■ 051 ■ 夜のリュカバースにて Ⅰ




 ウドは割とどこにでもいる、何の変哲もない船乗りである。

 農家の次男で実家は長男が継いでおり、工房に弟子入りする伝手もないウドに売れるのは自分の身体一つだけ、ということもあって水夫になる道を選んだ。


 ガキの頃は航海に連れて行っても貰えず港の埠頭で荷揚げと荷下ろしを繰り返す退屈な日々。

 とはいえ成人していざ船乗りに数えられてから、ウドの生活は一転して危険や死と隣り合わせになった。


 自分の百倍もあろう立派な船でも一度嵐にあえば、


「帆をしまえ! 持ってかれるぞ早くやれ!」


 右に左に転覆寸前まで傾くのみならず、波に呑まれて乱高下を繰り返す。


「それ縄引け! 一、二の、三だ!」

「船長! この嵐では船員が持っていかれます!」

「それがどうした! 全滅よりはマシだろ! 生き残れたら金は出す! 作業急げ! 転覆してぇのか!」


 命綱を結ぶ余裕もなく嵐が渦巻く甲板で帆を畳み、横合いから襲い来る浪に打たれて甲板へ投げ出される。

 隣にいた船員は――海に落ちたのかもしれないが、もう悲鳴すらも聞こえない。彼はもういなくなった、ウドの世界から消えたのだ。


「そんなところで寝てんじゃねぇ! 踏みつぶされてぇのか!」

「は、ハイッ!」


 震える膝を叱咤して帆を畳み船室へ戻った時には膝だけでなく全身が震えている。

 点呼を取った結果、二人が海の藻屑と消えていることが分かった。誰も、何も言わない。要するに櫛の歯が欠けただけだ。


 即ち平和な船旅ならさておき、嵐が来ればこんなのは日常茶飯事ということ。

 以後これがウドにとっての日常となった。


「入港、投錨及び係留索投げろ!」

「アイアイサー! シェーンエルマ号投錨、係留索で桟橋に固定します!」

「よーし停泊は一晩だ。今はかき入れ時だからな! 明日の昼には出港するぞ荷下ろしと補充急げ!」


 こうして港に船が停泊する度に、ウドは海神オセアノスへと感謝の祈りを捧げる。

 もっともウドは魔力持ちではないため、その祈りが何らかの意味を持つわけではないが。


 シェーンエルマ号が主に運んでいるのは南国産のヤシ油である。それがたっぷり詰まった樽は当然のように重い。

 舷梯で桟橋と船を繋ぎ、船から荷を降ろして陸の埠頭にそれを移し終えた頃にはウドはすっかり汗まみれである。


 海風が首筋をいらっていく中、夕日が海向こうに沈む頃になってようやくウドたち甲板要員に解散許可が出る。

 男たちは大喜びでそれぞれ仲のよいメンバーとチームになって港町へと乗り出していく。多分、今夜は一人もシェーンエルマ号に帰ってはこないだろう。

 船室で寝ればタダだが、港に戻ってきてまで船の中で寝る甲板員などいない。みんな安宿へ、それぞれお財布事情に見合った娼婦を連れ込むのだ。


 陸地に降りた船乗りが求めるのは、生きているという実感。まだ死んでないという実感。

 次の航海に出るために、全身にべっとり纏わり付いた死の恐怖を拭い去る、言わば肉欲の禊ぎだ。


 希望を、生きる意欲を、快楽を!

 美酒を、美食を、美女を、乱痴気騒ぎを!


