■ 110 ■ 出番ですよ、シンルーさん(偽)






 そんなわけで、


海神オセアノスの防腐魔術を込めたアミュレットとか作れないかしら?」


 エルダート家のお茶会に招かれた海神オセアノス魔術師シンルーはニッコニコご機嫌から一転して暗澹たる暗い面持ちで頭を左右に振る。


「わ、私は道具作りの才能はミジンコの脳みその一欠片ほどもないんだ……文字もミミズがのたくったような下手くそだし、私の才能の無さにジィは呆れ果てて見限られるんだ、私知ってるんだ」

「神殿作成が可能な魔術師が才無しなら、この世の九割九分の魔術師が才無しでございますよ、シンルー様」


 シンルーは海神オセアノスの神殿作成が可能だと自ら円卓で語っていた。


 神殿作成は広範囲の場を己の支配下に置くという、神殿作成が専門の陣神カストラ教徒を除けば上位神官にしか使えない魔術だ。

 周囲の環境を、自分とその信奉する神にとって都合がよい空間へと書き換えるのは高等技能。誰でもできるようなものではない。


 魔術には相性があるので、優れた魔術師が皆神殿作成をできるわけではない。だが神殿作成ができる魔術師は例外なく優れた魔術師だ。

 フィンの言う通り、それが使える魔術師を無能と語っては世の魔術師たちが絶望するだろう。


「とすると、物理的な手段との合わせ技で何とかするしかないわね」




      §   §   §




「うん、問題なさそうね」


 ウルガータに断りを入れ、フィンの背に寝袋と食糧飲料水を載せティナとラジィ、アウリスの三人がリュカバースの北東へ歩くこと二日。

 領主の館がある小高い丘から更に北東に、迫りくる魔獣たちをバッタバッタとなぎ倒しながら向かえば、そこにあるのは岩肌から湧き出す熱水の池、即ち温泉である。


「へぇー、地面からお湯が沸いてるんですね」

「触ると火傷するわよお姉ちゃん? それ凄く熱いから」


 ラジィに注意されたティナがヒッと短い悲鳴を上げて、流れる温水に伸ばしていた手を引っ込める。

 温泉が湧き出でるレバディーア丘陵サクロム山の中腹にわざわざラジィが訪れたのは、


「ここの水源を街まで引いて飲料水にするんですか?」

「まさか。それじゃ手間がかかりすぎるもの。将来的にはそれをやってもいいかもだけどね」


 温泉目的ではない。重要なのは温泉が湧き出でるということはこのサクロム山は活火山であり、


「私が欲しいのはこっち、この足元にある沸石の方よ」


 火山かつ湧水があるということは当然、多孔性結晶組織を構築する石材が形成されるということである。


「シヴェル大陸は広大でね、中にはあまり水が手に入らない土地もいっぱいあるのよ」


 地母神教マーター・マグナはその魔術の汎用性故にシヴェル大陸で幅をきかせていたが、その布教は順風満帆だったわけではない。

 シヴェル大陸の内陸地には乾燥地帯も多くあり、そんな土地では泥水も何とか飲めるようにしなきゃいけないほどに水が貴重である。


「けど残念なことに地母神マーター魔術には浄水系が存在しないから、そこは創意工夫で何とかする必要があってね」


 地母神マーターは大地の神より家を守る母の神としての側面が強いため、食品の腐敗を防ぐ魔術はあっても湧水、浄水系の魔術は存在しない。

 古来より用水路を作ったり井戸を掘ったりして安全な水を確保するのは男衆の仕事だったからだ。


「そんなわけで魔術に頼らない浄水技術、っていうのが考え出されたってわけ」

「それがこの沸石とやらですか」

「正確にはその一部よ。さて、ルガーに連絡して沸石採掘の人足を送って貰わないとね」


 二日かけてラジィたちは再びリュカバースの街へととんぼ返りし、


「クィス、ルガーとブルーノに面会依頼を。場所は何処でもいいし、どちらか一人に来て貰えれば構わないわ」

「了解」


 ウルガータたちに声をかけると、どうやらラジィたちを待っていたらしく、ブルーノがその足でクィスと共に教会へとやってくる。


「早いわね。もしかして暇してる?」

「暇はしていないが、改革を始めるなら早い方がいいのでな」


 なるほど、と頷いたラジィは領主カルセオリー伯の館を強襲した際に入手した資料を食卓の上に並べてみせる。


「リュカバースの取水設計記録よ。現状リュカバースはラティーナ河水系を主、レバディーア丘陵からの湧水を副として取水を行なっています」


 先日ラジィたちが訪れたのがレバディーア丘陵であり、ラティーナ河というのは王都リュケイオンに繋がる、ティナがリュカバースを訪れる際に使用した大河だ。

