■ 388 ■ レウカディア頂上決戦は割込を余儀なくされました Ⅲ






「あれだけの魔術に耐えられたのは愛だと言いましたね、貴方は!」

「そうだとも、家族の愛さぁ。俺の家族が俺に力を貸してくれる。俺を守って暮れているから俺は強い、俺は負けねぇ! お前らには愛が足らねぇんだよ」

「だからタマが小さいと言っているのですよ! それだけ他者に愛されているくせに! 貴方には使い捨てにされた少年一人に僅かな慈愛すら与えられないのですか!」


 オクレーシアの指摘に、これまでありとあらゆるものを投じても止められなかったグラナの足が、止まる。


「自分は数多の愛を受け取りながら、他者に僅かの愛も与えられない! なんて矮小な男! ケチンボ! 情けない男!」

「……んめえっ、相手は魔術師だ。只人と違って恵まれた生まれだろうが! もう救われてる奴に施しなんていらねぇんだよ!」

「貴方も魔術師でしょう! 魔術師なのに愛され、救われているのでしょうに! 家族の愛に! 自分は愛されることを許して他の魔術師は許さないとか舐めてんですか? お前こそ何で平気な顔して自分一人だけ救われてやがりますか!」


 その一言は完全にこの無敵の怪物を、グラナを徹底的に、石のように凍り付かせた。


「そうだぁ……家族の愛が俺を救ってくれている……皆が俺を、俺を愛して救ってくれているんだ……でもよ、俺の、俺の家族はみんなクソみてえに、力のある連中に踏み付けにされて苦しんだんだぜ……それに俺が寄り添わなきゃ駄目だろうが、違うかよ?」

「それは貴方の家族に聞きなさい! 貴方の家族は優秀な魔術師にゴミのように使い捨てられる子供を殺せば喜ぶのですか! やってやった、ざまあみろこれでレウカディアのダニが一匹減ったと拍手喝采するんですか!?」


 嘘だろ、と端で聞いているレイモンは目を瞬いた。

 あの狂人グラナが、誰にも止められなかったグラナが、オクレーシアを前にして捨てられた子供のような顔で凍りついてしまっている。

 誰にも敵わなかったグラナを、オクレーシアは問いかけ一つで止めてしまっているのだ。

 どうしてそんなことができる、成し遂げられる?



――そうか、この狂人の言う事に、これまで誰もマトモに向き合おうとしなかったから、か。



 レイモンは静かに頷いた。人を麻薬漬けにして殺して救済を語るこの男と誰も議論などしなかったから、初めての指摘にこのグラナは凍り付いたのだ、と。


「……そうかよ、嬉しくねぇか……なら、俺は救わなくちゃいけねぇんだな」


 そして一瞬オクレーシアが変な顔をしたのは多分、「え、今ここで聞いたの? 誰に? こいつ怖っ!」みたいなことを考えたんだろうな、とレイモンには分かってしまえたのが、その、少し悲しい。


「そ、その必要はありません! レウカディアは、このシマは私が救うのですから! 優先順位は私が先です! それとも貴方、私より先にレウカディアを救う権利があると傲慢に宣うつもりですか!? まだリュカバースすら救い切れてない貴方が!」


 その一言はグラナをしてたじろがせるに十分な質量で以て、グラナの理性を殴りつける。オクレーシアの言う通り、確かにグラナはまだリュカバースという港町一つすら救えていないのだから。


「自分だけが正しき救いで! 他人の語る救いの全てが間違いだと語るのですか! ならば貴方は自分が寿命で死ぬ前に、世界中の救うべき全てを自分の手で救えると、そう言うのですか!? 答えなさい!」

「クソアマがぁ、綺麗事の正論で俺の口を塞ごうとするんじゃねぇよぉ!」

「貴方が勝手に閉ざしたのでしょう! ちっぽけな男! どうします。反論ができなくなったら暴力に訴えますか? そんな男の語る救済など、よけい薄っぺらくなるだけでしょうが!」

