第三章 人に葬られし天使の屍
■ 217 ■ 天屍
暗い部屋の中で、ラジィは一人目を覚ました。狭い部屋だ。寝具以外には何もなく、出入り口は扉一つだけ。
そういう部屋に押し込まれるのはダート修道教会付属孤児院にいた頃も、本部神殿にいた頃も、そしてリュカバースに来てからも何度もあったので、今更気にすることではないが。
「装備は剥ぎ取られたか。まぁ仕方ないけど」
ベッドの上で身を起こし、身体の具合を確認する。まだ背中と腰に鈍い痛みがあり、体力は平素の三割といったところか。腹を刺された傷は塞がれているようだ。
ローブの下に着ていた麻のシャツとスカートはそのままだが、ラムが編んでくれたローブとアレフベートに貰った竜麟、聖霊銀剣は部屋のどこにも見当たらない。
「にしても……変な部屋ね」
周囲を見回して、ラジィはいよいよこれはろくなもんじゃないなと軽く顔をしかめた。
継ぎ目が、どこにもないのだ。岩盤を正方形にくり抜いたようなその部屋は、要するに魔術で作られた部屋ということであり――そこまで考えてギギィ、と金属製の重い扉が開かれる。
「あら、目を覚ましたのね。よかったわ、起こす手間が省けて」
そうにこやかに笑うこの顔を、ラジィは知っている。
「ミカ・エルフィーネだったかしら」
「ええ、ラジィ・エルダート。当代の天使様。覚えていてくれて嬉しいわ」
まるで長年の友人を前にしたようなその笑顔は、ラジィにとって不快極まりない。
「クリエは? 殺したの」
「あの側仕えの子? いいえ、後を追えないようにちょっと痛めつけただけよ。でも手当てが遅れれば――まあ死んでしまった可能性も多少はあるわね」
そう何でもないことのように語るミカの顔からは一切の情報が読み取れず、彼女の語ったことが事実か嘘かも分からない。
まるで人形のようであり、しかしミカはあえてそう見えるように振る舞っている。
恐ろしく完璧に整った娘だ。外見も、中身すらも。
そしてその実力も、その覚悟も。
――最悪、殺されたか。ごめん、クリエ。巻き込んじゃって。
内心でラジィはクリエルフィに詫びる。最初から自分が天使だと伝えていても、あの時あの場で何が変わったとも思えないが。
それでもラジィが伏せていた手札を最初からクリエルフィが知っていれば、また違う選択肢があったかもしれない。
いや、【
「……ミカ、貴方、天使ね? いえ、天使だったと言うべきか」
そうラジィが目の前の少女に問えば、ミカが流石と讃えるように小さく拍手する。
「正解よ、ラジィ・エルダート。なら当代の天使である貴方がここにいながら、なぜ私が活動できているかも推察は終えているわね」
ラジィは小さく頷いた。
天使は一時代に一人。前任の天使が神になるか死んだかすれば、自動的に次の天使が産み落とされる。
だからラジィがここにいる以上、この時代に活動している天使はラジィ・エルダート、ただ一人だけだ。で、ある以上は、
「
「大正解。貴方の目の前にいるのはかつて天使だった死体、屍に過ぎないわ。私たちはこれを『
仲間や親しい人と離別する苦しみを天使が理解し臨界した、死が二人を分かたないための神。死をお終いにしない、生を冒涜する神だ。
だが同時に死体を戦士へと仕立て直すことで、今を生ける者が新たな死者の列に加わるのを防ぐという、生を尊ぶ神としての側面も持つ。
「……私たち?」
そしてラジィは嫌な響きに顔をしかめた。私たち、というのは
そう己を睨んでくるラジィに、ミカはいっそ晴れやかなくらい眩しい顔で頷いた。
「ええ。私の仲間たちを紹介するわ。一緒に来てくれるわね?」
渋々ラジィは頷いた。ここにいてもできることはない。ならば活動範囲を少しでも広げるべきだ。
そうやってミカに手を取られ、痛む身体に鞭打ってラジィは部屋を後にすると――
