■ 062 ■ 備えと躍進




 ウルガータがミッチェルファミリーをほぼ傘下に置いたことはリュカバース裏社会を震撼させた。

 リュカバースの中堅ファミリーはウルガータ、レンティーニ、ロンジェン、ミッチェル、リッツォーリの五つである。

 ラジィがリュカバースに来る前はウルガータ、レンティーニファミリーには魔術師がいない、中堅と言ってもほぼ弱小ファミリー寄りだった。

 それが今やウルガータはハリー・ミッチェルを味方につけチャン・ロンジェンと不可侵協定を結んでいる。


 この時点で勢力を全部合わせれば上位ファミリーにも比肩、もしくは凌駕するわけで、仮に残るアンニーバレ・リッツォーリのシマまで手に入れれば、ウルガータの影響力はドン・コルレアーニにも比肩するようになるだろう。


「楽観したいところだけど、まぁしない方がいいわよね」

「油断しないのはよいことです」


 己の教会の裏庭にて、ラジィは火神プロメテス魔術師との模擬戦を終えて額の汗を拭う。

 改めてミッチェルファミリーに再雇用された彼はナガルという名の青年で、褐色の肌と長い黒髪が特徴的な二十七歳だそうだ。


 誠実な人柄ながら故郷の火神プロメテス教会で人種を理由に濡れ衣を着せられ破門、流れの魔術師としてリュカバースへやってきたということだ。

 ラジィとあっさり和解し、こうやって模擬戦で鍛錬をするほどの仲に成れたのは、互いの実力に互いが敬意を払っていたからだろう。

 実際、ラジィが真っ先にナガルを潰したのは、距離が近かったからというのもあったが万が一の教会への引火を恐れたからだ。弱かったから真っ先に狙ったわけではない。


「しかし、その年齢で本当にお強い。私の方こそ見た目で見くびっているから勝てない、と言い訳をしたくなります」


 ラジィから渡された水筒で喉を潤したナガルが、そう少しだけ悔しそうな声をこぼす。

 ナガルは魔獣から故郷を護るべく魔術を磨いた純粋な戦闘職だ。それがアミュレットも作れるという支援職に遅れを取れば、やはり悔しいものは悔しいのが実情である。


「私の場合は少し特殊だから。カイの弟子になってからはずっとディーの道場アリーナ支援を受けて育ってきたし」


 ツァディ・タブコフは紛うことなき【道場アリーナ】の【至高の十人デカサンクティ】である。

 同じく【書庫ビブリオシカ】の【至高の十人デカサンクティ】であるラジィの加護を受けた孤児たちの成長速度に鑑みれば、ラジィがツァディの側にいることでどれだけ速く成長できたかも知れるというものだ。


「なるほど、地母神教マーター・マグナが海向こうで栄えている理由がよく分かりました。戦力の補充も早いのですね」


 参戦要請が多いのにツァディが【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】に残っていたのはこの効果も極めて高いからで、要するに戦技成長支援の『置き物パッシブバフ』としてもツァディは非常に優秀だからだ。