 心を享楽で満たすのだ。港でハメを外さない船員など狂人の極み。

 どれだけサイフに金を貯めたって、どうせ海に沈めば海神オセアノス様のお賽銭になるだけなのだから。


「ようウド。いい女ほど先に出た先輩たちに買われちまう! チンタラしている暇はねぇぞ!」


 同僚のコーレにそう肩を組まれて、ウドは嫌々リュカバースの港町へと向かう。

 嫌々、というのは港町へ向かうのが嫌という意味ではない。コーレと一緒に行くのが嫌だ、という意味だ。


 別にウドはコーレを嫌っているわけではない。北国出身だというコーレはひょうきんで明るく仲間思いのいい奴だ。海の上では安心して命を預けられる仲だ。

 ただ、コーレの顔はウドよりちょっと良くてウドより要領もいい。


 要するにコーレと一緒に行くと、これはと思った女の子の視線は全部コーレに行くということだ。

 しかしコーレはコーレでいい奴なので、そんなことには一切気付いておらず、ウドを当て馬にしているわけでもない。むしろ、


「ほれ、あの子とか誘ってみろよ」


 と背中を押してくれるのだが、娼婦に品定めされて「あっちの男の人の方が良かったな」みたいな顔をされるのはウドにとって憂鬱でしかないのだ。

 知ってるさ。自分よりコーレの方が全てにおいて魅力があるって。そんなことは分かってるさ、と内心で呟いてみても、この悔しさは少しも消えてはくれない。


 だがその晩のウドにとって幸運だったのは、


「好みの子見つけた。悪ぃウド、俺先行くわ!」


 コーレが一夜のお相手を早々に見つけてさっさと消えてしまったことである。


 ホッと一息吐いてウドもまたお相手を探すべく街路をほっつき歩く。

 なお自称モテないウドであってもお相手を探さないという選択肢はない。

 女の船員などいないのだから船上での恋人は常に右手一択であり、しかし船室では航海士でない甲板員など相部屋でプライバシーもなく、マスかくのも一苦労だ。


 夜番の際に海に向かってマスかいていたら船から落ちた、なんて笑い話もあるくらいで、持て余した性欲は陸で発揮しておかないと割と悲惨なことになりかねない。

 そんなこんなで路地を彷徨いていたウドはやがて一人の少女に目を留める。


――これまで見たことないタイプの子だな。


 それがウドの抱いた第一印象だ。

 着ている服自体はさほど上質ではないが、下品ではないどころか妙にセンスがよく、専門で誂えたかのようにサイズもピッタリだ。

 歳は十五、六ぐらいか。顔つきは並程度に見えるが血色がよく健康そうで、金に困っているという風にも見えない。

 そうウドが首を傾げていると、


「お兄さん、お相手がまだなら一晩如何? 宿と食事付きで大銀貨一枚よ」


 少女にニコリと笑いかけられて、ちょっと可愛いなと思ってしまう。

 ただ大銀貨一枚は下っ端船乗りにはかなりの出費だし、即座にお財布の紐が緩むとまでは行かない。


「まからない? 懐事情が厳しいんだ」

「ウソツキ、こんなに逞しい体付きしてる癖して、お金に困ってるようには見えないわ」


 そうニコニコ笑顔でするりと腕を取られると、服越しに少女の柔らかな胸の膨らみと体温を感じて、あ、まぁいいかな、とあっさり転びそうになるウドである。


「何なら宿の前で決めてくれればいいわ。都合で宿が決められてるから少し歩かないといけないし」

「そこら辺の宿じゃ駄目なのかい?」

「ママが許してくれないのよ。でも悪いようにはしないわ。どう?」


 とりあえず宿の前まで歩くだけならタダ、ということもあってウドが頷くと、少女が嬉しそうに顔をほころばせる。


「貴方の話を聞きたいわ。お兄さんのお名前は?」

「ウドだ、君は?」

「ラウラよ。ウドってば鍛えてるのね。腕が丸太みたいでびっくりしちゃった」


 つつっと撫でるように上腕二頭筋に指を這わせられれば、ウドとしても褒められて悪い気はしない。


「毎回油の詰まった樽の荷下ろしさせられているからね」

「大変なお仕事ね。私を指名してくれれば一晩ゆっくり解してあげられるのだけど」


 そう上目遣いで言われればもうこの子でいいかな、とウドは考えてしまう。

 ラウラと二人並んで、確かにかなりの距離を歩かされてはいるのだが、ウドにとってそれは何ら気になることではなかった。


「シェーンエルマ号っていうの。次はどちらに行かれるの?」

「まぁ、ここ最近は油ヤシの旬だからまたリケだろうな。反復横跳びだよ」

「リケ? 港の名前?」

「うんそう、シヴェル大陸にある港でね、熱帯のいろんな作物が集まってくるんだ」

「何それ楽しそう! 私リュカバースから出たことがないからそういう話もっと聞きたいわ! いいでしょう?」

「勿論。どんなことが聞きたい?」


 ラウラはウドのことをいろいろ聞きたがったし、知らないことを聞くと楽しそうにはしゃいでみせる。

 芝居も多少は入っているのだろうが、全てが振りではないようでウドの自尊心が心地よくくすぐられるのだ。


「はい、食堂兼宿はここ。どう? そんなに悪くないでしょ?」


 そうして着いた先は一階が飲食店、二階が個室になっている大衆食堂である。

 確かに、悪くはなさそうだ。床には多少の古い染みはあれど清掃は行き届いていて、今日明日の汚れは全て拭い去られているようで清潔だ。

 先客もそこそこいて、満席ではないがそれなりに席は埋まっている。


 そう店の中をうかがっていたウドの前に、


「ここまできて目移りは酷いわよ」


 ラウラが立ち塞がって、咎めるような口調でウドを非難する。

 確かに、端から見ればラウラと店内の女性を見比べたようにも見えるだろう。

 散々コーレと見比べられてきたウドが素直にごめんと謝ると、ラウラは本気で非難していたわけではないようで、ウドに掌を突きつけてくる。


「大銀貨一枚よ。どうする?」

「わかった、君の勝ちだよ」


 苦笑しながらウドは財布の紐を解いてラウラの手に大銀貨一枚を握らせる。

 それを笑顔で受け取ったラウラはウドの手を取って軽やかに店内へと移動した。カウンターの向こうにいる男に銀貨を渡して、アンティパストの皿を手にウドの元へと戻ってくる。




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