■ 096 ■ 燃え尽きゆく心
そうして、死闘を繰り広げるグラナたちをずっと、ラオは少女たちと共に見守っていた。
オネスタという名の女性が消え、アヌが消え、ナンナが消えて、グラナの家族はもう残り五人にまでその数を減らしているが、
「どうやら、このままではラジィたちの負けのようだな」
もう、まともに立てる者がクィスしか残っていない。ラジィから槍を奪ったグラナはアウリスとシンルーもその槍で打ち倒し、片腕の折れたクィスも動きに精彩を欠いている。
――『いい気味だわ! みぃんなグラナに殺されてしまえばいいのよ!』
エコーのかかったような、幾つもの音が重なった声がそう高らかに賤しい笑い声を上げる。
嘲笑、侮蔑、歓喜、恍惚。グラナの暴力性に同化したかのような、その力が我が物であるかのような全能感に満ちた嗤い。
「これが、汝らが望んだものなのかね? 本気で汝らはこのようなことを心から望んで、その命をグラナに捧げたのかね?」
眼下ではラジィがグラナの蹴りを躱せず、小石のように吹っ飛んで廃墟の壁に叩き付けられていた。
ラジィが倒れる度に、ラオの周囲からは嬌声にも似た喝采の声が幾たびも上がる。
――『当たり前でしょ!? 私たちを見下すような連中を、私たちの力でグラナはぐちゃぐちゃにしてくれるのよ!』
――『そうよ! 親に捨てられ、恋人にも捨てられ、裏路地で死ぬはずだった底辺の私でも、グラナと居れば魔術師をゴミのように殺せるの!』
――『あんな苦労もしたこともないような小娘なんか、グラナに麻薬漬けにされればいい! 顔も身体も心も醜く麻薬で崩れてしまえ!』
「グラナに会う前から幼少期のラジィは麻薬漬けにされ、誰にも愛されず、折檻と罵倒を輩として生きてきたのだが――それでもか?」
そうラオが冷や水を指すと、一瞬だけ気まずそうに女たちの気配がたじろいだ。
だが、それも一瞬のこと。
――『だから何よ!? 結局は救われたんでしょう? 優しい人たちに救われたからあの子はああも強いんでしょうに!』
――『あんな綺麗な顔で、あんな風におめかしして! 私はあんな風に、一度も笑えたことなんて無かったのに!』
――『結局は今は満たされているのでしょうに! 恨めしい、本当に恨めしいわ。誰からも愛される顔をしていて、男たちから守ってもらえて!』
――『誰もがあの子を守るために動いているじゃない! 炎の人も、狼の人も、竜の人も! 私なんて誰からも守ってもらえたことなんて無かったわ! 無かったのよ!』
巨星の周りを周遊する惑星のような朧気な姿が、炎のように燃え上がった形へと姿を変える。
この
立ち上がったラジィが再び蹴り倒され、横からラジィを庇うように飛び込んだクィスが腹にフックを打ち込まれよろめき倒れれば、喝采にも似た音が響く。
――『お生憎様! 私たちを説得なんてできると思った!? できるわけねぇだろ恵まれた強者どもが! お前たちなんて、みんなみんな死んでしまえばいい!』
「本当にそれでいいのか? 今ならまだ引き返せよう。そのままでは汝らは死後、フィンのいう誠実の羽根の裁きに負けようぞ。その先にあるのは
実際のところ、ラオは心臓の重さを量られた記憶がないので半信半疑だが、ある意味
だがどの神教も基本的にはよく在れ、人に優しく在れ、魔獣は殺せと語るのは同じである。
「自殺したことは罪ではあるまい。だが、人を殺して回るグラナの力としてその身を捧げたのならば――グラナの罪もまた汝らの罪よ。グラナの殺人は汝らの殺人だ、言い逃れはできぬ。共に罪を背負う覚悟はあるのかね?」
問い詰めるでも無く、ただ確認をするようにラオが穏やかな声で問いかける。
だが当然のように、持てる者が語る善であれという言葉に返される持たざる者の声は、いつだって罵倒だ。