 ある意味単独個体としてのツァディが暴れるより、こっちのほうがよほど重要だったりもする。


「その分突出した火力がないのとお金がかかるのが難点なのだけどね」


 まぁ【至高の十人デカサンクティ】云々については、わざわざ言うことでもないので黙っているが。


「何にせよミッチェルファミリーと和解できたお陰で、こうして組手ができる相手が増えたのはありがたいわ。いつも同じ相手とばかりだと戦術が広がらないし」


 ナガルとはアウリスも組手をやっている他、クィスやティナの鍛錬にも付き合ってもらえてラジィとしては大助かりだ。

 基本的に肉弾戦主体のラジィとは違い、どちらかというとナガルは射撃戦が主体だ。

 遠近のバランスがよいワイバーン因子のクィスや、射撃戦専門のティナにはラジィより適切に助言ができる。


「しかし、ウルガータファミリーは魔術師をこんなに抱えていたのですね。ウルガータたちが強気になれたのも理解できます」


 休憩中のアウリス、ティナ、クィスと順に視線を巡らせてナガルは軽く溜息を吐いた。

 これだけの隠し玉があればウルガータもそりゃあ強気になろう、と。

 だがラジィは静かに首を横に振る。


「ああ、この三人は戦力には数えないで。できればミッチェルにも黙っていて欲しいわ」

「彼女……アウリスは余裕で実戦が可能だとは思いますが」


 ナガルが理解できない、と首をひねるが、ラジィは強さの話をしているのではない。


「実力じゃなくて生き方の問題。三人はカタギのままにしておきたいの」


 ラジィはあくまでティナとクィスが庶民として生きられるように地母神教マーター・マグナとして支援をしているだけだ。

 ウルガータファミリーに力を貸しているのはラジィ個人の問題である。


 最悪時にクィスたちがマフィアから逃れられるように魔術の鍛錬もしているのであって、ウルガータファミリーの魔術師にするつもりなどラジィとしては更々ない。


「クィスたちには前途洋々たる未来があるのだから、それを潰しては可哀想よ」

「そう聞くとラジィには未来がないように聞こえますが」


 ナガルが不思議そうに眉根を寄せるが、ラジィとしては然りと頷くのみだ。


「ないわ。私は地母神教マーター・マグナの神殿騎士だもの。きっと死ぬまで地母神教マーター・マグナ徒として活動して終わりよ」


 戦力に直結するツァディ程ではないが、ラジィもまた知育支援としての『置き物』効果が非常に高いので、巡礼が終わればラジィもまた【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】で飼い殺しにされるだろう。

 もっともラジィは一年間【書庫ビブリオシカ】の神殿に籠もって読書に明け暮れる生活を好むような怠け者なので、それはむしろ望むところであるのだが。


 ただラジィにとって悪い話ではないというか好ましくすらあるものの、前途洋々たる未来があるかないか、という問い方だと「無い」という答えになってしまう。

 いずれやることがもう決まっている、という意味合いの話として。


「ああ、私と違ってラジィは破門されていないんでしたね」

「ナガル程の魔術師を破門するなんて火神プロメテス教は人が余ってて実に羨ましいわ」


 それが額面通りの意味ではなく皮肉と分かったため、ナガルは苦笑した。

 それはナガルに対する褒め言葉であると同時に、人の愚かさに対する嘲笑でもあったからだ。


「できれば海神オセアノスの魔術師さんや獣魔神フェラウンブラの魔術師さんとも組手をしたいところだけど」


 あの夜にラジィを襲ったナガルら三人は、聖句詠唱なしとはいえラジィの【裂空剣フィンド エンシス】を回避できた中々の手練揃いだった。可能であれば敵としてでなく味方としてお付き合いしたいところだが……


海神オセアノスを雇用してるロンジェンファミリーとはあくまで不可侵協定ですし、獣魔神フェラウンブラは次の仮想敵であるリッツォーリファミリーの雇われです。残念ですが敵として相対することになるでしょう」


 ここでリッツォーリファミリーもまたウルガータに付いてくれれば話は楽なのだが、ボスのアンニーバレ・リッツォーリはドン・コルレアーニの強烈なシンパだ。

 ほぼ間違いなく、ウルガータとは衝突することになるだろう。


「ナガルは獣魔神フェラウンブラさんと何度か共闘しているのよね? 奥の手とか知ってたりしない?」


 そうラジィに尋ねられたナガルは首を横に振った。


「残念ながら。普通奥の手は隠しますからね。あの狼に二つ目の頭があるのも、名前を付けていることもあの夜に初めて知りましたよ」


 ついでに言うなら獣魔神フェラウンブラ魔術師の名前もナガルは知らないらしい。魔術師より獣魔の名前の方を先に知ることになったわけだ。

 肋骨がベキベキの状態でよく観察していたものだ、とラジィはやはり油断できないな、とナガルを見直した。苦痛に喘ぎながらもナガルはちゃんと見るものは見て、聞くべきは聞いていたのだから。


「何にせよ、リッツォーリファミリーとの激突は必然か。真っ当にウルガータを狙うか、それとも裏切り者のミッチェルファミリーを狙うか。共闘はできなさそうね」


 夜はラジィはウルガータのシマに、ナガルはハリーのシマにいなければならないため、せっかく増えた戦力で畳みかけるのは難しそうだ。

 ラジィたちから攻めてもいいが、その隙に上位ファミリーにシマを攻められたら面倒だ。やはりコツコツとリッツォーリファミリーの戦力を削っていくしかない。


 そう、思っていたのだが。




「ジィ! 早く応援頼むって頭領カポが!」


 警邏隊の一人に頷いて、少年をその場に残し身体強化で急ぎリッツォーリファミリーとの抗争現場に辿り着いたラジィだったが、


「……魔術師がいない?」


 当然いると思われた獣魔神フェラウンブラ魔術師の姿はそこにはなく、


「ジィ、すまんが手を貸してくれ。連中固すぎて俺たちじゃ埒が明かねぇ」

「いいけどルガー、見たところ彼ら普通のソルジャーよね?」


 流石に魔術師以外に苦戦して助けを呼ばれるのは、ラジィとしてもこの先が心配になってしまうのだが。

 しかしウルガータはラジィの視線を真っ向から受け止めた上で、非常事態だと顎をしゃくってみせる。


「ああ、だが奴らの全員がアミュレットで身を固めているらしい」

「…………はぁ!?」


 どうやら、リッツォーリファミリーもまだ手札を隠していた、ということのようだ。




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