■ 281 ■ 分裂する地母神教 Ⅰ










「誠に残念な話ですが、先ほど最高指導者【神殿テンプル】たるカイ・エルメレク様が地母神の御許に旅立たれました」


 緊急を要する、ということで会議室クリアに呼び出された【至高の十人デカサンクティ】に、政治部総務局長カラシス・ニアンティエルがそう短く告げる。


「カイが――死んだ?」


 呆然とした声を上げたのはカイと同い年であり同期でもある【納戸ホレオルム】、ラム・メドムである。

 元々化粧っ気の薄い顔は既に蒼白に血の気が引いており、握りしめた手が小さく震えている。


「なんで、なんでカイをむざむざ死なせたのよ! 貴方たちは一体なにをしていたの!」


 仮にもカイ・エルメレクは地母神教マーター・マグナの最高指導者だ。

 治療にも深い地母神教マーター・マグナがよりにもよって最高指導者の治療も満足に行えないなどあまりにもふざけた話でしかない。

 で、あるのだが、


「ですが、【神殿テンプル】様は自らに霊薬エリクサーを投与せぬよう念書まで残しておりました」


 総務局長カラシス・ニアンティエルが円卓の上に提示したのは、疑いなくカイ自身の筆跡による念書である。

 犠牲者多数の場合、自分の身を優先するより他の信者たちを一人でも多く救って欲しい旨が記されたそれは――偽装という線はまずないだろう。


「でも、投薬と御厨コクイナ加護による治療は進めていたんでしょう!?」


 そうラムが【御厨コクイナ】シン・レーシュに視線を向けると、シンは当然だとばかりに頷いたが――


「ですが、私が赴いたときにはポーションなどを嚥下させようとしても吐き出してしまうほどにカイは衰弱していました」


 シン曰く、下手に食事をさせると吐瀉物が気道を塞ぎ窒息死しかねない、ということで大した治療はできなかったそうだ。

 御厨コクイナの加護は、あくまで料理に宿るものであり、その効果は料理に含まれる栄養価と比例関係にある。

 即ち食事ができない相手への治療は限定的とならざるを得ず、饑餓神イネディア魔術師でも呼んでこないことには話にならない、という状態だったらしい。


「だが、【神殿テンプル】が倒れたのは重篤とは言え魔力枯渇が原因だったはずだろう?」


 【宝物庫セサウロス】、サヌアン・メフィンの問いに、政治部総務局長カラシスのみならず調薬を行なった【温室ハーバ】ダレット・ヘイバブと【御厨コクイナ】シンが揃って頷いた。

