■ 109 ■ 下流にある都市の定めというか






 さて、一年半前にノクティルカ特殊部隊の乱から始まったラジィの用心棒生活は、ドンを打ち倒し喫緊の敵がいなくなったことでいったん解約されている。

 要するに引きこもる前にラジィはウルガータと双方合意の上で、一度円満にファミリーを外れ堅気となっているのであるが、


「スローライフを送るために多少は働かないとね」


 資料室を出てから改めて【全体観測オムニス・メトリア】をばらまいて、既に一週間が経過。

 あからさまに怪しい動きをしていた、もしくは地下に潜っていた連中は、


「ば、馬鹿な……何故我々の潜伏場所がこうもあっさりと……」


 もうすっかり魔術師として一人前になったクィスからすれば、マフィアのソルジャー程度なら苦にもならず殴り倒せる。


「魔術師がいないと楽でいいね」


 地下に潜っていたコルレアーニ、もしくは他の元大規模ファミリーの残党はエルダートファミリーの手によって捕縛、ウルガータへと突きだして簡単な掃除は終わりである。

 ティナやアウリス、やせ細ったラジィの出番すらろくになかったぐらいのあっけなさだ。


「まぁ、倒すことより見つけることの方が大変だから普通はしらみつぶしできないんだけどねぇ……」


 ウルガータファミリーによって連行される敗北者たちの背中を見つめながら、改めてティナは【全体観測オムニス・メトリア】の性能の凄まじさを思い知らされた。

 一都市の動向を完全に掌握できているのだから、【演算 再現スプタティオ レフェロ】無しでもこの監視能力は十分に破格だ。


 ラジィはツァディに全戦全敗であることを嘆いているが、これは比較対象がおかしいだけの話だ。

 流石は地母神教マーター・マグナ第二位だとティナは感心するより先に呆れてしまう。


「なんにせよ、これで暫くは平和になるでしょう。内政に専念できるのはよいことですね」


 アウリスの言う通り、これにてリュキア騎士を除きほぼウルガータの当面の敵は淘汰されたわけで、


「さて、どこから手を付けたものか……」


 ホームである地母神マーター教会リュカバース支部に戻ってきた一同は昼食と軽いお茶の後に、シェファが提出してきた新色町からの要望に目を通す。


 現状、エルダート家の家計はティナが新色町で教師をして得た身銭と、クィスが請け負っているマフィアの護衛魔術師としての収入で賄われている。

 アウリスはエルダート家の家事手伝いではあるが、ヒューゴやコニーのような見習いソルジャーにノクティルカ流剣術を仕込む指南業で自らの生活費を稼いでいる。本来はティナが家事手伝い分の給料を払うべきなのだが……そこはもう皆諦めた。


 残るラジィであるが、ウルガータと最初に締結した護衛契約が完了しているため、これまでのようにバルドをお財布代わりに使うことはできない。必要なものはエルダートファミリーの予算で賄う必要がある。

 結局、生活費を稼ぐためにラジィもまた新たにウルガータと再契約を結ぶことになった。


 ラジィの新たなお仕事は、ウルガータの知恵袋としてリュカバース発展のための知恵と知識を捻出することだ。

 平たく言えばインテリゲンチャである。あるいはコンサルタントと言い換えてもよかろう。


 ……用心棒をしていた時も同じようなことをしていたような気がするが。


「んー、先ずは水の問題かしらね」


 ラジィは手に取っていた要望一覧を食卓に戻して、お行儀悪くギッコギッコと椅子を揺らす。

 ラジィのお仕事はリュカバースを発展させる知恵を出すことなので、さしたる効果の上がらない生活環境改善を行なうわけにはいかない。


 いや、住環境が快適になることは長い目で見ればリュカバースを利することになるのだが、先ずは先細りしないよう収入に直結するところから改善していく必要があるだろう。

 幸いリュカバースはラジィの努力のかいあって清掃が徹底されていることもあり、また麻薬も一掃されたため病気に罹患する人や新生児の死亡数はかなり減ってきている。


 町は確かに清潔になった。だが、町を清潔にするだけでは綺麗にならないのが水、飲料水の問題だ。


「リュカバースの水は不味いのよね。港町、川下にある街の宿命ではあるけれど」


 聖なる山サンモニスの中腹に位置する地母神教マーター・マグナ本部神殿【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】は、山から湧き出すシルケ河の最上流に位置していたため、水の品質はシヴェル大陸最高峰だった。

 それに引き替えリュカバースはリュキア王国を貫くラティーナ河の最下流にある都市である。


 当然上流にある町は生活排水を川に流してもいるわけで、水量が多いから身体に害がない程度に薄まっているとはいえ、


「確かに、リュケイオンと比べると明らかに水は不味いよね」


 やはり上流にある街より水が不味いのはクィスも認める事実。そして、


「染めのために綺麗な水路が欲しい、ですか」


 アウリスが成程、と頷いた。新色町で娼婦たちが様々な装いを身に纏うようになった結果、リュカバースでは反物の需要が圧倒的に増している。

 布を買い付けるだけではとても足りないということもあり、新色町には紡績、織布工房が凄まじい勢いで数を増やして孤児がせっせと糸を紡ぎ布を織っているが、


「染めには綺麗な水が必要だもんねぇ」


 ティナの言う通り、色鮮やかな染めには水路が欠かせない。ましてやそこに流れる水が濁っているなどあってはならないことだ。

 水が綺麗でなければ染め物も綺麗にはなるまい。無論、呑んで死なない程度なので問題はないと言えばないのだが。


「船乗りが飲用水を補充するにしても、不味い水は足が速いですしね」

「アウリスの言う通り、リュカバースとしてはそっちの方が問題なのよ」


 水が不味い、ということは雑菌が多いということでもある。

 新色町のおかげで少しばかりリュカバースに寄港する船は増えたが、補給地としての性能も底上げしないとここからの発展は難しいだろう。






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