■ 282 ■ 分裂する地母神教 Ⅱ






「シンがカイを殺害!? そんなことするわけないでしょうが! あんた、なに言ってんのよ!」


 【納戸ホレオルム】ラムが席を立って声を荒げても、内赦局員ヤマツ・ヘメセリスは涼しい顔でそれを受け流し、


「カイ・エルメレク最高指導者の亡骸から毒物が検出されました。【温室ハーバ】様の研究室から持ち去られたものと判明しております」


 残る六人の【至高の十人デカサンクティ】から視線を向けられた【温室ハーバ】ダレット・ヘイバブが苦い顔で首肯する。


「内赦局が今朝方やってきてそう言うので確認した。劇物の小瓶が一つ無くなっていたのは事実だ」

「だからって、どうしてそれがシンの仕業って事になるのだね?」


 そう追求する【宝物庫セサウロス】サヌアン・メフィンに、これもまた当然といった顔で内赦局員ヤマツは頷いてみせた。


「近々に【温室ハーバ】様の個人的な研究室に入室でき、また【神殿テンプル】様に薬物を服用させることができたのが【御厨コクイナ】様しかいらっしゃいませんでしたので」

「馬鹿も休み休み言ったらどうです? シンがカイに毒を盛るはずがないでしょうに」


 【菜園サジェス】、テッド・ヨドカフが呆れと怒りも露わにそう問うが、内赦局員ヤマツはその言葉になんの感情も抱かなかったようだ。


「走査と聴取は平等に行なうもの。筈がない、などという理由でもっとも状況として疑わしい者を放置するなどあり得ない話です」


 内赦局員ヤマツの言葉は確かに正しくもあり、だから咄嗟に誰もが反論を成し得ない。

 【至高の十人デカサンクティ】だから犯罪から許されていいなんて道理はないし、その為の調査は公平に受け入れなければならない。


「あくまで容疑、という形での取り調べです。私も【御厨コクイナ】シンが犯行を行なったとは考えにくい。ですが調査は必要なのです」


 そう強引さもない正論を並べ立てられれば、正しきを旨とする【至高の十人デカサンクティ】には手の出しようがない。


「それと、このような状況で申し上げにくいのですが――」


 所在なさげに肩をすぼめてみせる内赦局員ヤマツがそう言葉を搾りつつも、


「現在、【道場アリーナ】ツァディ・タブコフ様に対する弾劾の声が上がっております」

「……何でだ?」


 【武器庫アーマメンタリウム】アレフベート・ギーメルの声が苦々しいのは、理由の一端がアレフベートにも心当たりがあったからだろう。


「【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】に居合わせていながら、【至高の大複合神殿マグナ・サクロ・サンクトゥス】の発動を体調不良を理由に拒むなど、【至高の十人デカサンクティ】として相応しくない、と……」


 申し訳なさげに告げる内赦局員ヤマツの言は、やはりこれも責めようがないほどの正論だった。


 ツァディはあの日確かに【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】に駐在していながら、【至高の大複合神殿マグナ・サクロ・サンクトゥス】発動に参加しなかった。

 【至高の十人デカサンクティ】であれば率先してこれに当たるべき事柄を平然と無視し、しかも体調不良の理由の一切を他の【至高の十人デカサンクティ】にまで明かさない。


 そんな頑なな態度は、【神殿テンプル】カイ・エルメレクが命を懸けてシヴェル大陸の魔術師たちを守ったからこそ、余計に傲岸不遜にうつるのだ。




『【神殿テンプル】カイが命を賭したというのに、その直弟子である【道場アリーナ】ツァディは我が身可愛さを優先するのか』




 と。


 これまでなら事情を知る【神殿テンプル】カイが周囲を宥めただろう。またツァディをカイに任された【御厨コクイナ】シンもこの場にいれば、ツァディを庇わざるを得なかっただろう。

 だが今の会議室クリアにはそのどちらの姿もなく、然るに【道場アリーナ】ツァディはその責任を問われて、これを庇い立てできる理由を持つ者はこの場には一人としていない。


「ふーん、まぁ皆が辞めろって言うなら辞めるよ。別段しがみ付きたい椅子じゃないし」


 そして当の【道場アリーナ】ツァディ・タブコフは、【至高の十人デカサンクティ】の中でもっとも地母神マーターに愛された、もっとも政治ができない男である。

 誰かが止める暇すらなく平然とそう口にしてしまえば、内赦局員ヤマツはツァディがそう発言したと政治部内に展開するだろう。


「重ねて、【温室ハーバ】様と【納戸ホレオルム】様には横領の疑いが持たれております。予算と出費の額が釣り合っていない、不自然な穴がある、と」


 内赦局員ヤマツがそう畳みかけてきて、一瞬【温室ハーバ】ダレットと【納戸ホレオルム】ラムは正体を失い言葉に詰まった。

 以前ラジィに届けた支援も、無から生み出されたわけではない。あくまで【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】に納入されてきた物資から作られたものだ。