 カイは外傷を負ったわけではない。単に意識を維持できなくなるほどに魔力が枯渇して昏倒しただけだ。そして魔力は、時間が経過すれば相応に回復する。

 故にシンもカイの治療をあくまで薄めた魔力ポーションの服用に留め、自然回復を待つ方針としたのだ。


「ただ、衰弱時の体調はどう転ぶかは分かりません。これは経験則からそうとしか言えないのも事実ですね」


 【菜園サジェス】、テッド・ヨドカフがシンを庇うようにそう付け加える。

 人の肉体とは相応に大雑把であるが相応に複雑でもある。脳が欠けても平然と生き延びたりすることもあれば、血管一つ切れるだけで死に至ることもある。


 故に治療方針を決めたシン・レーシュを責めるのは筋違いだ、というテッドの言葉に、誰もが反論を持たなかった。

 沈黙が場を支配する中で、


「ひとまずカイを弔いに行こう。正式な葬儀だと別れを告げている余裕もないからな」


 【宝物庫セサウロス】、サヌアンの言葉に、誰もが黙って席を立ち、先導する政治部総務局長カラシスに従って遺体安置室へと向かう。

 訪れた先、棺桶の中に無数の花と共に安置されている遺体は――今更【至高の十人デカサンクティ】が見間違うはずもない。カイ・エルメレクその人である。


 今にも目を開いて起き上がりそうな顔をしているのは死化粧を施されているからで、その胸は上下せず、その身に血液はめぐってはいない。


「……あんた、激務だったから絶対私より先に死ぬと思ってたけど……早すぎでしょ…………」


 同期である【納戸ホレオルム】、ラム・メドムがその遺体の頬に手を当てて、静かに嗚咽する。

 早々に泣かれてしまった残る【至高の十人デカサンクティ】にできることはただ、静かにカイの冥福を祈ることだけだ。


かつえる民に温もりを、難き道行きに安寧を。難き道行きを生ある限り歩み続けたカイ・エルメレクに、永久の安寧が訪れんことを」


 【御厨コクイナ】シン・レーシュの聖句と共に、誰もが目を閉じて純粋に地母神マーターへと希う。

 どうかカイの魂が御身のお膝元にて永久の安らぎが得られます様に、と。


 そうして一人、また一人と会議室クリアに戻ってきた【至高の十人デカサンクティ】は、ただ悲しみに暮れているわけにもいかない。

 この世界はまだ続いていくのだ。いや、むしろこれからこそが難き道行きに満ち満ちた世界の始まりである以上、


「新たな【神殿テンプル】を立てにゃぁならねぇが……候補生に新たな【神殿テンプル】の席を務めるに足る奴はいるのか?」


 そう【武器庫アーマメンタリウム】アレフベート・ギーメルが問う。

 新たな【至高の十人デカサンクティ】の選定は、各宗派が候補生を選出し、それを残る【至高の十人デカサンクティ】の半数以上が承認することで襲名となるのだが――


 政治部総務局長カラシスが困ったように首を横に振った。


「それが、【至高の大複合神殿マグナ・サクロ・サンクトゥス】発動のために殆どの【神殿テンプル】候補生もまた病床に倒れたままです。はたして何人が快癒するか、という状態でして」

「むぅ……【至高の大複合神殿マグナ・サクロ・サンクトゥス】は神殿テンプルがもっとも負担を追う設計になっているからな」


 【温室ハーバ】ダレットが額を抑えて呻いた。

 【至高の大複合神殿マグナ・サクロ・サンクトゥス】は出力と規模こそ並の魔術と一線を画すとはいえ、基本的には神殿作成の延長にある技術でしかない。

 それを専門とする神殿テンプル派の負担が大きいのは設計方針として至極当然である。そも、重荷を他人に背負わせようとする者などこの【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】にはいないのだ。


かつえる民に温もりを、難き道行きに安寧を。只人にそれが成せぬというなら、私がそれを成しましょう』


 それを本懐とするのが地母神教マーター・マグナであるのだから。


「とすると、最高指導者の代理を立てないとですよね。こういうときは年功序列でしたよね? 確か」


 【スタブルム】ザイン・へレットが挙手と共にそう発言すると、皆の視線が一斉に【宝物庫セサウロス】、サヌアン・メフィンへと向かう。

 現時点における【至高の十人デカサンクティ】の最高齢者はサヌアンなのだが、


「すまないが辞退させて貰おう。私に最高指導者が務まると思うかね?」


 そうサヌアンが辞退を申し出てくれて、【道場アリーナ】ツァディと【スタブルム】ザインを除く誰もが多少の申し訳なさと共にホッと胸をなで下ろす。

 こう言ってはなんだが、【至高の十人デカサンクティ】の中でもっとも政治に向いていないのが学者肌一筋の【宝物庫セサウロス】サヌアンだ。

 まあ政治に向いていないのは獣狂いの【スタブルム】ザインと、脳筋で知られる【道場アリーナ】ツァディも似たようなものだが。


「じゃあ、時点でシンばーちゃんか」

「そうだな。シンなら文句は出ねぇだろうよ」


 ツァディ、アレフベートの言葉で皆の視線がシンに集まり、これは逃れがたいと判断したのだろう。


「分かりました。新たな【神殿テンプル】が立つまで私が代表として立ちましょう」


 シンが渋々ながら頷いたことで、ここに一応の地母神教マーター・マグナ新体制が整うことになったのだが――




      §   §   §




「先ほど我々内赦局が【神殿テンプル】カイ・エルメレク殺害の容疑で【御厨コクイナ】シン・レーシュを拘束しました」


 翌日の、最高指導者就任のために開かれた会議室クリアにシンが姿を現すことはなく、代わりに現れた内赦局員ヤマツ・ヘメセリスが告げた言葉が【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】を震撼させた。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る