■ 330 ■ 横槍ドラゴン






「ではこれより、我々はダート修道教会を制圧。ダート修道司祭の身柄を確保します。タブコフ商会の協力により既に彼の麻薬入手ルートは判明し、彼の者の罪は詳らかにされておりますので証拠の確保は不要です」


 そう神殿騎士カイ・エルメレクが町外れに集った一同に声をかけると、神殿騎士二十八名が一斉に頷いた。

 彼らは全員カイよりも年上だったが、カイ・エルメレクへと向けられる視線には揺るぎない信頼が見て取れる。

 未だカイは二十歳にも満たぬ可憐な女性に過ぎないが、彼女は既に【至高の十人デカサンクティ】の一角たる【神殿テンプル】最有力候補生として地母神教マーター・マグナの誰からもその実力を認められた天才なのだから。


 周囲の視線を受けて、カイもまたその黄金の瞳に信頼を乗せて周囲を見回し、青い御髪を揺らして一度頷いた。


「ダート修道司祭が育成中の訓練兵による抵抗が予想されますが、可能な限り傷つけず保護をお願いします」

「訓練兵は麻薬によって正常な判断力を失っていると思われます。危険が予想されますし、排除を優先すべきでは?」


 神殿騎士の一人がそう尋ねてくるが、それに首肯した上でしかしその提言をカイは退ける。


「彼ら彼女らは自分から麻薬を求めたわけではありません。訓練兵たちもまた被害者なのです。それを救わずして何故我々は『地母神マーターに代わりて』と諳んじることができましょう」

「浅慮でした、【神殿テンプル】候補生カイのお言葉の通りにございます」


 ダート修道司祭を含む、ダート修道教会関係者全員を殺害せず捕縛して、【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】へと連行する。