「……鍾乳洞、天然の洞窟?」
部屋からでた先に広がっていたのは廊下ではあり、同時に廊下ではない。
「ええ、私たちのねぐらよ。文字通りの意味でね」
扉の向こうは部屋ですらなかった。足元だけ丁寧に丹念に継ぎ目一つ無くつるりと平らに成形された穴蔵である。
松明のような光源はない。天井は全て天然の岩と鍾乳石で、採光窓のようなものはないが、なのに一定の明るさがあって周囲が見渡せる。
方角も分からぬそこをミカに手を引かれ歩いて行くと、
「みんな、私たちの希望が目を覚ましたわよ」
ミカの声に、それぞれめいめいに別のことをやっていた子供たちが一斉にミカとラジィの方を見て――ラジィは目眩がした。
ちょっと広めの空間にて、本を読んだり絵を描いたり、積み木遊びに興じたり詩を書いていたりしていた、その数十人を超える子供たちは、
「……全員が、『天屍』」
「そう、私と貴方のお仲間ね」
ラジィとミカを取り囲むように近寄ってきた全員が、どことなくラジィたちと似通った空気と雰囲気を纏っていて、ただ一人の例外もなく生きてはいない。
全てが、天屍だ。そしてその全員がミカどころかラジィよりも年下という有様である。
「ねぇねぇ、貴方のお名前は?」
白い髪に緑色の目をした、十歳ぐらいの少女がちょいちょい、と悪意もなくラジィの袖を引っ張ってくる。
「ら、ラジィだけど……」
「ラジィ、そっか、よかった。今の時代はちゃんと天使も成長できるのね!」
ラジィを取り囲んだ一人の少女にそうニコリと微笑まれて、ラジィは一瞬、膝が抜けてしまいそうな絶望に襲われた。
ここにいる天屍は皆、この外見年齢の時に死んだのだと理解できてしまったからだ。誰もがラジィより大きくなる前に死んだ。いや、ただ死んだのなら、まだマシか。
「ミカ……あっちの子は」
全身に包帯が巻かれた、集団には混ざらず後方で控えている一人をラジィが指差すと、
「ああ、トゥマは油をかけられて焼き殺されたのよ。いくら
ミイラのように全身を包帯で包んだ、右往左往する人影を前にラジィはいよいよ自分が来てはならないところへ来てしまったことに気が付いた。
「……意図的に殺されたのね? 人に。今の神を脅かす、新たな
「正解。私たちは皆、お兄様が回収して救ってくれた死せる天使の屍よ。神になることを人に否定された、存在意義を果たせなかった天使の成れ果てね」
ラジィは呆然と頷いた。ラジィ自身がティナに語ったことだ。
『天使の研究が中途半端に進んできた一時代には、大神教は自分たちの神教が脅かされないように天使を発見し次第殺害して回ってた頃もあったらしいしね』
と。
自分たちの既得権益を守る為に、人によって排除された天使たちが、今この部屋に集う天屍だ。
その天屍たちはなら、一体なにを願うのだろうか?
そう顔を引き締めるラジィを前に、ミカが一本立てた指を左右に振ってメッと怒ってみせる。
「勘違いしてはだめよラジィ。私を含めたこの子たちは皆、ただ自分の役目を果たしたいだけなのだから」
「……役目」
「そう。貴方なら分かるでしょ? 当代の天使である貴方なら」
分かるとも。それをこの世に生きる者の中で誰よりも分かっているのがラジィ・エルダートだ。
この身は神として臨界するために生まれてきた。今の人生などその引金でしかなく、ラジィ・エルダートという存在それ自体にラジィ自身も全くの意義を見出していない。
「神に、成りたいのね」
然り、と真面目な顔でミカと、周囲の全員が頷いた。
「ええ。私たちは神に成りたい。その引金を貴方に引いて欲しい。貴方の臨界に私たちを巻き込んで欲しいのよ」
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