■ 061 ■ ミッチェルファミリーの顛末 Ⅱ




「ここまでか……」


 己の近くにまで喧騒が迫っていることを確認して、ハリー・ミッチェルはすっかり漂白されてしまったようだった。

 ウルガータのソルジャーたちが、もうハリーのお膝元まで到達したのだ。既に勝敗は決しただろう。




 母に逃げられたアル中のクソ親父に酒を買ってこいと毎日殴られ続けた子供の時分。

 ついに今日こそ殺される、と戦慄した時。

 血のべっとりこびり付いたナイフ一本を輩にハリーはストリートチルドレンになった。


 ただひたすらに食料を漁る毎日を送り、腕っぷしを買われて少年ギャング団に誘われ。

 そしてその少年ギャング団はやり過ぎて本物のマフィアに潰された。


「お前は中々見所があるな、うちに来い。人並みの人生ってやつをくれてやるぞ」


 ただ殿しんがりを務め、徹底して仲間を逃がすのに尽力したハリーはそこでマフィアに才能を買われ、そこからハリーのマフィア生活は始まった。


「いいか、やることは簡単だ。よく食らい、組織の為に命を懸け、得た金で人生を謳歌する。それだけだ」


 ハリーを見習いソルジャーにしてくれた男は竹を割ったように分かりやすい男で、ハリーはその背中をひたすらに追い続ける日々を過ごす。


「誇りを持てハリー。俺たちは所詮社会の暗部だがな、それでも誇りだけは失っちゃいけねぇ」

「誇りって言われても、俺、なにもないす」

「ないなら作れ。これをやったら人としてお終いだっていう最低限を決めて、それを絶対に破るな。それがお前の命に価値をつけてくれる。誇りがないマフィアなんぞクソ同然だ」


 そう兄貴分に諭され、ハリーは考える。

 ハリーにとっての絶望は父親の形をしていた。


 理不尽な暴力。理不尽な打擲ちょうちゃく

 マフィアになってハリーも酒を飲むようになったが、これのために人が殴られてよいものとはハリーには到底思えず、然るにそれがハリーにとっての禁忌となった。


 即ち納得できる理由のない暴力は振るわない、ということだ。


 理由、そう、ハリーは理由が欲しかった。

 殴られるのは仕方がない。暴力は生命の宿痾だ。今もハリーはマフィアとして暴力を振るっている。

 だがあの父親の拳には理由がなかった。殴りたいからハリーを殴っているとしか思えなかった。

 酒欲しさに何故ハリーを死に怯えるほど殴る必要があるのだ。道理に合わぬではないか。


 納得が、何よりハリーには欲しかったのだ。


 そうして、ハリーが所属していたマフィアは抗争に負けて潰された。

 それ自体にハリーは文句はない。マフィアは抗争するものだし、そこはハリーには納得できる。


 だがもう勝敗は定まったのだから、これ以上の死は必要ないはずだ。

 そこは、納得できない。


 兄貴分であった男は致命傷を負い、足手纏いを背負って逃げようとするハリーに己を置いていくように命令する。


「ハリー……いつものあそこに……しまった金は、ハァッ、お前に、くれてやる。ここを……離れて……好きにやれ。早く行け。追手が、くる」


 兄貴分の命令はハリーにとって絶対だったが、しかしハリーは動けない。

 兄貴分を置き去りにして逃げることそれ自体も屈辱だったが、それよりもハリーの動きを止めたのは、


「兄貴、兄貴、一つだけ教えて下さい。兄貴はここで死んで、こんなとこで倒れて。それで本当に価値のある人生を送れたって言えるんですか」


 ハリーにはそれが分からなかったからだ。

 肺をやられているのだろう。口からゴボッと血を吐いた兄貴分はしかし、ニヤリと笑って見せる。


「どんな金持ちも、ハッ、あの世に金は持って、いけねぇ。なら死ぬ時に、自分の価値を、決められるのは……自分だけだ。俺は、ガハッ、ハァ、最低のクズには、堕ちなかった。だから、安心して、逝ける」


