■ 283 ■ 分裂する地母神教 Ⅲ






「俺は降りる。ジィを連れて地母神教マーター・マグナの手の届かない、どっか遠い場所にでも行くよ。それが一番だろ?」


 ツァディはそう言うが、一同はそれが一番と素直には頷けない。


「とも、俺たちからすると言い切れねぇなぁ。政治部がディーにビビってる面もあるからよ」

「確かに。我々も弱くはないが――あくまで支援職だ。政治部の手駒程度でも我々を蹂躙するぐらいはできようが、ディーだけは逆立ちしても排除できぬしな」


 アレフベート、サヌアンの言葉に一同は困って腕を組んでしまう。政治部にとって何をどうやっても絶対に排除できない存在はツァディ一人だけだ。


 【道場アリーナ】ツァディ・タブコフは最も地母神マーターに愛された、地母神教マーター・マグナ最強の暴力だ。

 これが政治部に対する抑止力になっている事実は、この場にいる誰もが否めない。逆に言えばツァディがいなくなれば、【至高の十人デカサンクティ】側が暴力に押し負ける未来も当然存在しうるのだ。

 だが、とツァディは皆の目を順繰りに見つめ直してから、真面目な顔で首を横に振る。


「ごめん、でも俺は行こうと思うんだ。多分もうジィの事があいつらに知られたから」

「ジィのこと、というのは先の補給や居場所のことかね?」


 そう問うサヌアンに、再びツァディが首を横に振って、


「違う。ジィが当代の天使だって事だ」


 言い放った一言を、誰もが瞬時には飲み込めなかった。

 僅かな、沈黙の後、


「ふむ。天使か、なるほどなるほど。ということはアレはジィがしでかした、ということになるのかね」


 真っ先に再起動したのは生涯学者たることをその胸に任じている【宝物庫セサウロス】サヌアンだ。

 皆の非難の籠もった視線を、しかしツァディは違うと確信を以て否定できる。


「いや。ジィがなるのは運命神フォルトゥナ、運を操る神だ。ダート修道教会の時点でそれはもう定まっている。だからあれは誰かがジィを利用して別の神を降臨させようとした結果だ」

「……そういうこと。頑なにカイがジィを手放さず手元に置いていたのはそういう理由だったのね」


 ようやく得心がいった、と【納戸ホレオルム】ラムが椅子の背もたれに身を投げ出した。

 カイにとって麻薬中毒の孤児であるラジィなど経歴に傷を付けるだけの筈だったのに、何故それをずっと手元に置いていたのか。


 同期であるラムにとってそれは長年の疑問だったのだが、ラジィが天使であるのならその全てに納得がいく。

 ラジィは人類を利すること無き神になることが定まってしまった。そしてラジィがそうであるなら、今後生まれ出る全ての天使もそうなる可能性が高いということなのだから、殺処分などできる筈もない。

 ラジィが神になることを否定できる天使ならば、ならばラジィをより長く生かすことこそが人類の為となるのは誰の目にも明らかだ。


「ジィの神臓は俺とカイで抜き取って、今俺が保持している。【至高の大複合神殿マグナ・サクロ・サンクトゥス】発動に参加できなかったのはそれが原因だ」

「ああ……お前さんが動けねぇなんてある筈ねぇと思ってたがディーよ……神化に引きずられて神になりかけてたのか。そりゃあ人には言えねぇわな」


 そして此方も納得とばかりにアレフベートが膝を叩いた。

 ラジィの神臓をツァディが持っていて、ラジィが他人によって神化を促されたなら、その神臓は肉体の持ち主を神にしようとし始めるだろう。


 魔力持ちを殺すという神になりかけているツァディが、よりにもよって【至高の大複合神殿マグナ・サクロ・サンクトゥス】内で降臨し始めたら、皆の努力が全て無駄になってしまう。

 だからツァディは神臓を押し留めることに精一杯で、とても他のことをしている余裕がなかったのだ、と。


「ジィが臨界する運命神フォルトゥナは、人の社会を破壊する危険な神だ。だけど他人を害してでも自分が幸せになりたい屑には極めて魅力的な神でもある」

「なるほど、運命神フォルトゥナ運命神フォルトゥナときたか。運を操って自分の都合のいいように未来を引き寄せるのだね」


 【温室ハーバ】ダレットが呆れたように首を振った。この世の誰もが運によって苦しめられているからこその運命神フォルトゥナなのだ、と。

 運命神フォルトゥナとは即ち、実力も才能も関係なく、自分よりいい思いをしている奴を引き摺り下ろせる神だ。濫用すれば、他人の上に立てると考える者は当然現れる。


 当然、そんな目論見など上手く行くはずもないだろう。魔術で運が操れるなら、より優れた魔術師がやはり頂点に立つだけの話だ。

 だが誰もが至極合理的に考えられるなら、この世から胴元が利をかっ攫うだけの博打なんてものはなくなっている。「自分なら勝てる」と思ってしまうのは、人の業といっても過言ではない思考なのだ。


