書庫の天使は怠けたい
■ 091 ■ 激突
石畳を蹴って、両陣営が奔る。
やはり、踏込みはグラナの方が遥かに早い。
先陣を切ったラジィとグラナが交錯する。
グラナは武器を持っていない。下手な武器を使うより身体強化した素手の方が強いからだ。
振り抜かれるグラナの拳をラジィは経験と勘で躱し、身体強化を穂先まで伸展した竜鱗の槍でグラナの腹を浅く薙ぐ。
一刀、入った。
だが浅い。まるで鋼の剣で青銅の盾を撫でているかのようだ。
「ハッハァ、ラジィイ! まだそんな立派な武器を持ってたかぁ! 流石は
裏拳を槍の柄で受ければその力に抗し切れず、柄は安々とラジィの身体に押し付けられ、そのままの勢いでラジィの痩躯は後ろに押し飛ばされる。
相手の軽口に返す余裕もない。まともに受けたら一撃で四肢がへし折れる。
正面決戦ではこれだけの手勢を集めても、まだグラナには勝てないだろう。
だから、ラジィはまともにはやらない。
「始めるわよ皆! 【
ガレスと二人、常にグラナを挟んだ位置取りから、絶妙にタイミングを合わせて距離を詰め、爪と槍を振るうが、
「遅え、遅えよどいつもこいつも!」
安々とグラナの両腕にそれは防がれ、だけどそれでいい。
「グガアッ!」
一瞬だけ実体化したロクシーが二つの頭でグラナの両膝裏をそれぞれ噛み千切る。
蹌踉めいたグラナの首に、
「この身は爪持つ牙持つ猛獣なれば、人に害為す魔を駆逐せん!」
「我ら
ガレスが爪を、ラジィが竜鱗の刃を食い込ませて、全力で振り抜けば、血飛沫がグラナの身体を朱く染める。
「ガホ……ッ……」
崩れ落ちる前にラジィが、ガレスが身を捻って見事なタイミングでグラナの腹に爪先を、脛を蹴り入れれば、グラナとて所詮は一人の人間。
その体重は二人からなる運動量に抗し切ること能わず、グラナの足が石畳から離れて浮き上がる。
「浮いた! クィス!」
「やれナガル!」
どれだけの身体能力を誇ろうと、人間は空中で回避行動を取れるようにはできていない。
故に、
「人の営みに火の温もりを、獣には猛き炎の恐怖を。
ナガルが詠唱込みの魔術を、クィスが口元の
だが、
「ハッハァ! 二度もやらせるかよトカゲェ!」
平然とグラナはその炎の中から生還する。
傷一つ、火傷一つなく現れる。
「攻撃続行」
「了解」
だが、それがどうしたとばかりにラジィとガレスが攻め立てる。
だが、分析は必要だ。
どういうわけかナガルとクィスの炎は、殆どグラナを傷つけるに至っていない。
「奇しくもお揃いとはね」
ラジィは舌打ちする。
ドンの魔術師であるグラナは当然金が腐るほどある。
そして
「お揃いかそうかお揃いかぁ! 益々家族って感じだなぁラジィイ?」
ガレスを無視してラジィを狙うは、素早い左右のコンビネーションで蛇のように踊る拳だ。
左拳を躱しきれず、ブレスレットにはめられていたピジョンブラッドが三つ粉々に砕けて、夜空に赤い破片を血飛沫のように撒き散らす。
だが、砕かれただけの甲斐はあった。アミュレットに弾かれるという、通常とは異なる手応え。
故にリズムを崩し、グラナの踏込みが止まった一瞬の隙を、
「【
竜鱗の槍が一直線に駆け抜ける。
「この身は常に只人の為に、この身命は同胞の為に。【
槍を、まるで硬い木の幹に鉈を押し込むようにグラナの胴体へ捩じ込んで、爆砕。
肉片と共に
だが、腹に穴が空いた程度ではグラナは止まらないのはラジィもよく知るところだ。
「すまねぇアミダ、さぁ隙だらけだぜラジィイィイ!?」
