。竜牙騎士団のマコが先輩と呼ぶクィスは、一体何者だったの?」
サリタとしては最後の疑問を払拭しておきたかったようだ。
同じくコルナールが興味深そうに上目遣いを向けてくれば、クィスも降参とばかりに軽く顔を横に振った。そういう表情が一番自分を可愛く見せると、コルナールは知っているのだろう。
「僕はこの街で一度死んで、ある人に助けられてクィスという真っ当な人間になった。死ぬ前の存在価値すらなかったゴミの名になど意味も価値もないけど――スティクス・リュキアというのが
その名を聞けば、僑族であろうとサリタもコルナールもリュキア在住だ。リュキア、という姓が何を示すのか分からないほど暗愚ではない。
「リュキア……そうか、クィス。貴方が」
「第三王子かぁ。ははっ、私たち、王子様を振り回してたんだ……ふけいでしねる」
コルナールとサリタが目を丸くして、ほんの少しだけクィスは自分の前世がスティクス・リュキアだったことに感謝した。サリタも驚愕に我を忘れたような顔をすることがあるのだな、と。
「王子じゃない、ただのマフィアさ。スティクス・リュキアは三年前にこの街で死んだんだからね」
そう告げると、それにどれだけの意味があったのかクィス自身は分からないが――それでコルナールとサリタは思い残すことがなくなってしまったようだった。
「ではただのクィスさん、すみませんが介錯をお願いできませんか。できれば苦しい時間は短くしたいので」
そう笑うコルナールが何を望んでいるのか、クィスには問うまでもなく理解できた。彼女の望みは介錯などではなく、クィスに自分を殺させることなのだ、と。
それはコルナールを殺した罪をダリルに背負わせないためであり、何よりコルナールはクィスに傷を残してやりたいのだ。
自分が生きた証として。
そして自分を選んでくれなかった罰として。
クィスがコルナールを殺した事実を、その命を断つ感触を。
せいぜい少しでも長く、忘れられずに苦しむように、と。
「……分かった。」
「ありがとうございます。こう言うのはなんですが、少しは引きずって下さいね。そうじゃないと私、本当に無意味な人生になっちゃう――」
そうはにかむコルナールをクィスは引き起こして無理やり立ち上がらせると、その唇を無理やり自分の唇で塞いで、舌を口腔内に捩じ込んだ。
驚いて目を見開いていたコルナールであったが、やがてそっと目を閉じて舌を絡ませてきて――そして、魔術が途切れる。
服ごしにコルナールの血の温かさを感じながら、クィスはコルナールの背中に思い切り爪を突き立て、心臓を貫いた。
ビクリ、と震えたコルナールの唇がクィスの口から離れて――
――さよなら、だいきらいなおうじさま。
そしてコルナールの身体から全ての力が抜け落ちて、クィスの腕の中でコルナールは息絶えた。
「ありがとうコルナール。僕
そうして、力尽きたコルナールをそっと下ろすと、サリタの目から一筋、雫が零れ落ちた。
「馬鹿だ、コルナは。好きなら奪って逃げてしまえば良かったのに」
「……コルナールは君のことを何よりも大切に思っていたからね」
「だから、馬鹿なの。コルナまで私と一緒に捨てられる必要なんて、なかったのに」
サリタの側仕えだったコルナールには、サリタが親に捨てられようと別の奉公先に向かえばよかっただけで、サリタに付き合う必要など一切ない筈だった。
それなのにこうしてコルナールは最後までサリタに付き合って、そしてサリタより先に死んで。
「コルナの人生を意味のあるものにしてくれてありがとう、クィス」
「それは違うよ。コルナールの人生に華を添えたのは君だ。君が生きている限り、コルナールの人生には意味があったんだ」
サリタが曖昧に笑ったのははたして肯定だったのか、それとも否定だったのか。クィスには分からない。
「介錯は、必要?」
そう尋ねると、サリタは小さく首を横に振った。
「コルナールの命だけを覚えていて」
そうしてサリタもまた魔術を停止すると、身体を袈裟懸けに走り抜けた怪我から……もう殆ど血は零れてこない。
「ただ……叶うならば、最後まで側に居てほしい」
「分かった」
そうして三人は並んで、路地の隙間から狭い狭い星空を見上げた。そこには無数の星の光のみならず、再び打ち上げられた花火が次々と花開いていて――
「花火、上げてる場合?」
「カルセオリー伯から文句でも入ったのかもね。そもそもこの祭りはラーマコス・カルセオリーのための記憶作りでもあるから」
「そっちも、お貴族様には、苦労、させられて……るんだ」
「サリタたちもか。兵隊は辛いね」
「うん……辛い」
そうやって、次々と打ち上げられた花火が燃え尽きて、リュカバースの空が平静を取り戻した時。
クィスの隣に確かにあったはずの命の火も、静かに燃え尽きていて。
そうしてダリルに負わされた数多の傷が再びクィスの身体に刻まれるが、何故かクィスは痛いとは感じなかった。身体より先に、心が痛んでいるからだろう。
「さよなら、サリタ」
リュカバース開港記念祭は、これで閉幕だ。
明日からは一週間前と変わらない日常が戻って――
戻ってくるはずもなく、裏路地でクィスは静かに泣いた。
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