■ 052 ■ 夜のリュカバースにて Ⅱ




「お酒と料理は黒板の中から一品好きなのを選んでね。ただお酒のおかわりは追加料金よ」


 そうラウラが指さした先に確かに黒板はあるのだが、


「ど、どうしようかな……」


 ウドはまだあまり文字が読めない。そういう教育を受けていないからだ。

 とはいえそれを口にするのは少し恥ずかしい、と思ったところで、


「お勧めは魚貝のトマト煮と赤ワインね。パンはサービスで付くわ。近所の工房の焼きたてよ」

「あ、じゃあそれで」


 ラウラがお勧めを口にしてくれてホッと一安心だ。

 ラウラが合図をすると、年頃が十かそこらの少年少女がウドたちの卓にワインとパン、主食を運んできてくれる。

 ウドのワインは適量だが、ラウラの分はかなり少なめだ。


「まだあまりお酒に慣れてないの。笑わないでね?」

「笑わないさ。ラウラに乾杯」

「ウドに乾杯」


 所詮庶民なのでグラスをチン、とやれるはずもなく木製のマグでゴツンだが、それなりに雰囲気は出るものだ。

 もっともそれはウドの錯覚だったのかもしれなかったが、錯覚ならそれでも構わないとウドは思う。


「ここ、給仕が子供なんだな」


 基本的に上が宿の食事処というのは給仕が娼婦を兼ねることが多いのだが、ここは子供である。

 要するに完全に呼び込みを前提とした営業なわけで、


「あー、ほら。ここ港から少し距離があるでしょ? だから店に女の子置いといても、ね」


 確かに、とウドも苦笑した。この店は位置が悪すぎる。

 娼婦は港まで呼び込みに行かなきゃいけないから、給仕をやっている暇などないということだ。


「でもウドが新婚さんみたいにお世話されたいっていうなら私がお世話するけど」


 新婚さん、といわれて一瞬それもありかなとグラッときたウドであるが、


「いや、ラウラとはこうやって隣で話している方が楽しいよ」


 そう言うとラウラがはにかんでくれるのがウドには嬉しい。

 人に喜ばせて貰うのも楽しいが、人を喜ばせることもまた楽しいのだと、久しぶりにウドは思い出したような気がした。


 調子に乗ってワインを五杯も追加でおかわりして(調子に乗っている自覚はちゃんとウドにもある)、程々に酔ったところで宿の裏庭に出て、水浴びして酔いと汗を軽く流す。

 手拭いで雑に水滴を拭い、一応下の下着だけ履いて指定されていた部屋に行くと、彼女は街に出る前に沐浴を済ませていたのだろう。

 先ほどと変わらない服装ながら、胸元の紐を緩めたラウラがベッドの上でウドを待ち構えていれば――否応にもボルテージが上がっていくというものだ。


「……寝間着に着替えていた方が良かった?」


 油皿の火に照らされたほの暗い部屋の中で、ラウラがそう心配そうに聞いてくるが、何を馬鹿なとウドは言いたい。


「いや、その服、とても似合ってるから。そのままでいい」

「ありがとう。安物だけど一張羅だから。似合ってるって言って貰えて嬉しいわ」


 ホッと胸をなで下ろしたラウラが枕元の手拭いで、あまりに雑なウドの代わりに全身の水分を丁寧に拭っていけば、もう肌と肌の触れ合う距離。準備は万端である。


「大事に扱ってね?」

「服を? それとも君を?」

「両方」


 本能の求めるがままにラウラをベッドに押し倒して、その夜ウドは一匹の理性なき獣になった。




      §   §   §




 翌朝、ウドが目を覚ますと隣ではラウラが薄い寝息を立てていた。

 ちょっと乱暴にしすぎたか、と反省しながらウドがベッドから降りて服を着ていると、ラウラもそれで目を覚ましたらしい。

 裸の胸元にシーツを寄せる姿が扇情的で第四回戦に行きたくなるが、残念ながら娼婦と客の関係は最長でも日が昇るまで、というのが暗黙のルールである。


「それじゃあ、また」


 良かったよ、というのもなんか変だと思ったので無難な一言だけを残しラウラに向けた背中を、


「行ってらっしゃいウド、気をつけて。無事に帰ってきてね、待ってるから」


 そんな言葉に優しく叩かれ、ちょっと情緒を滅茶苦茶にかき乱されてしまったウドである。女の子に命の心配をされるだなんて一体何年ぶり――いや、年齢と同じだよなと考えてちょっと凹む。


 朝焼けの中、「随分綺麗な通りだな」なんてことを考えながら近くのパン工房で朝食のパンを購入。ムシャムシャ囓りながらウドが港までの帰り道を歩いていると、


「ようウド。当たり引けたか? 俺はよかった、溜まってたもんいっぱい出たわ! なんかもうこれ天井まで噴き出すんじゃないかってくらいビュービューよ」


 背後からコーレにガシィっと肩を組まれて思わずパンを落としそうになる。


「下品なこと言うな。パンが不味くなる」

「うっせい。で、どうだったんだよウド」

「お前ほど慣れてないから当たりか外れかなんて分からないよ」


 だいたいこんな感じ、とウドが説明すると、コーレは少しだけ渋い顔をした。


「むぅ、その額だとちょっとだけボられてるな。あとお前調子乗って酒飲みすぎ」

「調子乗ってた自覚はあるから言うな。でもそうか、すこしボられてたか」


 むぅ、と唇の下に皺を寄せるウドを見て、コーレがグイッとウドの鼻を摘まんで上向かせる。


「すまん、ボられたってのは表現が悪かった。ちょっと高めかな程度だよ。十分に適正の範囲だ。楽しかったんならそれでいいじゃないか」

「……何で楽しかったって分かるんだ?」


 そうウドが尋ねると、何を馬鹿なことを、とばかりにコーレがケラケラ笑う。


「さっきからの語り口聞いてりゃ分かるよ。楽しかったんなら多少の出費なんざ気にすんな。そればっか考えてると楽しいが悔しいに置き換わっちまうぞ」

「そうか、そうだな」


 そうとも。ラウラとの一晩は楽しかった。それでいいじゃないか。

 いや、


――次にリュカバースに戻ってくるまでに、もうちょっと文字読めるようになっておきたいな。


 店で赤っ恥をかきかけた事実を思い出して、ウドは軽く赤面した。

 男たるもの、やっぱり女の子の前では無能をさらけ出したくはないものだ。


 そうやって男二人は港が近づくにつれて二人は三人、三人は四人と人数が増えていく。命知らずを演じる虚勢・・・・・・・・・・を充電した船乗りたちが船へ、己の戦場へと帰ってくる。

 食糧と飲料水の積み込みが終われば、今の交易先であるリケは油ヤシの収穫期だ。ガンガン海を渡ってガンガン荷を運び込まないと勿体ない。すぐにでも出港である。


 一晩の共を港に残して、船はリュカバースを離れていく。

 また再び、海のご機嫌を伺って生きる一日の始まりだ。




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