 そう言い残して、兄貴分は永久に沈黙した。だからハリーもその言葉を信じることにした。

 兄貴分は笑って死んだ。笑いながら死んでいくことができたのだから。




 そうして兄貴分の残してくれた金でリュカバースに渡ったハリーはハリー・ミッチェルとして三度目の人生を始めた。ミッチェルは死んだ兄貴分の名だ。

 ハリーはソルジャーとしてとあるファミリーに所属して頭角を現し、ファミリーのボスが敵対組織に暗殺されたことで次のボスとして仲間に認められ、新たにミッチェルファミリーが発足する。


「いいか、やることは簡単だ。よく食らい、組織の為に命を懸け、得た金で人生を謳歌する。そして理由のない暴力は振るうな。それだけだ」


 ミッチェルファミリーはよく統制の効いたマフィアとしてリュカバース市民に受け入れられた。

 だが、やがてミッチェルファミリーの成長は頭打ちになる。

 どうしても金が足りないのだ。中堅ファミリーから脱却するにはさらなる金が必要だったが、ミッチェルにはその金が生み出せない。ドン・コルレアーニを筆頭とする上位マフィアに、財力で負ける。


「ボス! 俺たちも麻薬を作りましょう。勢力の拡大には金がいる。分かってんでしょう? 俺はこのファミリーが好きだし、ボスをドンにしてぇんだ。頷いてくれ、頭領カポ・ミッチェル!」


 ソルジャーの一人にそう懇願され、しかしハリーは首を縦に振れなかった。

 麻薬は、あれはハリーにとって父親と同じものだったからだ。


 意味がないのだ。あれを欲する者たちの行動には意味がない。麻薬を得るために人は何でもし始める。

 それはハリーにとって父親を彷彿とさせる、無意味な暴力だったからだ。


 組織の拡大か、それとも己の価値を守るか。


――俺は、最低のクズには、堕ちなかった。だから、安心して、逝ける。


 ハリーは、部下の進言に首を横に振った。


「駄目だ。腐っても誇りだけは売り飛ばせねぇ」

「誇りで飯が食えるんですかボス! あんたの誇りを食い物にして、ドン・コルレアーニは今後も肥え続けていくっていうのに!」


 そう吐き捨てた部下はミッチェルファミリーを去った。ハリーに絶望したのだろう。

 そいつは今、上位ファミリーで幹部をやっているという。要するに、ハリーを置いてさらに上に行ったわけだ。


 あそこが、多分ハリーの分水嶺だった。

 誇りにしがみついたハリーは形振りに構って、貪欲に金を掴めなかった。その結果が、このざまだ。

 ハリーは短い回想から現実へと帰還し、


「もういい、ソルジャーを引かせろ」


 そう腹心に指示を出した。

 趨勢は定まった。ハリーはウルガータに負けたのだ。これ以上の暴力に理由はない。理由のない暴力はハリーの誇りを貶めるだけだ。


 そうして、ハリーの前に、


「よう、ハリー・ミッチェル。邪魔するぜ」


 姿を現したウルガータを見てハリーは思う。

 自分とは違う、誇りと自身に満ち満ちた威厳あるボスの姿だ。


 着席を促し、卓上にショットグラスを滑らせるとウルガータは迷わずそれに口をつける。

 毒殺などする気は無論ハリーにはなかったが、目の前の事実に改めて打ちのめされた。


 これが、勝者と敗者の差なのだと。


「ウルガータよ。俺とお前の、何が違った結果がこうなんだろうな」


 追い詰められた自分と躍進するウルガータ、その差を分けたのはいったい何だったのかと。


「そりゃあ運だろ」

「……本気でそれだけだと思ってるのか?」


 納得がいかない、と返すハリーに、ウルガータは親しみの篭った視線を向けてくる。


「ああ。俺とお前にマフィアとしてそこまで差があるとは思えねぇ。リュカバースが火の海になりかけた際に、それを阻止すべくジィが声をかけたマフィアが俺だった。それだけさ」