 最高品質のローブ一着分、並びに霊薬エリクサー二本分の素材は流石に安くはない。

 そこの尻尾を政治部は掴んでおきながらすっとぼけ、今この段階でその切り札を切ってきたのだ。


「後日、正式に事情聴取を行なう事になるかと思われます。それでは私はこれで」


 恭しげに頭を垂れた内赦局員ヤマツが去った後の会議室クリアには、重苦しい空気が立ちこめていた。


「どうやら、これを機に政治部は現状の【至高の十人デカサンクティ】を解体しようとしているらしいな」


 【宝物庫セサウロス】サヌアンがそう、顎をなでながら茶飲み話のように切り出した。

 同じラジィに支援を行なった【武器庫アーマメンタリウム】アレフベートと【宝物庫セサウロス】サヌアンは、あくまで現地試験として出立したからこそ追求はされていない。

 ローブや霊薬エリクサーと共に用意された竜麟の剣も、ツァディが使い潰したと言えば誰にも反論はできないだろう。


 だがツァディが女性用ローブと霊薬エリクサーを必要とする理由が無いから、これは決定的な【至高の十人デカサンクティ】の責任を問う材料となる。


「参ったわね……政治部の狙いはどこまで? 【至高の十人デカサンクティ】現体制の解体が狙いならシンが嵌められる可能性もあるわよね」


 【納戸ホレオルム】ラムが苦虫を噛み潰したような顔で呻くそれを、誰もが否定し得ない。

 【至高の十人デカサンクティ】は善人揃いだが、まさか政治部もそんなことまではやらないだろう、なんて呑気に考えるほどの平和ボケはしていない。


 実際、ラジィに支援を届けに行ったツァディは幾人もの間諜を屠っているのだ。

 ラジィ一人を辞めさせるためにそれだけやった政治部が、今更何をやっても何らおかしくはないと。それぐらいまで【至高の十人デカサンクティ】は政治部を信用できなくなっているのだ。

 あるいは逆にわざとそう思わせることが政治部の狙いという可能性もある。些細な咎を何倍にも意識させ、もう逃げ道が封じられたと思わせて辞退を迫る、というやり方も十分に考えられるのだ。


「とりあえずラムとダレットは正直にジィへの支援だって言いなよ。そうすれば二人の正当性は維持できる」


 ツァディがそう二人に促してくるが、それは確かにラムとダレットの潔白を示すことにはなる一方で、


「でも、そうしたら連中はジィの能力を論ってくるわよ」


 ラムの言う通り、【至高の十人デカサンクティ】からの手厚い支援がなければ巡礼をこなせないラジィは間違いなく弾劾され、【書庫ビブリオシカ】の地位を追われるだろう。

 だが、もう正直に言えばツァディはそんなことはどうでもいいのだ。


「正直俺はもう限界だ。カイに奴らが毒を盛ったのか、それとも死体を都合のいいように利用したのか。どっちにせよカイの死を玩具にした連中と同じ空気は吸いたくない」


 あ、と一同は今更ながらに気が付いたのだ。ツァディがその怒りを必死に無表情の中に抑え込んでいて、今にも激発しそうだ、ということを。


 カイ・エルメレクは死んだ。

 それが瀕死の状態を毒殺されたのか、それともツァディの言う通りカイが死んだという機を最大限利用して、死体に毒を塗ったのか。どちらかは分からない。


 だが政治部が、政治部をも守って命を懸けた・・・・・・・・・・・・・カイの死を愚弄している、というのは疑いない事実だろう。


「クソだよ、今のここは。まともなヤツから民を守ろうとして死んでいって、今やゴミが最大派閥になっているクソの掃き溜めだ」

「否定のしようがありませんねぇ。【菜園サジェス】候補生も敬虔な者たちから先に倒れましたし。一方で魔術の質を求められていない政治部はみーんな無事。笑える話ですよ」


 ツァディが吐き捨てた言葉に【菜園サジェス】テッドが追従するが、全く笑えない話だ。


 【至高の大複合神殿マグナ・サクロ・サンクトゥス】は神殿テンプル派以外は等分に魔力を分担する設計になっている。

 ということは、神殿テンプル派以外は魔力が少なめのものから倒れていった状態であり、だからこそカイ以外の【至高の十人デカサンクティ】に欠けはないが、候補生や訓練生は相応に倒れた。

 死に至ったのは、カイ一人だけではないのだ。何人もの優秀な魔術師が衰弱から神の御許へ旅立ち――しかし【至高の大複合神殿マグナ・サクロ・サンクトゥス】に申し訳程度しか参加していない政治部の欠けは一人もいない。



かつえる民に温もりを、難き道行きに安寧を。只人にそれが成せぬというなら、私がそれを成しましょう』



 それを真摯に願ったものから順に倒れていって、だから政治部が最大派閥として幅をきかせているのが今の【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】だ。










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