 港町であり、地下水の塩分濃度が高めなリュカバースでは井戸水は飲用水として利用できないため、川からの取水が主な上水として利用される。


「レバディーア丘陵からの湧水は水質がよいけど水路が細いため、専らカルセオリー伯邸と貴族街の飲用水としてしか使用されていません。よって」

「我々が改善すべきはラティーナ河からの取水、というわけだな」

「ええ。将来的には安全のためにレバディーア丘陵からももう一本水道を引いてきたいけど、これはすぐには取りかかれないしね」


 水質悪化や水道破壊の可能性を踏まえると取水場は複数分散して確保しておきたいが、これは将来の課題としておく。

 現時点ではリュカバースに長期的工事に投入できる人手はない。もう少し町が発展して人が増えたら取りかかればよいだろう。


「暴れ川でないからそうそう決壊はしないけどさ、ラティーナ河取水の浄水工事も楽ではないよ?」


 もと第三王子で、そこら辺の最低限の知識はあるクィスが困ったように腕を組む。

 多少の工事なら人手自体は工面できるだろうが、誰も治水工事などやったことがない面々ばかりだ。


 最近知ったことだが、そういうメンテナンスができる人員をカルセオリー伯アンティゴナが予算削減のためリストラしてしまっていたようだ。

 つまり、工事設計と指示を行える土木技術者がリュカバースには不足しているのである。


「そう。だから大規模工事は不可能よ。少しずつできるところから初めていきましょ」


 ラジィもそれは把握している。だから工事は少しずつ、だ。

 現状、リュカバースにラティーナ河から取水している上水路は四本だ。同時に改修はできないが、さて、


「ブルーノ、リュカバースの各ギルドから意見を集めてくれる? 引越しや街の改造を許容してでも水質をよくしたいか否か」


 まずは提案をブルーノに丸投げする。ラジィの仕事はあくまで提案をすることだ。実際にどうするかは街の住人が決めればよい。


 なお、リュカバースをどう動かしていくかは現在、


 1.マフィア5家、

 2.領主、

 3.残る小規模マフィア、

 4.各ギルド、

 5.一般市民による市議会、

 6.市民権を持たぬ僑族、


 の順番に強い権限を握っている。上位が命令して服従を求めれば下位はそれに従うが、力でゴリ圧せば信頼を失い敵意を持たれる。


 命令というのは積み上げた信頼を消費して人を動かすことである。信頼は無制限に溜まるものではなく、日々少しずつ実績で溜めていくものだ。

 リュキア騎士を封じ込めて新色町を発展させたウルガータはリュカバース住民からかなりの信頼を買うことができたが、その信頼も強権を乱発すればあっという間に目減りする。


 マフィアだからと、金と暴力と流血で全てを解決していてはコルレアーニの二の舞だ。

 故にここではギルドの面子を立てて意見を聞いておいたほうがいい。ウルガータが貯めた信頼は、この程度で安売りする必要もない。


 ただ、新色町からのウルガータ、ブルーノへの敬意はほぼ天井しサチっているので、新色町なら住人にきちんと利を説けば多少の無茶も押し通せるだろう。


「でも、ギルドが反対したらどうするんだい?」


 夕食時、クィスに問われたラジィはちょっと悪い顔で微笑んでみせる。


「全ギルドが反対するってことはないわ。少なくとも染織、製パンギルドは水質改善に賛成する筈よ」


 ラジィからすれば、ギルド内で反対が多数であるなら、ただその事実を公表すればいい。

 そうすれば水質改善を実施しなかった責任はマフィアではなく各ギルドへと降りていく。マフィアとして片付けねばならない問題ではなくなるのだから。


「でも、水質をよくしなきゃ港の価値は上がらないんですよね?」

「港に供給する飲料水だけ私たちで水質を上げればいいだけのことよ。それぐらいなら街の構造に手を加えなくてもできるからね」

「……えげつないなぁ」


 ティナはラジィの狙いを看破して溜息を吐いた。

 ラジィはその事実を公表することにより、ギルドの不満をマフィアではなく他のギルドに向けるつもりだ、と気が付いたからだ。


 にひひ、とラジィは呆れるティナに笑ってみせる。

 不満の矛先というのは分散させるのが基本だ。全てがウルガータたち、ひいてはラジィたちが受け止めなければいけないものでもないだろう。






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