「はっ、恵まれた才能の持ち主は言うことが偉ぇなぁ? 所詮は才能に胡座かいているクソ魔術師がよぉ! 上から目線でよぉ!」


 拳を握りしめたグラナが、それを悠然とオクレーシアに振りかぶり――


「ふざけんな、お前からすれば腹を割かれて麻薬の密輸袋にされた人間が恵まれてるというわけですか! 本当に最低のクソ野郎ですね!」


 そうオクレーシアに問われて、グラナが驚愕したように目を見開いた。

 オクレーシアを爪先から額まで二度見直して、


「……お前、そこから這い上がったのか……? 誰の手も借りずに?」


 呆然と問えば、オクレーシアは過去の境遇からなる怒りが沸々と再燃したのだろう。この怒りをぶつけるのはお前でいいやとばかりに憤慨してグラナを睨む。


「ええ、ええ! だぁれも手を貸してくれませんでしたからね! 自力でのし上がりましたとも!」


 そこでレイモンが少年を押さえつけているガストンの口を物理的に閉ざしたのは、見事なファインプレーだったろう。

 ガストンの口が開いたままだったら、


「は? 散々俺を馬車馬のようにコキ使っといてお前何言ってんの?」


 くらいは言っただろうから。



 オクレーシアに睨まれて、グラナが握っていた拳をゆるりと開く。


「凄ぇなぁ、お前ぇ。いいぜ、今日のところは退いてやらぁ」


 誰もが驚愕に目を見開く中、周囲の反応などモノともせずにグラナは踵を返す。


「今はお前の救済を認めてやる。だがなぁ瞳神オルクス、お前がクソの成金に墜ちたらその時には俺がレウカディアを救済する。たがえんじゃねぇぞ」


 レイモンからすれば何一つ予想もできない展開である。あのグラナが、まさか話し合いで撤退を決めるなど、夢幻でも見ているみたいだ。


「あとそこまで言ったんならガキを生け贄に逃げた札神テッセラ魔術師とその雇い主ぐらいは殺しておけよぉ。それでコルレアーニィの依頼は完了だ、あいつのケツ拭くのはてめぇでやっとけ。俺は他の街を救いに行く」


 はぁ、と溜息を吐いたグラナはそこら辺に転がっているマフィアから服を剥ぎ取り始めて「サイズが合わねぇ」などとぼやき始めている。

 その纏う空気は既に、どう見ても戦場のそれではない。


「他の街って……貴方のコルレアーニィに託された仕事って何だったんです?」


 そう呆然と問うオクレーシアに、しかしグラナはもう振り向きもしない。どうやら本当にやる気がなくなったようだ。


「他の街の主だった魔術師を殺しとけ、だとよ。部下が殺された仕返しだとさ。ここは札神テッセラ魔術師が死ねば十分だろ。てめえらは大して強くねぇし」


 即座にレイモンが今度はオクレーシアの口を手で物理的に閉ざしたのは、見事なファインプレーだったろう。

 オクレーシアの口が開いたままだったら、


「は? 私強いですけど? 目ん玉麻薬で腐りやがりましたか?」


 くらいは言っただろうから。

 着衣を終えたグラナが立ち去っていく中、


「ママ・オクレーシア、札神テッセラ魔術師を倒すのが先決です。連中が大量の符を消費している今が好機なのです。他都市の魔術師などこの際無視して下さい。宜しいですね」


 レイモンは全力で抵抗するオクレーシアを押さえつけて耳元で囁くが、まだオクレーシアの怒りは収まらないようだ。


「ふが、モガ!」

「了承と受け取りました。では前進しますよママ・オクレーシア」

「モゴ、モガ!」


 仕方がないので口を塞いたまま、オクレーシアを引きずりながらレイモンがサンチェスファミリーのシマ深くへと侵攻、する前に――


「あのグラナをよくぞ退かせた! よくやったぞオクレーシア、レイモン、ガストン! お前たちは本当に凄いな、よくぞ人命救助のために咄嗟に動けた! お前たちは本物の英雄ヒーローだよ!」