――『当たり前じゃない! 可能なことならグラナの手ではなくこの私の手であんな子、八つ裂きにしてやったのに!』
――『天はあんなふうにたった一人に美貌も、才能も、生きる環境すらも与えて――私にはなにも、何も与えられなかった! ならば憎むしかないじゃない! 他にどうしろっていうの!』
――『許せない! 美しくあれることが許せない、その余裕があることが許せない! 私はこんな風に、こんなにも醜く醜悪な心しか持てなくなっているのに! 皆に愛されて守ってもらえるあの子が憎い、憎いのよ!』
――『愛されたい。私だって愛されたかった! でも誰も私なんて愛してくれなかった! グラナだけが私を必要としてくれたのよ! グラナの言葉を信じなかったら――私たちは何のために死んだのよ!』
「そう……か。グラナは汝らにとってまさしく救いであったのだな」
だから、ラオは説得を諦めた。
彼女たちを救うことはラオにはできない。如何なる説得にも耳を貸せないほどに、彼女たちは虐げられてきた。
そこをグラナに救われたのだ――否、救われたと思ったのだ。
「然らばここに裁定は下った。汝らは誰にも救われぬ。そう、それこそグラナですら汝らを救うには至らなかったのだ、とな」
そんなラオの呟きを皮切りに、眼下の世界が逆しまに入れ替わった。
§ § §
ラジィに膝をつかせその槍を奪い、アウリスとシンルーを一突きして血の海に沈め、ついにはクィスの腹をも食い破らんとした槍が――
「は?」
「……え?」
もう碌に魔力も残っていないクィスの、ただの鱗の硬度に弾かれて、僅かにも食い込まない。
あり得ない話だ。腕力だけでもグラナの身体強化なら貫ける。魔力を通せば易々と背中まで貫通する。それが、全く、穂先すらも刺さらないなんて、そんな馬鹿な――
動揺して動きを止めたグラナの腹に、突如として細い穴が空いた。遠距離からの狙撃はフィンの
ラジィの臨界阻止にほぼ魔力を使い果たしているせいか、その火力は大したことはないが――ここに来て参戦を忌避してきたフィンがあえて一撃を打ち込んだ意味。
「クソッ、すまねぇ、アラセリ!」
そうグラナが家族に希うが、
「どうしたアラセリ! 力を貸してくれアラセリ! アラセリィ!!」
傷が塞がらない。フィンの空けた風孔が塞がらない。ならば、だからこれが、
「攻めて! クィス!」
「おぉおおおおおっ!!」
勝機だ。
ラジィの声に背中を押されたクィスが距離を詰める。拳に既に炎はない。魔力は全て使い切って、獣為変態すらも解けている。
額にびっしり珠の汗を浮かべたクィスが赤く燃えるような髪を振り乱しながら、握りしめた右拳をグラナに叩き付けた。
ぶぱあっ、とグラナの鼻が折れて鼻血が珠と夜空に散る。
一撃、入った。
既に身体強化すらできていないクィスの拳が、あっさりとグラナを傷つけ、ガランとその手から槍が落ちる。
グラナが呆然としている内に、クィスは無理矢理折れた左腕を正常な位置に戻す。振るだけで痛みが走るが、拳はまだ握れる。ならば使い潰すのみだ。
「ようやく生け贄を使い果たしたかよ、ええグラナァ!?」
もういい加減倒れろ、とばかりにクィスの右ストレートがグラナの顎を打つ。ナガルやラジィと組み手をして教わったとおりの、教科書通りの美しくしかし単調な拳を、グラナは避けられない。
右拳を側頭部に打ち付けられ、左拳が脇腹に。上下に伝わってきた衝撃にグラナもようやく正気を取り戻した。
「クソがぁ! どうして応えてくれねぇんだリッカ! アラセリィ!」
そう叫んだグラナにローキックを打ち込まれれば、身体強化の欠片もない蹴りでも限界まで酷使されているクィスの脚を止めるに十分すぎる。
「リッカ! アラセリ! ピエリーナ! エンニ! ロニヤ! 見てるんだろ! 側にいるんだろ! どうして応えてくれねぇんだ! 頼むよ、力を貸してくれ、まだ救済の途中なんだよ!」