ラジィがアミュレットによるカウンターなら、グラナは肉体を囮にしてのカウンターだ。
ガレスとロクシーが再び背後からグラナの腰と膝裏を切り裂くが、それらを無視して振るわれた捨て身のストレートがラジィの腹を強かに強打する。
五つのピジョンブラッドがあっさり砕け散って、もうこの時点でラジィの護りは三割が失われているがラジィは気にしない。
先ずは
故にラジィが護りを喪失しようと、今は攻めなくてはならない時だ。
だが、ラジィとて別に無策で攻めているわけではない。
「んなっ!?」
ラジィを追撃しようとしたグラナがいきなりつんのめって無様に石畳に倒れ伏す。その隙を見逃すラジィではない。
「【
無防備にさらされたグラナの背中に、ラジィは全体重を乗せて槍を突き込んだ。
空中で実体化したロクシーが前脚を石突に叩き付けて、その上からさらに槍を押し込んでくれる。
「
聖句込みの最大出力で膨れ上がったラジィの神気が、
「ガァアアッ、すまねぇカーラァ、ッ!?」
ラジィがグラナの尻を蹴って離脱し、ロクシーの肉体が解けると同時に、
「【
再びナガルとクィスの魔術が飛んできてせっかく再構築した肉体を舐め上げていく。
爪の、髪の、皮膚の脂肪の燃える臭い。
人体が燃える臭いは、今度こそグラナに攻撃が通っている証拠だ。
「クソっ、ふざけるなよトカゲ共がぁ! すまねぇマイヤ、あいつらをぶっ殺してやるからよぉ!」
再生したグラナがラジィもガレスも無視してクィスに迫らんとし――
「クソがぁあッ! 畜生そういうことかよモグラァ!」
再び地面に足を取られて無様に転倒する。
再度降り注ぐ二柱の火柱を受けるまでもなく、グラナの頭は赫怒で沸騰している。腸が煮えくり返りそうだ。
それでもなお立ち上がろうとしたところに、
「我ら
ラジィの防御を捨てた全力の斬撃が振り抜かれ、両脚が膝から下で両断されて再び石畳に崩れ落ちる。
支えを失い倒れ伏す最中にすら猛攻は止まらず、背中をガレスの爪に切り裂かれ、首の肉をロクシーに齧り取られる。
――何故だ、何故ラジィたちは自由に動けるんだ!?
グラナは再び包まれた焔の中で歯軋りする。
グラナ自身が身動きを取れない理由はもう分かっている。
あのモグラ、姿を見せないティナは今現在ずっとグラナたちの足元、地面の下をグズグズに掘って回っているのだ。
グラナは限界まで強化された肉体を駆使して暴れまわれるが、推力揚力を生み出せない人間の移動は常に反発力、即ち何かを押した反動としてしか行えない。
だからグラナがどれだけ優れた脚力で大地を蹴っても、地面があっさり崩れてしまえば移動もままならないのだ。
そうやってラジィはグラナの凄まじい身体能力を実質的に封じ込めた。だが、空を飛べないのはラジィたちとて同じなのだ。
グラナが大地を蹴れないなら、ラジィたちもまた地面を蹴れない筈。なのにラジィやガレスからの攻撃は微塵も緩まない。
――何故だ、どうしてあいつらは自由に動けるんだ!?
「クソっ、すまねぇ、ソニア」
生け贄を一つ消費しながら両脚を再生、その足で崩れていく地面を踏み固め、辛うじて立ち上がったグラナの視界に映ったのは、
――白い、板?
そう、白い板を足場に距離を詰めてくるラジィとガレスである。
二人が移動する先に透明の板が現れ、それが即座に白く色を変え――凍りついていく様を見て、ようやくグラナは理解した。
――
ラジィとガレスは魔術師二人を補助に回らせ、せっせと作らせている氷の板の上を歩き回っているのだ。
――馬鹿な! なんでそんなことができる! あり得ねぇだろうがよぉ!