 やはりどこかでこの戦場を見守っていたのだろう。リクスがいつものように空からやってくれば、レイモンはホッと安堵できる。

 たとえ見ていただけであろうと、リクスがいるいないでは心の持ちようが随分と異なってくるのだから。


 もっともオクレーシアからすれば見ていただけのリクスには腹が立つようで、力の抜けたレイモンの手を振り払ってリクスを睨み付ける。


「ブラザー、私たちが危機に陥っている中を高みの見物とか酷いですよ! 貴方ももっとやる気出しましょうよ!」

「俺たちが見つかるとグラナがコルナールとサリタ奪還のためにこの街を荒らし尽くすが、それでもよかったのか?」

「そ、それはよくありませんが……」


 とはいえ所詮は反射的な怒りだ。リクスの理屈をそれで貫けるはずもない。

 黙り込んでしまうオクレーシアを前に、レイモンが少年を気絶させたガストンへと視線を移せば、リクスも阿吽の呼吸で理解する。


「あの少年の確保だな? 任せておけ」

「ありがとうございますブラザー。我らも早めに動かないと単身敵陣に切り込んだダリルが危険でしょうし」


 リクスに捕虜を託せばこれで再び前衛ガストンが復活して、オクレーシアたちは三人体制で敵に挑むことができる。

 札神テッセラ魔術師はグラナ相手に切り札を切ったはずだ。攻めるにこれ以上の機は過去にも未来にも訪れまい。


「敵も切り札と魔力をあらかた消耗したとは言え――まだ死んだわけじゃないし、地力はあちらが上だ。油断はするなレイモン」

「畏まりました」

「……なんでブラザーは私じゃなくてレイモンに指示するんですかねぇ?」

「そんなんお前に言ってもろくすっぽ聞きゃあしねぇからだろうが」


 三人でがやがや言いながら再び侵攻を始めたオクレーシアたちを見送り、


「ディー、彼の監視を頼めるか? もう魔力も使い果たしているだろうし、目が覚めても恐らく危険はないと思うから」

「はい、お兄ちゃん」


 リクスはディアナに縛り上げた捕虜の監視を任せて民家の屋根に戻り、【常態観測センペラ メトリア】を確認。

 弟妹たちは無事で、ダリルもまだ元気に暴れているようだ。


「な、なんとか……なった……いやほんとオクレーシアの大金星だな、これは」


 それが確認できてようやく、リクスも一息をつくことができた。


「……やれやれ、情報網と共に面子を潰されたコルレアーニがグラナを放ったのか。今回の間諜潰しは念入りにやったからな」


 要するにリクスがリュキア国内に放たれたコルレアーニの間諜を丹念に潰したから、その報復としてグラナがやってきた、ということのようだ。


「グラナの介入は実質的に俺のせい、か。気が滅入ってくるよ」


 恐らくは過去にも似たようなことはあったのだろうが、まさかレウカディアを取ろうというこのドンピシャのタイミングを引いてしまうとは、


「五十三回目の俺はちょっと運がなかったな――いや、オクレーシアが上手くやってくれたおかげで被害は出てないから、そうでもないか」


 ただ極めて心臓に悪かったのは事実であり、やはり無駄に念押しの一手を追加したりせず、ある程度は過去のリクスがやったことをなぞっておいた方が良さそうだ。

 そうリクスは己の迂闊な判断に反省しきりである。


「ううん……インフーとジンフーも随分と消耗したし、これは最後の一手は不要だったか?」


 グラナが来たせいで、レウカディア頂上決戦はこれまでのリクスと違い、かなりアドリブになってきてしまっている。

 これまでのリクスたちはイオリベを使ってある程度札神テッセラ魔術師の力を削いでいたわけだが、この状況だと不要だったかもしれない。


「……いや、魔力と札はかなり削いだが、どちらも五体満足だしな。油断はしないでおこう――イオリベ」

「お側に」


 名を呼べば即座にイオリベがリクスの側、屋根上へシュタリと着地する。


「いい感じに魔力は減っているな?」

「仰せのままに、身体強化の垂れ流しで大半を消費しておきました」


 イオリベの蛇神ハイドラ魔術は極めて強力だが放ったが最後、魔力が尽きるまで止まらないし範囲も絞れない一発屋だ。

 だから街中でそれを使うには住人を逃がしておくか、もしくはある程度術者の魔力を最初から削っておいて効果範囲を絞る、などの工夫が必要になる。


「では予定通り札神テッセラ魔術師にぶちかまして一撃離脱だ――蛇神ハイドラ教の乱波らっぱには釈迦に説法だろうが、魔力切れ後の離脱には十分に気をつけてな。無事戻ってきてくれ」

「承知!」


 イオリベがシュタッと側から消えれば、


「はぁ……予想外のことばっかりだったが、これで勝った、よな?」


 多分勝ったろう。勝ったと思う。そう思いたい。






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