 そう合意した神殿騎士たちが各々の得物を手に聖句を唱和する。


かつえる民に温もりを、難き道行きに安寧を。只人にそれが成せぬというなら、私がそれを成しましょう」


 それこそが地母神教マーター・マグナの在り方にして、地母神マーターの魔術をもっとも強く引き出せる呪文でもある。


「では、配置について下さい」


 身体強化した神殿騎士たちがダート修道教会を、猫の子一匹逃さぬとばかりに全方位し、


「では行きますよディー、突撃」

「待ってたぜカイ姐! ジィを薬漬けにしたクソ野郎なんざこの俺がぶっ潰してやる!」


 聖霊銀剣ミスリルブレードを抜き放ったカイと、まだ年頃にして十歳ほどながら武器も持たないツァディが先陣を切って、ダート修道教会の入口を蹴破り中へと踏み込んでいく。

 ジィを虐めた奴は赦さない、とツァディはカイに無理言って、ド新人ながらこの捕縛部隊に参加させて貰ったのだ。先陣を切ることに何の躊躇いがあろうか。




      §   §   §




 その様子を、クィスはクスノキの大木がある丘からそっと眺めている。


「始まった、な」


 このあとラジィがどうなるかの概要はクィスも聞いてはいるが、あくまでそれは又聞きに過ぎない。

 だから結果としてどうなるかは把握できているが、その過程がどうであるかまではクィスも正直よく分からないのだ。


 だからもしクィスがこれからやろうとしていることが、前時間軸のラジィによって観測済みだった場合、またクィスは回帰地点へと戻されてしまうだろうが――


「とはいえ、それを気にしてジィの願いを無視することになったら結局やり直すわけだし、ハイこれ以上は考えない」


 故にクィスは覚悟を決めた。これが既にラジィによって観測済みであるかも、という思考は一旦捨てる。

 クィスが信じるのは、己の中にあるラジィ・エルダートという少女像だ。ラジィならこう考える、という思考に添って導き出された答えが、クィスの信じるべきラジィの願いだ。


「何にせよ、修道司祭のほうも完全な奇襲を受けてる、ってわけではないんだよな、これ」


 予めいついつに捕縛しますよ、なんて地母神教マーター・マグナもご丁寧に説明してはいないだろうが、その前に出頭命令ぐらいは文で送っているはずだ。

 それをダート修道司祭が拒否したなら、いつか捕縛部隊が来るだろうことはダート修道司祭も想定しているはずだ。


 故に、教会側からの抵抗があるのは当然であり、しかしながらカイとツァディがいる時点で実力差は歴然であるので、


「どこへ逃げる! 修道司祭!」

「くぅっ……私一人の為に何人投入したのだ! そこまで私の栄達が妬ましいか!」


 恐らくは訓練兵に撃退か足止めを命じ、自分は裏口から逃げようとしたのだろう。

 ダート修道司祭はあっさりと教会を包囲していた神殿騎士たちのお縄について――第一ラウンドは割とあっさり終了した。クィスが聞いていた話と、ここまでは大差はない。


 だから、ここからがクィスの介入である。

 重要なのはタイミングだ。運命神フォルトゥナが臨界を始めたら、運を操る運命神フォルトゥナによって目的は阻まれてしまう可能性が高い。

 だが運命神フォルトゥナの臨界前はまだ訓練兵Gの意識ははっきりしているだろうし、早すぎたら観測済み事項に抵触してしまう可能性が高い。


――神気を読むんだクィス。僕は三度も天使が臨界しようとする場に居合わせただろう?


 天使ラジィ。

 天使ラミ。

 そして、獣為変態天使フォンティナリア。


 三者が神へと至らんと臨界を開始したその場にクィスは居合わせた。その経験を生かせ。

 三回が三回とも特殊な条件での臨界であり、天使がごく普通に臨界する場に居合わせるのは今回が初めてだが――泣言は言っていられない。


 クィスは静かに気配と魔力を読むことに注力し――


――始まった。やるぞ。


 神気が教会内で膨れあがる気配を察知して、クィスは介入を決意し、己を竜へと化すための聖句を紡ぐ。



「我ら大地に蒔かれし竜骨、其より芽生えし八百八士」



 体を貫いたのは灼熱であり。


 零れ落ちたのは真紅であり。


 湧き出でたのは赫怒である。



「建国夢見て七百倒れ、勝鬨謳うはただ百八士」



 許せない怒りがある。許しがたい怒りがある。

 何故こんなことがまかり通るのかという、世界に対する怒りがある。


 だけど、


 これまでは幾度となく怒りと共にあった聖句だが――それを詠唱するクィスの心は凪のように落ち着き払っている。

 クィスの故郷、リュキア王国の信奉する芽蒔神スパルトイの聖句は、常にクィスにリュキアを――自分を殺そうとした第二王子らの存在を彷彿とさせたから、だからこの聖句は怒りと共にあった。


 だが先の時間軸においてリュキア王国は隣国ノクティルカの侵攻を受け王都が陥落、父だった国王も、異母兄である第一、第二王子もその消息は不明。

 クィスが怒るべき相手は、今やどこにもいなくなって、だから。



――侮るな、我を矮小な存在と嘲笑うなら、



 赤竜よ、怒りの化身よ。

 もうお前に主導権は渡さない。怒りのままには動かない。



 これは嚆矢なのだ。

 こんなところで躓いていて、ラジィの未来を救えるはずがないのだから。



「我らの骸をこの地に埋めよ、ここが我らの故郷リュキアなり!」



――決して掻き消すこと能わぬ紅蓮の怒りで以て、




 いいや、いいや我が身に巣食う赤竜よ。怒りの化身、自らをも焼き尽くさんばかりの真紅よ、赫怒の灼熱よ。

 お前にこの意識と身体は渡せない。これが世界を変えるための最初の一手なのだから――だから!



