■ 329 ■ 義妹ラジィの回帰願望
再びクィスは考え事をしながら、ダート修道教会がある街へと戻ってくる。
義妹にして当代唯一の天使たるラジィがやり直したいこと、とはいったい何だろうか? と。
「前時間軸のジィにとっての一番の悩みは、自分が至る神が
天使とは至高たる【
言うなれば次に降臨する神を何にするか、の現地調査を行なうのが天使なのだ。太古の時代からそうやって天使は人の世界で生き、人の悩みを知り、そしてそれから人類を救うべく数多の神が誕生した。
寒さに苦しむ人を救う
そうやって既にこの世にある神々は【
ティナの
そうやって世界には
だが正直なところ、当代に生きる人々は既に新しい神をそこまで渇望してはいない。
今ある神々の魔術を駆使すれば、人は魔獣の暴威があっても人類国家を維持できるからだ。
ただそうなると貧富の差や魔力の有無によって、生活や身分に生まれながら大きな差がついてしまうわけで――
「現代の人々の大多数を苦しめるものって、人の間に横たわる力量差と身分差、財力差だからなぁ」
天使が人の苦しみに応えようとすると、近代ではまずここを埋めようとしてしまい、それは権力者たちにとって何一つ好ましいことではない。
だから人の生活がかなり安定し、人類国家が長続きするようになると、魔力持ちイコール貴族という社会が構築され、そしてその貴族たちはこぞって天使を狩り殺すようになった。
天使が人類の大多数である下民どもの苦しみを理解して、それから下民を救う神が降臨してしまっては困るからだ。
「だからこそ、ジィの至る神は
生まれたときから身分格差があり、これが覆せないという運によって人の未来が決まる。
これが当代に生きる人々の共通した苦しみであると理解したラジィは
というのも、
魔術で運を引き寄せられるなら、「あいつは俺よりついている、だから引き摺り下ろさないと」と誰もが考える世界が始まってしまい、目標のために努力することが全くの無意味になってしまう。
頑張って努力して得た地位を、「あいつは俺よりついている」なんて、何の努力もしてない者の偏見で奪われる世界で、どうして人が努力などしようか。
そうやって
ラジィは人を救うために天使として生まれ落ちたのに、人の苦しみに応えた神として降臨すると、逆に人の世を滅茶苦茶に壊してしまう。
現代の人間社会はそこまで複雑になっていて、だからある意味天使という存在自体が今の時代にそぐわなくなっている。
そういう軋轢の中でラジィは使命を果たせずにいて、しかし自分に都合のいい神を望む欲深い者たちが天使の力を欲し、そういう連中がこぞってラジィを利用しようとする激突の中で、クィスの義妹ラジィは命を落とした。
だから、そういう未来から何としてもクィスはラジィを救いたいのだが――
「でもティナが言う通りだとすると、ラジィは自分が至る神が
まだこの時間軸では、訓練兵Gが至る神は
だがティナが指摘したように、過去の時間軸でラジィが観測済みの事実はこの時間軸でも覆せないというのが真なら、ラジィがもっともやり直したいだろう、己が至る神の選定はどうやっても変えられないことになる。
「となるとジィは何を覆したくて回帰点をここに定めたんだろう?」
そんなことを考えていたクィスはふと、通りを歩く人の流れの中に意識を奪われた。
慌てて振り向いたクィスの視界の中に、見知った顔はいない。だが、何かが気になってクィスは来た道をある程度引き返して、再度振り返れば――
「ディー!?」
「え?」
思わず見知った顔の名を呼んでしまう。
ディー、本名はツァディ・タブコフ。この街に古くからあるタブコフ商会の跡取り息子でありながら、魔力持ちとして
そしてそのまま
そして前時間軸ではクィスを僅かな時間で一端の戦士に仕立て上げてくれた、クィスの戦技の師匠でもある。
――元は黒髪だったんだ、ディーって。
クィスの知るツァディは金髪赤目だったが、目の前にいるツァディは黒髪黒目の、素朴な印象を受ける少年だ。
だが現時点ですらクィスはこのツァディに勝てる気がしない。肌で相手の強さが既に自分を越えている、と把握できてしまう。
いくら前時間軸の戦技の師とは言え、十歳になったか程度の子供でしかない、このディーに全く太刀打ちできる気がしないのだ。
「兄ちゃんと俺、どこかで会ったかな? 俺、記憶力そんなによくないけど、この街の住人で話したことある人なら忘れてないと思うけど」
ツァディ少年が首を傾げて、拙いと慌ててクィスは言い分けを探し始める。
「い、いや。こっちが一方的に知っているだけだから気にしないでくれ。出家したって聞いてたからさ、つい声を上げちゃって」
「ああうん、そういうこと。ま、ちょっとした里帰りなんだ。またすぐいなくなるよ」
なるほど、とクィスはえも言われぬ焦燥感に襲われた。
ツァディが今ここにいる理由として考えられるのは、ツァディが
そして、もう一つの理由が、
――え、もうすぐ始まっちゃうのか!? ダート修道司祭の逮捕劇が!
任務として神殿騎士カイと共に、麻薬に手を染めたダート修道司祭を逮捕する為に再びここを訪れた、ということだ。
それじゃ、とツァディが手を上げてそのままクィスから離れていくが、この状況にクィスとしては挨拶どころじゃなくなっている。
――拙いぞ、ジィの望みがまだ分からないまま逮捕劇が始まっちゃうじゃないか!
ダート修道司祭の逮捕劇は、単にダート修道司祭が捕まってラジィが保護されて終わり……ではない。
ダート修道司祭は自分の罪を認めず、訓練兵たちに捕縛部隊の撃退を命じるのだ。そして麻薬で縛られている訓練兵たちは、その命令に逆らえない。
そうして訓練兵と捕縛部隊は激突し、当然のように正規神殿騎士である捕縛部隊がまずは勝利し、訓練兵は全員身柄を抑えられる。そこまでなら問題はないのだが――
――ここでジィが
ダート修道司祭はクズの犯罪者だが、問題はクズの犯罪者なら人類に共通する苦しみから無縁、というわけでもないことにある。
自分は運が悪いからこうやって逮捕されるのだ、というダート修道司祭の心底からの嘆きは――それもまた人類に共通する苦しみの一端でもあるのだ。
罪を犯した人の中でも逮捕される者と逮捕されない者がいて、そこの違いが運だけ、ということはごく普通にあり得ることなのだから。
そうして訓練兵Gが
当然だろう。運を操る
状況がそうなると、捕縛部隊の神殿騎士たちに取れる手は一つしか無い。もう運の要素が一切入りようがない確殺で以て、一人ずつ訓練兵を殺害していくことしかできなくなるのだ。
そうやって血みどろの殺し合いを行なった結果として、訓練兵Gと神殿騎士として才気煥発なカイ、ツァディの三人しか生き残れないという救いようのない未来が花開くことになり――
――あ、そういう、こと?
クィスはそこで気が付いた。
もしかしたら、それがラジィにとってのやり直したいことなのではないだろうか、と。
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