――『応えているわ、応えているのよグラナ! どうして私たちを使ってくれないの! どうして私たちでそいつを殺してくれないの!』
――『グラナ! グラナグラナグラナ! 何をしてるの!? 早く私を使ってそいつを! その美しい生き物を殺してよ!!』
――『何で応えてくれないのよグラナ! 私は、私たちは貴方のために死んだのに! 貴方まで私たちを裏切るの!』
――『殺してよ! 貴方は私たちの味方だって言ったじゃない! 家族だって、全部、全部嘘だったの!?』
――『裏切り者! 人殺し! あんなに私たちは貴方のために苦しんだのに! 結局貴方にとって私たちもまた使い捨ての道具だったのね!』
どれだけ叫ぼうと、
だからグラナはクィスを、身体強化も切れた、今年ようやく庶民で言えば新成人になった若造一人を倒せない。
グラナは強い。だがその強さはあくまで絶大なる
「フラれたのか。情けないなグラナ、ついには生け贄にまで愛想を尽かされたかよぉ!」
クィスの拳がグラナの鳩尾にめり込んだ。
グラナの戦闘スタイルは一撃必殺だったから、殴り合いの技術は最短で攻撃を当てることのみに主眼が置かれていてフェイントや防御の術を持たない。
だから身体強化を失った今、クィスの如き若造との殴り合いでグラナは埒をあけられない。これまでは、届けば倒れたのだ。
「ふざけろクソがぁ! 俺の家族を侮辱すんじゃねぇ!」
グラナの拳が、ドンとクィスの心臓を叩いて、一瞬クィスの動きが止まる。
だが、追撃が続かない。腹に風穴を空けられているグラナにはその余裕がない。
「お前がジィを侮辱したんだろうがぁ!」
だから、呼吸を取り戻したクィスが右拳をグラナの頬に打ち付ける。
「頼んでもいないのに救うとかほざいて!」
左拳、折れた腕故に効いているのかも分からないが、構わず腹に打ち付ける。
「麻薬中毒にして、人としての尊厳を奪って!」
右拳、防ごうとするグラナの両腕をかいくぐり下から上へと振り抜いて顎を押し上げる。
「てめえはクソの変態だ! 女の子泣かして喜んでるだけのクソ野郎が救済とかぬかしてんじゃねぇ!」
ウルガータのように吠えたクィスの拳がグラナの顎を打ち抜いて、グラナがよろばい膝を付き――
「周りの見えてねぇガキが……ほざいてんじゃねぇよぉ……!」
地面に落ちていた竜麟の槍で、クィスの脇腹を突き穿つ。
血が槍を伝って滴り落ち、ついにはクィスも膝を屈した。
グラナしか見ていなかったクィスと、周囲まで見ていたグラナの差が、この二人の勝敗を分けたのだ。
だが、
「
グラナにも見えていなかったものがある。クィスがその背中で隠していたものがある。
「見えるかグラナ。僕の背負っているものがお前に見えたか? 僕の背負っている命の重さがお前にも量れたかよ」
膝を付いたクィスの背後にはラジィがいた。
倒れ伏すアウリスから渡された、ステネルスの
神になること能わず、輝く翼はもがれ、光輪は焼き払われ、それでもなお二本の脚でしかと大地に立つラジィがいた。
ずっとクィスはラジィをその背に負って、グラナの視界からラジィの姿を隠し通していたのだ。
ラジィ・エルダートが地を蹴って走る。拙い身体強化故に、その速度は機敏とは言いがたい。
迎え撃つようにグラナが槍を構えようとして、しかし槍が動かない。
何故かと視線を落とせば、その柄には息も絶え絶えになったロクシーの三つの頭が牙を立てていて――
「我ら
右脇腹からごぞり、とグラナの体内に侵入した刀身が背骨を両断した勢いのまま、切っ先が左胸から抜けて。
「――成敗」
ついにグラナはその両膝を付いて、五体倒置で神に祈るかのようにゆっくりと大地へと倒れ伏した。
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