■ 331 ■ 【神殿】候補生カイ・エルメレク
「エルメレク候補生、教会の制圧は完了しました」
「ありがとうございます、皆さん」
ダート修道教会の礼拝堂にて、神殿騎士たちが居住まいを正して敬礼する。
「それと、本日皆さんが目にしたものは他言無用にお願いします」
「畏まりました、決して口外は致しません」
神殿騎士の誰もが真顔で頷いて、カイはホッと胸を撫で下ろす。
此度の人選、元々は司祭が麻薬に手を出すという醜聞の取り締まりであり、特別口の固い真面目な信者を集めている。恐らく全員が天使については黙秘を貫いてくれるだろう。そこはカイも心配はしていない。
「しかし、想定というのは外れるものですね……」
確かに天使は孤児の中から現れるとは聞いていたが、まさか自分が相対する事になるとは予想もしていなかった。
しかもそれが人を救うどころか人界を大混乱に叩き落としかねない危険な神になるなどとは。
神殿騎士に被害が出なかったのはあくまでツァディがいたからで、もしこの
その場合は、恐らく天使は完全に
念のために一応、神殿騎士たちに書類などを押収するよう司令を出して、カイは改めて赤竜のせいで青天井となってしまった礼拝堂の長椅子に腰掛けている弟子へと歩み寄る。
「ディー、天使の容態は如何ですか?」
ツァディの腕の中にいる訓練兵は、今は落ち着いた様子で小さな胸を上下させている。呼吸も安定し纏っていた神気は消え失せ、今は翼も光輪もない元の人の姿に戻っているが……いや、元のと言うには語弊があるか。少しだけ身長が縮んでいるようにも見える。
毛細血管が破裂したのかローブが真っ赤に染まっているが、出血量そのものは見た目ほど酷くはなさそうだ。
「見た目は人に戻ったよ。でも見た目だけだ」
「……見た目だけ、とは?」
まだ天使としての力を発揮できるのか、とカイは疑ったのだが、
「骨とか肉とか内臓」
ツァディが言いたいのはそういうことではないようだ。
「腹の中とかはまだ目茶苦茶なままだと思う。触感が普通じゃないし」
「体内から翼が生えてくればそうもなるか……これは早めに【
せっかく殺さずに済ませられたのだ。このまま内臓が変に繋がっているせいで死なせでもしてしまったら、元も子もなくなってしまう。
「神臓は?」
「これだよな? そらよ」
ヒョイ、とツァディが赤い球体を投げ渡してくれば、それが纏う神気にカイですら怖気が止まらず冷や汗が吹き出してくる。
これは、人の手に余るものだと。人が玩具にすることなど許されない神の御業である、と。
「カイ姐、まさかジィを殺したりはしないよな?」
ツァディにそう睨まれればカイとて心穏やかではいられない。
ただカイからすればもう、どうやってもこの天使を殺す理由がなくなってしまっているので、その心配はないのだが。
「私の命ある限りは、この子は決して死なせませんよ。というか少しでも長く生きてもらいます。当人が嫌だと言ってもね」
「そうか……それもそれでフクザツだな」
喜んでよいのか分からない顔でディーが腕の中の少女に視線を落とす。
絶対に死なせないというカイの言葉はツァディにとってはありがたいが、それはあくまでツァディからしたらの話だ。
「だったら貴方がその子の道行きに安寧を齎しなさい。女の子一人幸せにできないで何が男ですか」
「カイ姐も協力してくれよ。ジィが麻薬中毒にされたのは
「……責任は感じていますよ。あと半分はあの赤竜のせいですね。他の訓練兵を食い散らかした」
訓練兵Gは共に鍛錬を重ねてきた仲間を失い、しかもこれから麻薬が切れて離脱症状に襲われるだろう。
その苦しみは想像を絶すると聞いているが、ツァディにそれは分かってやれないし、その上で訓練兵Gを死なせてやることはできないのだ。
天使は一時代に一人だけ。訓練兵Gが死ねば次の天使がこの世界の何処かに産み落とされる。
そしてそれが
「あの竜は何だったんだろうな、カイ姐」
「さて、ダート修道司祭の切り札、というわけでもなさそうでしたしね。通りすがりにしても、この辺で赤竜が出たなんて話はありませんでしたし」
ダート修道司祭の仕込みなら、訓練兵を襲ったりはしないだろう。証拠隠滅かとも思ったが、訓練兵Gを食べ残している点からしてそれも怪しい。
というか、あそこで赤竜が訓練兵を全滅させたからこそ、天使を相手取っても神殿騎士から犠牲を出さずに任務を完遂できたとも言える。いや、訓練兵たちの保護も任務の一部だったから完遂とは言い難いが。
ディー以外の攻撃を全て回避する――どころかそもそも避けなくても命中を許さない
もし訓練兵が
――そういう意味だと赤竜はむしろこちらの味方をしてくれたのよね……
そうカイが内心で首を捻っていたところに、
「エルメレク候補生、こちらをご確認いただけますか?」
念の為、修道教会内を捜索していた神殿騎士が一通の封筒をカイに差し出してくる。
「これは?」
「分かりません。ですがエルメレク候補生宛、と宛先が記載されておりますので」
「……はい?」
カイ宛の手紙? それがどうしてダート修道教会から発見されるのか。
「これは、どこから?」
「それが……教会内の床に落ちていました」
「落ちていたぁ!?」
ますますわけが分からない。床に落ちていたということは、これはごく近々にこのダート修道教会に届けられた、いやこのドサクサに紛れて放り込まれた、という方が正しかろう。
――怪しい、怪しすぎる。
「どうします、焼き捨てますか? 外側は確認しましたが、内側に毒が塗布されているやもしれませんし」
流石に神殿騎士も怪しいと感じたのだろう。この状況でカイを指名して手紙を残せるのはダート修道司祭か神殿騎士の誰かぐらいしかいないが……そのどちらにもそれをやる理由がない。
そうするとダート修道司祭の残したトラップという線が一番現実的な解釈となる。
「いえ、一応見てみましょう」
しかし、カイはとりあえずそれを読んでみることにした。というのも手紙が妙に上品というか、貴人のそれのような格調高さが文字からも封筒からも感じられる、というか紋章こそないものの封蝋までご丁寧にしてあるくらいなのだ。
そうして下品にもペーパーナイフ代わりの聖霊銀剣で封を開き、文面を改めたカイは、
「これは……馬鹿げた悪戯なのか、それとも馬鹿げた現実なのか」
ここに書かれている内容は余りに荒唐無稽過ぎて、信じるに足る根拠に乏しすぎる。
だが目の前で天使が神に臨界しかけるという、あまりに非現実的な状況に直面した直後だからこそ、
「会って、みましょうか」
カイ・エルメレクはむしろこの手紙を無視してはいけないような錯覚に囚われ、結果としてそれは大正解であったと言えるだろう。
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