グラナはわなわなと拳を震わせる。
そう、あり得ないのだ。
理屈上は確かに可能だ。氷の板上を歩くだけなら別になんの不思議もない。
あり得ないのは、あの補助魔術師二人、というか
さっきからラジィとガレスの動きは僅かにも劣化していない。
つまり身体強化したラジィとガレスは地面を走っていた時となんら遜色なく、その力と技と経験を存分に振るってグラナを攻め立てているのだ。
これは絶対にあり得ない。足場の作製を他人に委ねる以上は、絶対にその動きは鈍る筈なのに、それが一切ない。
それがまるで長年の付き合いのように、ラジィとガレスを最適な攻撃経路へと誘導している。しかも個々人の身体強化出力差までも加味した完璧な歩幅でだ。
そんなこと、できていいはずがない、できるはずがないのだ。
§ § §
そうして、作戦会議の場で自分の魔術が未来予測だという説明を終えた後、魔術師一同に改めてラジィは向き直った。
「さて、私たちの唯一の勝利方法はグラナの生け贄を全て使い尽くさせることだけど……所詮私たちは寄せ集めの集団よ。個々の能力は高いけど、連携した戦いなんて夢のまた夢ね」
ガレス、ナガル、シンルーの三人はある程度の連携はできるようだが、それも訓練したわけではない最低限にすぎない。
というか、ガレスたちは個々で見ればかなり魔術師としては優秀と言っても過言ではない。彼らに完璧な連携ができていれば初見のラジィ一人なら討ち取れていただろう。
だが異なるボスに雇われていた三人はそういう異宗教集団戦の技術を身につけてはいなかった。だから三対一という数の優位を上手く生かせなかった。
逆に言えば、完璧な連携さえ取れれば三人は十分にラジィを上回るということでもある。
「現状、私が考えうる上でもっとも勝率が高い戦い方は、徹底してグラナに実力を出させない方法ね。ティナが地面の下を掘りまくって土を柔くすれば、あいつはろくに身動きが取れなくなるわ」
「成程、いくら凄く強いと言っても空が飛べるわけではないですからね」
頷いたアウリスだが、当然のように疑問が湧き上がる。
「しかしそれでは私たちも身動きが取れないのでは?」
「そこをシンルーとアウリスでカバーするの。シンルー、水を板状に形成、維持することはできる?」
「で、できるけど……水は所詮水だし、盾にするなら密度高めないとだけど、あまり高めると構築に時間がかかるし、だからなんの役にも立たないってお役御免になるんだ、私しってるんだ……」
「出せるならいいわ。強度はアウリスがそれを凍らせることで確保し、私とガレスはそれを足場に移動します」
「そうか、それなら地面が崩れていても戦えるな」
ガレスは頷いたが、ナガルが不安そうに顎を撫でて小首を傾げる。
「ですが、足場があればグラナも利用しましょう。最初こそ上手くは行くでしょうが、すぐに足場の奪い合いになり、それは速度と膂力に優れたグラナに軍配が上がります」
「そうね、だから足場を出したり消したりはかなり臨機応変にやらないといけないわ」
できるの? と一同から視線を向けられたシンルーが指先を合わせた両手の、人差し指のみをぐるぐると回しながら下を向いて視線から逃れる。
「無理だ、そんなのは無理だ。やる前から分かってる。私はふ、二人がどう動くかの予想なんてできないし、私の水を即座に凍らせる方だって楽じゃない。無理だ無理無理挑戦するだけ無駄無駄無駄無駄……」
シンルーがやる前から否定を並べ立てるが、これは流石に責める者もいない。
戦闘機動するラジィとガレスに適切な足場を随時用意、不要になり次第即座に消すだなんて、長年の付き合いと信頼がなければ成功する筈もない。
「ええ、だからそこを私で一括制御します」
だが、その不足を補えるのがラジィ・エルダートの魔術だ。
「私の魔術は未来予想だって教えたのはこの為よ。予測した未来に従い私自身を再現、操作するのが【
そうラジィに教えられた一同はその言葉の意味を吟味し、それぞれのやり方で不安を表現した。
つまり、ラジィはこの場にいる全員をラジィの魔術で操り人形にすれば勝ち目はある、と言っているに等しいのだ。
「不安でしょう? 怖いでしょう? 自分の身体が他人にいいように操られると考えると、あまりに私の存在は冒涜的で、生かしておくことすら許し難くなるでしょう?」
ラジィが全く他人を信頼せず、頑なに一人で戦うと主張していた理由を、重ねてクィスたちは知ることとなった。
ラジィの魔術は、あまりに理不尽で冒涜的なのだ。
誰もが自分の強さを信じて己を磨いてきたというのに、ラジィはその身体の支配権を譲り渡せと言う。
お前なんかより、私のほうがお前の身体を有効利用できるのだから、と言う。
これまで研鑽を続けてきた魔術師、戦士に対する、それはこれ以上ないほどの侮辱である。
「ただ、私というか
ラジィがここで真実を全て語っているという証拠はない。
一度受け入れれば、以後知らない間にいくらでも行動を操れるような魔術かもしれない。
そもそもそんな魔術を受け入れて本当に害はないのか?
