■ 361 ■ ママ・オクレーシアの君臨






 『海猫の巣』はヤッキアファミリーにみかじめ料を払うことでヤッキアファミリーの庇護下にあった、ウーゴ・ヤッキア行きつけの酒場である。

 そこにヤッキアファミリーとスカルキファミリーの元幹部たちが集められ、


「と、いうわけで皆様にはこのオクレーシアを頭領カポと仰ぐか、それともこの地を去るか、もしくは私を討ち取る為に今ここで挑んでくるか、のどれかを選んで欲しいのです」


 そう優雅に脚を組み直して椅子の上で微笑むのは、虹色の瞳に魔力を宿して一同を見回すオクレーシア・レーミーである。

 イブニングドレスの隙間から覗く両脚は扇情的ですらあり、翻意を抱く者を炙り出すためにわざと露出の覆い出で立ちを見せつけている趣もある。


「私の配下に留まるなら、お仕事もシマの管理もそのまま。上納金の収め先と命令系統の頂点が私にすげ変わる以外はそのまま働いてくれて結構ですよ」


 そう穏やかにオクレーシアは説明しているのだが、マフィアたちの耳にはオクレーシアの言葉など殆ど入ってこない。

 無視しているのではない。恐怖で今にもここから逃げ出したくてたまらないだけ、つまりは余裕がないだけだ。


 元々対立していたヤッキアファミリーとスカルキファミリーの面々がこうして一箇所に集められたわけだが、その因縁を持ち込んで難癖を付ける余裕もない。

 そんな余裕は、この酒場に入った時に綺麗さっぱり拭われている。


「ああ、ただこれからの麻薬の密輸方法は考え直して下さいね? 人を鞄替わりに使うやり口は私の美学に反しますので。宜しいですか? ドゥイリオ、レーモ」


 ヤッキアファミリーとスカルキファミリーでそれぞれ麻薬の密輸を担当していたドゥイリオ、レーモという名のハスラー両者が名指しでそう忠告されて、


「はい、頭領ママ・オクレーシア……!」

「新しい方法を考えますので、どうか、どうかお許しを……!」


 壊れたくるみ割り人形のようにガクガクと頷いた。


「結構。ここで抗わないなら、以降の抵抗は裏切りと見做します。私は基本的には寛容ですが、裏切りだけは大嫌いですので。裏切り者はこうなっちゃいますから、ね?」


 ね? と微笑むオクレーシアの瞳の先にあるのは樽だ。

 酒場に並び立つ元両ファミリーの幹部たちの中央には今、樽が一つ置かれていて、



――オォーーーーーーーォォォォォオオオーーーー



 樽の中から謎の音が立ち上って、それが両ファミリーの幹部たちの耳朶を叩く度に、荒事に慣れた筈の男たちの膝は情けなくガクガクと震えるのだ。

 さもあらん。この樽は何だ? とこの場に集められたマフィアたちはオクレーシアがその場に現われる前に、例外なくその中を覗き込んでいて――中を見てしまったことを後悔したのだから。


「一つ、質問をお許し下さい頭領ママ・オクレーシア」


 スカルキファミリーの幹部の一人が、おずおずとそう声を上げてきて、しかしオクレーシアの瞳を向けられると恐怖に縮こまる。


「なんでしょう?」

これは・・・いつまで生きているのです・・・・・・・・・・・・?」


 樽の中身について問うた幹部に、オクレーシアはそっと頬に手を当てて嫋やかに微笑んでみせる。


「さあ? 栄養が切れるまで? あ、でも樽の中にお酒を流し込んであげると喜ぶんですよ。可愛いでしょう?」


 そんな無邪気なオクレーシアの答えに、誰もがここは地獄だと覚った。

 この女は魔女だ、或いは悪魔だと。


 戦って死ぬのはよい。マフィアならそれは覚悟をしている。

 だがこんな、こんな生かし方・・・・を見せられては、マフィアとて正気ではいられない。名誉ある死すら、賜れないとは。


「繰り返しますが、私は裏切りだけは大嫌いなのです。それ以外であればちゃあんと殺すだけに留めてあげますから。安心して働いて下さい、ね?」


 和やかに笑いかけられ、解散を告げられたマフィアたちが酒場から出た後の行動は面白いほどに似通っていた。

 即ち、大きく息を吸い込んで、自らの身体が自らの意思で生きていることを喜んだのだ。




      §   §   §




「ご苦労、オクレーシア。これだけ脅せば反乱を企む馬鹿はいないだろう」


 幹部連中が去った酒場にて、マフィアには姿を見せなかった黒仮面――リクスがそう告げると、


「うう、私完全に頭のイカれたサイコ美女だと思われちゃいましたよね……」


 リクスの仲間が用立ててくれた、優雅なイブニングドレスで着飾ったオクレーシアが椅子の上からずるりと崩れ落ちる。下着とか太股とか胸の谷間とか色々丸見えだが、それを気にする余裕などオクレーシアにもガストンにもない。

 ぶっちゃけ偉そうに語っていたオクレーシアも、その背後に控えていたガストンもこの状況にはドン引きで内心は冷や汗ガクガクある。


 樽の中に入っているのはオクレーシアの魔眼【溶解リクオー】によって溶かされたウーゴ・ヤッキアその人だ。

 身体がドロドロに溶けかけた状態でなお、まだ死にきってはいないウーゴ・ヤッキアが悲鳴を上げていたわけで――そりゃあ屈強なマフィアとてこんなものを見せられては心が折れる。

 こんな辱めだけは受けたくない。これに人の尊厳など残ってはいない、とこの場から一刻も早く逃げ出したくもなるだろう。


 あまりにもあんまりなやり口ではあるが、


「新成人の小娘がマフィアに舐められないためには、やはり最初が肝心だからな」


 ウーゴが自ら積み上げた数多の罪状に鑑みれば――子供の腹に麻薬を詰めて出荷していたクズにはお似合いの末路ではあろう。


 とは言え流石にこの演出を決めたリクスもこれは人道に悖る、とは思っている。とてもビアンカやディアナになどは見せられたものではない、と。

 故に火弾をぶち込めば、樽ごとウーゴ・ヤッキアは蒸発してこの世から跡形もなくかき消える。


 その骸なき骸の前で、オクレーシア、リクス、ガストンがそれぞれの神にウーゴの冥福を祈った。

 死んでしまえばそれはもう死体だ。死体をこれ以上辱める必要もないだろう。






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