怒りおまえは――僕に従っていろ!」



 顕現する。



 巨大な竜が、クスノキの丘の上に顕現する。

 真紅の鱗、碧玉の瞳。鋼の如き密度の筋肉、鋼をも上回る堅さの鱗。


 野太い足でクィスは大地を蹴り、翼を大きく広げて地面すれすれを飛翔。制動をかけ教会に取り付き、前足を振るって屋根を蓋を引き剥がし、ペイッと投げ捨てる。

 そのまま、


「――っ!? 屋根が!? いったい何が……え、ドラゴン!?」

「カイ姐! なんなんだよこれ!? ジィがおかしくなってるだけでも手に余るってのに!」


 狼狽するカイやツァディ、そのほかの神殿騎士たちを余所に、「運良く・・・」拘束から逃れられた訓練兵たちを視界に納め、


「っ! 危ないジィ!」


 ツァディが輝ける翼と光輪を備えた訓練兵Gをその腕で自分の胸に抱いて、クィスの尾撃から身を挺して庇いきる。

 結構、実に結構だ。ツァディが訓練兵Gを抱え込んだことで、天使の視界が塞がれた今こそが好機!


「グァオオオオオオオオオオオオッ!!」


 威力を抑えたブレスで神殿騎士を牽制すると、そのまま近くにいた訓練兵の一人を咥えてヒョイと――


「――喰った!? カイ様、この竜、訓練兵を喰らってます!」

「ええ!? 腹ぺこドラゴンですか!? 子供の肉の方が美味しそうとかいうアレです!?」


 流石にこの状況では【至高の十人デカサンクティ】候補生と言えども思考の処理限界を超えたのか、カイの問答が素の少女に近いそれになってしまっている。

 そうやって神殿騎士たちに新たな命令が下っていない今は引き続きの好機であり、


「クソッ、このままじゃ明日の寝覚めが悪くなるぞ! 訓練兵を守れ!」

「いやいや無理ですって支隊長! 流石に今日の装備でドラゴンの相手は無理ですよ!」

「第一守るったって質量差がぁああほらぁああああ!」


 訓練兵の前に立ちはだかる神殿騎士たちをクィスは前脚で優しく撫でてやって、教会の外へと蹴り飛ばす。

 この巨体と質量の前では神殿騎士たちは身体強化で怪我を負わないように身を守れても、ヒョイと猫パンチならぬ竜パンチで吹っ飛ばされることだけはどうやっても避けられない。


 そうやって怪我しないよう優しく優しく神殿騎士たちを教会の外へと放り投げてから、次々とクィスは訓練兵たちを咥えて呑み込んでいき、


「前脚だ、胴ではなく指を狙え! 動物であれば指の感覚は鋭い! 痛がるはずだ!」

「くそっ、何なんだよクソ、くたばれドラゴン、クソォオオオオッ!!」

「グオッ、グアッ、ガオォオオオオオオオォオオン!!」


 神殿騎士たちの攻撃に僅かに怯んだように見せかけて、悠々と翼を広げてその場から離脱する。

 目的は果たされた。あとはこのまま距離を取って――



――よし! 回帰点に戻る気配はないな!



 第二の障害も、どうやら無事にクリアできたようだ。

 どうやら前の時間軸において、ラジィは他の訓練生が殺される瞬間を観測してはいなかったらしい。

 よくよく考えれば、たかが十歳にも満たない子供が天使として神に臨界しようとしている状況だ。冷静に周囲を観測し続けていられないのも当然だろう。


 であれば、赤竜クィスは予め決めておいた、自身の巨体を隠しうる林の中に着地し、


「よい、しょっと……これまでは気を失ってるところを引っ張り出されてたからちょっと新鮮だな……」


 赤竜の心臓付近から爪で肉と鱗を引き裂いてクィスが這い出れば、赤竜の肉体が光の粒子となり、渦巻いてクィスの身体へと吸い込まれていく。

 そうして残るのはクィスと、未だ目を覚ますことなく気絶している六人の訓練兵AからFであり、


「さて、ここからどうしたもんかな……」


 その命を救うことには成功はしたが、麻薬中毒の子供を六人も抱えて、家も伝手もない己はここからどうすればよいのだろう? これが分からない。






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