「一応、他人を動かして害はないことは確認できているわ。私の兄弟子とフィンだけど、今も元気でピンピンしてるし」
まあ、ディーは殺しても死にそうにないミラクルゴリラだから参考になるか分からないけど、とラジィは付け足した。
だがツァディを【
「確かに、その魔術を受け入れればかなりグラナとの戦力差を埋めることができそうですね」
ナガルが長所のみを鑑みてそう頷いた。ラジィが、クィスの実力不足を問題ないと言ったのはこういう理由なのだ。
実際の行動を【
だが何より、七人からなる魔術師を一つの統一された意思のもとで運用できるというのは、
「とんでもない魔術だな。集団戦の在り方が根底から覆るぞ」
常日頃からロクシーの実体化を制御しているガレスだからこそ、この魔術の恐ろしさが直感で理解できる。
要するに魔術師を獣魔のように自在に操れるのだ。脅威にも程があるではないか。
「ただ、これにも欠点があってね。一つには【
ラジィがツァディを【
要するに、神が愛するのは術師本人のみなのだ。他の神からの要請に従って魔術を行使してやる気など更々ないということらしい。
「なんだ、丸投げはできないんですね」
何もかもラジィに任せたほうが楽でいいと一人だけ本気で考えているティナは実に残念そうだ。
「ま、魔術が自己発動となるとやはり最適な補佐は難しい。身体だけ動いても、何を使えばいいか分からなくなるし、適切な反応はできないと思う……無理だ、無理無理無理だ……」
「そう、だから一人の作業を一つに絞るのよ。ナガルとクィスは最大火力、アウリスとシンルーが足場作成、ティナは延々と穴掘って、私とガレスは身体強化で殴る。身体だけなら操れるから合図は送れる。合図を受け取った瞬間に皆は自分の視点の先に魔術を使う。それだけに注力するの」
「ああ、それだけなら確かに現実的ですね」
アウリスが納得したように頷いた。
肉体に合図が来たら、馬鹿の一つ覚えのように、目の向いている場所に同じ魔術だけを一つ使う。
それなら確かに連携は可能だ。勝利をもぎ取るために汎用性を捨てて、魔術師を一人が一つの魔術のみを使う部品として扱うのだ。
「あと、もう一つ弱点があって。これが結構致命的でね」
「それは?」
「術者である私の迎える限界がわりと早いの」
それもそうか、と一同は頷いた。他の神派の魔術師を六人も同時制御するのだ。
ラジィの魔力がどれほどのものかは分からないが、普通に考えれば凄まじい魔力を食いそう、というのは誰しも納得してしまう。
「なので、この策を採る場合はかなりの短期決戦になっちゃうわね。ただ単純にグラナを消耗させるなら長期戦のほうが良いような気もするし……だからもっと有効な案があるなら是非聞きたいわ」
そうラジィに求められた一同ではあるが、ラジィをも封殺する魔術師の対処法などそうそう考えつくものでもない。
「とりあえずエルダートファミリーはラジィの案に異論はないです」
ティナが代表してそう訴える。ティナ、クィス、ラジィはもはや一族郎党の関係だ。今更身体の制御を預けるぐらいで尻込みはしない。
「私も構いません。初めての体験ですし、楽しそうです」
「確かに。ラジィなら私をどう動かすのか、その視点を体験できるのはさらなる研鑽に役立ちそうです」
アウリスとナガルがそれに続く。
「きょ、共同作業は嫌いじゃない……でもどうせ使えないなって私一人だけその【
続いてシンルーが、多分これは賛同でいいのだろう。
「その【
最後に残ったガレスにそう尋ねられて、ラジィは首を横に振る。
「獣魔もまた一つの魔術だから、ロクシーが顕現状態を維持し続けても、恐らく私には操れないわ」
「ならばいい。俺も自由に使ってくれて問題ない」
コルンやロクシー優先で自分は後回しにしがちなガレスも了承し、その後クィスたちは幾度かの練習を経て【
やることは簡単だ。二度瞬きが行なわれたら、目を開いた先に対して己の為すべき魔術を投入する。
詰め将棋のように少しの間違いも許されないわけではないから、多少は魔術の発動位置がズレてもリカバリは可能だ。
「前にも言ったけど、これの限界が来たらもう私も打つ手がないから、あとは各個の判断で宜しくね」
ラジィが念を押すようにそう繰り返す。
この時の一同は、単純にこの限界をラジィの魔力枯渇だと認識していたのだが……
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