 ラジィは複数いる候補者の中からウルガータを選んだと言っていた。だから恐らく候補者の中にはハリーも入っていた筈だ。

 ラジィは多くを語らないから、何がハリーとウルガータを分けたのかはウルガータにも分からない。


 単にウルガータには魔術師がいなかったから売り込みやすいと考えたのかもしれない。

 しかしそれまでのウルガータとブルーノは中堅ファミリーながら魔術師がいない自分たちは不運だと考えていたわけで……


 なので、総括すればウルガータも運としか言いようがないのだ。

 無論、あくまでそれはハリーとウルガータを比べたときには、の話だが。


「だからよ、手を組まねぇか」


 だからこそウルガータはそう提案し、


「正気か?」


 ハリーは我が耳を疑ってしまう。

 だがウルガータは本気だ。散々検討して、これが最上ベストだと判断したのだ。伊達や酔狂などでは決してない。


「ドン・コルレアーニとやり合うには兵隊が沢山必要だからな。このシマを統治するのにウチのを派遣してたらとてもじゃないが兵隊が足りねぇ。ならあるものを使うべきだろ」

「……ドンと本気でやり合うつもりなのか?」

「いつかはそうなる。俺とドンでは理想が違いすぎるからな」

「何が違う」


 薄々分かっていても、ハリーは尋ねずにはいられない。


「俺のシマに、麻薬ヤクはいらねぇ」


 ウルガータは迷うことなくキッパリと答え、そしてやはりとハリーは納得した。

 ウルガータとハリーに大して差がなかったというならやはり、ウルガータもまた麻薬が嫌いなのだ。


 嫌う理由までは同じではないだろうが、ならばウルガータとハリーには手を組める余地が残っている。

 だが、


「俺にも頭領カポとしての責任がある。ここで敵対していたお前と手を組んで、これまで俺の為に倒れた連中にどう顔向けできるってんだ」

「死んだ連中のことより生きてる連中のことを考えようぜ頭領カポ・ミッチェル。今日だって別にまだ誰も死んじゃいねぇしよ」

「……なんだって!?」


 ハリーは目を瞠った。まさか、この期に及んでファミリーの一人も殺さずにウルガータは己の元へと辿り着いた、と?


「ウチの魔術師様は暴力的ないい子ちゃんでね。手を出すのは早いが殺しは嫌いなんだよ」


 ウルガータはウルガータで扱いに困るとばかりに頭を掻いていて、どうやらあの子供にウルガータは頭が上がらないようにハリーには見えた。


「麻薬もやらずにドンに勝つつもりか?」

「同じやり方じゃあっちに一日の長がある。違うやり方じゃなきゃ勝負にならねぇ。だから、こんなところで目標が似てる奴の兵隊なんざ減らしてらんねぇ。俺の言っていることは間違っているか?」


 分からない。ハリーには分からない。だが、確かに頷ける部分もあるし、ウルガータと手を組んでもハリーの誇りは傷付きはしまい。

 あの日、父親を殺して家を出たその時からずっと、ハリーの誇りとは「意味のない暴力を振るわない」ことであったのだから。


「俺は麻薬を排除するために裏社会に留まっている。しかしこの目標は困難で、だから一人でも多くの協力者が欲しい。力を貸してくれ、ハリー・ミッチェル」


 そうウルガータに頭を垂れられて、ハリーの腹は決まった。勝っている側の男が、負けている側の男に頭を下げたのだ。

 それに今ここで倒れても、ドンに抗し切れずに倒れても死ぬことに変わりはあるまい。


 ならば、死ぬときは兄貴分のようにより笑って死ねる生き方をしたい。

 ならば、


「いいだろう。お前のその甘ったるい夢におれも賭けよう、ウルガータ」

「感謝する、ハリー」


 今日この日より、ミッチェルファミリーもまたウルガータ、レンティーニの両ファミリーと手を組んでいくこととなったのだ。




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