「ウチの政治部なら、多分ジィを神にしたがるんじゃないかって俺は思うんだけど、皆はどう?」

「そうですね。今回私たちを引き摺り下ろすことに失敗したら考えるんじゃないですか? 成功したら絶対にやらないでしょうが」


 【菜園サジェス】テッドがいつもの皮肉げな顔でそう嗤う。地母神教マーター・マグナで頂点を取れないならば別の神に乗り換えることも考えるだろう。

 もっとも今【至高の十人デカサンクティ】を一掃し傀儡を立て、地母神教マーター・マグナを掌握できたなら――今度は逆に新たな神の降臨など断固阻止しようとするだろうが。


「……政治は、組織であれば絶対に必要となる機能だ。我らに政治部は欠かせない存在であり、彼らもまた地母神教マーター・マグナである以上、人を救わんとここに在った筈であろうに。どうしてこうなっているのだろうな。我々に、彼らに対する感謝が足らなかったのだろうか」


 【温室ハーバ】ダレットが寂しそうにそう呟く様を、しかし【スタブルム】ザインは呆れたように見やる。


「政治部が発足した遙か昔ならいざ知らず、大貴族が横にスライドしてきたような今の連中に何を期待してるんです? 少なくとも私は使命に殉じたカイの死を利用して人を罠に嵌めたり、ジィに暗殺者を送るような連中を同志だとは思いませんが」


 まあ、聖獣なかまたちの食事代が必要なんで従ってますけど、と宣うザインはとっくに政治部の善性を見限っているようだった。


「ここから、俺たちはどう動くべきだ?」


 【武器庫アーマメンタリウム】アレフベートの問いに、誰もが無言で悩み始め――ややあって【納戸ホレオルム】ラムが口を開く。


「まずは連中がシンをどう扱うか、ね。もし私たちが面会すら許されなかったら、その時点でシンは殺されるか、嘘の自白を強要されてると思うべきでしょうよ」


 政治部がどこまでの手段に訴えるか。それ次第で【至高の十人デカサンクティ】の動き方も変わる。

 本当にシンを通常の範囲で聴取し、【納戸ホレオルム】と【温室ハーバ】に横領の容疑を問うだけなら、それは正しい行いだ。素直に従うしかない。

 だがもし、そうでないなら――


「ディー、貴方もジィのところに駆けつけたい気持ちは分かるけど、動いた時点で行き先を覚られ先回りされる可能性は頭に入れておきなさい。貴方、頭だけは弱いんだから」

「……そうだな。いくら俺でも海の上は走れないし」


 ラジィがいるのは海の向こうであり、船足はどれだけツァディが優れた魔術師でも加速することはできない。

 ツァディがどれだけ優れた健脚を持っていても、リュカバースに辿り着く速さはツァディも政治部も同じ――いや、連中はツァディが乗る船を買収してわざと船足を遅らせるぐらいはやれるだろう。


「動かないことが逆にジィの安全を保障することになる、ってことか……クソッ」


 ツァディが掌に拳を打ち付ける。

 同じ大陸にいるならツァディは誰よりも早くにラジィの元に駆けつけられるが、海を越えるとなると大地と母の神である地母神教マーターにはどうしようもない。


「シンばーちゃんには家族っていたっけ?」

「孫がいるとは聞いた事があるよ」

「そ。じゃあ人質を取ってシンに嘘の自白をさせるぐらいは大前提ね」


 ハッと【納戸ホレオルム】ラムが嫌そうに息を吐いた。

 情報戦において【至高の十人デカサンクティ】は政治部に対しどうやっても勝ち目はない。

 相手はそれを専門にやる職であり、【至高の十人デカサンクティ】はただの優れた魔術師に過ぎないのだから。


「なんなら俺が行きがけの駄賃に連中を根切りしてもいいけど」

「個人的にはそれも見ておきたいですが止めておくべきでしょう。今政治部が瓦解すれば本格的に地母神教マーター・マグナは機能しなくなるでしょうよ」


 何事も皮肉で返す【菜園サジェス】テッドが妙に真面目に――いや、それは政治的に無力な自分たちに対する皮肉なのだろう。

 政治部は腐っても政治部だ。巨大組織に成り果てた地母神教マーター・マグナに欠かせない歯車の一つなのは疑いない。


「貴族への影響力、大店おおだなからのお布施の安定回収、どの地域に神殿騎士をどの順序で送るかの判断、必要な資材の安定購入。それを政治部抜きで、この混乱した社会で我々がやれますか?」


 しかも今は世界中の魔術師の大半が倒れた、という危機的状況だ。この状況を政治部無しで渡り切れると自惚れるほどの愚か者は【至高の十人デカサンクティ】にはいない。


「では、まずは様子見かな。シンとの面会が許されない、もしくはシンが罪を認めた時点で我々への害意は決定的だ。反撃も吝かではあるまい」

「そうね、一旦はその方向かしら」


 ツァディも即座にラジィの元へ向かうのではなく、一旦は政治部の悪辣さを測ろうということで一同は合意した。

 後手ではあるが、それが善人の集団である【至高の十人デカサンクティ】の限界でもあるのだ。罪のない他人を陥れることを前提には、【至高の十人デカサンクティ】は動けない。


 だからそれがもし、最初から悪手であると仮に今の時点で分かれていても、やはり【至高の十人デカサンクティ】は動けなかっただろう。

 善人はいつだって、苛烈で、容赦なく、そして残酷な悪人には勝てないものなのだから。







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